預けていた物を取りにギルビット邸へ行くと、当然だけどフリンは有利の姿を探した。 「あの……」 フリンはわたし、ヴォルフラム、グウェンダルさん、ヨザックさん、ダカスコスさんというこちら のメンバーを見渡し、結局最終的にわたしに声を掛けた。 「大佐は?」 「有利は……えー、まあ……」 最後の挨拶に有利が来ないというのは、今までの有利の行動からしておかしい。 それなりの理由を捻り出そうと、わたしも眞魔国のメンバーを見渡して、グウェンダルさん を指差した。 「長く国を空けていたから、仕事が溜まってて……この人に船の一室に閉じ込められて 書類に埋れてるの」 「おいっ」 人聞きの悪いことを言うなとばかりに声を荒げて難しい表情のグウェンダルさんに、フリン は逆に納得したようだ。 「大変ね……じゃあロビンソンさんも?」 「副官だから」 有利はもう魔王だとフリンに話したそうだけど、ヨザックさんたちの態度から、副官じゃなく ても村田くんの身分も高いと予測はついているだろう。 「あなたに会えないことを残念がっていたよ」 「そう、私も残念だわ。大佐には本当にお世話になったから、最後のお別れを言いに行き たいけれど……」 フリンはフリンで、夫の葬儀の為に邸から動けない。こちらとしては助かったことに。 異世界に帰ったなんて、とてもじゃないけど言えないから。 「では、大佐に……いいえ、陛下にお伝えしてください。舞踏会での誓いは必ず守ります。 カロリアは永遠に貴国の友である、と」 「ええ、必ず伝えるわ」 「ありがとう……あなたにもたくさんの迷惑をかけたわね、」 「……いいえ、過ぎたことよ」 首を振って否定すると、有利の代理として、差し出された手を握り返した。 088.忘れられない思い出(1) 「いや、本当にご立派で」 港に向かって、布を掛けた箱を運びながらヨザックさんが楽しげに振り返った。 「何がですか?」 「だって姫はあのご夫人のことを快く思ってらっしゃらなかったでしょう?冷静に握手まで しちゃって」 そのことなら、きっと有利や村田くんがいた方がもっと驚いたと思う。最初の頃のわたしの 彼女への態度は手厳しいを越えていたから。 「……彼女はこれからカロリアの国主になるんでしょう?友好国を敵視するものじゃないし ……それに」 弓に射られて落馬したギュンターさんの姿。教会の扉が破られて、応戦したコンラッド。 片腕を無くした、その背中。 思い出すだけでも震えがくる。恐怖と、怒りで。 彼女が仕掛けたことじゃない。だけど、大シマロンがあんな強硬な手に出た切欠は、彼女 が売ったウィンコットの毒。 そう思えば、今でも彼女に対する怒りも、憎しみも、決して無くなりはしないけど。 「それに有利なら、そう望むと思ったから」 彼女を友と呼ぶ有利なら。 そして優しい有利は、わたしが誰かを憎み続けることを、きっと悲しむから。 「姫の世界って、相変わらず陛下中心に回ってるんですねえ」 「十六年間ずっとそうでしたからね」 ヴォルフラムは黙って歩きながら、横目でわたしをちらちらと見ている。正しくは、わたしが 抱き締めているコンラッドの左腕が入った筒を。 これだけはわたしが運びたいと言うと、みんな黙って渡してくれた。 瓦礫の撤去がほぼ終わった街中を抜け港に入ると、『地の果て』をサイズモアさんの船に 運び込んだ。 先に運び込んでいた『風の終わり』と並べて置いて、最後に鍵をと促されて、筒を抱いて 首を振る。 「一緒に置かない方がいいと思うの」 「……確かに……フリン・ギルビットの話の通りならコンラートの腕は『風の終わり』の鍵 だったな。別の場所に安置しておこう」 手を差し出された。 ずっと抱き締めているわけにもいかない。それは判ってるけど手放したくなくて、少し後ろ に下がりながら筒を抱えてグウェンダルさんを見上げると、何かに詰まったようにぎゅっと 口を閉ざして手を引っ込めた。 「王都に着くまでだ。いいな」 「はい」 部屋を出たグウェンダルさんの後をヴォルフラムが追うと、ヨザックさんがバシンと大きな 音が鳴るほどかなり強く肩を叩いてくる。 「いった!」 