カロリアの独立と不可侵だなんて素直にベラール二世が受け入れるとは思えない。
譲渡書類を整えはしたが、カロリアの正当な国主は小シマロンだ。
小シマロンは他の属領とは一線を画するものの宗主国である大シマロンの決定には逆らえない。それでも小シマロンとは調整の必要もある。
その間に譲渡書類が正当な後継者とともに消えてしまえば、統治者不在のカロリアを救うという口実で再び支配下における。
そういう考えに至ることくらいはすぐにわかった。
カロリアの仮葬儀風景を見ている限り、どうやらランベールに入ってきた護衛は、ヨザックとヴォルフ以外はサイズモアとダカスコスしか見えない。
王宮の外との連携の様子も見えないし、そうなると戦力になるとしたらヨザックとサイズモアとヴォルフラムの三人しかいない。
ダカスコスはギュンター付きで実戦をほとんど知らないし、見慣れない謎の少年は身体つきからして、戦うとしても魔術を得意とするタイプだろう。人間の国に深く入った土地では戦力にならない。
無事の出国を手助けするには傭兵でも雇うしかないが、果たして見つからずに上手くできるかと考えていると、風がまるで俺を促すように吹いて顔を上げた。
中庭を挟んだ対面の部屋で、ベラール四世がぼんやりと佇んでいる。
「なるほど、劣等感を煽るというのは有効か……」
大シマロン内部に入り込んで、王室の不和を知り、間近で実感できたのは本当に収穫だ。


EXTRA6.いつか見た夢、君の涙(5)


ベラール四世に伯父の企みが耳に入るように仕向けると、最初はむっと口を噤んだ。
「……ウェラー卿は、伯父上の味方じゃないの?」
「私は陛下の忠実な僕です」
こうして使ってみると、敬称というのはなかなか便利だ。その前に固有名詞を付けなければ、『陛下』が誰を指しているのか、それは俺の心の中だけでしか判らない。
「鍵として伯父上に優遇されているのに」
「むろん二世殿下には恩義がございますが、優先されるべきは陛下の御心です」
探るような視線に、緩やかに笑って礼を取った。
「ふうーん……」
ベラール四世は、まだ納得しきっていない様子で下から俺を窺うように見上げてくる。
「それじゃあ伯父上の邪魔をしなくちゃねえ?兵を集めてくれるかい?」
「正規兵を動かすと後々にことが発覚する恐れがあります。傭兵を雇うほうがよいでしょう」
「傭兵のほうが話を漏らさないかなあ?」
「報酬をたっぷりと与えれば問題ありません。それに、一戦限りの契約なら雇い主を明らかにする必要は、必ずしもありません」
「……なるほどぉ」
納得したかと思うと、ベラール四世は子供のような無邪気な言葉に、狡猾な笑みを乗せて手を叩いた。
「じゃあウェラー卿に一任するよぉ。朕も行くからねえ」
どうやら今回は俺を信用することにしたらしい。任を請け負ったことで、俺も一蓮托生だから問題ないと踏んだのだろう。
慌しく葬儀の準備をする城内から街に出ようとしたら、思わぬ人物に呼び止められる。
「おい、ウェラー卿」
「アーダルベルト。お前、もう出歩いているのか」
折れた手足を固定して、それでも医務室から出歩いているらしい。呆れた男だ。
「どこへ行く気だ?忌々しいが戦勝の英雄の葬儀だぜ?」
アーダルベルトはノーマン・ギルビットがユーリだと知っている。
葬儀の理由は判らなくても、茶番劇にはにやりと笑う。
「任務だ」
「人手が欲しいなら、心当たりがないでもない」
「お前が?」
大シマロンには来たばかりなのに。だが、人間の国を各地旅しているアーダルベルトならそういうこともあるだろう。
「しかも、カロリアの領主の妻を慕って追ってきた平原組出身の元兵士たちだ」
どうやらアーダルベルトは既にカロリアの優勝の望みも知っているらしい。カロリアの奥方を慕っている兵士。手配できるなら、もっとも欲しい人材だ。
「ただし、連中を紹介してやるのには条件がある」
「ほう、お前はてっきり彼を死なせたくないと思っていたんだが、条件付きか」
「お前だって人のこと言えるのかよ。あの娘の宝石がいつの間にかなくなっていたんだがなあ……おまけに右手の指の関節が妙に痛え」
「あれは元よりお前のものじゃない」
「お前のものでもないだろうが」
アーダルベルトは軽く胸を反らして、無事の右手で自分を指差した。
「オレも連れていけ」
「馬鹿なことを。その身体でどうする気だ。剣も持てないだろう」
「魔力も法力も持たないお前とは違って、オレは剣を持たなくともできることがある。邪魔になれば捨て置けばいいんだ。連れて行って損はねえ」
いつの間にか笑みを消し、真剣に俺を見る目に偽りは見えない。それに、アーダルベルトはユーリを守りたがっている。のことも悪く思っていない。
「……いいだろう。ただし、脱落しても本当に捨て置くからな」


