「すべての終わりには……」
かつて告げられたことを思い出す大賢者の存在に、唖然とする俺の間抜け面が可笑しかったのか、は少し気が晴れたように小さく笑った。
ほんの小さなものでもの笑顔は嬉しいが、話題が男のものだというのは不服だ。
その相手が、貴き方であろうとも。
苛立ちを見せたくなくてに食事を続けるように言いつけると、彼女は再び深い溜息をついた。
「ああ……あのときもこんな殺伐とした雰囲気だったら、村田くんと付き合ってるなんて噂にならなかったのに……」
……付き合ってる噂?
あのときもこんな殺伐とした雰囲気……『だったら』?
つまり猊下との食事は楽しくにこやかに、まるで恋人同士が寄り添っているかのように見える現場だったということなのか?
勝手に動きかけた口を止めるために、俺は無言で立ち上がっていた。
驚いているの視線で自分の行動に気がついて、それを誤魔化すためにどうにか適当な言い訳をつける。
「行きましょう。もう限界なんでしょう?無理をしなくてもいいです」
食べろ食べろと言い続けていたのは俺で、当然ながらは戸惑っていたが、今の表情を見せたくなくてを置いてさっさと店を後にする。
いまさら嫉妬だなんて、身勝手が過ぎる。
店の外に繋いでいた馬に歩み寄りながら、が店を出てきたのを背中で感じる。
馬を引きながら、空高く輝く太陽に目が眩んで軽く手で光を遮った。
の話では、双黒の大賢者がすでにこの地に、いる。
「すべての終わりには……その存在が必ず現れる。それが始まりの合図だ」
終わりの始まりを告げる刻限を、俺は確かにかつて聞いた。



EXTRA7.選べなかった未来(4)



気を取り直して出発しようと振り返ると、は俺と距離を開けたところで戸惑うように立ち止まっていた。
「さあ、乗って」
「え、あの、でも……?」
「次の乗換えまでは同乗してもらいます」
「ええ!?そ、そんな!」
はものすごく、とても非常に強く俺と同乗することを嫌がって、これから度々こうして一緒に乗ってもらうと告げると、まるでこの世の終わりだというような顔をした。
………判っている。にとって俺はそれだけ傍にも寄りたくない男になっているんだ。
例え猊下といえど、他の男とは恋人同士に見えるような距離に近づけても、俺には触れるどころか近寄りたくもないだろう……。
「……そんなに俺と同乗するのが嫌ですか?」
「い、いいえ……そういうわけでは……」
は俺の視線を避けるように斜め下を見ながら近付くなというふうに両手を突き出し否定して、諦めたようにようやく馬上に上がった。
どうせのことだから、馬を用意している俺の言うことに逆らうのは失礼だからとか考えてのことだろう。
さっきから酷く後ろ向きな思考を振り払うように努めて後から馬上に上がると、の脇を通すようにして手綱を握る。
本来、馬を走らせるのだからには後ろに乗ってもらうほうがいいのだが、それでは楽にしてもらえない。多少は走らせにくくなるけど、前に乗ってもらって俺が支えるほうが目的に叶っている……のに。
俺からできるだけ離れようと上体を斜め前へ倒すに、少し本気で泣きたくなった。
「俺にもたれていいですから、少しでも楽な姿勢で」
「け、結構で……」
「体力を回復してもらうことが目的の同乗だと言ったでしょう。眠るくらいの気持ちでいてください」
そう告げて腹に手を回して無理やり抱き寄せると、完全に硬直してしまった。
のこういう反応は見たことがある。
グウェンダルやヨザックが触れてきたときだ。
殴り倒したいと思っているのに理性で耐えていた、あの時の反応そっくりだ。
眞魔国にいた頃、から俺と同乗を希望して、のほうから甘えるようにもたれかかってきて、から俺に抱きついたことがあった。
そんなことも、あった。
ぎゅっと首を縮めてできるだけ小さくなるに、手綱を握り締める。
「言ったでしょう?楽にして。できることなら本当に眠ってください。絶対に落したりませんから」
その言葉にが頷いてくれたのか、無視されたのか。
知りたくなくて、返答を待たずに馬の腹を蹴った。


