「サラレギー王って変」 船旅初っ端、風呂に浸かったがそう零した言葉をたしなめたものの、今ならおれも同意しそう。 いや……いい奴なんだよ、いい奴なんだろうけど……馴染めない。どうしても。 生まれに貴賎は存在しないというのがおれの基本姿勢なんだけど、生活習慣の差っていうのは出るよな……と。 そうか、サラレギーが変という訳じゃない。生活習慣の差だ。 おれに帝王学の教師とか、貴族のご学友とか、そんなものはいないし(教師はギュンターがいるけど)、子供の頃にした遊びとか、休暇のときに好む趣味とか、何ひとつ話題が噛み合わない。 それも仕方がない。相手は生まれた時から王になるべく教育を受けていて、おれはサラレギーの言うところの民草の中で育ってきた。 せめてパブリックスクールにでも通っていれば乗馬くらいの話はできだろう。……おれがそんな学校に通っていたら、普段がはみ出し者になっているような気がしてならないが。 サラレギーとの旅は、陸上の分を合わせてもまだ二日目。 なのにすっかり疲れ切った溜息を吐きながら、隣のベッドを見て頭を抱える。 夜中に目が覚めてトイレに立った帰り、寝惚け眼でスケスケネグリジェで眠る美少年を見て、女子の部屋に侵入してしまったのかと驚いたせいで完璧に目が覚めてしまった。 これとデザイン違いのネグリジェを押し付けられていたは、果たして素直に着てるんだろうか……。 そんなこと訊ねたら殴られそうだから聞かないけどさ。 098.餓えた蝶に溺れた魚(2) 「……駄目だ、眠れねー」 昨日は馬車の中で座って眠ったし、今日は今日で大事件が起こりまくりですっかり疲れているはずなのに、一旦目が冴えたらなかなか眠れない。 他の乗組員から貸してもらった寝間着代わりのシャツと短パンの上にコートを引っ掛けて、軽く船を散歩しようと部屋を出た。 サラレギーを起こさないように気をつけて、そっと後ろ手に扉を閉めるとようやく息がつけて、ほっとする。 そうやって、大きく深呼吸して気がついた。そうか、おれはどうやら息苦しかったらしい。 「陛下」 「うひゃっ!」 考え事をしながら歩き出した直後に声を掛けられて、思わず声を上げてしまって慌てて両手で口を塞ぐ。 部屋の扉を振り返って、しばらくじっとしていたけど、中で人が動いた気配はしなかった。 サラレギーを起こさずに済んだらしいことに安心しながら、声をかけてきた男を振り仰いだ。 「なんだ、ヨザック。あんたひょっとしてここで徹夜してんの!?」 「いいえ、まさか。寝不足は健康と美容の大敵ですよ。ここで眠ってるんです」 ヨザックが指差した薄暗い廊下の曲がり角に、人が抜けた後みたいな抜け殻の毛布が落ちている。 いや、置いてある。 「えええ?部屋は?もらえなかったんなら、明日おれが交渉しようか」 「部屋はもらいましたよ。船員と折半ですが、こことも近くてちゃんとした寝床付き。けどほら、こうやって陛下は夜中に部屋から出てくるし」 「す、すみません」 おれとの護衛のためか。 しかしまさか十何日も続く船旅の間中、廊下で寝泊りするつもりなんだろうか。それはいくらなんでも過重労働だ。 「先は長いんだからさー、眠れるときにしっかり眠っておいたほうがいいと思うんだけど」 「その辺は、適当に自分でペース作りますからご心配なくー。それよりお散歩ですか?」 「ちょっと眠れなくてね。軽くぐるっと上を歩いてこようかと。さすがに夜中のランニングは迷惑だろうし」 「安眠妨害の苦情がくるでしょうね。散歩ならお供しますよ」 「え、いいよ、ちょっとでも眠ってー……って、おれが行き来したら結局目が覚めちゃうか」 そうですよ、と笑ったヨザックは廊下の角までおれと一緒に戻ると、毛布を拾っておれの肩にかけた。 「甲板に上がるなら寒さで凍えちまいます」 「凍えるは大袈裟だろ」 「でも、眞魔国よりずっと北ですからね。