朝日が降り注ぐ夜が明けた町に飛び出すと、左右を見渡す。
泣いてなんかいないで、初めからコンラッドを追えばよかった。宿から出て右に行ったのか、左に行ったのかも判らない。
もっとも、後を尾行しようなんてすれば、その場ですぐに見つかっているだろうから、これでよかったのかもしれない。
だってコンラッドは小シマロンの王に会いに行ったんだからんだから、この町で一番高級な宿を探せばそこにいるはず。
さすがに自分が泊まっている宿で別の宿の話を聞くわけにはいかない。
どこか早朝から開いている店の人にでも聞いてみようと、朝市の場所を探して歩き出した。



093.言いそびれた言葉達(2)



宿の位置はすぐに判った。
大通りに出れば朝から市場が開いていて、一番手近のお店でトマトを買いながら高級宿の位置を聞いたら、店のおばさんは迷うことなく答えてくれた。ということは、この町で一番の宿といえるような場所がいくつかあることはないだろうから、そこで間違いない。
お礼を言って商品を受け取っていると、店の後ろの小さな路地を黄色と水色の小シマロンの軍服を着た一団が駆け抜けて行く。
一瞬、身を硬くして路地の向こうを窺ったけど、どうやら町に紛れ込んだ双黒の魔族を探しているわけではなかったようで、そのまま路地の奥へと行ってしまった。
ほっと胸を撫で下ろす。
それにしても、随分慌てていたように見えた。
こんな朝早くから警備訓練というわけでもないだろう。これから向かう先が彼らが駆け去った方向と同じというのが嫌な感じだった。
わざわざ小シマロンの軍人が集まっているところに出て行くのは危険だし……。
「……おばさん、町から出て行くときって、みんなこの通りを通るのかな?」
「いや、そんなことはないよ。街道に続く道はここともう一本向こうの通りがあるから、どちらから出て行くかは、足次第だね。馬だけならこっちもあるし、馬車なら向こうだし」
「そう。ありがとう」
お礼を言って教えてもらった高級宿に向かって歩き出した。
考えてみれば、この国の王様が滞在しているわけだから、さっきの人たちはそのお見送りとか、そのための警備かもしれない。それなら、下手に宿に近付けばそれこそ職務質問に遭う可能性があるから、この通りに隠れて通り過ぎる一団を見送る手も考えた。
宿まで行っても、コンラッドに声を掛けられるわけじゃない。
それなら、ここで見送っても一緒だ。
そう思ったけど、ここを通らない可能性があるのならやっぱりもう少し宿に近付いて、せめてルートの選択をする分かれ道くらいまでは行かなくちゃ。
とりあえず、風が吹いたら外套がめくれて剣がちらりと見えて……なんてことにならないようしっかりと前を合わせて身体に巻きつけて早足で歩いていると、向かう先から喧騒が聞こえてきた。
ただ事ではない騒ぎに、危険を回避するために引き返すべきだという考えが浮かんだのに、足は先に向かって進む。
近付くほどに、喧騒は激しくなってくる。おまけに以前、大シマロンから『風の終わり』を持ち出すときに聞いた、あのいくつもの金属同士がぶつかる剣闘の音と気配に、早足から駆け足になって、通りから飛び出した。
眼前で、戦闘が始まっていた。
大きな建物を大勢の兵士が取り囲んで攻め込んでいて、もうすでに宿の門のから庭に押し寄せていた。
「なに……?」
建物に押し入ろうとしている兵士も、正面玄関を護っている兵士も、剣を合わせているのはどちらも黄色と水色の小シマロンの軍服を着ている。
