一晩かけて着いたサラレギー記念軍港は、華やかだったギルビット商港とは対照的だった。
規模はこちらのほうが大きいけれど、停船しているのはどれも武装した戦艦ばかり。
軍港なんだから当然なんだろうけど。
馬車の中での睡眠は、馬上で眠るよりも身体は楽だった。
身体は。
一人でも大丈夫だったけど、有利が手を貸してくれたからその手に掴まりながら馬車から地面に降り立ったら、少し離れた場所で同じく馬から降りたコンラッドが見えた。
ここまでは、コンラッドと一緒にいられると思ったのに。
あれほどつらかったはずの、コンラッドとの相乗りのほうがよかっただなんて。
「あれだよ、ユーリ。わたしたちが乗る船は」
サラレギー王の声に、無理やりその背中から視線を外して、指差されたほうを見る。
単色ばかりの船の中で、一際目立つ煌びやかな巨大船。
舳先には女神の像が立っていて、船尾には船籍を示すシマロンの旗がはためいている。
船体は全体的に深緑色で、窓や縁は手の込んだ金の縁取りが施されていた。
「あれ、あの横の船は?」
同じように出港準備されている、隣の幾回りも小さい貨物船を有利が指差した。
「ああ、交渉には色々と必要だからね」
「なるほど、ワイロか献上品かってことか」
最後に有利は感心したように、サラレギー王に聞こえないくらいの声で小さく呟いた。



095.嘘つきな君(2)



「綺麗な船だなー。名前あるの?」
「金鮭号だ」
「は……」
「金鮭号だよ。いい名前だろう?」
サラレギー王は誇らしげにそう言った。自分の国の船が誉められて嫌な気はしないだろう。
ネーミングは……お国柄の問題もあるかもね。鮭が何か縁起物かもしれないし。
「すぐ出航なんだっけ?」
「そうだよ、わたしが到着すればすぐに出航できる手筈になっている」
「あいた……くぅー……しょうがないか」
額を押さえて呻いた有利に首を傾げると、意を決したような表情でわたしの肩を掴んでくる。
「色々と話したいことがあるけど、帰って来てからな」
「え?」
「えーとな、話すと長いことながら、おれは今からサラのご好意で一緒に聖砂国という海の向こうの国に行って来るから。お前はサイズモア艦長のうみのおともだち号で帰国しろ」
「なっ……そんな、有利!」
「この港の反対側に停泊してる。おれにはヴォルフラムとギュンターとヨザックがついてきてくれるから。むしろお前が心配だよ」
有利が一緒に聖砂国に行くなんて、そんな話は聞いていない。今まで慌しくてそれどころじゃなかったけど、だからって急にそんなことを言われて素直に引き下がれない。
だって、乗るのは小シマロンの船なんでしょう?
「有利だけなんて行かせない!わたしも行く!」
「だからヴォルフとギュンターとヨザックが一緒だって。寄せてもらうのに、これ以上は人数を増やすわけにもいかないだろ」
有利がわたしを宥めようとすると、隣にいたサラレギー王が首を傾げた。
「おや、は一緒に来ないの?」
「え……」
「いいんですか?」
顔を引きつらせた有利とは対照的に、わたしはサラレギー王のほうに向き直って身を乗り出す。
「わたしはもうも一緒だと思っていたよ。だってほら、ユーリが駄目だと言っても彼女は密航してついてくるかも」
