国内の港から血盟城までの道のりで、箱を輸送してた馬車の車輪が壊れたり、どこかの

商家の荷馬車が崩れて道に色んなものが散乱していたりと、予定が大幅に狂って王都

についた頃はもう日が暮れかけていた。

話し合った結果、夜の山道を行くよりは一晩血盟城に保管した方が安全だろうということ

になって、箱を持って眞王廟を訪ねるのは明日に延期して城に戻った。

……戻ったら、ギュンターさんが大崩壊していた。






088.忘れられない思い出(2)






「猊下が!ああっ、猊下がっっ!!」

激しく髪を振り乱しながら絨毯の上を転げ回っていて、誰もが部屋に入ることに躊躇した。

そう言えば、ギュンターさんは大賢者猊下の大ファンだった。村田くんが来ていると思って

喜んでいるのかと、気まずくヴォルフラムと目を合わせたけど、そうではなくて嘆いていた

のだ。

「私にお目通りをお許しになることなく再び異界へと渡られてしまっただなんてーっ!!」

「知ってたんだ」

「暗号文でですが、城には使いを飛ばしてますからね」

ヨザックさんは肩を竦めてあまりギュンターさんを見ないようにしていた。

ギュンターさんは入り口で立ち尽くすわたしと目が合った途端、海老のように腹筋だけで

跳ね起きて、前にいたヴォルフラムを跳ね飛ばしてわたしの両手を握り締めてくる。

「でんがー!わだじはげいがにぎらわれでいるのでじょうがーっ!?」

「えええ!?ええっと、そ、そんなことないと思います……」

だって嫌われるもなにも、まだ会ってもいないのにどうやって。

「でずが、べいがもおがえりになっでおじまいにーっ」

「ゆ、有利も城に帰ってきたかったと思います。ギュンターさんの無事を聞くまで心配して

いましたから……ええっと、今のそのお元気な姿を見たかったと……」

「ああーっ!!なんどおやざじいおごとばっ!ごのぼんぐらいずど・ぎゅんだー、でんがの

おやざじざがみにじみて……」

「ち、近い、近いですギュンターさんっ」

両手を握って詰め寄られて、仰け反ったわたしを後ろから引き離して背後に庇ってくれた

のは、グウェンダルさんだった。

「いい加減にしろ、聞き苦しい!それよりギュンター、私が不在の間、政務はこなしていた

のだろうな!?」

一瞬、ムッと表情を不愉快そうにしかめたギュンターさんは、すぐに鼻を噛んで涙を拭いて、

片手を胸に当てて天井を仰ぐ。

「もちろんですとも!完璧に用意を整えておりました!」

「……用意?」

グウェンダルさんの後ろから、その腕に掴まるように顔だけ覗かせると、ギュンターさんは

すぐにこちらに向き直って祈りのポーズのように両手を握り締める。

「はい!猊下のご帰還の暁には、七夜連続祝いの宴・食い倒れ飲み倒れ脱いだらすごい

んです今夜は無礼講を催す準備は万全でした!……万全でしたのに……」

「その宴は予算を超える上に、女性貴族に受けが悪いと言っただろうが!勝手に計画を

進めるな!い、いや、それより貴様、他の政務は……」

「宴の準備で大忙しでしたので」

「この……っ」

グウェンダルさんの眉間にものすごい青筋が浮かんで、わたしはヴォルフラムとヨザック

さんと一緒にその場から逃げ出した。執務室の扉を閉めた途端、凄い音量の怒鳴り声が

聞こえたけれど、その後フォンクライスト卿がどのくらい絞られたかは知りません。





「相変わらずだな……ギュンターは」

「あははは……」

ヴォルフラムのしみじみとした感想に、乾いた笑いを漏らしていると横からヨザックさんが

覗き込んでくる。

「姫、なんだか元気がありませんね」

「血盟城に帰ってきたら、ほっとしちゃって。それに今のでどっと疲れが倍増したというか」

「ああ……まあな……」

ヴォルフラムは深ーい溜息をついた。

「ギュンターさんの言っていた七夜連続の宴って、そんなに凄いの?」

