最初はいつものスタツアと同じで、猛スピードで落ちていくような感覚だった。 相変わらず絶叫マシーンは嫌いなので、この瞬間は気持ち悪いんだけど、これを抜けたら有利に会える。 有利は大丈夫。帰りがいつもと違うだなんて、きっと眞王陛下の失敗に決まっている。 だって村田くんの予想では、わたしの中のさんの記憶がいつまでも曖昧なのは、眞王と彼女の失敗による可能性だってあるわけだし、今回も何か失敗を……。 まっすぐに落ちていた、そのはずが。 急に真横に引っ張られた感じがした。 「え……?って……ちょ……待っ……!」 まるで強力な磁石に引きつけられたもうひとつの磁石のような勢いで、イメージとしては直角に曲がって引き寄せられたところで、水の中に落ちた。 091.偽善の恋(1) ようやく地面に手がつくようになって、乗り物酔いをしたかのような吐き気を押さえながら起き上がったら、これまた噴水の中だった。 上から滝のように水が降ってきて人を直撃してくれる。心の準備をしていなかったせいもあって、再び水を飲むはめになる。 「うえっ、また水飲んじゃった……」 早く水の真下から逃げようと、はいはいみたいに両手をついて進もうとしたら、ジュースの缶を握っていたことを忘れていた。水中の地面で握った缶ジュースが回転して、その上に手を置いていたために噴水の中に転んでしまう。 水深が浅いから、水底に頭をぶつけた。 「げほっ!ま、また……なんで一人でトムとジェリーみたいな……」 情けない気分になりながら落ちかかってくる水の真下からようやく這い出したら、噴水前に人影があることに気がついた。 水を飲んで転んで頭を打ってで、涙が滲んで目が霞むし、よく見えないけど。 落水の下から出てくると、閑静ながらに人の声も聞こえてきて、しかも横を向けばちょっと距離があるけどお店なんかもある。血盟城じゃなくて、街中の噴水に出てしまったらしい。 「あっ!」 髪がそのまま出てると、慌てて隠そうにも着てる服は濡れて身体に貼り付いていて、簡単には脱げそうもない。 と、思っていたら激しい水音が聞こえた。 驚いて前を向くと、さっき噴水前に立っていた人が……。 そう思う間もなく頭から暖かい布をかぶせられる。 「わぷっ……!って……」 暖かいのは、この人が着ていた上着だからだ。 頭から隠すように被せられて、白い裾が噴水に浸かっている。 同時に、噴水に座り込んだわたしに合わせて、親切な人が水の中についた膝も見えた。 確かにこの髪を街中で見られると非常にまずいけど、こうも迅速な行動に出るということは、血盟城関係者に違いない。そうじゃなかったらまず大騒ぎ。 「ありが……」 「なぜ……」 お礼を言おうとしたら、降ってきた声に言葉を失った。 ……だって。 ……嘘、だ……。 今まで何度も、こちらにいるときはいつでも聞いていた。 だけど今はもう……。 この耳に心地良い、大好きな声は。 震える手で被せられた上着を握り締めて、信じられない思いでそろりと顔を上げる。 驚愕で見開かれた、茶色の瞳がわたしを見下ろしていた。 綺麗な銀の光彩が散ったそれに、馬鹿みたいに口を開けて呆然としているわたしの姿が映っている。 「コ……コン……ラッド……?」 どうしてコンラッドがここにいるんだろう。ひょっとして、眞魔国に帰ってきていた? やっぱり、大シマロンに行っていたのは『風の終わり』絡みで、だから……! 「コンラッド!」 抱きつこうと両手を伸ばしたのに、返ってきたのは抱擁じゃなくて、わたしを引き離す行動だった。 「どうしてあなたがこんなところに……いや、愚問か……。巫女が呼び寄せに失敗したのでしょうね」 深く息をつくその表情は、今までみたいにおかえりと言ってくれる笑顔でも、とんでもない場所に出てきたことに対する苦笑でもなくて……苦々しそうに眉をひそめる、本当に迷惑そうな様子しかなかった。 