宿から踏み出した時には気持ちを切り替えていた。 優先すべきは、俺の感傷ではない。 小シマロンが聖砂国と手を組むことになれば、眞魔国に、ユーリとの身にも危険が及ぶ。俺が第一に考えるべきことはそれだけだ。 サラレギー王が逗留していると思われる宿に向かう途中、町全体から覚える不審な気配の正体を探りながら歩いた。宿に近付くほどに殺気が充満する雰囲気は、どう考えても警備ではないと確信したとき、向かう先から戦闘の音と匂いが流れてきた。 EXTRA7.選べなかった未来(9) 「なんだこれは」 宿に到着した時点では戦闘は始まったばかりという様子だったが、何よりおかしなことは、 寄せ手も守り手も小シマロンの軍服を着ていることだ。 小シマロンにも反王権勢力があるとは知っていたが、そんなものはどこの国でも存在する。問題はその規模だ。 「数が少ない……が、守備隊はそれより更に少ないな」 王城を出て守りの手薄な王を仕留る千載一遇の機会なら、できる限りの人数を用意するだろうに、これだけか。 それに王にしても、狙われている自覚はあったはずだが随分と少数の随員で動いている。 急ぎの旅だから少数精鋭で移動していたということも考えられるが……それとも、この事態を誘っていたのか。 いずれにしろ、少しの違和感はあるがここで考えていても答えが出るものでもない。 剣を抜き戦場を駆け抜け、かかって来る者は斬り捨てて進む。突然現れた大シマロンの軍服を着る存在に動揺を見せる戦場を抜けると、宿の正面門を守っていた兵士が寄ってくる。 「何者だ!」 「私は大シマロン王ベラール陛下よりサラレギー王へ使わされた者だ。王は中におられるか」 殺気の渦巻く戦場で、血に濡れた剣を下げながら感情を表さない平坦な声で告げると、兵士は戸惑いながら王の居場所を告げ道を開ける。その後ろの、見知った者と目があった。 「お前は……」 「コンラート閣下!」 どうしてこんなところにギュンターの配下がいるんだ。戦場を振り返り辺りを見回すと、幾人か見覚えのある者がいる。いずれもギュンターの側近だ。 「……ギュンターが来ているのか」 ギュンターが小シマロンに来たとなると、隠密行動とは思えない。俺と同じ正式な使者としてこの時期小シマロンに入ったのだとすれば、どうやら眞魔国でも独自に小シマロンの外交策を知っていたのか。 に伝言を頼むまでもなかったらしいことに安堵しながら、適当に傍に倒れていた負傷者を一人肩に担ぎ、一人の腕を掴む。 宿に踏み込もうとした俺の前に、眞魔国の兵士が立ち塞がった。 「……お入れするわけには参りません」 「ここは小シマロン領であり、小シマロン兵が譲った道だ。他国の使節団の者に止め立てされる謂れはない」 「例え閣下といえど……いいえ、あなただから入れるわけにはいかない!陛下の御身にもしものことがあれば……っ」 「陛下?」 不審そうに問い返した俺に、はっと気付いたように口を閉ざす。 まさかとは思っていたが……。 「そちらの事情は、我が大シマロンには関係のないことだ。心配せずとも、私も他国の領内で揉め事を起こすつもりはない。どけ」 強気で踏み出すと、相手は剣を構えたまま困惑の表情で、だが力付くで俺を止めることにも躊躇があるのかじりじりと下がる。 ちょうど守備の一角が崩れ、俺とそちらを見比べ、見知った男は守備の対処に走った。 宿に入ると、外の喧騒とは打って変わって静かだ。宿の人間は隠れたのか、それとも戦闘が本格化する前に逃げることができたのか……それができれば王も逃げているはずか。 まだ静かな館内に血と死の匂いを運びながら、溜息が漏れそうになる。 どうして、といいユーリといい、こんな危険な土地にやってくるんだろう。 は不可抗力のことだったが、こんなことなら彼女も連れてきてギュンターに預ければよかった。 そう考えて、肩に担ぎ、そして左手で引き摺る存在に首を振る。 いいや、まさか戦場になっているとは思わなかったのだ。連れてこなくて正解だった。 どんな小規模のものでも、戦場なんて危険な場所にを近づけたくはないし、戦場なんて凄惨な状況を見せたくもない。 たとえ、それを知らなくてはならない立場であっても、できることなら……。 