曲がりくねった長い地下道を抜けると、太陽は既に中天に差しかかったところだった。 出てきた森の狩猟小屋の裏で眩しいばかりの光に手をかざしていると、向こうのほうでサラレギーの部下の二人が、繋がれていた数頭の馬を放しているのが見えた。 「う……眩し……」 後から出てきたも最初は光に目が眩んだらしく、後ろによろめいた。 「大丈夫か?」 おれが片手を掴んで引っ張ると、ふらりと足を踏み出す。 「それにしても、お前どうやってここまで来たんだよ」 ヨザックは一人で国外に出てくるなんて不可能だと言っていた。おれもそう思う。 まだ眩しいのか片手を目の上にかざしたままで表情は見えないけど、は軽く首を傾げた。 「公園の噴水から」 「いや、日本からの意味じゃなくてさ……」 「ユーリ、こっちに来て。馬には乗れる?」 部下が馬を繋いでいる馬車の側でサラレギーが手を振っていて、仕方なく話を打ち切る。 まあいい、今無事に一緒にいるんだから、慌てることはない。危ないことをしたのなら、後でゆっくり説教すればいいさ。 095.嘘つきな君(1) 「乗れることは乗れるけど、走れないよ」 の手を引いたままサラレギーのほうへ歩いていくと、彼はその中性的な整った顔に笑顔を乗せて開いたドアを示した。 「同じだね。ではわたしの馬車に乗るといいよ。馬よりは遅いけれど、危険は少ないしね。もちろん殿も」 は馬にも乗れるし走らせられるけど、できることなら馬車がいいに決まってる。 「ありがとう、じゃあ遠慮なく……でもおれたちだけだと心配性の部下がいてね。一緒に…… いいかな?」 「もちろんだよ。そんなに狭くはないだろう?」 許可をもらったのでギュンターを呼び寄せた。 「ここからは港まで駆け通しでも一昼夜かかるからね。馬上では居眠りもできないが、車の中なら少しは休める」 繋いだままだったの手が少し揺れた。 振り返って見たけど、まだ手をかざしている。そんなに眩しいだろうかと空を見上げて、おれも目が眩んだ。そりゃ直接太陽を眺めたら目にくるに決まってる。 「ところで、ウェラー卿は一緒に乗らないのかな?」 今度こそは、おれからぱっと手を放した。 ああサラ、きみが悪いんじゃないけど、よくないタイミングでその名前を出さないでくれ。 おれもも、こんなところで再会するなんて思ってなかったんだよ。 「あなた方とはかなり親しかったんだろう?」 すっかりバレている。だけどそれは、ギュンターの弟子としてであって、の婚約者としてはまだ知られていないはずなので、を背中に隠すように移動しながら開いていた扉に手をかけた。 「さあ?何も言ってこないから、いいんじゃない?それよりサラ、手を」 彼の部下が忙しそうなので、変わって馬車に乗り込むサラレギーに手を貸す。 「ところで彼に……よく似た兄弟はいるのかな」 サラレギーが何を知りたいのか判らなかったので、聞こえないふりをしてに手を貸して馬車に上げた。 座席は広く、片方に三人並んで座っても問題なかったので、おれを挟んでとギュンターが座った。 馬車が出発すると、おれの向かいに優雅に座っていたサラレギーは背もたれにゆったりと頬杖をついておれとを見比べる。 「妹ということだったけど、あまり殿とは歳が離れてなさそうだね」 「双子だからね。あまり離れてないどころか、同じ歳だよ」 「……へえ、双子」 一瞬だけサラレギーが無表情になったように見えた。 だけど光の加減だったのか、瞬きするともうさっきまでの微笑が浮かんでいる。……気のせいか? 「ねえ殿」 「はい、なんでしょう。サラレギー陛下」 の声は平坦で、思いっきり警戒している。さっきお気に入りの髪を無断でいじられたし、男嫌いモードが全開バリバリなのかもしれない。 「あなたも、ユーリと一緒に来ていたのかな?」 おれとギュンターが一斉に緊張した。 本当に、がどうやって宿に来たのか……それ以前に、小シマロンに入ったのか、まだ聞いていないからだ。 国主として、全権大使使節団にイレギュラーの存在が混じっていたとなると、サラレギーが気にするのも無理はない。 どういうつもりの質問かと訊ね返すわけにもいかず、どう割って入るかとめまぐるしく言い訳を考えていると、当のがにっこり笑って大嘘をついた。 「兄が……陛下が心配で、実は荷物に紛れてついてきたんです」 「荷に紛れて?」 唖然としたようにサラレギーが繰り返す。 唖然としたのは、おれもギュンターもだ。 普通に考えて、どんな無茶な言い訳だよと突っ込むところだが、何しろサラレギーはその前におれが密航してきたという話を聞いている。 三拍ほど間を空けて、くすくすと笑い出した。 「本当に面白い国だね、眞魔国は。あなたの国では、王族は密航することがしきたりなの?」 訊ねられたおれは肩をすくめるしかない。 「しきたりなわけはないけど、滅多に体験できないからね」 「確かに。普通は密航なんて体験できない」 サラレギーはその細い指で頬に掛かった髪を後ろに払いながら、を見て微笑む。 「殿。わたしのことはどうかユーリのようにサラと呼んで。あなたとも仲良くなりたい。わたしもと呼んでいいだろうか?」 「光栄ですわ、陛下」 「サラ、だよ。」 