ヨザックを連れて部屋に帰って「正体がバレました。しかも相手は小シマロン王」と報告した時のギュンターはかなり見物だった。まさにムンクの「叫び」状態。 見るものが見れば判るとは言われたが、ところ変わればただの野球小僧の高校生のどこをどう見たら高貴な者に見えるのか。非常に謎だ。 だが今後のことを話し合っている暇もなかった。すぐにサラレギーから朝食のお誘いが来たからだ。 きた。さっそく首脳会談のお誘いだ。 ここまで来た理由からして断るはずはないんだけど、心の準備なんてないに等しい。首都までまだ十日近く掛かる予定だったし、第一おれはあくまで全権大使の専属料理人として潜り込むはずだったのに。 こうなった以上は腹を括れと気合いを入れようとしても、服が魔王服の学ランですらない。 元からない威厳がゼロどころかマイナスだな、という気持ちは、案内された先でサラレギーと対面したときにますます強くなった。 サラレギーは、ご丁寧に部屋の前で待っていた。 風呂場で見たのと同じ薄い色のレンズのメガネをかけ、全体的に少女めいた華奢な身体で透けるような白い肌、滑らかな白金の髪は流れるように肩を覆っている。 威厳というより優雅。高貴な人は見た目で判る、という例が彼なら納得だ。 「おはよう、ユーリ陛下。急にお誘いして申し訳ない」 「……いいや、こちらこそ朝食をご一緒できて嬉しいよ、サラレギー陛下」 冷静に対応しなければと思いながら、おれはすでにいっぱいいっぱいだ。 だけど少年王は、相変わらずふわりと綺麗に笑う。 「お互いに陛下と呼び合うのはよそう。我々は対等な立場のはず。湯殿で言ったように、どうぞわたしのことはサラと呼んで、ユーリ殿」 「おれは最初から陛下と呼べなんて言ってないよ、サラレギー」 あえて敬称をつけずに強気な姿勢で攻めたのだが、まったくもって敵わなかった。 「本当に?ではユーリと呼んでもいいんだね?」 細い両腕で嬉しそうに力いっぱい抱き締められて、硬直するままに食堂に導かれた。 後ろでヴォルフラムが睨んでいる。 待てヴォルフ、今のは相手が勝手に抱きついてきたんじゃないか! 094.零度の関係(2) 驚きは部屋の中に入っても続いた。 部屋には数人の護衛がいたのだが、その中に見知った顔を見つけたからだ。 ナイジェル・ワイズ・マキシーン。 禁忌の箱『地の果て』を、異なった『鍵』で開けようとした男。 カロリアの悲劇は、この男が起こしたんだ。 「それにしても、どうして厨房係のような服を着ているんだい?」 「密航中でね、服がなかったんだ」 「王が密航?興味深い国だね、眞魔国は。だけどその姿もあなたにとてもよく似合うよ」 馬鹿にした風ではなく、本当にそう思っているような口調のサラレギーは、そこでようやくおれの視線を追って、マキシーンを見た。 「おや、マキシーンと面識が?」 「……知ってるさ……こいつがカロリアを地獄にしたんだ。あの……禁忌の箱で」 唇を噛み締めて、怒鳴り散らしそうになるのをどうにか堪える。 見た目に騙されるな。 そうだ、このおれの隣にいる華奢な少年こそが、その箱を開けろと、試してみろと命令したんだ。それを忘れては……。 「すまなかった!」 おれが小シマロンの王に対する認識を改めて確認しようとする前に、サラレギーが神妙に頭を下げる。 「箱を開ければ恐ろしい災厄に見舞われるということは、誰もが知っていたはずなんだ。妙な切っ掛けで箱を手に入れてから、保管には細心の注意を払い、徹底して管理してきたつもりだった。部下たちにも繰り返し言い聞かせていた。だけど……結果はあんなことに。わたしは部下を信じていた。いや彼らも国を思えばこそ、強力な力の魅力に抗えなかったのだろう。だが先のことを考えず、浅はかな行動には間違いない。そして、その彼らを事前に止めることができなったわたしの責任は確かに重い」 おれに口を挟ませる間もなく一気に喋り、サラレギーはマキシーンを振り返った。 窓際に立っていたマキシーンは唇を噛み締めて俯いている。 「……全部この刈りポニ……マキシーンの独断だった……っていうのか?」 「箱を開けようとしたことに関しては。だが箱の持ち出しから使用に至るまでに彼を止めることができなかったのは、確かにわたしの責任だと言っているんだ。