「完璧ですよ姫っ」 「な、なにがですか……」 片手で筒を抱えて、叩かれた肩を擦りながら睨み上げても、ヨザックさんはにやにやと 笑ったままで、ちっとも悪いという気はないらしい。 「言ったでしょ、姫の涙目の上目遣いに閣下は逆らえないってー」 「な、泣いてないですっ」 「ますます凄いわ、涙もなく視線だけで男を転がすなんて。グリ江、ちょっとジェラシー」 「転がすって……人聞きの悪いっ」 それから程なくして船は出港した。ようやく、眞魔国に帰れる。 用意された船室の窓から離れて行く陸地を見て、ほっと安心したのに、達成感も喜びも ないことが、この上なくつらかった。 重要な話が出たのは、次の日の朝食の席だった。 ヴォルフラムは相変わらず朝に弱いのにプラスして、船酔いでダウンしていて、グウェン ダルさんと二人きりの食事を終え食器が下げられた。グウェンダルさんと二人きりの食事 ってスヴェレラ行き直前のカーベルニコフ領の宿以来かなと考えていたら、食後の紅茶を 持ってきたのは今までの給仕の人じゃなくて、メイド服に着替えたヨザックさんだった。 「はぁーい、おいしいお茶ですよ」 「なんだその服は!?」 「えーですが閣下も男なんですから、ムッサイ男の淹れた茶より、可愛いメイドの淹れた 茶の方がよくないですか?」 「服を女物にしたところで、貴様がむさ苦しい男だということに変わりはない」 うわ、今まで誰もが思っていても、誰も言わなかったことをあっさりと。 「ひっどいわー閣下。乙女にそんなこと言ったらモテませんよー」 そんなことを言いながら、ヨザックさんは手際よく紅茶を二杯淹れてくれた。 ヨザックさんの淹れた紅茶は充分美味しくて、これならお店で出せますねー、やだわ姫っ たら閣下と違ってお上手ー、なんて会話をしていると、コツコツとテーブルを叩く音が前方 から聞こえる。 正面を向くと、指先でテーブルを叩いていたグウェンダルさんがいつもより更に難しい顔 で腕を組んだ。 「グリエから報告は受けた」 「え、なんのことですか?」 箱の話かコンラッドの話かと思っていたら、箱とはちょっと近くてちょっと外れていた。 「お前は箱を作った者の魂を宿しているらしいな」 驚いて横に立つヨザックさんを振り仰ぐと、拳にした両手を口に当てて、「いやん」なんて 言いながら身体を捻って軽く片足を上げる。 「だって猊下も姫も口止めしなかったですよー」 「別に怒ってませんけど……」 ヨザックさんはグウェンダルさんの部下だから、重要なことを報告するのはしょうがない。 おまけに禁忌の箱にまつわるなんてことなら尚更に。 「猊下が異界へ戻られた今、箱と鍵の処置の仕方が判るのはお前だけだ。いかにして 安置すればよいか、意見を聞きたい」 「ま、待ってください!その、村田くんの話では確かに前世かその前かその前の前の前 のずーっと前の人はそうらしいですけど、わたし自身はその人の記憶は全然なくて」 「それも聞いた。だが、『地の果て』が開きかけた時はその暴走を止めたのだろう。必要 な時に必要な知識が判るというのならば、今もまた重要な時だ」 「そう仰られても」 困ったなー。あの人って、呼びかけても緊急の時くらいしか応えてくれないと思うけど。 ……もっと確実な人って村田くんくらいしか……。 「あ、そうだ、眞王陛下」 「なに?」 「村田くんの話によれば、箱の仕組みがわかっているのはわたしの前世の人か、眞王 陛下らしいです。自力で思い出せないわたしより、ウルリーケさんに相談した方が確実 だと思います」 グウェンダルさんは指先で顎を撫でて少し考える仕種をしたけれど、すぐに頷いた。 「……そうか、では帰国次第、箱と鍵を携えて眞王廟へ行くのがよかろうな」 鍵、と聞いて心臓が嫌な跳ね方をした。 判っている。わたしがあの『鍵』を預かるのは王都までだと約束している。 いつまでも抱えていられるものでもないことも。 話は終わっただろうと席を立とうとすると呼び止められる。椅子に座り直したら、グウェン ダルさんは飲み終えたカップを横に押してヨザックさんに下げるようにと命令する。 ヨザックさんはやっぱり慣れた様子で食器をお盆に乗せて部屋を出て行った。 