「とにかく、水から上がりましょう」 溜息をついたコンラッドに手を引かれて、思わず振り払ってしまう。 コンラッドがぎゅっと眉間にしわを寄せる。 その表情がグウェンダルさんに似ていて、それが余計に悲しかった。 「ひとりで、立てます」 そう啖呵を切ったのに、膝が震えて力が入らない。 驚いているせいなのか、悲しくて苦しいせいなのか、自分でもよく判らない。 だけど立たなくちゃ。 今のコンラッドの手は、借りたくない。 太腿を二度、三度と掌で叩いて、無理やり立ち上がった。 だけど、やっぱり膝は震える。 何度も崩れそうになる足に力を込めて、ようやく噴水から抜け出すと、頭から被せられた上着が大シマロンの軍服だったことにようやく気がついた。 ああ……なんだ……。 泣きたくなって、だけど泣いちゃだめだと缶ジュースを握っていた手の甲でぎゅっと目元を拭って堪えると、ようやくはたと気付く。 じゃあここは、ひょっとしなくてもまたもや大シマロンの首都、ランベール? あんなに苦労して帰ったのに、またここから帰らなくちゃいけないの!? しかも、今度は有利もヴォルフラムも村田くんもヨザックさんもいない。 たったひとりで。 おまけに髪も目も色はそのまま。 極めつけは、無一文。 どうすればいいの!? 「こちらへ」 蒼白になって立ち尽くしていると、コンラッドに手を引かれた。 反射でまたその手を振り払うと、深い溜息をつかれる。 「そんな姿でどうするおつもりです。こんな季節に噴水に入っていたと周りにも奇異の目で見られています。すぐにその髪と目をさらして、人間たちの手に掛かりたいんですか?こちらにおいでなさい」 「だ……だって……」 コンラッドの手は借りたくない。 他に誰も頼る人がない。 だからこそ、コンラッドには頼りたくない。 「……裏切り者が信用ならないと、どうやら学習されたようだ。大変結構。だが非常事態においては、事情を知る者を利用する強かさもお持ちになられるとよいでしょう」 「違う!」 わたしが強く否定して顔を上げると、コンラッドは驚いたように少しだけ身を引いた。 だけどすぐにむっつりと口を閉ざして、急に上を向いたせいで少しずれた上着を引き上げて髪ごとわたしの顔を完全に隠すと、振り払えないように強く腕を掴んでわたしを引きずって歩き出す。 違う。そうじゃない。 信用できないんじゃなくて。 ……縋りつきたく、なるから。 だからこそ、コンラッドには頼りたくないのに。 振り払えないほど、力を込めて握られた腕が痛い。 水に濡れて震えが止まらないほど凍えた身体に、掴まれたところだけが熱いくらい暖かい。 ずっと……ずっと、こうして掴んでいてくれたら。 こうして、あなたが行く先に連れて行ってくれるなら、どんなに幸せだろう。 それが叶わない。 でも、今はそれを嘆いて泣いてはいけないんだ。 早足で連れて行かれた先は、街の大通りにある宿屋だった。ランベールで与えられたコンラッドの邸とかじゃなくてほっとする。 コンラッドが大シマロンに根付いて生活していることなんて知りたくもない。 だけど……。 びしょ濡れなせいで宿の人に嫌な顔をされながらフロントを抜けて二階に連れて行かれる。 フロントで手続きをしなかったということは、コンラッドはここに泊まっているんだ。 どうして宿で生活しているんだろう。 ……ひょっとして、やっぱり大シマロンでの生活は一過性だから? だから家なんていらなくて……。 だけどコンラッドが鍵を開けて入った部屋は、いくら宿屋生活だったとしてもあまりにも荷物がなさ過ぎた。 いかにも今日部屋に入ったばかりというような、何ひとつ乱れていない様子にがっかりしていると、コンラッドは窓に寄ってカーテンを引いて、荷物の中から新しいシャツを取り出して、更に壁に掛けてあった外套もベッドに置いた。 「服を脱いで、このシャツに着替えて外套とブランケットにでもくるまっていてください。