楽にもたれて欲しいと告げるのは、が疲れを見せてから言うつもりだったのに。
そうすれば、はもう少し素直に力を抜いてくれただろう。
もうその資格もないのに馬鹿な嫉妬で最初から強要したせいで、逆に緊張を解いてもらえるまでに時間がかかった。
二度目の同乗からはそれほど緊張してはいなかったようだから、どう考えてもに余計な精神的負担を掛けたのは俺の言動だろう。
フォローをしなければいけない立場で何をやっているんだと自分に呆れると、必要事項以外はから声を掛けられたときでなければ、口を利くこともできなかった。
夜も更け、今日はこの町で泊ろうと告げるとちょうどこのとき同乗だったは明らかにほっと深い息をついた。それは果たして疲れからか、それとも俺から解放されるからか。
昨日で懲りたのか、先に降りた俺が手を引くと特に抵抗もせずに腕の中に収まった。
そして部屋に入ってからのマッサージまで、黙って受けてくれる。
昨日は酷く抵抗されて、これではせっかく揉み解した筋肉にまた負担が掛かると困ったくらいだったのに。
今日はブーツを脱がすのも、湯で軽く足を洗うことも、凝り固まった筋肉を揉み解すことも、されるがままでいてくれる。
それが諦めからくる我慢だと判っていても、少し嬉しい。
の柔らかな肌を掌で楽しみながら、だけど疲れ切った足の状態には申し訳ない気持ちにもなる。
この旅にを連れ出したのは俺の我がままだ。
もう他人だと突き放したくせに、苦労ばかりを掛けて……の傍にいる俺は本当に女々しい。
せめて少しでも楽になってもらえればと念入りに……それは本心だけど、きっと言い訳だろう。に触りたいだけのくせに、のためのことのように言い訳をしている。
それほど、この作業は俺にとっては幸せだった。
「……ねえ、コンラッド」
「なんですか?」
昨日はただ無言で耐えていたから声を掛けられて、そのことにも浮かれてしまう。
だからそれは、まさに不意打ちだった。
「どうして、わたしを連れて行ってくれるの?」
その一瞬で、急激に体温が下がったような気がした。
「……どういう意味でしょう」
「急いでいるんでしょう?わたしを連れていたらどうしても遅くなるのに。馬の手配だって一頭余分に必要だし、一日の終わりにはこんな手当ても必要だし、それなのにどうして連れて行ってくれるのかって……」
いつか疑問に思うかもしれないし、最後まで気付かないかもしれないとは考えていた。
気付かないで欲しいと願っていた矛盾を指摘されて、ただ黙って欲しくての足の指の間に指を入れ込んで、強く握る。
痛かったのか、気持ち悪かったのか、はぴたりと口を閉ざした。
困惑したように足を引き抜こうとするので、抜けないようにさらに強く掴む。
「あの……!?」
少しでも、長く。
声を聞いて、言葉を交わして、その姿を目に焼き付けて、その視界に映りたくて。
こうして、触れたくて。
本当の答えが俺の中で渦巻いて、そう告白してしまいたい衝動が胸を突き上げる。
触れたの肌は柔らかく、触り慣れたそれは俺の掌に酷く馴染んで。
今、彼女の傍に恋人なんかに間違えられるほど近くにいるのは……猊下。
あの闘技場で、偽の色だったという青い目で俺を強く射て、気を失ったを取り戻そうと迷いのない手は俺に差し出された。
「さあウェラー卿、僕にを……『返してくれ』。彼女はこちらの者だ」
その言葉に逆らえなかった。
確かに、はもう俺の手から離れてしまったのだから。
例えば彼でなくても、誰かがいつかこうしてに触れるのか。
俺以外の誰かが。
目に映る白い肌に、屈みこんで口付けをしたのはどうしてだろう。
俺のものだとまだ主張したかったのか、それともただの衝動だったのか、自分でも判らない。
ただ目に映ったその膝に口付けをして、が逃げようとするとそれを押さえ込んだ。
