赤いドレスの裾をたくし上げて、太腿を撫でながら首筋に舌を這わせる。 耳元で小さな鎖の音がした。 俺がこんなことをするはずがないと思っていたは、嫌がる以前に何が起きているのか、まだ理解できていない。 「……意外だな、抵抗しないんですか?」 硬直したように動かないので、拒絶してもらうために間を置く。 首筋に音を立てて口付けをすると、顔を上げてを覗きこんだ。 漆黒の瞳を見開いて、ただ呆然と俺を見上げている。 抵抗がないので組み敷いた身体を押さえ込んでいた手を離して、その柔らかな頬を撫でた。 ……少し痩せている。ここまで一体何があって、どんな旅をしたんだろう。 「それとも期待していたというところでしょうか」 いつか君をこの手で抱きたいと思っていた。 だけどそれはこんな風にじゃない。 君の心と身体が俺を求めてくれた時、肌を重ねて、君の外も内も、俺に触れることができる全ての場所に触れて、暴いて、そして俺の全てをさらけ出して、繋がりたいと思っていた。 だけどそれは、もう叶わない。 EXTRA6.いつか見た夢、君の涙(4) の耳に、ランプの灯りを受けて鈍い光が反射している石があった。 さっき首筋にキスをした時に聞こえた鎖の音はこれか。 中に気泡が入った、の身分を考えると子供騙しのような安い石のアクセサリー。 俺がに強請られて、に贈った品。 俺の目の色とそっくりだとユーリから教えてもらって、初めてがこの石を選んだ理由を知ったんだ。 ずっとこれを握り締めて、俺の無事を願っていたのかと思うと、胸が詰まりそうになる。 こんなものに縋るほど、俺を心配してくれていたのか。 それを片方だけ強く引くと、指で摘み上げる。痛みがあったのかがようやく少しだけ表情を動かした。 「まだこんな安物を持っていたんですか?上等なドレスにこれは似合わない。捨ててしまい なさい」 軽く放り投げると、床に金属が跳ねる音が聞こえた。 「や……っ」 はイヤリングを取り戻そうと手を伸ばす。 その手を掴んで机に押し付けた。 「あなたなら、もっと上等な宝石などいくらでも手に入る。あんな安物にこだわる必要はない。あれが特別な物に見えるのは、あなたのただの錯覚だ」 あれは俺の存在をの中に示したものだから、もう君には必要ないはずだ。 ……いらないものだ。 紐を解いたドレスを下に押し下げて、肩を露にする。が大きく震えた。 「いやああぁーーっ!!」 火がついたように叫んで振り回した左手の爪が、小さな痛みを残して俺の頬を傷つける。 「いやっ!こんなのはいやぁっ!」 ようやく正気に戻ったのか、それとも俺がもう信用ならない男だと実感したのか。 その左手を掴んで机に押し付けながら、漆黒の瞳を覗き込む。 「あなたが言ったことでしょう、二番目でもいいと」 「でもこんなのは違う!だってこんなの……っ」 「そこに愛がないから?」 は声を無くしたように、口をただ開閉させて喘ぐ。 「同じですよ。二番目の愛なんて仮初だ。あなたはそんなものでも欲しいと言った。そんなに欲しいのならあげましょう。……身体だけの関係を」 「いやっ!」 「どうして。あなたが欲しいと言ったものだ」 「違う!わたしが欲しいのはこんなのじゃない!こんな……こんなの……っ」 「『いらない』?」 暴れる手足が止まった。 愕然としたの表情が、何よりも哀しかった。 言い訳だ。 君のためなんて言いながら、結局俺は、自分からを本当の意味で手放すことができない。 だから、君の手で俺を捨てて欲しいんだ。 「………ず……るい……」 俺が次々と挑発をして、長い沈黙の後が呟いたのはその一言だけだった。 後はただ、その大きな瞳から涙が後から後から溢れ出て、その痩せた白い頬を伝って落ちていく。 それは拒絶の言葉で、涙に胸を痛めながらも俺はようやく息をつくことが出来た。 これでもう、これ以上を力づくで脱がせなくていい。 拒絶してくれてよかったと思うのに、心の奥のどこかで残念がっている俺がいる。 馬鹿な。