くすくすとからかうように笑うサラレギー王に、有利とギュンターさんが唖然と口を開ける。
何となく、苦手意識が残っているけれど、わたしも一緒に連れて行ってくれるなんていい人かもしれない。
わたしは、どうしても一緒に行きたかったから。
有利が心配で、それに。
「いや、でも、サラ、は……」
「駄目なの?でもは行きたがってる。船室なら心配しなくても、まだ余裕はあるんだ。さあ、行こうユーリ、。それにウェラー卿も」
ドキリとして、外套を握り締めた。サラレギー王の視線は、わたしの後ろに向いている。
コンラッドが、側にいるんだ。
どうしても一緒に行きたかった。
聖砂国行きにはコンラッドが同行するはずだから。
「私は向こうの貨物船で結構」
愛想もない、冷たい声がすぐ後ろから聞こえる。だけど振り返れない。
「あちらに?あちらの船倉には満杯の荷が積まれているよ。その真上で寝起きするのは、あまりいい気分じゃない。乗り心地も旗艦のほうがずっといいし」
「乗り心地などは別に気にならない。では失礼」
コンラッドはわたしや有利の横を通り過ぎて、金鮭号の隣の貨物船に向けて歩いて行く。
「……彼は変わっているね。同じ船に乗りたくないのかな」
サラレギー王の一言が胸に刺さった。
コンラッドが一緒の船に乗りたくないのだとしたら、その理由はなんだろう。
眞魔国の人たちと一緒にいると気まずいから?
小シマロンの王を信用してないから?
それとも。
それとも、わたしの顔を見たくないから?
最後の言いつけまで破って追いかけてきたりして、今度こそ本当に、顔も見たくないくらいに呆れて嫌われたのかもしれない。
遠ざかる背中に手が伸びそうになる。
外套の下から出したそのわたしの手を握ったのは、有利でもギュンターさんでもなく……サラレギー王だった。
「さあ、。ユーリが反対したがっている。船に乗り込んでしまおう」
「あ、ちょっとサラ!」
有利が抗議する前にと、わたしの手を引いて走り出す。
楽しそうなその様子はまるで子供みたいに無邪気で、ヴォルフラムの警戒は杞憂なんじゃないだろうかという気がしてくる。
コンラッドが小シマロンなんて大国をまとめているとは言っていたけど、有利だって一人で国を治めているわけじゃない。彼にも、優秀な補佐がたくさんいる可能性だってある。
「あのね、、わたしはあなたやユーリと本当に仲良くしたいんだよ」
走りながら、サラレギー王は楽しそうに話し掛けてくる。
「もちろん、眞魔国とも友好的でありたい」
「光栄です」
「ふふ……まだ堅苦しいね。でも、この航海中に仲良くなりたいな。ねえ、国同士が仲良くなるのに、もっとも有効な方法が何か判るかい?」
答えられなかったのは、質問の答えを考える余裕がなかったからだ。
走っていたからじゃなくて、先を行っていたコンラッドに、追いつきそうだったから。
一際強く手を引かれて視線を戻すと、走りながらサラレギー王が笑顔で振り返っていた。
「答えは婚姻だよ。、わたしとあなたが結婚すれば、両国の結びつきはとても強くなる」
驚きで声も出なくて、走っているのに息まで止めてしまって。
ちょうどそのとき、コンラッドの横を通り過ぎた。


