急ぐ道行きにを連れて行くにはやはり、相当な無茶をさせることになると実感したのは、すぐのことだった。
首都を出て、一度目の乗換えで馬から降りたの足が少しふらついていたからだ。
この速度で数日も走らせ続けるなんてまねは、にはできない。
やはり、こんな旅に同行させたことは間違いだった。いくらユーリより体力があるとはいえ、は訓練を受けた兵士ではない。
だが首都ならともかく、今更こんな街道沿いの小さな街で置いていくこともできない。
少しでも一緒にいたいと願った俺の我がままで、にはつらい旅をさせることになってしまった。
こうなると少しでもの負担を減らすようにするしかないと、どうするか悩みながら次の馬を用意すると、は金の返済が大変だとか、またおかしなことを言い始める。
返済……。
そうか、もうには俺からのものなど、何一つ受け取ってもらえないということだ。
当たり前のことにまた僅かに動揺してしまう。
先に突き放したのは俺なのに、ウェラー卿と距離を取って呼びかけられて、その背中から目を逸らした。



EXTRA7.選べなかった未来(3)



深夜まで走らせた一日目ですでに、はもう限界だった。
先に宿泊の手配を済ませても宿に入って来ないことを不審に思って表に出ると、まだ馬上で手綱を握ったまま突っ伏して倒れそうになっている。
一人では馬から降りられないほど消耗したを、少々の抵抗に遭いながら部屋まで抱いて運ぶ。
彼女をベッドに降ろすと、少しでも硬直しているだろう筋肉をほぐすためのマッサージを施すつもりでの部屋にぬるま湯を運び込んだ。
部屋まで運ぶことはどうにか受け入れてくれただったが、足を揉み解しておくからと言うと酷く抵抗した。
「自分でします!」
「手にも力が入らないくせに何を言っているんですか」
固く結んだブーツの紐を解くだけの力さえなかったくせにと呆れながら袖を捲り、その細い足首を掴む。
触るとすぐに筋肉が強張って硬直していることが判った。これはどうやっても明日に疲れが残るだろう。
湯で温めながら丁寧に筋肉をほぐしていく間も、はずっと嫌がり続けた。
やはり俺のことなんてもう愛してなどいないと……むしろ触れられることすら忌まわしいと、そう思っているんだろう。
自業自得だ。判っている。
だけど、胸に過ぎる寂しさは拭えない。
「……触ら……ないで」
消え入りそうなその声が痛い。
痛いのに、つらいのに、それでもの傍にいたいと、触れていたいと願ってしまう。
大した矛盾に、気がつけば眉をひそめて唸りそうになっている。
こんな顔をしていてはの居心地が悪いだろうとそっと様子を伺うと、唇を噛み締めて俯いていた。
溜息を漏らしかけて飲み込み、手綱を握り続けてやはり硬直気味の腕の筋肉もほぐしておく。
少しでも長く傍にいたいために、随分と時間をかけてじっくりと両足と両腕を揉みほぐしていたけれど、いつまでもそうしているわけにもいかない。
ぬるま湯もすっかり冷めてしまって、そのままにしていると今度は足を冷やしそうになっているのに気がついて今日は切り上げることにした。
俯いてシーツを握り締めて黙っているの足を手にとって、指の一本ずつを乾いた布でゆっくりと丁寧に拭いていく。