もしそれが妥協だとしても、抱いてしまえばの中で、それが最悪のものであろうと、俺の存在が残るというのに。 そうか……それでも俺は、君を抱きたかったんだ。 君が欲しかった。 ……君のすべてが欲しかった。 だからこそ、に拒絶してもらわなくてはならなかった。 そうすれば、俺は決して君を抱けないから。 は両手で顔を覆い嗚咽を漏らして、机の上で背中を丸めて小さくなって泣いている。 脱がせかけた衣裳を調えようと、肩に手を掛けると振り払われた。 自分で仕掛けておいて息苦しさに唇を噛み締める。 もう一度、驚かせないようにそっと触れると、今度は振り払われなかった。 ゆっくりと抱き起こして、服を着せていく。はただ大人しく座っていた。 いや、力尽きたように、か。 君が大切だと言いながら、俺が一番君を傷つけている。 「誕生日、プレゼント……」 がぼんやりと呟いて、まだ涙の残る目を上げて真っ直ぐに俺を見る。 気がつけば、俺はまだ真っ直ぐにが視線を向けてくれることに、ほっとしている。 だが、すぐにの言わんとしていることを思い出して眉間にしわが寄った。 へのプレゼント。それは約束だった。 「これからも……側にいるって……約束した……」 「………あなたが自分で付け足したでしょう。もし側にいることがなくなっても、嫌いにだけはなるな、と。ええ、嫌ってはいません。約束は守っています。嫌いな女性を抱けるほどできた人格は持ち合わせていません。……もっとも」 の両手を取って、掌を上に向けさせる。薄く右の掌に残っている傷痕を見つけた。 これがユーリが言っていた、アーダルベルトが治したという傷か。 こんな傷を負わせてしまった。 話の内容に合わせて傷痕に口付けをする。きっとは嫌味だと取るだろう。 「愛してもいない女性を抱けるのは、男ならだれでもそうでしょうね」 の手が微かに揺れた。傷痕にもう一度口付けたい衝動に駆られて、それは不自然が過ぎると目を閉じて耐える。 「コンラッド………いいえ、ウェラー卿」 ぎくりと肩が震えてしまった。に気付かれたかもしれない。 突き……放された。 ゆっくりと顔を上げると、は疲れたような表情で小さく呟いた。 「今まで、ありがとうございました。いつも……いつでも……最後まで、あなたに頼りきりで、ごめんなさい……」 少しずつ喉が馴染んだように声がはっきりとした音を紡ぎだす。 は涙を浮かべながら、それでも微笑んだ。 とても哀しく、綺麗に、笑ったんだ。 「遠くからでも、あなたの無事を祈っています」 それだけを言い切ると、は俺の手を振り払って机から飛び降りる。 「!」 思い通りに運んだのに、は俺を諦めたのに、なのにいよいよが俺から離れると思うと、恐怖で手が伸びた。 捕まえようとしたその手は、届かない。 は部屋の入り口で振り返り、そして震えた声で、綺麗な笑顔で、決別を告げる。 「どうか……お元気で……」 気がつけば足が動いていた。 去ったを捕まえようとしたわけじゃない。が誰かと合流するまで、一人にするのは危険だから後ろから見届けようと思っただけだ。 ……落ち着いてからならいくらでも言い訳できる。 部屋から出ると、すぐ先の階段を駆け下りる赤いドレスの裾が見えた。 追いかけて階段を駆け下り、踊り場を曲がったところですぐに引き返して隠れた。 危なかった。もう少しでユーリやヴォルフに見咎められるところだった。 ちょうどこの下に来ていたユーリたちと合流すると、はヴォルフに手を引かれて泣きながら歩いていく。 階段の上に隠れながらでは、すぐにその背中は見えなくなった。 万感の思いを込めた溜息をついて、肌寒さに震えた。 考えてみれば俺はシャツをアーダルベルトの手当てに使い、上着をに着せたから上は何も着ていない。こんな格好でを追いかけたら衛兵に止められるところだ。 まるで余裕のない自分に呆れながら、階段を昇って図書室に戻る。 壊れたドアは当然壊れたままで、倒れた書棚も、散乱した書籍もそのままだ。 何も変わっていない。 ただ、アーダルベルトが起き上がって書棚を背もたれに床に座っている以外は。 