階段を上がり、警備の兵のつく大扉を見つけて一度唇を噛み締める。 大丈夫だ。急に現れたのときとは違い、あそこにユーリがいることを知っている。 決して、動揺したりはしない。 抜き身の剣を手に、負傷者を引き摺って進む先から、誰何の声が上がった。 「どういうことだ!」 部屋の入り口を守る兵士を振り切り扉を蹴破ると、そこには数人の小シマロン兵にその主と思われる少年、ギュンターとヴォルフとヨザックと……そしてユーリ。 ユーリは、もう俺を振り返らない。 俺も、彼を見ない。ただサラレギーだけを見据えて、見た通りの現状の問答を繰り返す。 それどころか、問答の中でサラレギーが当たり前のように聖砂国への出港を述べる、そのことに驚いた。もはや大シマロンの権限であっても、止める手立てはないということか。 「私も同行することになりそうだ」 それなら、俺も行かなくてはならない。それがどんなに危険なことでも、例えそこで命を落とそうと、諾々とその同盟が結ばれることを見ているわけにはいかない。 初めてサラレギーの表情が不愉快そうに曇る。だが大シマロンの正式な使者を跳ね除けることは、小シマロンには出来ないことだ。 俺の同行に消極的な肯定が返ってきた時、ヴォルフの悲鳴のような怒鳴り声が聞こえた。 「何をしている!?」 声に誘発されて見ないようにしていた彼のほうへ目を向けて、絶句する。 ユーリは後ろに引かれて、ヴォルフラムに倒れこむ。その指先は血に濡れていた。 サラレギーの動揺を僅かなりと引き出せないかと、現実を見せ付けるために連れてきた兵士の傷を癒したのか。 迂闊なことをした。ユーリの前に息のある負傷者を連れてくるなんて。 人間の土地で魔力を使わないで下さいとあれほど言ったのに、それでもあなたは。 ユーリが何かを言いたそうに、俺に向かってゆっくりと手を上げる。 思わずその手を掴もうと踏み出した時、横から叩きつけられた殺気に手に下げたままでいた剣で応戦した。 「それ以上陛下に近付けば、あなたを斬り伏せることになります」 「正気か、ギュンター」 「あなたが反対派の手先でないとどうして言い切れます?あるいは大シマロンが魔族の失墜のために、魔王陛下の御命を狙って放った刺客であるかもしれない」 「俺はここに眞魔国の使節団がいたことさえ知らなかった。知っていれば……」 「国を裏切った男の言葉など、信じられるものですか!」 ギュンターの言葉は、まったくの正論だ。 胸に込み上げる苦いものは覚悟していたはずの感情じゃないか。 ギュンターか、ヨザックか、せめてヴォルフラムに、この町にがいることを告げて迎えに行ってもらいたいというのに、こんな頭に血が昇った状態では果たして本題に入るまで俺の話を聞いてくれるだろうか。できることなら部屋の端に移動した小シマロンの者たちには聞かせたくないのに。 「あなたは最早、眞魔国の者ではない!」 「やめて!」 聞こえるはずのない声が、すぐ後ろから響いて驚愕に声を失った。 俺もギュンターも、力を失って互いに一歩下がる。 「ど……」 どうして、ここから離れた宿にいるはずのが。 「もうやめて!それ以上は言わないでっ」 今にも泣いてしまいそうな表情で、息を切らせたの腕を警備兵が掴む。 柄を握り、の腕を掴む兵士に刃を向けそうになった刹那、ユーリが叫ぶ。 「やめてくれ!おれの妹だ!」 兵士の手が離れて、俺は信じられない思いでに手を伸ばした。 「……どうして……」 あれほど宿に居ろと言ったのに。あれほど今日だけは部屋を出るなと言ったのに。 ここまで来たということは、あの戦場を抜けてきたのか? まさか、怪我なんてしていないだろうか。 「殿下に近付くことは許しませんっ」 ふらりと一歩踏み出すと、すぐにギュンターが斬りかかってくる。まったく……こんなところでばかり優秀な男だ。 「よせギュンター。お前とやり合う理由は……」 「私にはあります!」 「やめて!ギュンターさん、お願い、やめてっ」 駆け込んできたを、入り口近くで部屋全体を伺っていたヨザックが腕を掴んで引き止める。 はその手を振り払おうと必死だが、ヨザックなら任せておいて大丈夫だろう。 