コンラッドの後について船室まで戻ると、廊下にいたヨザックさんがこれでもかというくらいに大きく目を剥いた。 「あれ!?姫、どうしてコンラッドと一緒にいるんですか!お部屋にいたんじゃ……」 「魔王陛下も王妹殿下も、目を離せばどこかへ行ってしまう方なのはお前もよく知っているだろう。しっかり見張っておけ」 コンラッドの冷たい言い方に、ヨザックさんの口元が軽く震えた。あああ…あ……け、険悪な雰囲気になっちゃう。 「ご、ごめんなさいヨザックさん。ちょっと外の空気が吸いたくて甲板に出てたの」 抑えてもらおうとコンラッドの脇をすりぬけて、両手で後ろに下がるようにヨザックさんを押し返す。 「甲板に上がるのは構いませんがね、それならオレに声をかけてください。この男じゃなく!」 「コンラッドについてきてもらったんじゃなくて……」 「人気のない甲板に一人でいるところを見つけた俺が連れ戻しただけだ。見張りきれないなら、紐で柱にでも括ってしまえばどうだ」 「うちの殿下に無礼な物言いは止めてもらいたいものだな、大シマロンのご使者殿」 「ヨ、ヨザックさん」 ペットみたいな言われようだけど、紐で括るってコンラッドにはされたよねえ……。 乾いた笑いを飲み込みながら、前に出ようとするヨザックさんを押し返していると、上にふっと影が過ぎった。 振り仰ぐと、コンラッドがわたしを挟んだ形でヨザックさんの肩に手をおいて、その耳元に小さく何かを囁いた。 微かに聞こえただけの声に、少し離れたわたしの耳では意味のある言葉までは拾えなくて、そのままコンラッドはわたしのことは見向きもせずに、向かい側の自分の部屋に入ってしまった。 098.飢えた蝶に溺れた魚(1) 「コンラッドは何て?」 その背中を見送って、押し返す必要のなくなった長身を見上げる。 どこか険しい表情で閉じられたドアを見ていたヨザックさんは、わたしの質問にギリギリと歯軋りをしそうなくらいの噛み締めた声で、無理に作った笑顔を返してくる。 「何でもありません」 「え、な、何でもなく見えないんですけど……」 「な・ん・で・も・あ・り・ま・せ・ん!ヤツに無能呼ばわりされたなんて……ええ〜、何でもありませんよ」 それってつまり、わたしが一人で部屋から抜け出していたことを指して言われたんだろう。 「ご、ごめんなさい……」 思わず視線を逸らして両手を合わせながら謝ると、上から溜息が降ってきた。 「今回は何もなかったからいいですけどね。次回からはオレの目を盗むってのは勘弁してください」 「でも、ヨザックさんには有利についててもらわないと」 「どっちも部屋からバラバラに出るなら坊ちゃんについていきます。けどね、坊ちゃんは部屋にいて、姫が部屋から出るならオレは姫についてくべきでしょー?できればバラバラに動いて欲しくないんですけどねー?」 「す、すみません……」 申し訳なくて謝ったのに、何故かヨザックさんまで申し訳なさそうな顔をして頭を掻く。 「ご不自由をおかけしているのは申し訳ない。けど、オレ一人ではできることにも限界があるんです」 「も、もちろんです。ごめんなさい。もう勝手に動きません」 手を上げて宣誓すると、ヨザックさんは苦笑いしながら髪を掻き回していた手を降ろした。 ふと、コンラッドに言われたことを思い出す。 コンラッドの部屋のドアを見て、少し考えてからヨザックさんの袖を引いて廊下の隅に移動した。 「あのですね、コンラッドに念を押されたんですけど……」 常にヨザックさんか有利と一緒に動くこと、それができないときは必ずコンラッドに声を掛けること。 とにかく所在を常に明らかにするようにと注意されたけれど、そうするべきなのか、ちゃんとヨザックさんの確認を取っておこうと思ったのだ。 廊下の隅に二人でしゃがんで頭を突き合わせながらヒソヒソと話すと、ヨザックさんは複雑そうな顔色を浮かべたものの、大筋ではコンラッドの意見に賛成だと頷いた。 「そうですね。もちろんできればオレを指名して欲しいですが、どうしても陛下と別行動になるときは、コンラッドの奴を連れ回して連れ倒してやってください」 「連れ……倒す」 連れ回すならまだしも、倒すって一体どんな状況なんだろう。 「海の男にしろ兵士にしろ、気質は荒くれ共ですからね。