雪を掻き分け掘り出されると思ったとおり、ヴォルフラムとヨザックと、そして見知らぬ金髪の少年が立っていた。
「……隊長」
「もうそう呼ばれることもないだろう」
ヨザックはまだ言い足りなさそうな顔をしたが、ヴォルフラムが一歩前へ出ると俺の腕からユーリを引き受けて後ろに下がった。
「コンラート……お前、何を……なぜっ……」
この寒さの中、怒りで紅潮した頬に妙な嬉しさを覚えて苦笑する。
「お前は今、カロリア代表だということを忘れるな」
横目で近くにいる審判を見ると、ヴォルフラムは歯軋りをしそうなほど強く口を閉じて、俺を睨みつける。
ヴォルフにを預けようと雪の山から抜け出してその軽い身体を抱き上げると、俺とヴォルフの間に金髪の少年が割って入ってくる。
「フォンビーレフェルト卿は腰を痛めているから、は僕が預かるよ」
と。
親しげに呼んだ少年に僅かに眉が上がってしまう。何者だと青い目を覗き込むが、作り物めいたその奥は、何も読み取ることができない。
「……君の細腕で彼女を落とされたら大変なんだが」
「だけど、あなたがそのまま抱き上げているわけにはいかないだろう?大シマロン代表のウェラー卿」
少年は、両手を出してもう一度催促する。
「さあウェラー卿、僕にを……『返してくれ』。彼女はこちらの者だ」
そんなつもりはなかった。
だが俺がつい睨みつけてしまっても、少年は小揺るぎもせずに両手を突き出していた。



EXTRA6.いつか見た夢、君の涙(2)



をヴォルフたちに預けて、もう一度会うことになるだろうと思っていた謁見の間に、の姿がなくて動揺した。
ヨザックもヴォルフも、あの不遜な感じのする少年もここにいる。では誰がの身柄を保護しているんだ。
もう目が覚めたのか、そうでないのかも判らない。
まさか大シマロンの救護室に預けているわけじゃないだろうかと気にはなったが、ユーリが優勝の望みに『風の終わり』を告げそうになったので邪魔をする。ユーリなら、これで判ってくれるはずだと昔の話をしながら。
だが、だからといって代わりにカロリアの独立と不可侵を求めるなんて大胆な行動に出るとは思わなかった。
いつだってそうだ。
俺の想像なんて、ユーリの器には敵わない。
いっそ爽快な願いに、だが叶えると言わないわけにはいかないベラール二世を見るのは久々に少しだけ心の晴れた瞬間だった。
問題はだ。
ユーリは滞りなく謁見を終え、今頃は祝賀会の準備をしているだろう。
この後、とんでもない願いを叶えたカロリア一行が危険に晒されることは明白で、その対処も考えなくてはならない。だが、今はの無事を確認しなくては。
そう思って探し回ったのに、その足取りが掴めなかった。
の身に不安があるなら、ユーリがゆっくりと全員で祝賀会に出るということは、ありえない。だからどこか安全が保証されたところにいるはずだ。
判っているのに、この目で安全な場所にいることを確認したい。
時間の許す限り建物を探し回り、の姿を見つけることが出来ないまま懇親会に出る準備をする時間になる。
ユーリとゆっくり話せる機会があるとすれば、このときを置いて他はないだろう。
はきっとどこかユーリの手で安全な場所にいる。きっとそうに違いない。
このまま探し続けても残るは迎賓棟くらいのもので、そこには自由に行き来できない。
ユーリに無事を一言聞ければそれでいいはずだと己に言い聞かせて、慌てて与えられた部屋へ着替えに戻り、一通りの身支度を整えると懇親会の会場へ赴く。
華やかな席に参加する意思はないので、さっさと壁際に寄るとメインの入り口が見える所に陣取った。
主役であるカロリア一行は、確実にあそこから出入りするだろうと思ったからだ。
ユーリを待ちながら、だがのことも気になる。
だからユーリの姿が見えたときは、つい駆け寄りそうなってしまった。
ユーリがすぐにヴォルフに声を掛けなければ、本当に詰め寄っていたかもしれない。
俺から声を掛けられる身分ではないと言い聞かせ、どう気付いてもらうかを考えていると、横にいた男が突然、感歎の声を上げた。
「ほう……素晴らしい!」
人の考えの邪魔をするなと男を横目で不機嫌に眺めると、会場の一角にその視線が釘付けになっている。
それを追ったのは何気ないことだったが、思わず声が漏れた。
!……に、母上」
一気に力が抜ける思いだった。ユーリが落ち着いているはずだ。
は、俺が踏み込めない迎賓棟で母上と一緒にいたのか……。
の無事が確認できてほっと息をつくと、今度は隣の男の視線が気になる。
果たしてこの男は母上を見ているのか、連れの女性を見ているのか、それともを見ているのか。
ユーリにはヴォルフとヨザックが付いているので心配はない。ときどき横目でユーリの様子を窺いながら、傍にいるのが母上だけという、より心配なを主に見ていたのだが、隣の男が動いた。
腕を組んで壁に寄りかかり、男の行動を眺めていると連れの女性がはぐれたたちのほうへ迷わず歩いていく。彼女が目当てではなかったようだ。
目を細め、それでも母上がいるなら上手くかわしてくれるだろうと……楽観していたのだ。
男の目当てが母上で、母上が一人をこんなパーティー会場に残して踊りに出るとは思いも寄らなかった。
「……母上……」
まさかの行動だ。俺はまだ自分の母親すら把握できていなかったらしい。
心配した通り、母上が離れて数分も立たないうちにの傍に若い男が擦り寄って行く。
ではさばききれない。
現にアルコール度の高い酒を押し付けられて受け取っている。
「……性質が悪そうだな」
踊りの前に、アルコール度の高い酒を女性に勧める辺りが狡猾だ。
には声を掛けないで、遠くからその無事を見ることが出来ればそれで充分だと思っていたのに……。
彼女の言葉に、声に、涙に、そのすべてに決して心を揺るがさないように一度深く息を吸い込んで、一歩踏み出した。


