有利。 有利を早く探さないと。きっと無事でいる。早く探さないと。 ここはどこなんだろう? ……コンラッドにまた会えた。 嬉しい。 でも寂しい。 苦しい。 ……つらい。 胸を締め付けるような感情で、息苦しくて押し潰されそう。 すごく迷惑そうな顔をされた。 実際に迷惑なんだろう。 血盟城で最後に会った夜、コンラッドがわたしの到着に焦ったことが悲しかった。 でも今と比べれば、あんなのなんてことなかったな……。 泣いちゃだめだと思うのに、涙が零れる。 泣いてる暇なんてない。今は一人で危険な土地にいるんだから、しっかりしなくちゃ。 コンラッドには、もう頼ってはいけないんだから。 温かい指が目尻を触った。 涙を拭ってくれたんだ。 ……誰が? そんなはずはない。だって今ここにいるのは、あの人しか。 「……コンラッド……」 あなたにまた会えたことが。 その声を聞けたことが。 こんなにも苦しくて悲しいのに。 どんなに突き放されても、それでも、わたしは……あなたが好き。 「起きてください」 肩を揺さぶられて、目を開けると呆れた顔のコンラッドがすぐ側にいた。 091.偽善の恋(2) 「え、ええ!?」 まさかの距離にコンラッドがいて、慌てて起き上がってベッドを這って離れる。 振り返ると、やっぱりコンラッドはベッドサイドに呆れた顔でいた。 「この状況でよく眠れますね。いくら外套とブランケットを被っているとはいっても、その下はかなり薄着でしょう。襲われたいんですか?」 慌てて首を振ると、コンラッドは溜息をついて持っていた荷物をベッドの上に置いた。 「さあこれに着替えて。テーブルに温かい飲み物が置いてありますから、着替えたらそれを飲んで少しでも身体を温めてください。すぐに出発します」 「え、出発ってどこに……」 「まず着替えなさい」 またもや有無も言わさずに部屋を出て行ってしまった。 「……寝てたなんて……」 ベッドに両手をついて項垂れる。 一人でなんとかしなくちゃとか言いながら、緊張感が足りないんじゃないの? ふと、目が覚める前に涙を拭ってくれた指があったことを思い出した。 蓑虫になっていたブランケットから手を出して顔を触ってみるけど、泣いていたような濡れた跡はない。 「……泣いたこと自体が夢ですか……」 それで誰かが拭ってくれたって、願望の夢なのね。 ああそうですよ。だってコンラッドが側にいるんだもん。そんな願望が出て何が悪いのよー! 「……ああもう、やだやだ。逆ギレしてないで、しっかりしなさい、!」 両手で頬を叩いて、蓑虫になっていた二枚の布を放り出すとコンラッドが置いて行った荷物を引き寄せた。 動きやすそうなシャツと乗馬ズボンと、それに厚手の上着とちゃんと外套まで揃っている。 男物なのは、眞魔国から出ているときはお馴染のことだ。 バンダナと色の入ったメガネは、もちろん髪と目の色隠し対策なんだろう。 「……さっそく金銭面でお世話になってるし……」 項垂れそうになって、慌てて気を取り直そうと首を振る。 「コンラッドだって言ってたじゃないの。事情を知る者を利用しろって。これは顔見知りからお金を借りたの。前に顔見知りでもないアーダルベルトさんを騙してお金をもらったことに比べれば、返すことだってできるんだし!」 自分を奮い立たせようとした話で逆に落ち込んでしまう。 そういえば、あの騙し取ったお金はそのままだった。 「ご、ごめんなさい……アーダルベルトさん……」 脱いだときのままに置いてあった濡れた服の下から引き抜いた下着をつけて、用意された服に着替える。ぐちゃぐちゃになっていたまだ湿った髪を括り直しながら、言われた通りにテーブルに置いてあったカップに手をつけて首を傾げる。 「あれ、あんまり温かくないけど……」 一口飲んでみても、ぬるくはないけど熱くもなかった。多分帰ってきたときに宿の一階から買ってきたものだろうから、ぬるいのを売られたのかも。 奢ってもらって文句を言うのもおかしいので黙って飲み干す頃に、またコンラッドが帰ってきた。 「準備は出来ましたね。出発しますよ」 「待って。さっきから口を挟む隙が全然ないんですけど、ここはどこ?」 大きめのバンダナで頭を覆うように括って、濡れた服を掴むとメガネをつけながらコンラッドの後を追う。 コンラッドは無言でわたしの濡れた服を取り上げて、自分の荷物に詰め込むと、質問には答えずそのまま宿を出た。 外には二頭の馬がいて、コンラッドはそのうちの一頭に荷物を括りつけながら、もう一頭に乗るようにと指示してきた。 意地悪じゃなくて本当に急いでいるらしいので、仕方なしに答えを諦めて馬に上がる。 う……濡れた下着が貼り付いて冷たいし、気持ち悪い。 荷物を付け終えて自分の馬に乗ったコンラッドが笑った。 「行く先も聞かずに素直についてくるなんて、やはり警戒心の足りない方だ」 「聞いても教えてくれないからじゃない!」 「サラレギー記念軍港です」 「って……」 どこ?と聞く前にコンラッドが馬を走らせて、慌てて追いかける。 街中なのに結構な速度で走らせるので、びっくりして質問どころじゃなかった。 何しろこっちは乗馬にはまだまだ全然素人で、コンラッドみたいに楽々と乗りこなせるわけじゃないので、人通りのあるところで走らせるとなると馬を操ることに専念しなくては怖い。 