特に夜なら寒いですよ」 そう言って、掛けた毛布をさらに巻きつけられた。簀巻きの一歩手前じゃないか、これ。 ヨザックが傍らに置いていたランプに火をつけて、二人で波の音と木が軋むような音だけが聞こえる静かな廊下を歩く。 通り過ぎ様、の部屋を扉越しに伺ったけど、人が起きている気配はない。向かいの扉もちょっと……かなり気になったものの、そこは見向きもせずに素通りした。 「んーっ!肩が凝るなあ」 本当なら両手を上に挙げたいところだが、簀巻きにされているので毛布の中で心持ち背筋を伸ばすだけだ。 「お疲れですね、さすがに。でもまだ旅は始まったばかりですよー?」 「いや、体力的には健康そのもの、元気溌剌。なんていうか……ロイヤルな雰囲気の中で身の置き所がない気疲れみたいなものかな」 首を回しながら甲板を歩いて、船縁に近付く。 「坊ちゃん、あんまりそっちに行かないでー。海に落ちたら大変よー」 「そこまで端に寄らないって。うおー、見事に真っ黒な海」 向こうに見える灯りは、護衛船のものだろう。 けどそれ以外は、見渡す限りが海しかないのだから、真っ暗なのは当然か。空に月があるから何にも見えない闇じゃないけど、甲板の上すら完全には見通せない。 「……ヴォルフラムってさー、生まれた時から魔王の息子だったっけ?」 「へ?ええ、ヴォルフラム閣下がお生まれになった頃は、すでにツェリ様の治世でしたね」 海を見ながらのおれの唐突な質問に、ヨザックは軽く首を傾げただけですぐに頷いた。 「そうか……うーん、なんだろうなあ」 「何がですか?」 「こうさ……ヴォルフラムもサラレギーも、ブルジョワな感じがするのは一緒なんだよなあ。なのにヴォルフといても感じない気詰まりが、サラといるとめちゃくちゃ感じる。身内と他人なんだから当たり前っちゃー当たり前なんだけど……」 それだけでは言い表せない違和感も、ある。 ヴォルフラムと初対面の頃はどうだっただろう。 胡散臭い奴呼ばわりをされて、それをギュンターとコンラッドがたしなめてくれて……。 まだ一年も経っていない話なのに、懐かしく感じる記憶を掘り出して、甦った思い出にズキンと胸が痛む。 おれが本物だと、おれが魔王だと、そう言った名付け親は、もうおれの傍にいない。 すぐに頭を振って、胸の痛みを追い払った。今はそんな感傷に浸っている場合じゃない。 でも、コンラッドのことを考えると胸の辺りが熱い。これは比喩じゃなくて。 コンラッドからもらった石が熱を持っているんだ。 「何て言えばいいんだろう……ヴォルフラムも初っ端に会ったときは偉そうなガキだなーって思ったんだけど……それでもサラよりは気さくだったのかな。もう少し親しみやすかったような気がする」 いや、気さくと言えばサラレギーのほうがよっぽどフレンドリーだ。だけどヴォルフラムのほうが、話をしても肩は凝らなかった。 けどそれは、間にコンラッドがいたからかもしれない。 「……気がするだけかもしれないけど」 「どうでしょうね。ヴォルフラム閣下は十貴族の誇りを強くお持ちですが、同時に眞魔国への忠誠心も高い方だ。見ている方向の差かもしれません」 「結局、身内と他人の差かよ。人類みな兄弟とは言わないけど、それもなんか寂しいねえ」 「あくまでも『かも』ですよ。本当のところがどうなのかは、それを感じている坊ちゃんの胸の内なんですから」 「う……難しいこと言うなよ」 少し怯んだように言うと、ヨザックは楽しそうに笑った。 「そこんとこは、陛下より姫のほうが慎重ですね。小シマロン王をあまり信用してない」 「の場合は、男ならみんな警戒対象だからだろ」 「あー、そういえばオレも最初はめちゃくちゃ敵視されましたね」 「え、そんなことなかっただろ!?そこまで険悪じゃあなかったはずでは」 驚いて問い返しても、ヨザックは「さあどうでしょうね」と笑うだけだ。ヴァン・ダー・ヴィーアでの二人のやり取りを思い出そうするけれど、上手くいかない。 