どうしてを連れて来たのか、だって?
それは。
……それは。
「君の傍に、居たいから……だよ」
肌に唇を押し付けた言葉は、正しい音にはならなくて、どころか俺の耳にも届かなかった。
それで、いい。
身の程を知らなくてはならない。
己が何をしたのか、忘れてはならない。
俺は、自ら彼女の手を振り払った。
「え……な……っ」
なんと呟いたのか聞き返そうとしたの口を塞ぎたくて、口付けた膝のその滑らかな曲線をなぞるように舌を這わせた。
「……んっ」
気持ちが悪かったのか、ただ驚いたのか、が一瞬言葉を無くす。
ゆっくりと名残惜しく思う肌から離れ、床に膝をついたままを見上げた。
「……こういう答えをお望みだったのなら、申し訳ないがそれは違います」
が今更そんな答えを望むはずもないのに、まるで本当にが望んでいたかのように嘲る笑みを浮かべて。
は目を見開き、音を立てて息を飲んだ。
屈辱だったのか、それとも思いもよらない言い掛かりに純粋に驚いたのか。
「あなたの存在は眞魔国に対して切り札になる。もちろん決定的な、というわけではありませんけれどね。ですがそんな手札をみすみす小シマロンに渡す必要もない。……ただそれだけですよ」
は黙って俺を見返した。
屈辱も怒りも、その目には見えない。深い黒は感情を隠したように俺を遮断して、なんの憤りもなく俺を見下ろしていた。
視線を合わせることに先に耐え切れなくなったのは俺で、すぐに俯きマッサージを続ける。
「……だっ……たら」
は小さく、だが俺の本心を見透かしたような鋭いことを呟いた。
「大シマロンには、連れて行かないの?」
もし連れて行ってもいいのなら……。
いいや、もし許されたとしても俺は決して君を連れて行きはしないだろう。
それは俺の願望を満たすだけの行為だ。
「切り札にはなりますが、同時に扱いも難しいですからね。それなら送り届けて恩を売るというのも一つの手なんですよ」
「……そう」
用意していた言い訳を説明すると、は乾いた素っ気無い返事を呟いた。
油断ならない裏切り者の裏事情を聞いて、取りあえずは納得してくれたのだろうか。
「サラレギー記念軍港までの道のりは、今日走っていたあの道をずっとまっすぐでいいのかしら?」
「そうです。ですが途中で枝分かれしますから―――……?」
流れで返事をしたものの、妙な質問だ。
訝しく思って見上げてみると、は俺を拒むような偽の笑顔を浮かべる。
「なに?」
「そんなことを聞いてどうするつもりですか?」
「……別に。気になっただけ」
随分と妙なことを気にする。
「一人で行こうなんて馬鹿な考えならおよしなさい。ここからでは馬でもまだ軽く半月は掛かる。今の速度で進めばその半分まで短縮できますが、一人でとなると不可能です」
まさかとは思うが、一応釘を差しておこうとこの先の行程を説明すると、は呆れたように肩を竦めた。
「判ってる。だってわたし、お金を持ってないもの。一人で旅を出来るなんて思ってない」
「……ええ、判っているのならいいんです。俺はには絶対に金は渡しません」
「恩を売るんでしょう?特には危害を加えられないと判っているのに、わざわざ逃げたりしないわ」
まるで化かし合いだ。
互いに相手の真意を探るように目を覗き込むが、は微笑むだけで何も俺に明かしはしない。
だが、もしが俺を置いて逃げようと考えたとしても、港までの行程を聞けばそんな気もなくしたはずだ。
「そうですね。あなたもそこまで愚かではないはずだ」
はただ、その曖昧な笑みを浮かべて首を傾げただけだった。






嫉妬したり浮かれたり落ち込んだり、忙しい男……。


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