「ど……どういう状況……?」
同士討ちなのか、それとも攻め込んでいるほうは、軍隊を装って偽の制服をそろえて用意したとか?
とにかく、確かなのは小シマロン王がいると思われる宿の前で激しい戦闘が行われているということだった。
巻き込まれないうちに逃げなくちゃ。
攻めているほうの関係者だと思われたら、捕まって取り調べに遭うかもしれない。
逆の勢力に捕まっても同じだ。
門を破られているところから見ても、護っているほうが劣勢なんだろう。
逃げなくちゃ、と思うのに足は宿から離れずその周りを歩き出した。戦場になっている宿の周囲を見渡してあの背中を捜す。
コンラッドがまだここに来てなければいい。まだ来ていなければ、この戦闘に巻き込まれていないはず。
だけどコンラッドはわたしよりも先に宿から出て行っている。
素直に時間だけ考えれば、とっくにここに到着している。
到着していたとして、もう宿に入っていたのか、まだ入ってはいなかったのかは判らない。
コンラッドがここに着いた時点で戦闘が始まっていたとしたら、どこかで成り行きを見守っている可能性だってあるはず。
何人もの人が血を流して倒れていて、鉄錆に似た独特の血の匂いが漂っている。
激しい雄叫びと、負傷者の呻き声が剣戟の音と混じって辺りを支配していて、竦みそうになる足を懸命に動かして宿の周りを遠巻きに回る。
コンラッドがまだ宿の中に入っていないと信じて。
戦いはまだ庭で止まっているけれど、数が違う。守備側のほうがすっと劣勢だ。
コンラッドは小シマロン王に会いに来ているのだから、当然攻めているほうはコンラッドを小シマロン王の側に数えるだろう。
きっと、きっとまだだ。まだ宿になんて入ってない。
眞魔国どころか、大シマロンのものですらない戦闘にコンラッドが巻き込まれるだなんて、そんな、そんなこと。
宿を遠巻きに走って回っていると、立派な門が見えてきた。こっちが正面玄関で、さっき見えていたのは裏門だったんだ。
こちらの戦闘はさらに激しくて、宿の周りの通りにコンラッドの姿はない。
その後姿をちらりと見つけたのは、戦闘が激しい宿の入り口だった。
ぐったりとした兵士の一人を肩に担ぎ、もう一人の腕を握って守備兵の後ろを通り抜けて宿に入って行く。
「コンラッド……!」
悲鳴が喉に詰まった。
どうして、劣勢だと判っているのに宿に入るの!
戦闘をくぐり抜けたコンラッドが守備兵にあっさり通されたことで、どう見たって小シマロンの王の味方に見られる。
コンラッドが小シマロン王に義理立てする理由はないはずだから、きっと何か考えがある。
そうに決まっている。
ここでただ成り行きを見守っていても危険なだけで、それならコンラッドの言いつけ通りに宿に戻って部屋に閉じ篭るべきだ。
だけどコンラッドの無事を見ないで立ち去ることもできない。
強く両手を握り合わせて立ち尽くす。
どうしよう、どうすれば。
唇を噛み締めたとき、守備側に知った顔を見つけた。
守備側は数人だけ小シマロンの軍服を着ていない。その中の一人を知っている。
今は頭の中が混乱していて名前が出ないけど……そうだ、確かギュンターさんの直属の部下の人だ。
どうしてこんなところに。
もちろんそれは、眞魔国の要人が、誰かこの宿にいるからだろう。
順当に考えればギュンターさんが。
迷っていた足は、宿に向かって走り出していた。