ユーリ、わたしは自分の責任から逃げるつもりはないよ」 サラレギーはふっと憂いを帯びた顔で溜息をつく。 「カロリアには災害援助を申し出ているが、フリン・ギルビットに跳ねつけられてしまってね。そういえば、眞魔国はカロリアに多大なる援助をしているのだったね。かつての宗主国として礼を言わせていただくよ。我が国も、今でも物資も人員も確保している。彼女さえ態度を軟化させてくれたら、いつでも援助に踏み切ることができるだろう。もちろん、それまでにはマキシーンにも、身を以って罪を償わせたいと思う。例え国やわたしを思っての行為だとしても、それは確かに間違いだったのだから」 華奢な手で拳を握り、真摯に悔いている様子のサラレギーからは嘘を感じられない。 じゃあ本当に、この男が勝手に独断で動いたということなんだろうか。 「せめて今この場であなたにかけた迷惑に対しては、謝罪させよう。マキシーン、跪いて」 冷たい声で命じられて、マキシーンはよろりと一歩踏み出して、おれの前で倒れるように膝を折り、床に額がつくほど頭を下げた。いわゆる土下座に近い。 「あの折……」 「ちょ、ちょっと待った!」 逃げ出したい衝動を堪えて、おれは謝罪の言葉を遮った。 「謝る相手を間違えてる」 おれがきっぱりと言いきると、サラレギーは色のついたレンズの向こうで目を瞬いた。 「こいつが謝るのは、おれに対してじゃないよ。本当に謝罪して、誰に償うべきか、自分のしたことが判ってるのなら、その相手だって、自分で判ってるはずだ」 おれの心情を察してくれたヨザックが、いち早く動いてマキシーンの腕を掴んで引き上げると、入り口にいた警備兵に何を告げて廊下に放り出してくれた。 跪けと命令していたサラレギーも、本心では緊張していたらしい。さっきまで部下に見せていた冷たい声を一変させて、ほっと息をつく。 「ああ、ユーリ。あなたはなんて優しい王なのだろう。あなたのような王を戴いて、眞魔国の民は幸せだ。わたしはこんなことがあるたびに、自分の王としての資質に疑問を感じるよ」 「そ、そんなことはないよ、小シマロンは大きな国だし、民族も多岐に亘るんだろう?」 「侵略したからな」 ヴォルフがおれにしか届かないような小さな声で呟いた。 「と、統治することが難しいのは、当然だよ。誰だって完璧にはいかない。おれは助けてくれる優秀な仲間がいるから、今までやってこれたんだ。一人で何もかもを背負い込むなんて、不可能だよ」 「ありがとう……あなたはいい人だね、ユーリ」 潤んだ目で見るのはやめてくれ。可憐な美少女にお礼を言われている気分になる。 「少し遅くなったけれど、どうぞ座って、ユーリ。朝食にしよう」 ようやくサラレギーがおれから離れて席に移動してくれて、ほっと息をつく。自分も席に着こうとして、通り過ぎ様にヴォルフが後ろから囁いてきた。 「ほだされるなよ、ユーリ」 どんなに可愛くても、男にはよろめかないっての。 「さて、箱とカロリアの話だけというわけにもいくまい。ユーリだってそんなつもりはなかったのだろう?」 給仕は軍服姿の男達という、気の重い朝食の始まりだ。 椅子の数は充分にあったけど、ヨザックは目立たぬように扉の脇に移動して、ギュンターとヴォルフはおれの両隣に座った。 サラレギーがオレンジジュースらしきグラスを手にそう言うと、ようやく自分の出番がきたとギュンターが口火を切った。 「不躾な質問とは存じますが、そもそも何故このような街道沿いの湯宿へ?我々が公式に訪問することは、前もってお知らせしていたはずですが」 サラレギーはちらりと一瞥しただけで、すぐに視線をおれに戻してしまう。 その表情は穏やかで、怒っているわけではないようだ。紹介前の人物の言葉には、耳も貸さないという意思表示か。 「サラレギー、こちらはフォンクライスト卿ギュンター。王佐であり眞魔国の重鎮だ。諸事情に通じていることもあって、おれの代わりに発言してくれる。ギュンターの意見はおれのものだと思ってくれていい」 一気に紹介してしまおうとヴォルフラムを見たけど、当の本人が首を振って嫌がった。 お近づきになりたくないらしい。 「彼があなたの腹心の部下なのは判ったよ。でもわたしはあなたと話し合いたいんだ。