これでやめろ言っても挑んでくるギュンターに、応戦することに集中できる。 「こんな服を着させるために、全てを教えたわけではありません!」 「では何のために兵を育てた?戦場で華々しく死なせるためか」 「私はずっと、生きて国家に、眞王とその代行者たる魔王陛下に、最後まで忠実にお仕えする者をと……」 ギュンターが俺に向けたその感情が、単純な怒りや憎しみや侮蔑なら、よかったのに。 「多くのものが望むとおりになっただろう」 そんな苦渋を滲ませた声で責めるな。まるで悲しんでいるかのようじゃないか。 「あまり欲張るな」 刃を正面から受け止めて、鍔迫り合いの中でも責めの言葉は続く。 「何故です……私は陛下の剣となり盾となる道を、あなたに示したはずなのに」 その通りだ。お前はとても優秀な教官だった。それに偽りはない。王のために命を投げ出せる兵を、確かに育てた。 「……あなたは、魔王の御許にいればいい」 「その言葉はそのまま返そう。誰より誠実な者にこそ相応しい」 俺にはもう、その資格はない。 「っ」 ユーリの悲鳴にギュンターの剣がぶれる。それを見逃さないよう、俺を育てたのはお前だったよな、ギュンター。 叩き折った刃が跳ね落ちたその間に小さな影が飛び込んできて、闇のような漆黒の髪が宙を舞い、ギュンターを床へと薙ぎ倒す。 ギュンターに向けていた血に濡れた俺の剣が、の背中に向けられた状況にぞっとする。ギュンターを斬る気はなかった。だが、何かの弾みでを傷つけていたら? 斬り合いの最中に割り込んでくるなんて、なんて危険なことを! を傷つけかねなかった武器など放り出したい衝動を辛うじて堪える。小シマロンの人間の前だ。何に動揺してもいけない。 どうにか静かに刃を下げると、聞いたこともないような厳しい声での叱咤がギュンターへ飛んだ。 「やめなさいと、何度言ったら判るの!?」 「で、殿下……」 「あなたは……っ」 言葉に詰まったように沈黙するの背中が痛い。ギュンターがかつての教え子を責めるなんて場面、見たくもなかっただろうに。傷つけたくなんてないのに、俺はを苦しめてばかりだ。 ギュンターが起き上がると、も俯いたまま立ち上がり、魔術を使った反動で力が入りにくいらしいユーリがゆっくりと近付いてそっと抱き寄せた。 ……悲しんでいるその背中を撫でる手を、俺はもう持っていない。 戦いを仕掛けたギュンターを叱責したユーリは、を抱き寄せたまま、感情を押し殺したような目を俺に向けて、他人行儀な口上を述べる。 「大シマロンの使者の方には、おれの部下がとんだ無礼を働いた。申し訳ない」 「……ほんの戯れです。どうぞお気になさらずに」 剣を収めると同時に、手を叩く音が部屋の端から上がって激しい嫌悪感が込み上げる。 「大変、興味深く見させてもらった。師弟の間に起こった事は知らないがね」 小シマロンの王には、さぞかし面白い見世物だっただろう。 ユーリに紹介されると、は近付いてきた小シマロン王に完璧な儀礼に則った礼をとった。 「初めてお目にかかります、サラレギー陛下。見苦しいところお見せいたしました。ご容赦くださいませ」 「気にしないで。とても勇敢な行動だったよ。ユーリと同じ黒い髪が宙に舞って、とても美しかった……本当に、綺麗だね」 肩から滑り落ちた髪の一房をサラレギーが指で掬い、その手を叩き落した衝動を堪えて拳を握り締める。 はユーリも好きだというその髪をとても大切にしていて、無闇と他人に触れられることを嫌悪する。それが男だと特に。 かつて俺はそれを許された。 許されなくても、この数日は彼女の目を盗むように触れ、口付けを落としたけれど。 俺がしたことと同じように、に断りもなく手にしたその髪に口付けようとする男に奥歯を噛み締め俯くと、のその手も耐えるように震えながら拳を握り締めていた。 大儀名分、だ。 ユーリよりも細いその手を掴み、間に半ば割り込むように身体を入れて挨拶を中断させる。 「ご挨拶はどうぞ後でゆっくりと。それよりも脱出口があるのなら、今は安全を図ることが先だと思われます」 が嫌がることなら、例えもう他人の俺が邪魔立てしても、なんの問題もないのだから。 |
必死に彼女に関わるための言い訳を探しまくってます……。 |