正規兵だからって、男は男だし」 「そんなに魔族って嫌われてるんですか……」 少なくともサラレギー王の周囲ではあからさまな魔族蔑視の視線は受けてないのに、そんなに気をつけなくちゃいけないものなのかと溜息をついたら、ヨザックさんはぱっくりと口をアルファベットのオーの形に開けていた。 「え、や、ちょっとちょっと、姫、違いますよ。オレもコンラッドも別の心配をしてるんです。いやだわ、姫ってばご自分の容姿を判ってくださいって何度言えばいいんですか」 「は……」 ヨザックさんは、指先でトントンと船の床板を叩いた。 「いいですか、ここは洋上の船の中で、何日も何十日もオレたちは閉じ込められるわけです」 「そうですよね。聖砂国までは結構な日にちが掛かるって」 「その間、顔を突き合せるのは野郎ばっかり。そりゃあね、それでも死にはしませんよ、死には。でもそんな中に息を飲むような美少女がふらふら〜と一人で歩いていました。鼻先に獲物を見つけちゃった空腹の獣が襲い掛かっても仕方ない状況だと思いません?」 「……思いません」 色々とツッコミどろこのある話ではあったけど、言いたいことはそこはかとなく判った。 判りたくないけど判ってしまった。 真っ青になっているだろうわたしを見て、ヨザックさんは軽く息を吐く。 「そうですね。仕方ないなんてことはない。もちろん悪いことだ。だが悪いことをした奴を悪いと責めたって、事が起こってからじゃ遅いんです。姫もできることから始めて自分を守ってくれないと」 「……はい。……あの、でも、そういうことって本当にあるのかな……?だってこの船にいる人は、王の傍に仕える人たちばっかりなんでしょう?」 「可能性としては、かなり低いでしょうね。何しろ魔王の妹となれば、どんな強力な魔術を使うか判らない。それに一応は王の賓客だ。理性的に考えるだけの余裕があれば絶対に手は出さない。けど、人の理性っていうものは過信できない。衝動は怖いものなんです。もちろん、姫が最初に考えていた意味のほうでも」 わたしがどんな顔をしていたのか、ヨザックさんは途端に表情を崩して、わたしの髪を掻き回すようにして乱暴に頭を撫でる。 「う……わっ……た、ちょ、ちょっと待って!」 「脅かしてごめんなさいねえ。でもそんな不安そうな顔しないでー。そのためにグリ江がいるんでしょう?姫は女の子なんだから、男の子の陛下より心配事がひとつ多いことだけ自覚して欲しかったのー」 「わ、わ、わ、判りました、大丈夫、し、信頼してます!」 あまりに強く頭を撫で回されて、危うく額から床に突っ込むところだった。 コンビニ前の不良みたいなしゃがみ方をしていたけど、頭を掻き回された衝撃で目が回って床に座り込んでしまう。 ふらつく身体を壁に預けてぼさぼさになった髪を解いていると、ヨザックさんはにっこり笑って手を引いた。 「本当に、可能性としては小指の爪の先くらいですよ。どっちの意味でもね。だからオレかコンラッドを連れて歩くのは、あくまでも保険ですね」 「転ばぬ先の杖、ということですか」 「杖!いい表現ですねぇ。オレは優秀な護衛ですから、陛下や姫に不埒なことをする相手がいたら喉笛を掻き切っちゃいますよ。だから安心してくださーい」 「……眞魔国の杖って全部が喉笛一号みたいになってるんですか……?」 ぜんぜん安心できない物騒な話なんですけど……。 それまでふざけていたヨザックさんの表情が一瞬で切り替わって、急に釣り上げように腕を引かれて立ち上がる。 そうしたら、すぐに声を掛けられた。 「おや、。そんなところで何をしているの?」 「サラレギー陛下」 ヨザックさんの横から窺うと、流れるような白金の髪を払いながら、廊下を歩いてきたサラレギー王の後ろには、何故かげっそりと疲れ切った有利が続いていた。 「いいえ、なにも。少し話をしていただけです。あの、それで有利はどうかしたんでしょうか」 「え?ああ、別に何もないよ。もうすぐ夜だから、ユーリにも着替えが必要だろう?さっきまでわたしの持ち物から夜着を選んでもらおうとしていたところなんだけど」 「いや……いいよ、その心遣いだけですごく嬉しいから……」 一体どんな着替え候補があったのか、有利は及び腰になってジリジリと距離を開けている。 「本当にいいの?それならそれで……ユーリに似合いそうな服を持ってこさせるけれど」 「あ、そ、それでお願いします。サラの服は……えー、ほら、おれはがさつなところがあるから、破ったりしたら悪いし」 「そんなこと気にしなくてもいいのに。