アーダルベルトの紹介は本物で、カロリア領主夫人に危険が迫っているという話で兵士たちは色めきたって雇われることを望んだ。
いきなり集めた烏合の衆だ。せめて士気が高いというのは助かる。
怪我人のアーダルベルトと徒歩の傭兵たちは先行させ、ベラール四世は葬儀にも顔を出すために俺と二人でギリギリまで王宮で姿を見せてから、急いで馬を走らせた。
そうして途中で追いついたアーダルベルトたちと兵を展開しながら林を抜けて見えた光景に驚愕した。
……!」
三十騎ほどのいい思い出のない姿の騎馬に周囲を囲まれた馬車の前に降り立ち、が一人で対峙している。
が剣を持たない右手を横に払い、何をする気か気付いて蒼白になる。
「無茶だ……こんな土地で、昨日の今日で大きな魔術を使えば魂に傷が……!」
「見ろ、だからオレを連れてきてよかっただろうが」
すぐにでも馬を走らせようとした俺の横を光の矢が通り過ぎ、一直線に勢いを緩めることなく一騎の騎馬兵に突き立った。ああも直線に飛ぶのは弓ではない。アーダルベルトの法術か。
だが確認している暇はない。
「突撃っ!」
想像しない方角からの攻撃に、騎馬兵が浮き足立ったところで突撃の合図を掛ける。
雇った兵士たちは奇声を上げながら泥を跳ね上げて走り出す。
「ヴォルフラムたちは何をしている……」
舌打ちをしながら馬を走らせて、傭兵たちには何度も繰り返した注意を再び指示した。
「相手は騎馬だ!一対一でやり合うなよ!」
気が付けばベラール四世も一緒に突撃してきている。
しまった、ここで待っていてほしいと言うのを忘れていた。
「陛下!危険ですっ」
「朕は大丈夫だよぉ」
のことに集中したいから、守っている余裕がないというのに。
ベラール四世に死なれたり大怪我を負われると困ることになる。大シマロン王室には揉めていてほしいからだ。だから、そういう事態は避けなければならない。
剣を握れず遠くから狙撃兵として残ったアーダルベルトは、俺の思惑など関係ないだろう。
守りたい者を優先して守るはずなので、したくもないがそれに期待するしかない。
あいつのフォローに任せるつもりで、戦闘の合間からを見つけて驚いた。
「どうして正面から受けているんだ!」
の力では、まともに剣を合わせると不利になる一方だというのに。
それは俺との訓練で繰り返し告げたことで、自身も自分の剣戟はその俊敏さに特性があることは判っているはずだ。
だがすぐ後ろに、地面にしゃがんでいたユーリの姿を見つけて得心がいった。
ユーリを守っているのか。
横合いから伸びてきた剣を後ろに仰け反ってかわして剣を左手に持ち、より正確さを求めた右手で腰のナイフを抜いての剣を跳ね上げた男の背中に投げつける。
ナイフが男に刺さったことを確認してすぐに剣を持ち換えて再度の剣戟を跳ね返し、横にいた騎馬兵を斬り伏せた。
確認するとは次の兵士と斬り合いに入っていて、怪我をした様子はない。ユーリも棒を手に無事で、少しでもたちに近付こうと次の敵と斬り合ったところでようやくヨザックたちが到着した。
「遅いっ」
舌打ちが漏れて、苛立ちを敵にぶつけて馬の上から薙ぎ倒す。
落馬した相手を馬で蹴り上げそのまま先へ進む。
護衛対象と護衛が完全に分かれて行動するとは、あいつも随分勘が鈍ったんじゃないか?
ここが国内だとしても無用心極まりない行為で、まして大シマロンの国内でユーリやと離れて行動するなんて。
を戦わせたくなんてなかったけれど、こうなると剣の訓練をしていてよかったということになる。
敵を薙ぎ倒し、打ち払い、その数が半数以下まで減った頃、ようやく撤退していった。
ベラール四世の姿を見られていることを考えると、皆殺しにしておく必要がベラール四世にはあったが、俺にはこの一件がベラール二世に伝わることに何の問題もないので放っておく。
ベラール二世も暗殺部隊を動かし、その襲撃内容といい外部に漏らすことができるものではないが、裏で二世と四世の仲が拗れてくれると助かるというものだ。
俺自身は、『陛下の勅命』で動いたのでいくらでも言い訳がきく。二世と四世が険悪であるかぎり、四世をけしかけたのが俺だと知られることもない。
「……謀略は俺の得意分野じゃないんだけどな」
与えられた任務の人選ミスをぼやきながら、目の前のベラール四世に気を取られているユーリとに怪我がないか、ざっと見回した。
が僅かに返り血をつけているだけで、どうやら二人とも怪我はない。
ふと、剣を握るの手が震えていることに気が付いた。
判らなかっただけでどこか怪我をしたのかとも思ったが……違う。
は、人を斬ったことに怯えているんだ。
ヴァン・ダー・ヴィーアに向かうヒルドヤード船の中でも、は血に怯え、肉を絶つ感触を嘆き、あんなにも苦悩していた。
それでも剣を取ると決めたのはユーリを守るためで、今日まさにそのために剣を握った。
だがそれは剣を手にする決意の理由であって、それですぐに人を斬ることに慣れるわけではない。は軍人ではなく、そもそもはユーリと同じ平和主義だ。
ヨザックたちがついていれば……。
いや、違う。
俺が、の傍にいて守ることができたら。
さすがのユーリも今は目の前の他国の王に気を取られ、その上戦場の空気に気圧されていて、の小さな変化に気付いていない。
抱き締めて、もう大丈夫だと背中を撫でてあげられたら。
その手を取って、嫌な感触は忘れてしまえと掌を撫でることができたなら。
の苦悩を、少しでも和らげることができたなら……。
だがもう俺には、そんなことができない。その資格がない。
「陛下!」
ユーリたちと言葉を交わすベラール四世に引き上げのための声を掛ける。
「戻りましょう、陛下。あまり長く王宮を空けていると、二世殿下に怪しまれます」
「そうだねえ」
を見ると抱き締めたくなる。
だからその顔を見ないようにしたのに、後ろから呼び止められた。
「コ……ウェラー卿!」
もう名前では呼んでくれない。
それだけのことをしたのだと、突きつけられたようで胸が痛んだ。
はっきりと聞こえた呼び掛けを無視するわけにもいかず、僅かに肩越しに振り返る。
は握り締めた拳を胸に当て、寂しそうな視線を俺に向けていた。
「助けて下さって……ありがとうございます。あの、ナイフを……」
「半端な技量で前に出るのはおよしなさい。己のみならず守る者も危険に晒し、共倒れするだけですよ」
「んだよ、その言い草っ」
「有利っ」
俺の殊更冷たい突き放した言い方に、よりユーリが憤慨して一歩前に出た。
が慌てて袖を引いて止め、俺は不思議そうに見えるよう首を傾げる。
「おかしな方ですね。大切な妹に守られたいんですか、それともなるべく安全な行動を取ってほしいんですか?」
思った通りユーリが言葉に詰まり、俺は先行したベラール四世を追って馬の腹を蹴る。
「い……嫌味な奴っ!」
「今頃気付いたのか」
ユーリの怒鳴り声と、ヴォルフの溜息が最後に聞こえた。
あるいは、これでもう会うこともないかもしれない、別れだった。