の言動を思い出そうとすると、どうしてもコンラッドの影がちらつくからだ。 溜息をついて、頭を掻き毟りたくなったけど、簀巻きよりちょっとマシなだけの状態では毛布から手が出せない。 「……の部屋の正面って、コンラッドの部屋だよな」 「ええ、まあ……」 ヨザックの返事が少しだけ鈍った。おれと一緒で、ヨザックもその辺りは気に食わないのだろう。 「あのさ、ヨザックに話したっけ?のやつ、どうやって国を出てきたのかと思ったら、今回は小シマロンの首都に出たんだって」 「はっ……!?しょ……小シマロンの首都って……ど、どうやって!?」 スタツアの原理が聞きたいんじゃない。おれを見下ろすヨザックの表情は混乱している。 抱いたのは、おれと同じ疑問だろう。 どうやって、首都からおれたちと合流したあの町まで来たのか。 「それがさ、コンラッドに拾われて、あそこまで連れて来てもらったんだってさ」 「……コンラッドに?」 「うん、コンラッドに。が言うには、よそよそしい態度で気詰まりだったけど、それだけだって。特に何もされなかったって。……おれ、コンラッドが何考えてるのか今までも全然判らなかった。それで、ますます判らなくなった」 ヨザックはランプを下げた手とは反対の手を顎に当てて、少し考える仕草をした。 「……さっき……と言っても、ちょっと前ですよ。陛下と姫がお休みなさーいってそれぞれの部屋に入ってすぐです。コンラッドと少し話をしました」 「え?」 「話があるって、夕方にちょっと耳打ちされていたんですよ。……姫のことで」 「の?」 二人きりで旅していた間中、何もなかったなんて本当は嘘だったんだろうかと緊張したら、ヨザックはすぐに首を振ってそれを否定する。 「旅の話じゃありません。それは今が初耳です。そうじゃなくて、姫をあまり甲板に出すなという話で」 「甲板に」 今は人影の見えない周囲を見回す。操縦室とか、諸々の場所ではまだ人が起きているはずだが、今ここには誰もいない、暗い場所だ。 「なんで?」 「海を怖がっているそうです。出港間際に戦闘で海に落ちたでしょう?恐らくあの影響で」 「ああ!」 火がついた船の上で、の姿が見えなくて慌てて探し回ったのは、今日というか、もう昨日というか、とにかくまだ生々しい嫌な記憶だ。 ヨザックはさらに複雑そうな顔で、額に手を当てて溜息をつく。 「更に困ったことに、姫本人は海が怖いという自覚が薄いらしいんです。夕方、あいつが甲板で姫の姿を見つけたとき、船縁にしゃがんで震えていたらしいんですけど、それでもまだ海が怖いとよく判っていないようだって」 「な……なんてこった」 両手で顔を覆いたいのに、やっぱり手が出なくてうな垂れるだけだった。 自由に身体が動かせないことにイライラして、とうとう巻きつけられていた毛布の下で暴れ出してしまった。 「くそっ!それなのに何だってこんな長い船旅になっちゃうんだよ!ここからじゃ今更、を帰すことだってできないじゃん!」 「坊ちゃん、坊ちゃん落ち着いて。暴れないで。いやー苦情がくるー」 おれが癇癪を起こし出したのを見て、ヨザックはようやく半簀巻き状態から解放してくれた。 巻かれていた毛布が解かれたお陰で、少しだけ身体が冷えて、ついでに頭も冷えた。興奮が通り過ぎると、困惑だけが残る。 おれが暴れるのをやめたので、ヨザックはまた肩に毛布をかけてきたけど、今度は簀巻きにはしなかった。 「……けど、なんかコンラッドのことは更に判らなくなった。混乱する。を国に帰そうとしてくれたり、そんな忠告をしてきたり、のことどう思ってるんだ?」 「判りませんねえ」 ヨザックは軽く肩を竦めて空を見上げる。 「だよな」 おれも一緒になって見上げると、晴れた夜空には星が輝いていた。 |
サラレギーといては気疲れ、妹のことは心配、コンラッドの不可解な行動も 気になる。すっかりお疲れの有利です。 |