深夜に宿に入ったのに、起こされたのは明け方だった。
昨日あれだけコンラッドが念入りにマッサージしてくれたというのに、起きたらとてつもない筋肉痛が待っていた。
これは昨日のあのマッサージを突っぱねていたら、今日は動くことなどできなかった。
根性の問題だけでは硬直した筋肉は動かない。
とにかく最悪の事態はさけることができたので、用意された朝食を詰め込むとすぐに出発することになった。
ああでも。
腕とか足の筋肉はともかく、擦れて痛い太腿の肌とお尻はどうしようもないんです。
だけどそういえば昨日の夜、コンラッドはさりげなく今日は昨日よりも行程が長いと言っていた。
それだけで気が遠くなりそう。
「どうしました?筋肉痛で馬に上がれませんか?」
宿の清算を済ませて出てきたコンラッドは、じっと憂鬱に馬を見上げていたわたしに首を傾げて馬に乗る手助けをしようとする。
「大丈夫です」
スムーズにとはいかなかったけど、自力で馬に上がると、コンラッドも自分の馬に乗った。
「では行きましょう」



092.連日連夜(1)



お昼までに二回も馬を乗り換えた。
三回目はお昼を取ってからということで食堂に入ったんだけど、もう何かを食べる気力もない。
「き……きつ……」
テーブルで倒れていたら、料理の注文をしてから次の馬の手配に出ていたコンラッドが戻ってきた。
「やはり昨日の疲れが残っていますね。昨日よりも根を上げるのはお早いようで」
「根は上げてません」
きついとは言ったけど、もう嫌だとは言ってない。
思ってはいるけど。
両手で拳を作ってテーブルから起き上がると、コンラッドが小さく笑った。
……ずるい。
はっと気付いて慌ててコンラッドから顔を背けようとしたけど、そうしなくてもちょうど料理が来たのでコンラッドの注意は逸れていた。
ずるい。
そんな風に、ちょっと笑うだけで、わたしはコンラッドから目が離せなくなる。
嬉しくなる。
大シマロンで再会してからずっと、冷たくされたり、面倒そうな顔をされたりしていたから、ほんのちょっとの笑顔がこんなにも嬉しい。
だけど喜びに浸ったり、拗ねたりしている余裕があったのはそこまでだった。
「どうぞ、食べてください」
コンラッドが取り分けて押し出したお皿には、温かそうな湯気を立てる肉料理が……。
「……もうちょっと軽食が……」
「軽食では体力が持ちません。どうぞ」
食べたって消化できなくちゃ体力にならないでしょ!?
こんなの食べてすぐにまた馬に乗ったら絶対に吐く。むしろ体力がつくどころか、余計に消耗する。
そう訴えてもコンラッドは食べなさいというばかりで引いてくれなかった。
「しょうがないですね。では少しだけ俺が引き受けます」
そう言って、お皿一杯の肉を十分の一くらいだけ取ってくれた。
十分の一って。
大して量の減っていないお皿を見て、コンラッドを見上げたけど、もうそれ以上はまったく無視。
水で流し込む作戦も考えたけど、それは余計にお腹が膨れてしまう。
ヴァン・ダー・ヴィーア島で最初に山登りしたときに、お茶を飲む気力もなくしていた有利とヴォルフラムのことを思い出した。
あのときの有利みたいにゼリーとか喉越しのいいものだったらまだ食べられたのに。
あのときも、コンラッドとヨザックさんはふたりだけ平気な顔をして紅茶を飲んでいた。
当たり前のように自分のお皿を片付けていくコンラッドを見上げなら思い出して、溜息が漏れる。
まだ、昔を思い出して懐かしむ歳じゃないよ。
「どうしました?まだ半分も残ってますよ」
「……遅くてすみませんね」
バテバテに疲れているときは、肉料理なんて重いものじゃなくて甘いものが欲しい。
自棄になって口に肉を詰めながら、ふと村田くんと喫茶店に入っていたときのことを思い出した。
クレープを取られて、代わりにハムサンドをもらったんだった。
あのときは損とは思わなかったけど、今同じ事をされたら村田くんを殴っていると思う。
ハムサンドでも今のわたしには充分に重いよ。
あの光景をクラスメイトの誰かに見られて村田くんと付き合ってるなんて噂になったけど、今の状態を見られたらどんな噂になることやら。
お茶どころか、男の人と二人旅だよ!
……でも、別になんでもない関係なんだから。
急に口の中の肉が味気なくなって、砂を噛んでいるような気分になった。