「ごめんなさい、ダンスは苦手で。誰も誘うつもりはないんです」
の態のいい断り文句は、耳障りはいいが理由が弱い。
「おや、苦手と仰るのでしたら私と練習されてみてはいかがです」
当たり前のように男はそこにつけ込む。
「さあ、ちょうど踊りやすい曲ですよ」
溜息が漏れた。
男の手が、例え手袋をしているとはいえ、の手を握るだけでも不愉快だ。
男の手を横から押さえ込んだ。
「失礼、彼女は俺のパートナーです」
そちらを見なくても、がはっと息を飲んだのが判る。
突然の闖入者に男が俺を睨みつけてくるのは当然で、俺はそれに笑顔で応える。
……ヨザックとグウェンにその顔はやめろと何度も言われた笑顔だ。
睨むよりもずっと平和的な解決方法だと自負していたのだが、男は青褪めると文句の一つも言わずに踵を返した。平和的解決だ。
を見ると、俯いて震えていた。
ヒルドヤード行きのときのような、赤いドレス。茶色の髪はシマロンでは溶け込めるから、最良の選択だ。
この姿に近い格好の彼女に、事故とはいえ最初に求婚されたんだった。
好きだと、そう自覚したんだ。
上等なドレスに反して、質素なイヤリングが耳を飾っている。
それを見たとき、俺は自分が泣きたいのか笑いたいのかすら判らなくなった。
手を伸ばして、その頬に触れて、髪に口付けたい衝動を堪える。
「お一人でこのような場に、あなたのように可愛らしい方がいるのは無用心だ。ヨザックやヴォルフラムはどうしたんですか」
これが今の俺との距離だ。
自分自身に言い聞かせて、他人行儀に話す。
今はを傷つけるかもしれない。
だけど、彼女が俺を少しでも早く忘れるように。
こんな酷い男だったのかと、愛想を尽かして断ち切ってしまえるように。
「ど……どうして……」
「声をかけたのはお邪魔でしたか」
「そうじゃない!」
そう、邪魔だったはずがない。は男が苦手だ。
……そう言う意味にしなくてはいけない。
振り仰いだの瞳は、驚いたことに硝子片をはめていなくて、闇のように深い黒のままだった。
こんな場に、そんな無用心な格好で出てくるなんて。
浮かんだ涙を拭ってあげたくて、だがそれすら俺には許されない。
笑顔でに手を差し出す。
「そんな大声を上げるから、注目されてしまいました。移動しましょう」
以前なら、何のためらいもなく手を重ねてくれただろう。
腕を組んで、甘えるように身体を寄せて。
だが今のは、俺の手を取るどころか唇を噛み締めて俯いてしまう。
「……どうして……?」
それが何に対した疑問でも、すべてに答えることのできない俺は、無言での手からさっきの男に渡されていた飲み物を奪い取った。
隣のテーブルからノンアルコールの飲み物を取って、一口飲んで先に確かめてから小さな手に押し付ける。
「あちらはアルコール度が高いので、こちらにしておいた方が無難です。男に勧められた飲み物は、下心を疑うべきですよ」
「どうして……こんなところにいるの?」
「どうして、と仰られても。俺はこの国の軍人ですから」
「そんな意味じゃない!」
判っていて違う答えを……俺が判っていてずれた答えを返したことすら、も気付いているだろう。
周囲の好奇の視線からを隠すよう身体の位置を変えながら、もう一度手を差し出す。
はいつも、自分の容姿に自覚が足りない。
他の男が、君のことを目に映すだけでも俺は不愉快なのに。……不愉快、だったのに。
「……移動しましょう。あなたが俺を拒絶しているので、他の男があなたを誘おうとこちらを見ている。またあのときのように何人にも囲まれて困りたいんですか?」
「そんな話し方しないで。わたし、有利じゃない。わたしは……っ」
「魔王陛下の妹君。王妹殿下……」
周囲に聞こえないようにそっと耳元に口を寄せて囁く。
それがどんなに残酷な響きなのか、自覚はあったけれどそうすることしか思いつかない。
は興奮のまま、段々声が大きくなってきている。押さえてもらわなくては。
が震えながら顔を上げた。
少しでも落ち着いて話せるように、会場の端にの手を取って移動する。
移動に適した場所を探しながら、ユーリが女性と踊っている姿を目に止めた。
とにかく、ユーリはどうにか上手くやっている。問題はだ。
……いや。正しくは、それでもまだを諦めきれない、俺か。
「本来は、俺から声を掛けられるような身分ではありませんよ、妃殿下」