「あれはが出るものじゃない。無礼講だからな。がそんなものに出てみろ、

普段は近寄れもしないような奴らがこぞって押し寄せるぞ。そんなことになりでもしたら、

ユーリや―――」

苦笑していたヴォルフラムは、急に咳払いしてわたしの頭を撫でた。

「ユーリやぼくが怒り狂って大変だ」

気を、遣わせちゃってるなあ……。

!ヴォルフラム!」

廊下の向こうから小さな女の子のが聞こえて、わたしもヴォルフラムも一斉に振り返る。

「グレタ!」

転びそうになりながら駆け寄ってくるグレタに、腰を落として両手を広げると、小さな身体が

飛び込んできた。

!おかえりなさいっ!おかえりなさい、おかえりなさいっ!」

「……ただいま、グレタ」

どれだけの意味が篭っているのか。

とても重く暖かいおかえりなさいに、グレタの小さな身体をぎゅっと抱き締める。

グレタも強くわたしを抱き返してくれる。

涙を堪えていると、上から咳払いが聞こえた。

「……ただいま、グレタ」

「おかえりなさい、ヴォルフラム!」

わたしが手を離すとぎゅっとヴォルフラムに抱きついたグレタに、ヨザックさんが屈み込んで

自分を指差す。

「姫さん、オレはオレは?」

「おかえりさないヨザック!」

と、グレタが抱きつこうとしたらヴォルフラムが後ろからグレタを抱え込んでしまった。

「淑女は父親や女性以外には、そうそう抱きつかないんだぞ、グレタ」

「アニシナはグウェンを後ろからぎゅーっとするよ?」

「……あれは捕獲だから」

ああ、ヴォルフラム。愛娘のためとはいえ、尊敬するお兄さんが実験台だととうとう認めて

しまった。せめて幼馴染みなりの友愛の証とかなんとか誤魔化せばいいのに。

右手をわたしが、左手をヴォルフラムが繋いで、真ん中にグレタ、後ろからヨザックさんが

ついてきて、一緒に廊下を歩く。

「ユーリにもおかえりなさいって言いたかったのになー」

「ユーリもグレタのおかえりなさいが欲しかっただろうな」

「あ、じゃあわたし、後で有利に自慢してくる」

「それはいい。ユーリの奴、きっと地団駄を踏んで悔しがるぞ」

ヴォルフラムが笑って、わたしが笑って、そうしたらグレタも笑った。

それぞれみんな、少しだけ寂しさを隠した笑みを交し合って、最初に着いたのはわたしの

部屋だった。

「今日グレタ、と一緒に寝る!ねえ、いいでしょ?グレタ一人でお留守番してたん

だよ。いいでしょ?ご褒美ご褒美」

「一人って、アニシナがいただろう」

「わたくしはいましたが、家族と教師は違うものですよ」

突然聞こえてきた声に、部屋のドアを開けるとアニシナさんがリビングで待っていた。

「ご無事でのお帰り、ようございました、殿下」

「あ、はい。ありがとうございます、アニシナさん」

「どうしてお前がの部屋にいるんだ」

ソファーでくつろいで紅茶を飲んでいるアニシナさんに、ヴォルフラムが眉をひそめた。

後ろでヨザックさんはなぜか喜んでいる。

「長旅の末のご帰還です。さぞお疲れだろうと思い、殿下の安眠を保証するための道具

を持って参りました」

「安眠のための道具というと……」

「もちろん!魔動抱き枕・あーなーたーのー胸で眠りたいー!です。さあ、殿下はどれを

お試しになりますか?暑苦しい正義感でいつでも大爆睡の眠り隊・赤と、冷たい二枚目

で静かな安眠を誘う眠り隊・青、植物の香りで熟睡を約束する眠り隊・緑、寝言はいつも

『もう食べられナーイ』の眠り隊・黄色、桃色の夢を見られる大人の枕、眠り隊・桃。極め

つけは過去の楽しい思い出が甦る眠り隊・白銀もございます」

この長セリフを息継ぎなしで言い切った。マッドマジカリストは肺活量もすごい。

ソファーに並べてあった色とりどりの枕を選ぶ時、一瞬だけ躊躇した。結局取り上げたの