まだ抜刀はしない。
わたしの腕は未熟で、混線の中を戦いながら進むよりも、剣を避けることだけに集中して走り抜けたほうがいいと判断したからだ。
地面に倒れる人々と、辺りを濡らす血から目を背けたい衝動を、懸命に堪えて門の中に駆け込んだ。
押し寄せる戦いの音が背中に圧し掛かるようで、地面を濡らす血に足が滑りそうになる。
攻め手は後ろから敵がこないと踏んでいたからか、庭の中ほどまでは剣に晒されることなく進むことができた。
だけどそこで、血で赤く染まった剣を下げた兵士に前を塞がれた。
刀身に白く濁った黄色い何かが付着していて、それが赤い色と混じり合いながら下へとぬめるように伝い落ちていく。……人の脂肪だ。
振り下ろされる輝きを失った銀の軌跡に、外套を跳ねて腰に手を回す。
柄を握って、刀身目掛けて引き抜いた。
剣同士がぶつかる高い鋼の音が響いて、柄を握った手に重い衝撃が走る。
丸腰だと思っていたのか、一閃を跳ね返された相手が驚愕に顔を歪ませた隙を狙って、肩からそのお腹に目掛けて勢いよく突っ込んだ。
相手の身体ごと地面に転がって、下から聞こえた押し潰された苦しげな呻き声も無視で勢いに任せて人の身体の上を一転して地面に足をつく。
衝撃で色つきのメガネが飛んでしまったけど、拾う暇なんてあるはずがない。
倒した男が起き上がる前に、地面を蹴って玄関目掛けて駆け抜けた。
次に立ちふさがった相手は、小シマロンの軍服を着ていなかった。
顔を上げたわたしに、驚いて剣を取り落としかける。
「まさか……殿下!?」
「ギュ……フォンクライスト卿が中にいるんですか?」
全速力とはいえ、駆け抜けたのは短い距離だったのに、息は上がって心臓がドクドクと痛いくらいに胸を叩く。
「あ、は、はい!と、とにかく中へ!」
促されてポーチを駆け上がると、横合いから剣が伸びてきた。
握っていた剣をそちらに向ける前に、誰かの背後に庇われる。
誰かって、今声をかけたギュンターさんの部下の人だ。
「ギュ、ギュンター閣下と、もうお一方……三階の一番奥の部屋です!行ってください!」
「ありがとう!あなたもどうか無事で!」
中にギュンターさんがいるのなら、適当なところで撤退するわけにはいかないだろう。
小シマロンの援軍が駆けつけるまで持ちこたえれば、彼らもどうにか助かるはず。
もちろん、そうでなければ中にいるギュンターさんだってただではすまない。
今までコンラッドやヴォルフラムは国外に出ていたけど、ギュンターさんが出てくるなんて。
グウェンダルさんとも一回だけ一緒に旅をしたことがあったけど。
外の騒ぎに怯えて隠れているのか、宿の人は誰もいない。
無人の階段を駆け上がりながら、剣を鞘に収める。
館内では戦闘になっていないようだから、下手に剣を握っているほうが危険人物として襲われる可能性がある。
何かを引きずった血の跡が続く階段を三階まで駆け上がると、長い廊下に出た。
ずっと向こうに、部屋の前で窓から外を気にしている小シマロンの兵がいるのが見える。
三階の一番奥。あそこにギュンターさんがいるの?コンラッドは?
廊下の石床には、部屋に向かって血の跡が続いている。
……コンラッドも、あそこにいる。
連日の疲れも残ってる足が、階段を駆け上がった反動で揺れ始めたけど構わず廊下を駆け出した。
小シマロンの王が滞在する宿の、小シマロンの兵が警備する部屋にいるのなら、正式な会談中かもしれないとも思ったけれど、この騒ぎできっと中断している……はず。
廊下を駆けてきたわたしに、部屋の前にいた二人の兵士がはっと気付いて武器を構えた。
「止まれ!何者だ!」
廊下を音高く走りながら、どう言えばいいかを考える。本当の身分を明かしていいのかも判らない。
とにかく、ギュンターさんに照会してもらえたらどうにかなると、部屋の前まで駆けつけて、構えられた武器の前で立ち止まり、息を切らせながら口から出まかせを叫んだ。
「眞魔国使節を本国から追ってきた者です!フォンクライスト卿に伝令を!」
二人の兵士が顔を見合わせたとき、部屋の中からギュンターさんの叫びが聞こえた。
ドア越しでくぐもった音だったはずなのに、不思議なほどクリアな声で。
「国を裏切った男の言葉など、信じられるものですか!」
血の気が引いた。
国を裏切った男、と。
村田くんにだって言われた。
コンラッドを信じているのだと、信頼している人以外には口にしてはいけないと。
だから、他の誰かの言葉には覚悟していた。
けど、ギュンターさんの声で、コンラッドを否定する言葉は、聞きたくない。
ずっと一緒にいたからこそ、だからこそ許せないのだと……だとしても。
扉に取り付いてノブを捻る。
「あ、こらっ!」
中の騒ぎに気を取られていた警備兵が止める前に、大きな両開きの扉を開いた。







ようやく眞魔国組と合流です。

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