他の……頭の固い魔族ではなく」 「かた……」 隣でギュンターが絶句した。まずい、ヒステリーを起こされる前に話を進めよう。 「わ、わかった。それならガチンコでトップ会談だ。議題は二つ。一つは王であるきみが、どうして街道の宿に来ているのか。もう一つは……回りくどい話はナシだ。はっきり聞く。 鎖国中の聖砂国と接触しているというのは、単なる噂なのか、真実なのか聞きたい」 「なるほど、よく判った。ところでユーリ」 頷いたサラレギーは、手にしていたグラスを置いてテーブルの上で指を組んだ。 「言っただろう?サラと呼んで欲しい。親しくなった気がするから」 肩透かしをくらってがくりと首を倒しそうになる。 そんなおれを見て、サラレギーは小さく笑う。 「二つの問題は密接に繋がっていてね。まとめてお答えしよう。わたしがここに居るのは、あなた達と確実に会える場所を選んだのだよ。ここなら確実に通るはずだから。わたしは急いでいて、申し訳ないが首都で待っているわけにはいかなかったから」 「急いで?」 サラレギーは、肘をついて指を組んだ手の上に軽く顎を乗せて微笑んだ。 「あなたのもう一つの疑問の答えだよ、ユーリ。わたしは二日後にこの国を発つ。聖砂国へ向けてね」 あまりにもあっさりと教えられて、ガチンコだと自分で言ったにも関わらず、返答に困る。 「何度も書簡をやりとりして、既に先方と時期を示し合わせている。聖砂国まではかなりの距離がある。過去の気象記録と海図を照らし合わせて、綿密な航海計画を立てた結果、この十日の内に小シマロンを発たなければ、厄介な季節風と海流に巻き込まれることが明らかになったんだ。だからあなたを城で待てなかった」 「……そうか」 「気分を害した?」 「いいや、そんなことはないよ。今は、まだ」 ただ単に、国交を開いて貿易をして、だけならね。 そうであってくれたら、ギュンターたちの心配が杞憂であってくれたら。 だけど現に今、話はどんどん心配していたほうへと進んでいく。 国に帰ったら緊急会議だ、対策会議だと忙しくなるとぼんやり考えていたら、サラレギーは組んでいた指を解いてテーブルに下ろした。 「よかった、あなたに嫌われてしまったら寂しいもの。せっかく長い時間を旅するのだから、もっと仲良くなれるよね?」 「ええ、ああ、うん……え、長い旅……?」 おれが間抜けにぽかんと口を開けていると、左右の二人が同時に立ち上がった。 「是非とも!我が主と友好を!」 「え、あのギュンター?」 「もちろん。本当はユーリだけを招待するつもりだったけど、どうやら彼を一人にしたくないようだね。あなたたち二人の乗船も許可するよ」 は、乗船って?と聞き返しそうになるおれに、サラレギーはそのほっそりとした手を差し出した。 「聖砂国まで、本当に時間はたっぷりあるんだ。あなたにわたしのことをもっと深く知って欲しい。わたしもあなたのことを知りたいもの、ユーリ」 「……って、おれも連れて行ってくれるってこと!?」 「そう言っているんだよ。だってせっかく会えたのに、こんな短い時間でさようならなんて勿体無い。それとも、あなたにも都合があるから無理かな?」 「い、いや。そんなことない。おれももっときみと話がしたいよ、サラレギー!」 「言っただろう?サラと呼んで」 「ああ、サラ。きみってなんていい奴なんだ」 「あなたほどではないよ、ユーリ」 差し出された手を握る。剣なんて持ったこともなさそうな華奢な手は、力を込めたら折れそうだとさえ思う。 サラレギーが力を入れて握り返してくれたとき、背後のドアの向こうが騒がしくなった。 「どういうことだ!」 聞き慣れた声。 だけど、今のおれはびくりと震えてしまう。 サラレギーが首を傾げると同時に、ドアが叩きつけるような勢いで開かれた。 「ここの警備はどうなっている!」 こめかみが痛くなった。どうして、こんなところで。 「……コンラート……」 隣でギュンターが呟いた。 おれは振り返らない。振り返る必要はないはずだ。 だって、おれの知っている男じゃないから。 今ここに、が居なくて本当によかった。 |
コンラッドの乱入。 妹のことを心配しているお兄さんには非常に残念ですが、 あと少しで彼女も到着します。 |