は、一番無難な説明だった緑。

「ヴォルフラム、あなたは何にしますか?」

「ぼ、ぼくはいらない」

「何を言うのですか!自分で選べないというのなら、あなたには黄色を……」

「あ、青だ!ユーリの好きな色だからな」

「では青を。そちらのグリエ・ヨザック!あなたも試しなさい」

「ご指名ですかー?」

ヴォルフラムと対照的に、ヨザックさんはものすごく嬉しそうだった。





ヴォルフラムたちが帰ると、グレタと一緒にお風呂に入って、一緒にベッドに入った。

ずっと心配していたグレタも精神的にとても疲れていたようで、ベッドに入ると雪ギュンター

と真ギュンター話をしている途中で眠ってしまった。ところで雪と真って……ギュンターさん

には一体何があったのか。

グレタが眠ってしまうと、乾かしたばかりのその髪を一度撫でてからベッドを抜け出した。

上着を羽織って、グレタを起こさないようにそっと部屋を出る。

どこかに目的があったわけじゃなくて、ただ部屋にいるのが息苦しかった。

グレタとお風呂に入ったなんて、ヒルドヤードの時以来だ。

―――あの時はコンラッドも一緒にいた。

ギュンターさんが暴走した時、グウェンダルさんが間に入ってくれてよかった。

―――今までは、コンラッドが助けてくれたのに。

門をくぐったときから……ううん違う。血盟城が見えたときから、どこを向いてもコンラッドと

の思い出ばかりが溢れ出してくる。

勝手に涙が溢れそうになって、すごく困った。

だってみんな、わたしを心配して、見ないようにしながら注目してたから。

目的がないと通い慣れた道を歩いてしまって、気がつけばコンラッドの部屋の前だった。

ためらいながら手を掛けると、鍵も掛かっていなくてあっさりと開いた。

部屋の中は、暖炉の火も入っていなくて寒々としていたけど、特に変わった様子はない。

カロリアでのグウェンダルさんの振る舞いに、ひょっとしてここが片付けられていたらどう

しようと緊張していたからほっとする。

簡素なベッドとテーブルと棚があるだけの部屋。

主のいない寒い部屋に踏み込むことができなくて、すぐに扉を閉めて歩き出す。

また目的もないままに彷徨っていたら、今度は裏庭に出た。

最初にここに出た時は、道に迷っていたんだった。

コンラッドは林と言っていたけど、やっぱりわたしには森の入り口のようにしか見えない。

あの時は夜の森って怖いと怯えていたのに、今はなにも感じない。

だってここは、血盟城の中だもの。

わたしの、もう一つの帰るところだもの。

「……もう、誰も迎えにきてくれないんだー……」

コンラッドに好きと言ったのもここだった。

好きだと気付いた途端、恥ずかしくなって挙動不審になりながら、コンラッドをここまで

連れてきて、初めてわたしから好きと言ったんだ。

最初に婚約を解消したいなんて切り出したから、コンラッドが勘違いして告白前に変な

騒ぎになっちゃって……。

「コンラッド……」

声が震えて、涙が溢れる。

滲んだ視界に、あの人はいない。

耐え切れずに俯いて、両手で顔を覆う。

「わたし、あなたが……好き……です」

嬉しそうに微笑んで、優しいキスをくれるあなたは、もういない。

忘れろと言われたのに。

「でも、どうしても、好きなの……ごめんね、好きなの……」





涙を拭いて、最後に向かったのはコンラッドの左腕が安置してある部屋だった。

一度盗まれたものだから、ここには当然ながら見張りがついている。

「これは……殿下」

部屋の前に立っていた二人の兵士が敬礼をして扉に手を掛ける。

「グウェンダル閣下は、もういらっしゃっておりますが」

「グウェンダルさん?」

どうやら同時に来てしまったらしい。呼び出しだと思っているのか、扉を開けようとしたから

慌てて手を振った。