一端、口の中身を水で流し込んでしまおうとしたら、もうコップの中身がない。
気が付いたコンラッドが水のお代わりを頼んでくれて、新しい水を注がれたコップに手を伸ばしたら、横からコンラッドが奪い取って一口だけ飲んでから返してくれた。
だから、どうしてそういうことをするのかな。
毒味だとは判ってるし、それだって好意だけど、もうわたしとコンラッドは何でもない関係なんだってコンラッドが言ったのに、コンラッドはまだそんなことをする。
村田くんが使ったフォークは使う気になれなかったけど、コンラッドが飲んだ水は飲める。
こんな場面を見られても、絶対に騒ぎになるだろうなと思いながらようやく口の中の味気ない肉を水で流し込んだ。
もそもそと面白くなさそうに続きを口に運んでいると、とっくに食べ終わったコンラッドが頬杖をついてわたしを観察していた。
「……食べる速度が一段と落ちましたが、一気に詰め込んでしまったほうがいいですよ?」
「今でも充分に詰め込んでるんですけど……ああ、クレープが食べたい……」
「クレープ……お菓子ですか?それを全部食べてからなら」
「これの代わりに食べたいの。村田くんに取られたバナナクレープが今になって惜しい……」
食事にも飽きて疲れてきて、段々虚勢が張れなくなってきた。我ながら愚痴っぽい。
「ムラタ……くん……?男ですか?」
コンラッドは世間話のように聞き返してきたけど、なぜか非常に言い訳したくなった。
なぜかって……だって、わたしはまだコンラッドのことが好きなんだし、誤解されたくない。
たとえ、誤解されても、されなくても一緒だとしても。
「違うからね。友達。ただの友達。こっちの事情を知ってるからいろいろと相談しやすいだけで……」
「相談ですか……異性の友人ができるとは、随分と男性恐怖症も治まりましたね」
「それは……っ……た、確かに、ちょっとはましになったけど」
それはコンラッドのお陰なのに。
居たたまれなくなってお皿に視線を落とす。
「だって村田くんは、双黒の大賢者だもの。色々知ってるから」
「大賢者!?」
上擦った声に顔を上げると、コンラッドは本当に驚いたように目を見開いて言葉を無くしていた。
えーと……し、知らなかったの?
「……コンラッドも大シマロンで会ったのに。カロリアのベンチにいたでしょう?」
「あのときベンチにいたのは、とあなたの兄上とヴォルフラムとヨザックと、金の髪の少年でしょう」
そうだった。あのとき村田くんは金髪に染めて、青いカラーコンタクトレンズをつけていたんでした。
有利を、有利とも陛下とも呼ばないことに少し寂しくなって、だけど。
わたしのことはと呼んで、有利のことをわたしの兄と呼ぶ、そんな小さなことがちょっとだけ嬉しい。……いけない、まだ有利に対抗意識が残ってる。
「あれは髪を染めてたの。村田くんの本当の色はわたしたちと同じ双黒」
コンラッドが唖然としている様子に、少しだけやり返せたみたいな気分になった。
でも、そうだよね。眞魔国の人たちにとって、双黒の大賢者は伝説の人だから、驚くのが当然なんだ。
ギュンターさんの反応はいつも過剰だからあまり当てにならないと思っていたけど、あのヴォルフラムですら一言も逆らえなかったんだし。ヨザックさんなんて虐められてたし。
「そうか……もう、お側に……」
「コンラッド?」
考え込むような様子だったコンラッドは、呼びかけるとすぐに顔を上げて注意してくる。
「手が止まっていますよ」
「ぐう……」
残り三分の一まで減ったお皿と格闘しながら、溜息が漏れた。
「ああ……あのときもこんな殺伐とした雰囲気だったら、村田くんと付き合ってるなんて噂にならなかったのに……」
コンラッドが呆れた顔をして、わたしは料理を睨みつけて、村田くんとの相談会がこんな感じだったら……と思って嘆いていたらコンラッドが急に席を立った。
「行きましょう」
「え?も、もう……?」
全部食べろと言ったのはコンラッドなのに、まだもうちょっと残ってるんですけど。
「もう限界なんでしょう?無理をしなくてもいいです」
さっきと矛盾したことを言いながら、コンラッドはさっさと店の外に行ってしまう。
な、なにか怒らせるようなこと言ったっけ?
慌てて後を追いながら座っていた席を振り返ると、わたしが食べ残したお皿が。
……奢ってもらっておいて文句ばっかり言っていた。


