有利と一緒に甲板をふらりと見て回っても、忙しそうな船員たちは誰も他国の人間が好きに動くことを咎めてはこなかった。戦艦だし、普通は色々と軍事機密だと思うんだけど。 船で動いている人は、みんな水色と黄色の軍服で、あの独特な刈り上げポニーテール。 小シマロンのあのスタジアムのことを思い出して一気に気分が悪くなる。 そうだ。サラレギー王は、ナイジェル・ワイズ・マキシーンにあんな、箱を開けるなんて命令を下したような人物なのに。 無邪気に見えてもそうじゃないんだと思い直して、有利にも改めて注意するように言うと、あっさりと否定の答えが返ってきた。 「ああ……そういや、あんときまだは到着してなかったな。あれさ、マキシーンの独断だったらしいんだ。その話になったときさ、サラレギーはすごい頭を下げて悔しがってたよ。王として、彼らを止められなかったことが悔やまれるって。カロリアに援助物資を用意しているけど、フリンが断ってるんだって。サラにまったく責任がないわけじゃないだろうけど、ちょっとイメージが違ったよ。お前だって、ここまでのサラレギーを見てるだろ?」 「そ、う……なの?」 囚人で人体実験しようとしていた顔も知らなかった小シマロン王と、こうして顔を合わせて言葉を交わしているサラレギー王では、随分印象が違う。 どちらが本当なんだろう? ヴォルフラムが言っていた事は気になる。 だけど、婚姻で国同士の友好が図れるという話をしていた男の子からは、そんなナイフを隠し持つような悪意はまるで見えない。 わたしとしては冗談じゃない話だけど、彼だって国のことを思っての、それも自分がする政略結婚を一例として挙げただけだし。 考え込んでいると、有利が歓声をあげた。 「すっげー、砲門まであるんだ。火薬は無いのになんでだろ……」 「小型の投石機があるんです」 通りがかりの船員が、愛想良く教えてくれた。国外で今まで何度かぶつけられた、魔族に対する恐怖や嫌悪感というものは、少なくとも表面上は見えない。 「二十年前までうちとは戦ってたのに、気持ちがいい対応だよな」 有利がまた感心する。これがサラレギー王の指導の元の結果なら、確かにあの人は信用できるということになるのかもしれない。 095.嘘つきな君(3) そういえば、大事な問題があった。 つい、無事に合流できて、今も目の前で有利が元気だったから後回しにしていたけど、村田くんから聞いた話をまだしてない。 いつもみたいに、有利がすぐに地球に戻っていない。 これって大問題だ。 一時間や二時間くらいのズレならいいけど、もし……それこそ、こっちいるのと同じだけの時間が流れることにでもなったら、聖砂国への航海なんて下手をしたら半年とかの単位で地球では行方不明になってしまう。 「ゆ……」 「あのさあ、。お前、やっぱ国に戻ってろよ」 先を越されてしまった。 おまけにさっきまで船を見学して歓声をあげていた有利が、急に真剣な顔で、深刻な声で告げてきて戸惑ってしまう。 「な……んで、突然。わたしが帰るのは有利が帰るとき!」 「おれは絶対に聖砂国に行かなくちゃいけないんだ」 「それは」 聖砂国が小シマロンと一緒に眞魔国を攻めるような条約を結ばせないよう、こちらも聖砂国と交渉するという、かなり重要な問題があることは判ってる。 だからわたしも行くなとは言ってない。わたしも連れて行けと言ってるだけだ。 「有利が行くなら、わたしも一緒に行く」 握り拳で言い切ると、有利は力なく笑って船の縁を掴んで海を見詰めた。 「あのさ、眞魔国からこの軍港に来るまでの間、六日ほど航海したんだけど」 六日ほど航海して、この軍港からさらに一日内陸に入ったわけで、どうもわたしと有利は大体同じくらいの日にこの世界に到着しているらしい。 ああ、だめだ。有利の帰りが遅れてるかどうかの指針にはならない。 「途中で、難民船が小シマロンの軍艦に攻撃されててさ」 「え!?」 一人で考えて込んでいると、急に物騒な話になって眉を寄せる。 わたしの表情を見た有利が慌てて首を振った。 「あ、いや、小さな小船で、撃沈したあとは、乗っていた人全員救助してたんだけど、実はおれ、こっそり双子の子供を保護しちゃって」 「全員救助したっていっても、その前に撃沈しちゃったなんて、ひどいじゃない」 「そうなんだ……それがどういう経緯の難民なのか、あー、本当に難民なのかもまだよく判らないんだけど……その子たちと言葉が通じないから。どうも聖砂国の人たちらしいんだよ。その国って二千年前に鎖国したままで、どうも書き文字も話し言葉も、全然こっちと違うらしいんだ」 「難民の受け入れ拒否で撃沈したってこと?」 難民問題は際限なく受け入れられるものではないし、一概に拒否することを責めるわけにはいかないけど、撃沈まですることはないのに……。 「うーん、どうだろう?