ドアがパタンと音を立てて閉まってから、グウェンダルさんはおもむろに口を開く。 「奴を連れ帰ったのはお前だから報せておこう。ゲーゲンヒューバーが目を覚ました」 「え!?」 ヒルドヤードで帰国前に一度目を覚ましたきり、ずっと眠たままだったというグリーセラ卿。 今回こちらに来てから事件続きで彼がどうなったかを考える余裕が無かったけど。 「よかった……」 今回こちらに来て、唯一の朗報だ。ニコラさんはどれだけ喜んでいるだろう。 「……よかった、か……」 彼と確執があるらしいグウェンダルさんは難しい表情で指先が引き攣れるように奇妙な 動きをしている。頭の中のあみぐるみは何の動物だろう。 「重要な情報を掴んでおきながら、満足に報告も出来ん役立たずだ。奴の命など、お前 やグレタが気に掛けるような価値もないというのに……」 「グレタ?」 「……奴は目覚めると恥知らずにも城へ登城した。グレタが止めなければ話を聞く前に 叩き斬っていたところだ」 グレタ、お手柄。グリーセラ卿を連れ帰ったのは、ニコラさんのためであって、グウェン ダルさんにとどめを刺させるためじゃない。 こんなにも深く憎まれるって、グリーセラ卿はどんなことをしたんだろう。 「奴の報告がまともにされていれば、今回のことはまた違う目が出ていたかもしれん。 奴は小シマロンが地の果てを手に入れたことを掴んでいたのだ」 地の果てのことを、知っていた? 息を飲むわたしの正面で、グウェンダルさんの苛立ちは激しい怒りに変わっていた。 忙しく動いていた指が止まり、強く拳を握り締める。 「それを……シュットフェルなどのみに報告を送りおって……奴は己の過ちを未だ理解 していない!」 拳をテーブルに叩きつける激しい行動に、反射的に椅子の上で震えると、グウェンダル さんははっと気がついたように拳を解いた。 「すまん、お前に言っても栓の無いことだった」 「いえ、大丈夫です。……それでシュトッフェルというと……ツェリ様のお兄さんの?」 グウェンダルさんの眉間のしわが一層深くなった。 「そうだ」 本人には碌に会ったことは無い。 フォンシュピッツヴェーク卿シュトッフェル。ツェリ様のお兄さんで、ツェリ様の摂政として 有利の即位まで国政を握っていて……二十年前の戦争を主導して、国が敗戦の危機 に立ったとき、コンラッドたち人間との混血の人のみで構成された部隊ルッテンベルク 師団を死地へと追いやった人。 そう聞いている。後半は、ヨザックさんの話を盗み聞きしたものだけど。 そんなことがあったなら、血の繋がった伯父さんなのにグウェンダルさんたちが毛嫌い している理由もわかる。 グリーセラ卿はそういう人の治世を指示していて、その人にしか大事な報告をしていな かったということは、今でもその人の政治方針が正しいと思っているということ……に、 なるのかな? 「シュットフェルはそれほど重要な情報を握り潰していた。奴が何事かを企んでいるとは わかりきっていたが、今度のことはその証拠だ。病床に伏しているなどとふざけたこと を言うばかりで、呼び出しにも応じん」 グウェンダルさんは息を吐いて、背もたれに身体を預けた。 「ああいや、お前にはただゲーゲンヒューバーのことを伝えておくだけのつもりだったの だが、つまらんことを聞かせた。部屋に帰ってゆっくり休め」 「つまらないことって、でも……」 「お前には、雑事より箱の問題に集中してもらいたい。眞王陛下と大賢者猊下がいらっ しゃるとはいえ、正しい知識を持つ者が多いほど事か起こった時の対処に当たりやすく なる。思い出せるものが何もないか、ゆっくり身体を休めながら考えてみてもらいたい。 だが、無理はするなよ」 「……わかりました。魂の記憶を探るなんてどうやるのか全然判らないんですけど…… できるだけ頑張ってみます」 「ああ、くれぐれも無理はするな」 そう繰り返してグウェンダルさんは少しだけ目尻を下げて微笑んでくれた。 |
ヨザックはグウェンダルの部下です。 現実的に今、国を動かしているのはグウェンダルということもありますし 報告は怠れません。 |