僅かな隙もない監視体制は俺が自分で言い出したことだったが、中々に難物だった。
から目を離さないことが、ではなく。
の傍に居続けることが、だ。
それでも昼のうちはまだいい。
脱走を防ぐことが目的なので、夜こそ監視が必要として当然同じ部屋に寝泊りをする。
が起きている間はまだいい。彼女の目があるから、気にしているのは脱走だけだという顔をしていられるからだ。
だが彼女が眠りつくとその無防備な寝顔に、俺を決して拒まない時間に、至福を感じて苦しく
なる。



EXTRA7.選べなかった未来(7)



ランプを消して月の光だけが灯りの部屋。
床を見ると左手首にはと繋いでいる紐が見えた。
一応、もしものことがあったときにはすぐにでも剣を握ることができるよう、拘束に繋ぐ手は利き腕を避けている。
薄暗い部屋でベッドの支柱にもたれて床に座り、すぐ傍から聞こえる一定間隔の寝息に目を閉じる。
は昼も夜も傍にいるということに、相当うんざりとした様子だった。
だが眠っている今は、俺の存在を疎んじたりはしない。
音を立てないよう注意して、もたれていたベッドから身体を起こして振り返ると、穏やかな寝顔がすぐ傍にあった。
「……
疲れもあるのだろう。深く眠っているようで、小さな声では目覚める兆候すらない。
もう少し大胆に、右手を伸ばして梳くように髪に指を通してみる。
髪はすぐに指の間をすり抜けて、一筋すら俺の手には残らない。
今のと俺のようだ。
がこんなに深く眠っているのは、俺を信用しているからじゃない。ただ疲れに勝てないだけなんだろう。
眠っている時にしか、こうして触れることもできない。
それは逆に、眠っているときになら触れることも可能なのだということだ。こんな風に……嫌な顔をされることなく。そしてからの拒絶がないなら、俺自身が自制しなくてはならない。
こんなにも近くにいるのに。
……」
小さく呼びかけて、返答がないことに安心しながら落胆している。
そっと再び髪を手に取り、その一房に口付けをする。
自分で作り出した状況で勝手に苦悩している俺を知ったら、君は……怒るだろうか、軽蔑するだろうか。それとも……愚かだと笑うだろうか。


そんな俺の自業自得の苦労を知らないは、その二日後の夜にとんでもない提案をしてきた。
前日と同じように手首を布で繋ぎ、俺が床に降りようとするとが布を引っ張った。
「これは外しませんよ?」
先回りして言っておくと、は首を振って俺を見上げる。
「床で座って眠っても、疲れは取れないよ」
「……どういう意味ですか?」
一瞬、僅かに脳裡を掠めた馬鹿馬鹿しい願望に呆れて、自分でもあからさまに眉をひそめてしまった。
「そのままの意味」
「ですから」
「一緒にベッドを使おうって言ってるの」
俺の懊悩を知っての提案なはずはなく、むしろそれを知らないからこその提案だ。
敵であろうと……同行する者のことを気にかけないではなかった。
「……正気ですか?」
俺が毎晩、傍でどんなことを考えているかも知らずに、知らないから平気でそんなことを言ってくる。
君を裏切った俺でも、君は放っては置けないのか。
そんな優しさは見せなくていいのに。
「だって、お金を出しているのはコンラッドなのに、わたしがベッドでコンラッドが床っていうのはおかしいでしょう?でもコンラッドは、わたしが床なのは駄目だって言うし」
のほうが体力がないから当然です。それに俺は訓練を受けている。床だろうが座っていようが、少しの睡眠でも回復力が違います。お気遣いなく」
「お気遣いなくで気にしないなら、こんな提案しません」
こういうところで頑固な面を見せられると困る。
本当に、俺の願望を見せてやりたいほどだ。そうすれば、同衾どころか同じ部屋にいることすら嫌がりそうだけど。
「男をベッドに誘う行為の意味が判らないほど、子供ではないでしょう?」
俺の本心を混ぜた言葉を挑発するように投げつける。
ヒルドヤードでは共寝どころか、同じ部屋で眠ることにすら戸惑っていただ。
婚約者ではなくなったからといって……いや、だからこそもう一緒に眠ろうなど言うはずのない言葉を選んだのに、は強い視線で俺を睨みつける。
「無理やりは好きじゃないって言ってた」
……そういえば、そんなことも言ったな。
嘘でも偽りでもない。が嫌がるなら、俺には何もできない。それに偽りはない。
だが……過去の自分を呪うことは、可能だろうか。
「昨日も同じ部屋で眠っていたのよ?あなたにその気があれば、どうすることでもできたはずなのに、あなたは何もしなかった。わたしは睡眠をとるための提案をしているの。それは、合意ではないわ」
何もしなかったわけじゃない。髪に触れてキスをしたと、君に触れたいのを我慢していただけだと……が知る由もない。知っていれば、身の危険もあるこんなことは言わないだろう。
「あなたの言葉を信じています。………ウェラー卿」
とどめを差された。
彼女から突き放された今、俺はきっと恐ろしくて手を伸ばせない。
に嫌悪の眼差しを向けられることも、侮蔑の言葉を叩きつけられることも、そしてその涙を見ることも……俺にはきっと耐えられないから。
「なるほど……確かに俺が言ったことですね。狭くなりますが、本当にいいんですか?」
は少し固い表情でぎこちなく頷いて、ベッドの片側を空けるように後ろに下がった。
「わたしから提案したんだから、そんなことは最初から承知の上です」
「では遠慮なく」
が俺に背を向けるようにしてベッドに入るのを確認して、ランプの火を落とす。
闇の中で互いに背中を向け合って同じベッドに入る。触れないようにしているのに、の熱が伝わってくるようだ。
けれどその肌に触れて、本当にその熱を感じることは許されない。
にこんなにも近いのに、こんなにも遠い。
こんなにも遠い。