「違う。だってわたしたち婚約してるもの」
「いいえ、それはもう解消されました」
これだけ傷つけているのに、まだ迷いなく、婚約していると言ってくれるその心が嬉しい。
「俺が国を裏切った時点で解消されました。俺のことは忘れてくださいとあの場で申し上げたでしょう」
「嘘。そんなの知らない」
「……ああ、あのときは意識が朦朧としていたんですね。では改めて……」
「忘れるくらいなら憎めって言ってた」
思わず足を止めてしまった。
しまった。聞かれていたのか……あのときまだ、には意識が……。
「憎んで欲しいって言ってた。愛してるって、そう言ってた!」
どうして足を止めた?
何のことか判らないと、あなたの幻聴だと歩きながら否定すればよかったものを。
「聞き違いでしょう」
苦しい言い訳だ。だがそう主張するしかない。が口付けの記憶をも持っていても、俺はそれを幻覚だと言い切るだけだ。他に方法がない。
「言ってたよ……愛してるって、聞こえたもん……コンラッドがいないと幸せになんてなれないよ……。好きなの……好きなの、コンラッド…一緒に帰ろう。お願い、一緒に帰ろう」
涙を浮かべて、俺の腕を掴むの姿に胸が軋みを上げる。
今すぐ抱き締めて、宥めるように背中を撫でて、キスを贈りたい。
一緒にいたいと、愛していると告げることが出来れば。
「……俺は……国を捨てました」
頑なに拒否する俺に、もまた諦める様子も見せずに縋り付いて来る。
強い……愛しい
「じゃあせめて理由を聞かせて。納得できるかどうかはわからない。でも理由を教えて。もしどうしても、理由も言えないのなら、一言、こう言って」
俺の両腕を掴んで、踵を上げて少しでも近くで俺の目を覗き込もうとする。
黒い……黒い瞳が、涙を浮かべたその瞳が、俺を魅了する。
「『俺を待っていて』」
「…………………っ」
息が詰まった。
すぐに言うべき否定の言葉が出なくて、ただ目を見開いてを見つめる。
「お願い、その一言でいいの。ずっと待ってる。コンラッドが帰ってくるのを待ってる。あなたが傍に帰ってくるのを、ずっと待ってる!」
の黒い瞳を、俺だけを映すまっすぐに向けられた瞳を、見ていることができない。
その瞳を見ながら、それでも振り切ることなんて……俺にはできない。
待っていてくれと言えたら。
必ず君の元へ戻ると、そう言えたなら、俺はきっとそう言ったのに。
可愛い、愛しい……そして、誰よりも残酷なくらいに眩しい俺の
「俺は、国を捨てたんです。二度と戻らない」
「………っ……それでも……わたし、あなたを……」
潤む瞳も、わななく声も、俺に縋りつく震える手も、そのすべてが俺を縛り付ける。
どうして俺に、自分の意思で君を振り払うことができるだろう。
こんなにも手放してくれと訴えているのに、君はまだ俺を掴んで離さない。
の強い視線から逃れるように顔を背けて、一人で会場を出て行くユーリに驚いた。
後から続くはずのヴォルフもヨザックもいない。
舌打ちをしそうになって、だが心の隅でこれを好機だと捉えたことも事実だった。
から逃げる自分に対する口実になる。
だがを一人にもできない。
ヨザックとヴォルフは一体何をしているんだと会場を見渡して、一人で壁際に避けているヴォルフラムを見つけた。ユーリを一人にするなんて、あいつは何をやっているんだ。
すぐにの肩を掴んで方向転換させると、ヴォルフのほうを指差す。
「あそこにヴォルフがいます。見えますね?あちらに行ってください。絶対にひとりにならないで。いいですね?」
「待って、まだ話は終わってないよっ」
の手が伸びてきて、咄嗟にそれを振り払ってしまった。
見てはいけなかったのに、つい一瞬振り返って、蒼白になったを見てしまう。
「終わりました。もう、終わったんです」
違うんだ。
俺はまだ君を愛してる。
君だけを愛してる。
もう二度と口にしないと決めた言葉を口走りそうになって、足早に背中を向ける。
「行かないで」
震える声がそれでも縋るように俺を追ってきて、振り返ることを耐えるために拳を握り締めなくてはいけなかった。
俺はユーリを口実に、初めて君から逃げた。







猊下……ツェリ様……よってたかっていじめられている次男……(^^;)

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