「い、いいです。ちょっと寄っただけなんで……」

か?入れ」

もう扉を開けかけていたらしく、グウェンダルさんの声が思いの他はっきり聞こえた。

ここで逃げ出すのもわざとらしい。

弟想いのグウェンダルさんだって複雑な気持ちがあるんだろうに、その追想の邪魔をする

つもりはなかったのに……。

そっと部屋に入ると、後ろで扉を閉められてしまった。

グウェンダルさんは机の上に安置された筒をじっと見つめている。

「す、すみません。すぐに出て行きますので……」

「いや、私の方こそ出よう」

「いえいえそんな……」

断ろうとしたら、振り返ったグウェンダルさんの眼光にぴたりと口を閉ざしてしまった。

「……お前の話は、今しばらくギュンターにも告げないでおこうと思う。お前がその判断を

善しとするのならばの話だが」

「え……?」

わたしの話というと……ヨザックさんが報告した?

「任せていた仕事をこなしているのならばまだしも、あの様で王佐だと……?双黒という

付け加えがあるとはいえ、ユーリの……陛下のことがなければまともな男だったのだが

……そこに猊下のご帰還だ。その上でお前までが古の大戦に関わっていた魂を持って

いるとなると、どのような行動にでるか、もはや予測も出来ん」

「はは……は……た、確かに……」

わたしが反対する理由はない。むしろこちらからお願いしたいくらいだ。だって箱の製作

者だなんて言われても、記憶もないのに期待だけされても困る。

「……つらいだろう。お前には、詫びる言葉すら見つからない」

「わたしは……」

つらいのは、みんな同じだ。

誰にとっても、コンラッドは大切な……掛け替えのない人だった。

ここにあるのは、腕だけ。

行方不明になったときに、ただ一つだけ残っていたもの。

「あのね、グウェンダルさん。わたし、寂しいし、やっぱりつらいです」

閉められた扉にもたれて、苦笑しながら薄暗い部屋で困惑の表情のグウェンダルさんを

見上げる。

「でも……まだ好きだから……」

「……

「好きだから、生きていてくれて嬉しい。側にいないけど……確かに生きてる」

グウェンダルさんから左腕の入った筒に視線を落とすと、グウェンダルさんも同じように

筒を見たようだった。

「そうだな……」

静かな吐息が聞こえる。

「コンラートは、違う場所で、だが確かに生きている……」

その声は、少しだけ穏やかになっていて、わたしもほんの少し気持ちが楽になった。





部屋に帰るとグレタはぐっすりと眠っていた。魔動枕の効果なのか、単に疲れているせい

なのかはわからないけど。

ベッドに潜り込むと、グレタが眠っていたお陰でとても暖かい。

「……?」

「ごめんね、起こしちゃった?」

「ううん……大丈夫……」

目を擦りながら、外を歩いて冷たくなっているはずのわたしにぎゅっと抱きついてくる。

「大丈夫だよ、。大丈夫」

そのまま静かな寝息に変わって、わたしはその小さく暖かい身体をぎゅっと抱き締める。

この大丈夫は、単に冷たくても大丈夫だという意味なのか、それとも。

「……ありがとう……」

グレタが部屋に泊まってくれてよかった。

大丈夫。みんながいるから、わたしは大丈夫。暖かく抱き締めてくれる手があるから、

大丈夫。

生きている証の温もりに、零れた涙は悲しいものではなかった。







待っていたのは暖かい出迎えでした(一部過剰なものが混じっていますが)

ちなみに魔動枕、原作番外編ではコンラッドも持って行ってたのですが、ザビの全サドラマCD
(についていた地声魔語)では魔力がないと使えないとか……どっちですか先生、ということで
ここでは魔力がなくても使えることに。(番外編に備えた都合とも)



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