今の俺がこの爪先に口付けをすれば、きっとそのまま後ろに蹴り倒されるだろうなと、そうしたい誘惑を振り切って、その足をベッドの中に押し上げた。
「お疲れ様でした。明日の行程は今日以上に長くなります。ゆっくりと休んでください」
返事は期待していなかった。そのまま床の桶を拾って出て行くつもりだったのに、がつと顎を上げて俺を見上げる。
「ありがとうございます。お手数をおかけしました」
他人行儀な言葉が痛い。
だがその表情は、まるで寂しさを押し隠しているようで……。
「どうして……」
まるで、俺が出て行くことを惜しんでいるかのようで。
「どうして、あなたはそんな顔ばかりするんだ……」
そんな顔をされたら、離れがたくなるじゃないか。
「そんな……顔?」
俺の都合のいい解釈なんて、当然に伝わるはずもなく、困惑したように首を傾げる。
「……いえ、失礼しました」
いつまでも女々しくて恥ずかしいというべきか、情けないというべきか。
俺の一言が謎だったのか、は両手を頬に当ててまた俯いてしまう。
その表情を隠されてしまうことに耐えられず、ほっそりとした手の上から武骨な俺の手を重ねて顔を上げさせる。
「……俯いてばかりでは、疲れが増します」
咄嗟の行動に口を突いて出たのはそんな言葉で、どういう言い訳だろうと我ながら呆れるが、は俺以上に困惑している。
「あ……の……」
「たった二人の道行きで、そんな不愉快そうな顔ばかりされると、こちらも憂鬱になります。どうすればあなたのご不快を和らげることができますか?」
どうにか話を繋げて言い訳をしようとして、随分勝手な言い分になってしまった。
誰のせいだと言われそうで、そう怒鳴られる前に慌てて付け足す。
「……すみません。俺の立場で言えたことではなかった」
これ以上なにかをしたり言ったりしてボロが出ないうちに退散しようと、床の桶を拾い上げ部屋を出ることにする。
「コン……っ」
だが僅かに聞こえた声がまた俺を引き止める。
一度突き放された呼び名に振り返ると、は両手で口を押さえて誤ったかのような表情をしている。
「どうぞ、お好きなように呼んでください」
緊張を覚えながら期待を込めてそう告げると、はそろりと手を降ろし、念を押して確かめるように訊ねてくる。
「………コンラッドって、呼んでいいの?」
「ええ、呼びやすいようにどうぞ」
むしろ俺がそう呼んで欲しいのだと、そう言えはしないけれど。
だが同時に思いもかけないことを要求される。
「じゃあコンラッドも、って呼んで」
「それは」
「わたし、あなたなんて名前じゃない」
「ですが、魔王陛下の妹君を呼び捨てには……」
そうやって呼び名で自制をかけているのに。
「……おやすみなさい、ウェラー卿」
はどうやら意地になっているらしく、拗ねたように言ってベッドに潜り込もうとする。
俺は諦めた……諦めた、振りをした。
「おやすみなさい、
それだけを言うと、すぐに部屋を出た。
扉を閉めて桶の湯を捨てに階下に向かう。
「……今の俺が頬におやすみのキスなどしようものなら、きっと殴り飛ばされるな……」
本人を前に、声に出して名前を呼ぶのはできるだけ控えよう。
愛おしさが募ってしまうから。