質問する余裕ができたのは、コンラッドが何か手形のようなものを門番に出して、大きな街門を抜けてからだった。 「サラレギー記念軍港ってどこにあるの?それにその前にここはどの辺りなの?」 馬を走らせながら大声での質問で、しかも結構な速度なので舌を噛まないように一苦労。 今度こそコンラッドは答えてくれた。 「さっきの街は小シマロンの首都サラレギーです。今から向かうサラレギー記念軍港はその名の通りに軍所有の港ですから、あなたがそこから直接へ帰ることはできません。ですがあそこほどの規模の軍港なら必ず一人は眞魔国の諜報員がいるはずだ。あなたのことはそいつに預けます。ご心配なく」 「え、小シマロン!?」 どこから驚いたらいいのか判らない。 どうしてコンラッドが小シマロンにいるのとか、その首都に出たなんて!とか、諜報員ってそんなに当たり前にいるんだとか……帰り道までしっかり考えてもらってしまっていたこととか。 ひとりでどうにかしなくちゃという気合い、さっそく空回り。 いえ、助かることは助かるけどね……。 ……そして、やっぱりコンラッドは一緒には帰らないんだ、とか。 「そう、小シマロンです」 「ど、どうしてコンラッドが小シマロンに……?」 大シマロンに所属しているはずなのに。 コンラッドから返事が返ってこなくて、溜息を漏らそうとして舌を噛みそうになった。 危ない。 「聖砂国をご存知ですか?」 「え?」 「聖砂国。海を遥か南に下った大陸の国です」 「し、知りません」 突然何の話だろう、と思ったらその後の説明で、いきなり知らない国の話が出てきた意味が判った。 「二千年前から鎖国状態にある国です。小シマロンの王サラレギーが独自にこの国と国交を結ぼうとしているという情報があったので、俺はその真偽を問い質す使者として派遣されていたんです」 知らない国の名前は、さっきの質問の答えだったわけね。 なるほど、無視したんじゃなくて、話の切り口を考えていたんだ。 「お仕事だったのね……」 それも大シマロンの軍人としての。 はあ、と今度こそ深い溜息が漏れた。 「……だったら、首都を離れちゃっていいの?ああ、もう話は聞けたんだ?じゃあ軍港から大シマロンに戻る……」 「違います。先触れを出していたにも関わらず、サラレギー王は大シマロンからの使者を待たずに王城を出立したので、後を追っているんです。だから急いでいる」 「それは……」 小シマロンの王様はさぞかし、大シマロンを軽んじていることだろう。 カロリアや『地の果て』の件、『風の終わり』と……コンラッドのこと。 大も小もどちらのシマロンにもいい思い出はないので、その二国間の関係なんて興味がない。 だけど、個人的には興味がなくても、政治的にはまた別の話もあるだろう。 シマロン同士が仲がいいと、眞魔国には脅威になるかもしれない。戦争なんて始める人の気が知れないけれど、始めようとしている人がいるのなら「気が知れない」で放っておくわけにはいかないんだから。 「それで行き先が軍港ということは、その王様は海に出るってこと?じゃあ国交を結ぶ話は本当なんだ?」 「その可能性は高い、ということですね。とにかく王と直接対面して話を聞かないことにはどうにもならない」 コンラッドはわたしを見て、軽く苦笑した。 「まるで他人事のように聞いていらっしゃるが、事が事実であればあなたの国にとっても……いや眞魔国にこそ、重大な問題ですよ」 「え……?」 大シマロンと小シマロンが揉めて、どうして眞魔国の問題になるの? 「いいですか、小シマロンが独自に鎖国中の聖砂国と誼を結ぶとなれば、無論大シマロンとしても放ってはおけない。とはいえ、聖砂国と小シマロンが手を結んだとき、最初にその矛先を向けるのは、大シマロンじゃない。眞魔国だ」 「ど……」 どうして、と聞こうとして声が掠れた。唾を飲み込んでいる間に、ある言葉が頭に浮かんだ。 「……魔族の国だから?」 「そうです。開戦のために口実が必要なのは、どこを相手にしたときも同じだ。だが眞魔国なら大した理由でなくても諸外国の反発も少ない。人間にとって、魔族は排除することに躊躇しない存在だからだ」 まるでためらいもなく言われた言葉に、唇を噛み締める。 排除するだなんて、簡単に考えられることが常識みたいな話が悔しい。 そうして、それをコンラッドが、当たり前のように語ったことが悲しい。 だって。 「……あ、あなたも、魔族なのに……」 小さく呟いた声は、馬を走らせている状態ではコンラッドの耳には届いていなかっただろう。 ああ、でも違う。 本当に大事なことは、魔族とか人間とかの問題じゃない。 種族で壁を作って分け隔ててしまう、そのことが問題なんだ。 だけど、今わたしが悲しいのは、コンラッドが魔族を遠い存在のように言ったこと。 「我々としては、小シマロンが『独自に』新たな外交を開こうとしていることが問題なんです。 聖砂国が鎖国を解くとしても、我々大シマロンとも国交を結ぶというのならば、小シマロンを止める必要はないということだ」 コンラッドは、眞魔国のことなんて気にしてもいないように、そう語った。 |
現れた場所は小シマロンの首都でした。 自分で頑張らなくちゃ!と思っていましたが、帰り道はあっさりと コンラッドが考えてくれました。 それと同時大変な話まで出てきましたが……。 |