船の進行方向は、どっちかっていうと小シマロンじゃなくて、眞魔国に向かってた。まあ、小船だったし、方向を見定めてたかどうかは判らないけど」 有利は首を振って、話を先に進める。 「うん、その話もサラには一度聞いてみなくちゃな……だけど、別の問題もあるんだ」 「別の問題?」 「おれが拾った双子……あー、聖砂国ってどうも神族の国らしくて。神族の双子だったんだけど、覚えてるか、ジェイソンとフレディ」 「忘れるわけないよ」 テンカブに出場したときに会った神族の双子。大シマロンの隔離施設からマキシーンに買い上げられていて、最後に有利が保護しているべき国に帰してあげると約束した二人。 「え、じゃあ助けたのって、あの二人?」 「違う、だったら言葉が通じるだろ?そうじゃなくて、その二人から手紙を預かってたんだ。運んでくれたのがズーシャとゼタっていう、双子の姉弟。でも、どうもジェイソンとフレディは良くない状況にいるらしい」 「良くない状況……?」 有利の表情は深刻で、縁を掴んだ手に力が篭っている。 痛みを堪えるようにぎゅっと眉を寄せて、ゆっくりと息を吐き出した。 「……よく判らない。二人は文字があまり書けないらしくて、おまけに手紙は濡れて文字がかなり流れてた。判別できたのは、おれの名前と、それから『ベネラ』っていう人か土地かを助けて欲しいっていう、それだけ」 二人の状況も、助けて欲しい対象もあまりにも漠然とし過ぎていて、それではどこからどう手をつけたらいいのか、それを決めるのさえ難しい。 だけど有利は海を鋭く睨みつけて、強く言い放った。 「おれは、あの二人の手を放さないって約束した。なのに聖砂国がどんな国かよく調べもせずに二人を帰した。おれのできる限りを、しなくちゃいけない。だから、どうしても聖砂国に行かなくちゃならないんだ。もちろん、魔王として、眞魔国のためにも」 そうして、振り返ってわたしをまっすぐに見据える。 「おれは、このチャンスを絶対に逃すわけにはいかない。絶対に聖砂国に行く。だけど、お前まで危険かもしれないことをする必要はないだろう?」 「……あのね、有利」 有利の強い目に負けないように、一度視線を外して溜息をつくと、今度はわたしもぐっと目に力を入れて有利を見詰めた。 「有利が危険かもしれないのに、帰れって言われて、わたしが帰ると本気で思ってる?」 睨み合ったのはほんの数秒で、有利はすぐに苦笑して軽く頭を掻く。 「……だよなあ……お前が帰るはずないか……」 有利は一瞬だけ貨物船を見て、すぐに船の縁に寄りかかって空を見上げた。 「あー、気の強い妹を持つと苦労するよ」 「無鉄砲な兄を持っても苦労するのよ」 「よく言うよー」 有利には、村田くんから聞いた話は言えない。 後で知ればどうして言わなかったと有利は怒るかもしれない。わたしを恨むかもしれない。 だけどじゃあ、今話せば有利は眞魔国に帰るだろうか? ……何度考えても、迷いに迷って、結局ここに残る有利の姿しか思い浮かばない。 ジェイソンとフレディのことがあって、眞魔国の王としての責任もあって、有利は何がどうあっても、聖砂国行きを取りやめることだけはできないだろう。 だったら、地球に帰る時間がいつもよりもズレている話をしても、有利の心配事を増やすだけだ。 今すぐ眞魔国に帰って、日本に戻ることはできないかと眞王廟へ行きたいという気持ちを抱えたまま、航海に入ることになる。 もしも本当に……例えば半年なんて単位じゃなくて、数週間、数日間でも、村田くんが誤魔化せる時間を超えてしまえば、お母さんたちはどれだけ心配することになるだろう。 黙っていることが、本当に最善なのか、わたしには判らない。 有利のことを人より理解してるという自信はあるけど、有利自身じゃないから、わたしの想像が本当に正しいのかは、判らない。 判らないけど……。 ……ごめんなさい。 有利、村田くん、お母さん、お兄ちゃん、お父さん……ごめんなさい。 だけど、わたしは沈黙を選ぶ。 寄りかかっていた縁から身体を起こすと、有利はゆっくりと舵のあるほうへ歩き出した。 「さて、。今はサラもいないし、同行も決定したから時間もあるし、改めて聞くぞ。お前、一体どうやって眞魔国を出てきたんだ?」 とうとう聞かれてしまった。 一回目にこの質問をされたとき、判っていて違う答えを返したのは、有利にどこまで素直に話すべきか迷っていたからだ。 小シマロンの首都に出て、コンラッドに拾ってもらって一週間ちょっとを一緒に、あの合流した町まで旅をして来たのだと言えば、有利はきっとひどく心配する。 わたしがコンラッドのことを今でも好きで、でもコンラッドはもう何とも思っていないことを、知っているから。 だからさっき、帰れと言ったとき貨物船を見たんだろう。コンラッドが乗っている貨物船を。 「ヨザックはお前が一人で国を出るなんて不可能だと言ってた。