どうしよう、謝るべきだろうか。
でも、なんて?
お世話になっておいてうるさいことばっかり言ってごめんなさい。
うーん、ちょっと違う。
わがままを言ってごめんなさい。
これかな、とコンラッドに続いてお店を出ると、外にいた馬は一頭だけだった。
まさかここで置いていかれるんだろうかと蒼白になって立ち止まると、荷物を括りつけたコンラッドが手を差し出す。
「さあ、乗って」
「え、あの、でも……?」
「次の乗換えまでは同乗してもらいます」
「ええ!?そ、そんな!」
それは困る。
だって眞魔国にいたときとは違う。
今はコンラッドのことを好きだと態度に出しちゃ駄目なのに、馬に一緒に乗るなんてことになったら、コンラッドと密着状態じゃない!
「え、えっと……一頭しか用意できなかった、とか?」
そうだよ、だから仕方なく、コンラッドには仕方なく、なんだから……。
そうやって自分で言い聞かせようとしたくせに落ち込みかける。
「違います。の体力では一日中走り続けることは不可能でしょう。ときどきはこうやって俺と同乗して、少し体力を回復してもらいながら行きますから」
「ええ!?と、ときどきはって……て、定期的なの?」
「自分で乗るよりはずっと楽でしょう?ほら、前に乗って」
「しかも前に!?」
コンラッドを好きって、態度に出しちゃダメなのに。
「……そんなに俺と同乗するのが嫌ですか?」
「い、いいえ……そういうわけでは……」
さっき食事でわがままを言ってばかりだったので、これ以上はごねるわけにいかない。
それこそ本当に仕方なく馬に上がると、後から騎乗したコンラッドの腕が両脇から伸びてきて手綱を握った。
や、やっぱり近い。
「俺にもたれていいですから、少しでも楽な姿勢で」
「け、結構で……」
「体力を回復してもらうことが目的の同乗だと言ったでしょう。眠るくらいの気持ちでいてください」
そう言って、抱き寄せられた。
背中の当たったところからコンラッドの体温が伝わる。
コンラッドと同乗するなんて、これが初めてじゃないのに今までで一番緊張してしまう。
自分から甘えてもたれかかっていた頃が懐かしい。
外套の襟に顔を埋めるように首を縮めて、赤くなっているような気がする顔をできるだけコンラッドから隠すようにした。
「言ったでしょう?楽にして。できることなら本当に眠ってください。絶対に落したりませんから」
人の気も知らないで……親切で、なんだけど……耳元でそんなことを囁くと、コンラッドは馬の腹を蹴って走り始めた。







過酷な旅、本番の初日です。一番大変なのは誰なのか……。

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