けれど、は女性だからね。わたしの絹の服のほうがいいと思うんだ。さあ、一緒に来て。着替えに好きな服を選んでいいから。ちゃんと袖も通していない服だってあるからね」 急に手を掴んで引っ張られた。 一瞬だけ腕を引き返そうとしてしまったけれど、どうにかこらえて引っ張られるままに連れて行かれる。 「い、いや、でもあのサラ、もその……あんまりおしとやかな女の子じゃないからさ」 「どういう意味?」 失礼な、とサラレギー王の横について何かと訴えかける有利を睨むと、有利は情けなさそうな顔で眉を下げた。 その目が、おれの言うとおりにしないと後悔するぞ、と言っている。 だけどじゃあどうやって好意の言葉を断れるかと考えているうちに、すぐ近くの有利とサラレギー王の二人部屋まで連れて行かれた。 サラレギー王はヨザックさんを廊下に残して扉を閉めてしまう。 まるで締め出してしまったようで、申し訳なくドアを振り返っていると、また手を引かれた。 「さあ、どれがいい?一応、まだ袖を通していない服はこちら側にまとめているけれど、あなたが気にしないならどれでも好きなものを選んで」 促されて正面を向いて、広げられた服の数に呆気に取られてしまった。 サラレギー王は船上だというのに、毎日着替えるつもりなのかという数の服を持ち込んでいたのだ。それとも王様だから、ある程度の贅沢は当然なのかしら。船の上で水は貴重だと思うんだけど、毎日洗濯するのかな……? とにかく、そのどれもこれもがシルク素材らしい高級感溢れる服で、袖とか襟とかがヒラヒラしている王子様シャツなんかが目白押し。有利が止めようとしてくれた理由がよく判った。 「あの……と、とてもありがたいのですけれど……」 「そうそう、まずは今日の夜着からだよね。どうぞ、こちらから選んで」 「あ、あのサラ!」 有利の制止の声をまったく無視したサラレギー王がわたしを引っ張った先に何着か並んでいたものは、どれもこれもヒラヒラのスケスケの薄い布のネグリジェだった。 「………こ、これは」 有利がわたしの横で、掌で顔を覆うようにして溜息をついている。 「わたしの夜着で申し訳ないのだけど、この船には他に女性はいないから」 サラレギー王のネグリジェなのね!? ヴォルフラムといい、サラレギー王といい、この世界の美少年はネグリジェが夜の標準装備なんでしょうか……。 でも無理。わたしには無理。 わたしがこんなスケスケネグリジェを着ている姿なんて、想像するだけでも恥ずかしいと言う前に、出落ち狙いのネタにしか思えない。 「あ、あああのですね、その、わ、わたしも有利と一緒でがさつなところがあるので、陛下の服を汚したり破いたりしたら大変ですし……」 に、逃げ出したい。 有利がげっそりとしていた理由をまざまざと目にしながら及び腰になっているというのに、サラレギー王は手を伸ばしてわたしの頬に触れてきた。 ギャー!触らないでっ! 「駄目だよ。には絹の服が良く似合うはずだ。遠慮しないで選んで。ああ、もしかして選びきれない?それならわたしは、これなんかどうかと思うんだ」 頬を触られて、その手を払い落とさないように耐えて硬直してしまったわたしを後目に、サラレギー王はネグリジェとその他に着替えにと何着かを迷いもせずに取り上げて、押し付けるようにして手渡してくる。 「へ、陛下……」 「ここは船の上で、しかも本来は貨物船のはずだった船だから、限りあることしかできないけれど……」 そんなことを言いながら、キラキラの粒子を振りまきそうな笑顔で、押し付けられた服を抱えるわたしの頬にまた触れる。 だから!触らないでってばっ! 言うわけにもいかない言葉を心の中で叫びながら、後ろに少し逃げるけど、逃げた分だけ距離を詰められる。 有利は有利で、他国の王様相手にどうやって割り込むべきか迷っているらしく、横でおろおろと手を上げ下げしていた。 「あなたには、できるかぎり不自由をさせないように心がけるよ。困ったことや、して欲しいことがあったら、どうかわたしに何でも言って」 だったら気軽に触らないで。 「あ……ありがとう……ございます。どうかお構いなく……」 やっぱり言えない言葉を飲み込んで、弱々しく笑顔を作ることしかできなかった。 |
小さな親切……ということわざを思い出しそうな状況です(^^;) |