「そんな、兄はあくまで我が国の国主ですが、わたしごときが畏れ多い」 はにっこり笑顔で、だけど長年相棒をやっていたおれにだけは、顔の中央にはっきりと「嫌だ」と書いてあるのが見えるようだった。 ダメか。ヴォルフみたいに中性的な感じがするけど、サラレギーは苦手らしい。 「あー、サラ。実はこう見えては結構恥ずかしがりやでね。えー、ほら、ギュンターにもさん付けで呼んじゃうくらい」 「ああそうか、女性とのお付き合いは段階を踏まなくてはね。ではの好きに呼んでくれていいよ。あなたさえ良ければ、いつでもサラと呼んでくれて構わないから」 女性とのお付き合いって、なんか別の意味にも取れそうな言い方だな。 隣でギュンターが眉を動かしても、反対側の隣のはあくまで笑顔だった。 「ありがとうございます、陛下」 完全にシャットアウトだ。 お互いに相手のこれまでの状況が判らないので気にはなっていたけど、サラレギーがいるところで話し合うわけにもいかない。 日が落ちてサラレギーが眠りについてからでも、ギュンターが警戒して今は情報交換するべきじゃないと提案したので、がどうやって出国したのかは未だ謎のままだ。 あんな形でコンラッドに会って、どう思ったのかも。 昨日はまともにベッドで眠っていないから眠いと、今はおれの肩にもたれて眠っている。 本当にどうやって出国したんだ。 き、気になる……。 「気になると言えば、なあギュンター」 「なんでしょう、陛下」 自分が寝ずの番をするから、おれには安心して眠れと言っていたギュンターの目は爛々と輝いていて、確かに眠る必要がなさそうだ。 「……なんであんたそんなに元気なの?」 「それはもちろん、陛下のお側におりますからっ」 鼻息が荒い。おれは馬の眼前にぶら下げられた人参扱いか? 質問が脇に逸れてしまった。ひとつ咳払いをして、軌道修正を試みる。 「いや、聞きたい事は別にあって。あー……その、コンラッドと、まあちょっといろいろあったとき」 怒られると思ったのか、ギュンターはみるみるうちに萎れた顔をする。 「いや、掘り返して怒んないよ。気になったことを聞きたいだけなんだ。あんたを止めた時、は何て言ったの?」 もしもがコンラッドを傷つけるなとか何とか怒ったのなら、ギュンターならあんなはっとした顔で窺ったりせずに、滂沱の涙を流しそうなのに。 現に質問を聞いたギュンターは、恍惚の表情を浮かべて今にもギュン汁を垂れ流しそうになっている。他所様の馬車だから汚すなよ。 「陛下もご覧になられましたでしょう!?殿下が……あの殿下が私に抱きついてまで止めようと……今までお側に寄ることすらあまりお許し下さらなかったあの殿下が!」 「お、落ち着け、叫ぶな、とサラが起きる」 それに抱きついたというよりは、あれはタックルだ。攻撃だろう。 「し、失礼いたしました。ですが私はあの一瞬、殿下は恐らくコンラートを守りたい一心で行動なさったのだとばかり思っておりました」 「違ったの?」 「はい!殿下はこう仰られたのです。『あなたはどうして、自分で自分の心を傷つけるの』と。コンラートを責めることで、私が傷つくことを懸念されたのです!」 ギュンターは染めた頬に右手を当てて、左手で馬車の窓にのの字みたいなものを繰り返し書いている。乙女みたいな動作はやめろ。 「私はこれまで、実を申しますと、少しだけ、ほんの少しだけ、消え入りそうな可能性ですが僅かに薄っぺらく少しだけ、殿下に嫌われているのではないかと心配していたのです」 「ああ……」 確かに、近くにいる人物の中では、ギュンターは一番避けられている。 けどそれは、あくまでギュン汁に怯えているだけであって、別に嫌ってはいなかっただろう。 「ですが今回でそれは愚かしい杞憂であることがはっきりいたしました!殿下はコンラートより私を、コンラートより私を心配してくださったのです……!」 今度は天井に向かって片手を上げて片手は胸に当てて、気分はスポットライトでも浴びているんだろう。 いや、コンラッドより心配したというのはどうかなーとちょっと思いながら、だけど意外な感じで眠るに視線を少し送った。 感動しているギュンターには悪いが、コンラッドより心配したわけじゃないだろう。 だけどギュンターの心情を気にする気持ちはあったはずだ。 そうでないなら「コンラッドにひどいことを言わないで」とか、コンラッドを主体にした言い方になったんじゃないかな。 「ふーん」 流れるの髪を指先にくるくる巻きつけながら、ちょっと安心して口が持ち上がった。 そうか、コンラッド以外のことにも少しは目がいくくらいには、持ち直してきているわけだ。 それだけで終われば、嬉しい話なのに。 「この手が殿下の細い腰を掻き抱いても殿下は決して嫌がることもなく!あの麗しい御髪が私の髪に絡まろうかというほどに重なり、あの闇色の潤んだ瞳に私の姿が、私だけの姿が映っ……ぶふぅっ」 絶好調に続くギュンターの思い出語りを、頭を窓に押し付けて中断させた。 「その思い出に修正を求める」 やらしい言い方すんな。 |
ギュ、ギュンター……。 ヴォルフの忠告があったからか、そうでもなくてもか、どうにも妹のほうはサラレギーが 気に食わないようですが……。 |