「目が覚めたのか」 「なんて格好だ、ウェラー卿……」 元は育ちのいいアーダルベルトは、上半身だけとはいえ裸でうろうろとする男が気に食わないらしい。 「色々あってね」 「例えばこれか?」 動かすだけも激痛が走るのだろう。アーダルベルトは俺が応急手当をした腕を顎で示した。 軽く肩を竦めて図書室へ入る。 「人を呼んできてやるから、そのままじっとしてろ。陛下の裁きを受けながら無茶をする」 ぐるりと散らかった床を見回すと、痛みで動けないはずのアーダルベルトが無事だったほうの手をゆっくりと上げた。 「探し物はこれか」 その武骨な指には不釣合いな、小さなアクセサリーを指先に摘んで持っている。 頭痛がしそうだ。一体いつからアーダルベルトは起きていたんだ。 座り込むその前まで歩み寄ると、無言で右手を突き出す。 するとアーダルベルトはのイヤリングを握って手の中に隠してしまう。 「アーダルベルト」 苛立って催促に手を揺らすが、激痛が走っているはずなのにアーダルベルトは青い目を眇めて笑う。 「ウェラー卿ともあろうものが、傍に倒れている男が起きているのか、気絶しているのかも気付かないとはな。よほど魔王の妹にご執心とみえる」 「……一体いつから起きていた」 「魔王がジュリアの生まれ変わりだという話をしていたときだ」 それでは、ほとんど最初からか。 本当にどうして気付かなかったのか、目眩がしそうだ。 「判らんな」 「何がだ」 いいからイヤリングを返せと右手をさらに突き出すが、アーダルベルトは軽く肩を竦めるだけで右の拳を下に降ろした。 「アーダルベルト!」 「重傷人の横でいちゃつきやがって、起きるに起きられやしねえ。そうかと思えば別れ話とはな」 「お前には関係のない話だ」 「なぜだ」 「……おかしなことに興味を持つ。お前には関係と言っているだろう」 「関係があるかどうかはオレが決めることだ。なぜあんな風に仕向けた」 「何のことだか……」 「これを取りに来ておいて、くだらねえ言い訳するんじゃねえよ」 アーダルベルトは軽く右手の拳を揺らした。 「……俺の事情などお前には関係ない」 「まあな……だがオレは、結構あの娘が気に入っていてね」 「お前が?」 魔族を憎み、魔族を捨てたアーダルベルトがなぜに好意を持つ。 おまけに魔王の妹だとも知っているのに。魔王自身は、ジュリアの魂を持つユーリだから手を出す気が失せたとしても、なぜまで。 「兄貴を守ろうと必死だったな。いい目でオレを睨みつけてきた……あの、闇色の目で」 口角を上げて笑うアーダルベルトに、負の感情が刺激される。他の男がに好意を寄せることが気に食わないのか。 「気の強い娘だ……」 「それは……傷を、治したという……?」 「あ?ああ……そりゃ別のときだな」 一体何回と遭遇しているんだ。 「人間の土地だったからな。目を見せないように、盲目のふりをしてやがった」 ギクリと俺が震えると、それを見逃さなかったのかアーダルベルトが肩を揺らして笑う。 「そうだな、普通なら、あれが演技だと知れば腹が立っただろう。よりによって目だ。目が見えない振りだぞ!」 腹が立っただろうと言いながら、声はひどく楽しそうだ。 「……怖いのは、魔族でも人間でもなく、戦を起こそうとする奴だと言っていた」 少しずつ笑みを消して、アーダルベルトはゆっくりと俯く。 「まったくだ。全ての元凶はそう言う連中だ……」 「アーダルベルト………」 魔族も人間も関係なく。 そんな垣根の憎しみがなくなればいいと、彼女もよく言っていた。 少しだけほっとする。アーダルベルトの好意は、にジュリアに似た一面を見たからというだけらしい。 がだからではないなら、好意を寄せても別にいい。 はそんな男にはなびかない。 「アーダルベルト、いい加減に……」 イヤリングを返せ、と言おうとして強く舌打ちをする。 アーダルベルトは、しっかりと拳を握り締めたまま気を失っていた。 |
ということで、彼女は捨てられたと思いましたが、コンラッド的には 彼女に引導を渡してもらったのでした。 |