翌朝、夜が明けきる前に朝食を取るとすぐに宿を出発した。
やはりは随分と身体に疲れが残っているらしく、動きがぎこちない。
馬に乗り続けだったから、筋肉は元より内股や膝や尻など下半身は特に集中して痛めているだろうと観察しながら、だからといって擦ってあげるわけにもいかない。
昼までに二回馬を乗り換えて、そろそろ馬だけでなくも限界だと見て取って昼食を入れることにする。
小さな食堂に入りながらは疑問に思ってもいないようだが、これだけ急ぎの旅なら昼食は馬上で走りながら食べることもあるのだと告げたら、昏倒するんじゃないだろうか。
次の替えの馬は一頭だけ用意する。
休憩が終わればにはしばらく楽をしてもらおう。俺と同乗すれば少しはましだろうと考えてのことだ。
次の馬の手配をして食堂に戻ると、は机に倒れて完全にダウンしていた。俺のせいで随分可哀想なことをしていると胸が痛む姿だ。
「やはり昨日の疲れが残っていますね。昨日よりも根を上げるのはお早いようで」
「根は上げてません」
が両手で拳を作ってテーブルから起き上がる。本当にユーリに似て負けず嫌いだ。
懐かしいやり取りに似ていてつい笑ってしまったとき、ちょうど注文した料理が運ばれてきて、は皿を見て顔を引きつらせた。
これだけ無理をしているのだから食欲がないことは判っていたが、精をつけてもらわなくてはいけないと肉がメインの料理を注文しておいたからだ。
自然に毒味ができるように大皿で注文していたそれを取り分けてに差し出すと、両手を膝の上に揃えて俺を伺うようにそっと見上げてきた。
「……もうちょっと軽食が……」
「軽食では体力が持ちません。どうぞ」
「口に詰め込んでも飲み込めない!飲み込めても絶対後で吐く!そしたら余計に体力が削られると思うの!」
「大丈夫ですよ。ちゃんと朝食も取っていますから、胃が受け付けないということはありません。意外と入るものです。新兵の頃は俺もそうやって無理に詰めてましたよ」
の分はちゃんとその普段の食事量から考えて取り分けた。多少の無理は必要かもしれないが、食べられない量ではないはずだ。
それに昼食後は俺と同乗してもらうから、先ほどまでよりは楽になる予定もある。
素っ気無く答えて自分の分の料理に取り掛かるが、は手をつけようとせずにじっと俺を見上げてくる。
じっと、その大きな瞳で見上げて……。
「…………しょうがないですね。では少しだけ俺が引き受けます」
我ながら根性がない。
ちゃんと計算して渡した量なのに、根負けして少し請け負ってしまった。
だが、ほんの少しだけだ。
案の定、はもっと減らしてもらいたいという視線を向けてきたが、それは目に入れないようにして食事を続けた。食べてもらわなくては、がもたないのだから。
やがて諦めたようにゆっくりと料理を口に運び出したに、つい頭を撫でそうになって慌ててグラスを掴んで水を煽って誤魔化す。
以前でも子ども扱いするなと怒られるような行為だが、今なら怒るどころではないだろう。
また酷く拒絶されるに決まっている。
そんな自虐的なまねをすることはないと、黙々と料理を片付けていると、やがてが深い溜息をついた。
「どうしました?まだ半分も残ってますよ」
「……遅くてすみませんね」
嫌味のつもりではなかったのだが、そう取られてしまったか。
急にの手が止まり、それから左手がテーブルのグラスに伸びる。
すでに空になっていたそれに、店員に水を持ってこさせて一口俺が飲んでからに渡した。するとは妙な顔をして、だが水で口の中身を流し込んで食事を続ける。
輪をかけて食事の速度が落ちたに、また何か気に障ることをしてしまっただろうかと自らの行為を振り返るが、特に思い当たるふしがない。
「……食べる速度が一段と落ちましたが、一気に詰め込んでしまったほうがいいですよ?」
「今でも充分に詰め込んでるんですけど……ああ、クレープが食べたい……」
じろりと俺を睨みつけた後にが嘆いた料理の名前は聞き覚えがある。
「クレープ……お菓子ですか?それを全部食べてからなら」
果物とお菓子は別腹だとは女性がよく言う言葉だが、これほど食事に苦労しているのに。
食べてくれるなら困ることはないのでそう勧めると睨まれた。
「これの代わりに食べたいの。村田くんに取られたバナナクレープが今になって惜しい…」
聞き慣れない名前につい反応してしまう。
「ムラタ……くん……?男ですか?」
の口から男の名前が出るのは珍しい。いや、珍しいどころか俺の知らない男の名前を呟くことなんて、一度もなかった。
つい聞き返してしまうと、は渋面を作ってフォークを置く。
「違うからね。友達……ただの友達。こっちの事情を知ってるからいろいろと相談しやすい だけで……」
友達?
に、男の友達?
ヴォルフやグウェンやヨザックなど、それほど強く拒絶しない男もそれなりにいるとはいえ、だが彼らは全員、友人かといえば違うはずだ。
「相談ですか……異性の友人ができるとは、随分と男性恐怖症も治まりましたね」
「それは……っ……た、確かに、ちょっとはましになったけど」
焦りや悔しさを見せないよう、嫌味に聞こえないよう、気をつけて言ったつもりだったのに、は俯いてしまう。
俯いたが気分を害したように次に呟いたその内容は、驚きの事実だった。
「だって村田くんは、双黒の大賢者だもの。色々知ってるから」
「大賢者!?」
驚愕のあまり大声で繰り返すと、はそんな俺にこそ驚いたように小さく首を傾げた。







彼女の視点の本編と比べると、お互い思い込みで勘違いしている状態のようです。


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