サラレギー王の足はそれほど早くなかったから、タラップに着く頃には有利も追いついていた。
「ちょっと、サラ、急に走るなって」
「だってユーリがを連れて行かないと言いそうだったから。ねえ、もうここまで来てしまったから、いいよね?」
「あー……いや、もう、サラが同乗もいいって言っちゃうと、おれにを止められる自信はないけどね……」
非常に失礼な有利の評に、だけど睨みつける余裕はなかった。
タラップを昇りながら貨物船のほうを見たけれど、もうコンラッドは乗り込んでしまったらしく姿が見えない。
コンラッドは、さっきのサラレギー王の話は聞こえていたのかな。
聞こえていたとしたら、どう思ったのか。
……そう訊ねたって、もう自分には関係ないと冷たく突き放されるだけだろうけど。
「そう、よかった!ところでユーリ、その格好で船旅をするつもりかい?」
のろのろと有利に視線を戻すと、確かになぜか有利は厨房服だった、そのままの格好だ。
「悪ィな、タキシードとかじゃなくて。軍服ならうちの船にもあるはずなんだけど」
「悪いなんてことはないよ。ただ、海は天候も変わりやすいし、風と日差しの強さも陸とは違うから、全身を覆う外套を用意したほうがいいな。でも港の反対に停泊しているあなたの船から荷物を取り寄せるだけの時間は残念ながらないんだ。潮の流れの問題で、すぐに出航しないと」
「ああ、そうか……一旦船に戻りたかったけど、潮の流れじゃしょうがない……」
「だから、良ければ代わりにこれを使って。わたしがいつも着ているマントだけど、フードまで被れば風もかなり防いでくれるよ」
サラレギー王が薄水色のマントを外して有利に差し出す。
光沢のある滑らかな生地のそれは、かなり上等なものに見えた。
「あなたとわたしは背格好も似ているから、きっとユーリにも似合うと思う」
「いいの?いやー、何から何まで気を遣わせちゃって申し訳ない」
「気にしないで。あなたの役に立てるのが嬉しいんだ。ああ、すまない、何かストローブが呼んでいる。すぐに出航だから、先に乗っていて」
振り返ると、宿からずっと一緒だったサラレギー王の部下の人がタラップの下から呼んでいる。
サラレギー王は引いていたわたしの手を放して、タラップを降りようとして振り返った。
、わたしの話をよく考えてみてほしい」
「陛下……」
わたしの話って、さっきのあれ?
冗談とか、こんな方法もあるにはあるよ、みたいな話だったとかじゃなくて?
サラレギー王がタラップを駆け下りていくと、今度は有利が首を捻ってわたしを見上げた。
「サラの話ってなんだ?」
「えっと……」
正直に話したものかどうか迷っていると、陸に降り立ったサラレギー王がまた振り返った。
「そうだユーリ、出港するまで操舵手の後ろにいるといい!狭い港を舳先が突っ切る迫力は何度見ても飽きないよ。わたしはいつもそうしているんだ」
「へえー」
「その後で、艦長と操舵手の腕を讃えて葡萄酒を開ける。これが船旅のしきたりだ」
「なるほどねー」
部下に何事か囁かれて歩いていくサラレギー王に感心して、有利が腕組みをして何度も頷いた。
「飛行機の離着陸と同様に、船は離岸接岸が一番難しいのかもね。それを王様が褒めて労うわけだ。ううん、人の上に立つものの人心掌握術、ためになるなあ」
感心してタラップを昇り始めて、どうやらサラレギー王からわたしにあった話というものを、忘れてしまったらしい。ほっと胸を撫で下ろす。
聞かせても有利がそれを受けるとは思わないけど、これから旅が始まるというところで、ぎこちなくなられても申し訳ない。
どこまで本気の提案なのかも判らないのに、騒ぎ立てても失礼だし。
荷物を抱えて追いついたヴォルフラムが不機嫌そうに陸を行くサラレギー王を振り返って、それからすぐに有利に持っていたオフホワイトの厚手のジャケットを差し出した。
今ごろだけど、なぜかヴォルフラムも厨房服だ。
「ギュンターが上着をと。大きさが合わないかもしれないが」
「ああ、おれはいいや。今、サラレギーにマントを借りたばっかりだし。身長もほとんど同じだしさ、こっちのほうが……見るか?」
目を細めたヴォルフラムに、有利が慌ててマントを差し出した。また浮気者とか尻軽とか怒鳴られたくないんだろうけどね。
ヴォルフラムは上等そうなそのマントを広げて、裏も表もじっくりと観察している。
匂いまで嗅いで何がそんなに気になるんだろうと思っていると、ヴォルフラムは有利から預かったマントじゃなくてギュンターさんの上着のほうを押し付けた。
「これはぼくが使う」
「え、何でまた……ああ、まあでもお前のほうが似合うかな」
ヴォルフラムを上から下まで眺めて、有利は納得したように大人しく上着を交換した。
「せっかく色が白いんだし、焼けたらヒリヒリするだろ。フードも被っとけよ」
甲板に上がると有利は笑ってヴォルフラムの金髪が隠れるくらいまでフードを引っ張った。
「てるてる坊主みたいだな」
自分でやっておきながら、結構失礼なことを言って吹き出す。
確かに……見えなくもないけど、ものすごく愛らしいてるてる坊主だよね。
「有利もギュンターさんのジャケット着たら?せっかくペアルックで決めてるんだし。お揃いてるてる坊主で」
「ペアルックじゃねえって!」
「ぼくと揃いの格好のどこが不満だ。まあ確かに、その服がこんなものだが」
「いや、厨房服の問題じゃなくてさ、ペアルックに問題が……」
「服じゃなくてぼくが不満だというのか!?」
怒り出したヴォルフラムに、有利は慌ててわたしの手を引いて船の奥に逃げ出した。








サラレギー王の意図が読めません。


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