おれだってそう思ったよ。だけどさ」 「有利こそ、どこに出たの?小シマロンと首脳会談に臨むにしては、なぜか正装じゃなくて厨房服だし」 「う……いや、これは……お、おれはちゃんと王都に出たよ。えー、小シマロンと聖砂国の外交についての緊急会議とか諸々あって、本当はギュンターだけが全権大使として来るはずだったんだよ。でもおれも気になって、ついてきたんだ。……密航して」 「密航!?」 自国の船に密航する王様って一体……。 「それ、サラレギー王にも説明したの?」 「なんで厨房服かって聞かれたからね。サラはあのとき冗談として受け取ったと思うけど、お前まで密航したなんて言ったから、本当に変な国だと思われたぞ、きっと」 それで密航が王族のしきたりかと笑ったんだ。ちょっと頭が痛くなった。 有利の話を聞く限り、いつものスタツアと特に変わりはないように思える。最初は国内に出ているし、その後に国外に出るのはいつのものことだし。 何が違うんだろう? 「で、はどうやってここまで来たんだ?荷物に紛れてなんて、おれには通用しないぞ」 全部嘘をつくのには、無理がある。だけど本当のことをすべて話せば、有利はきっと心配する。 「……あのね、実は小シマロンの首都に出ました」 「はあ!?で、でもじゃあその服一式は!?どうやって昨日の町まで来たんだ?だって首都までは馬車を乗り継いで、どんなに急いでも十日はかかるって!」 「コンラッドに助けてもらって」 「はああ!?」 「今回は首都の噴水に出てね、そこで本当に偶然にコンラッドに拾われたの。服も一式用意してくれて、帰り方も全部手筈を整えてくれて、あそこまで連れてきてもらったの」 「なん…………だ。あ……あー、よ、よかった、せめてコンラッドがいてくれて!でもなんだってこんな眞魔国から遠く離れた土地にを落としたんだよ、眞王は!」 なんでコンラッドが、と言いかけたらしい有利は誤魔化すように眞王陛下に憤慨した。 なんでコンラッドが助けてくれたのか。 それは、わたしが小シマロンに利用されるのが、大シマロン的に面白くないから。 コンラッドがそんなことを言ったと知ったら、有利はきっと激怒だろうなあ……。 有利はわたしに甘いから、わたしを泣かせるようなことを言う人を許さないもの。 「でも、コンラッドのお陰で大事には至らなかったから」 「そ、そっか……それなら、まあ、いいん、だけど」 有利はちらちらとわたしを見て、それから前を見て、やっぱり我慢できなかったようで、身体ごと振り返る。 「あのさ、コンラッドと、二人だけで旅したって……だ、大丈夫だったのか?」 「うん。なんていうか、ちょっとよそよそしくて、それが悲しかったけど、それ以外は特に何も問題なかったよ」 本当は脱走を図ったり、常に監視されて紐で繋がれたりで、ちょっとよそよそしいどころじゃなかったけど、これは言う必要なし。 わたしのことでは、もうこれ以上、有利に心配をかけたくない。 無理に作った笑顔じゃなくて、苦笑でそう言ったから、有利も信じてくれたらしく、ほっと息をついた。 「そっか……なら、いいんだ。ああ、よかった。またコンラッドが何か言ったかと」 「何か言うどころか、逆に会話があんまりなかったのが、ちょっと気詰まりだったくらい」 そんなに重く聞こえないよう頬に手を当てて溜息をつくと、有利は苦く笑って頭を撫でてくれた。 つらかった出来事を話せば、すべてを嘘で固めなければ、そこに嘘が含まれていても、こうして信じてもらえる。 それが正しいのかは、やっぱり判らないけれど。 「ああ、そっか。でもそれでちょっとは落ち着いたんだな」 「落ち着いて見えた?」 「だって、ギュンターのこと心配してただろ?昨日ギュンターにタックルして止めたやつ、あれ、コンラッドより心配してもらえたってギュンターが大喜びだったぞ」 ……………。 ちょっとギュンターさんに申し訳なくて、頬に手を当てたまま海に視線を動かす。 ごめんなさい、ギュンターさん。 あれは、ギュンターさんを心配してというより、自分が痛かったから止めたんです。 だってあの一週間、コンラッドを責める言葉を言うと、わたしが後で痛かったんだもん。 だからギュンターさんが後でつらいだろうなと思ったのもあるけど、どちらかというと、 一週間の間の自分に向けた言葉だったんです……。 それに裏切りなんて言葉を、ギュンターさんの口から言われたらきっとコンラッドが傷付くということもありましてー……。 あーでも、コンラッドを責めるとギュンターさんもつらいというのは間違ってなかったから、ギュンターさんもやめてくれたんだよ……ね? この航海の間、できるだけギュンターさんに優しくしようと心に誓った。 |
いろいろと有利には黙っていることに決めました。 それが正しいのか間違っているのか、答えはまだ判りません。 |