それからの旅は順調だった。
も少しは慣れたのか、それとも諦めの悟りを開いたのか、ぐずるように嫌がることはなくなり、疲れたら素直に俺にもたれかかるようになった。諦めでも悟りでも慣れでもなく、疲労のせいなのかもしれないけれど。
順調でなくなったのは、恐らくここがと過ごす最後の夜になるだろうと思った宿場町に着いたときだ。
この日は朝からの様子が少し張り詰めているようだったから、ゆっくり休んで欲しかったのに、町で一件しかない宿は火事を出して派手に燃えた跡を晒していた。
明日の早いうちにサラレギー王に追いつきたくて、無理に町を一つ通過してきたことがここにきて仇になった。
「参りましたね。この様子だと今日はもう営業しそうにない。民家の一角を借りるという手もありますが……」
狭い町で起こった火事では住民にいくらか動揺が残っていそうで、そんな空気の中に疲れているを置いておきたくはない。
「次の町に行きましょう。到着する頃には夜が明けそうですが、次はそれなりに大きい街ですから、まともな宿があるし、そこで仮眠を取った方がまだ疲れも取れる」
そう判断を下すと、は疲れたように肩を落とした。
に手を貸して馬上に押し上げ、後から上って馬を進めると、は大きな溜息をつく。
こんなに疲れているのに、さらに強行軍になるなんて、可哀想なことになった。
疲れで前のめりになるの額に手を当てて後ろに引寄せる。
「お疲れでしょう。は俺にもたれて眠ってください」
夜道で速度を落とした馬上なら、浅く、せめてまどろむ程度には眠れるだろうと提案すると、
は疲れた様子のままで首を振った。
「わたしより、コンラッドのほうが疲れてるのに。ずっと手綱を持ってるし、わたしがついうとうとしたときも、落ちないように気を遣ってくれるわけだし」
「俺は訓練を受けた兵士です。元々は休まず行くつもりでしたから、一日、二日程度の徹夜
くらいはどうということはありません」
「……じゃあ、小シマロンの王様に追いつけないのは、わたしのせいなんだ……」
余計なことを言ったか。確かにを連れているから進む速度は遅れがちだが、はよく頑張っているし、なによりこの旅に同行させたこと自体が俺の我が侭なのに。
「それもが気にすることじゃありません。あなたを連れて行くのは俺の都合です」
俺の、の傍に少しでも居たいという、勝手な都合なのだ。
「いいから少し眠りなさい。サラレギー王が出航する前には捕まえなくてはいけないから、下手をすれば仮眠なしで強行軍になるかもしれない。あなたの体力では耐え切れません」
手でその目を覆い気にせず眠るように勧めると、睫毛が掌を掠めた。目を閉じてくれたらしい。
力を抜いて俺にもたれかかってきたを決して落としたりしないように、少し身体の位置を調整していると、不安定を感じたのかは俺の外套を握ってきた。
「コンラッド、ひとつだけ聞かせて」
「なんでしょう」
「国にいたとき、わたしのことを好きだと言ったのは、本当だった?」
瞬間的に震えてしまったことは伝わらなかっただろうか。
今は俺がそういう態度を取り続けている。だからが俺の心変わりを信じることも、それを嫌悪することも仕方がない。
だがあの日々を、傍にいて全身全霊でに愛を注ぐことが出来た日々すらも、否定されることになるとは思ってもみなかった。
……いや、それも俺が甘かった。
あれだけ愛してると囁いて、傍に居たいと願って、そのくせ行方不明になった後に再会してみれば、あっさりとその愛しているはずの存在を斬り捨てた男の、どこに誠意を覚えることができるだろう。
君に告げた愛に偽りなんて一つもない。
いいや、それどころか今だってこんなにも狂おしいほど君が愛しいというのに、一体どこに偽りが入り込む余地があるだろう!
……そう言うことができたなら。
あるいは全て偽りだったと告げたほうが、は俺の存在を忌まわしい過去として消し去ることができるのではないかだろうか。
そういう考えが頭を掠め、だがそう実行する勇気が持てない。
「どういう答えを、お望みですか?」
結局俺には、に判断を委ねるように逃げることしかできない。
「そう……もう、いいわ」
は疲れたように息をついて、今度こそ沈黙して眠りにつこうとする。
どちらなんだ?
君はどう判断したんだ?
国に居た頃の俺すら全て偽りだと思ったのか、それともあの日々だけは偽りはなかったと信じてくれたのか。
答える勇気を持てず、確かめる強さもない。
確かなのは、それでもが俺の腕の中で眠りについたことだけだった。






彼女が緊張していた本当の理由も、憂鬱そうな理由も知らないので、不安だらけです。
ですが互いに本心を問い詰めるだけの勇気もなく。


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