残念ながら風呂付きの上等な部屋ではないし、浴場に行くにはあなたの髪と瞳の色を他人に見られる可能性がある。風邪を引かないように、できるだけ暖かくしておいてください」 「え、あの……」 「質問は帰ってから受け付けます。先に早く濡れた服を脱いでください。あなたの着替えを用意してきます。急がないと、それこそあなたが裸になっているうちに帰ってくるかもしれませんよ?」 今は質問の一切を受け付けないと言ったとおり、コンラッドは早口で一気に言い終えると、そのまま部屋を出て行ってしまった。カチリと鍵が掛けられた音が聞こえる。 とはいえ、ここは普通の宿屋だから、部屋の内側から簡単に鍵が開く。閉じ込めたんじゃなくてただの防犯なんだろうけど。 「質問じゃなくてね……」 窓に近付いて、少しだけカーテンを開けて大通りを見下ろす。 すぐに宿から出てきたコンラッドは、こちらを振り仰いでわたしの姿を見つけると、言うことを聞けと言わんばかりに怖い顔で睨みつけてきた。 慌ててカーテンを引いて部屋の中に引っ込む。 「質問じゃなくて、外に出るにはコンラッドが薄着なんじゃないかと思ったんですけど……」 着ていた軍服はさっきわたしにかけて濡れていて、外套までわたしに置いていった。 コンラッドは普通のシャツ一枚で外に行ってしまったのだ。 「コンラッドが風邪を引いたら元も子もないと思うのはわたしだけ……?」 今頃言っても仕方がないので、言われた通りに服を脱いで……考えた。 下着はどうしよう? 脱ぎたくない。 脱ぎたくないけど下着もぐっしょりと濡れている。このままシャツを着たら、それも濡れるし体温も上がりにくい。 いつまでも濡れた下着姿でいると本当に風邪を引くので、えいやと下着も脱いでしまって、濡れた服にくるんで取りあえずは見えないようにする。 コンラッドのシャツに手を通すと、当たり前だけど大きすぎてぶかぶかだった。 冷えて上手く動かない指で釦をとめて、言われた通りにブランケットと外套を二重にしてくるまる。 床に立っているのも椅子に座るのも足が冷えるから、ベッドに上がって膝を抱えた。 「……変なの」 あんなに迷惑そうな顔をしたくせに、こうやって風邪を引かないようにと気を遣ってきたり、わけが判らない。 「何か、助けてくれた理由があるのかな?」 そんなことを考えなくてはいけないなんて、それが悲しい。 ああ、違う。 今わたしが考えなくちゃいけないのは、ここからどうやって眞魔国に帰るか、だ。 こうして部屋に連れてきてくらいだから、頼めばコンラッドはお金を貸すくらいはしてくれるかもしれない……けど。 「ああもう……それじゃさっそくコンラッドに頼ってる……」 それにしても、ここはどこなんだろう。 眞魔国内なら、大シマロンの制服を着たコンラッドがうろうろしていたはずはない。 大シマロンの首都ランベールなら、コンラッドが宿をとっているはずがない。大シマロン国内のどこか、ということなんだろうか。 「うう……できるだけ眞魔国に近い土地でありますように……」 それなら上手くすればどうにかひとりで帰れる……かもしれない。 ううん、かもしれないじゃなくて、帰らなくちゃどうしようもないんだ。 「早くしないと、もしかして有利までこんな状態になってないでしょうね……?」 地球時間でならすぐ帰ってきていたはずの有利がまだ帰ってきていないことを思い出す。 「は、早く有利を探さないと……」 そんなことを言っているわたし自身が行方不明者になっているわけなんですけどね……。 外套とブランケットの二重蓑虫のまま、がくりと落ち込んでベッドに転がると、中でコンラッドのシャツを握り締めた。 一緒に、帰りたいのだと。 そう思いそうになるたびに、ぎゅっと目を閉じてその考えを打ち消し続けた。 |
よりによって、ひとりきりでとんでもないところに出てしまったようですが…。 |