初めて出会った頃、一度は俺のことを「ウェラー卿」と呼んだ。
あの時は、初対面だった。
二度目にそう呼んだのは、眞王廟に向かうとき。もう俺と正式な婚約を結び直した後のことで、甘えるようにふざけてそう呼んだだけだ。
「コンラッドのことを、ウェラー卿って呼ぶのはなんだか新鮮」
「そうだね、俺もにそう呼ばれるのは新鮮かも。でもやっぱり名前を呼んでもらうほうが好きだな」
「うん、わたしも。コンラッドって呼ぶ方が好き。やっぱり姓の方だとちょっと遠い感じがする」
そんなことを言って、戯れたことがもう遠い昔のようだ。
遠い……遠いところに来てしまった。
馬で駆けながら晴れとは程遠い鈍色の空を見上げる。
再び降り始めた雪に目の奥が熱くなったことは、きっと気のせいだろう。
それでも、俺は。
「俺は……には幸せになって欲しい。誰よりも幸福に。……陛下、これが俺の唯一の望みです」
答える声はなく、風に乗った雪は静かに荒野に舞い落ちるだけだった。







コンラッドの心情に関して、地マ編はここで終了です。
彼女はそれでも周囲に有利やヴォルフラムの支えがありますが、コンラッドは
文句を言われながら一人で耐えているしかない立場にあるという話でした。

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