グウェンダルさんに会うために、ようやく葬列が遠ざかった港に飛び降りて走り出す。一緒 についてきてもらったヨザックさんを早く早くと急かしながら。とはいえヨザックさんはわたし の速度に合わせて走ってるわけですが。 「あのですねーオレ、ちょっと思うんですけど」 「なん、です、かー?」 「猊下の仰った国内の協力者がグウェンダル閣下だとして、聞いたら素直に教えてくれる と思います?」 「………それは」 難しい気がする。 「『あの』コンラッドが、姫にまで口を噤んだことですよー?あっさりバラせるくらいなら奴が そこまで耐える必要はなかったはずです」 妙に「あの」を強調するヨザックさんに言葉がない。 「そんなわけで、姫には最終兵器をお教えしておきます」 走りながら息を切らして考え込むわたしに、ヨザックさんは余裕の様子で、片手を笑いを 堪えるように口に当て、片手を呼び寄せるように手首から縦に振る。 「最終、兵器?」 「姫がやれば、ほとんどの男には有効な手段。特にあの閣下には特大級のやつですよ」 男になら、というところに不穏なイメージがして怪訝そうに見上げると、にやりと笑う。 「必殺、泣き落とし」 087.残された風景(3) 船が港にあるからといって、グウェンダルさんが必ずしも船にいるとは限らないと気付いた のは、もう船がすぐそこまで迫ってからのことだった。街に入っている可能性だって……。 だけどグウェンダルさんがタラップから降りてきて、それが杞憂に終わったと安堵しながら 大きく手を振る。 「グウェンダルさーんっ!」 駆けつけるわたしとヨザックさんに気が付いて、グウェンダルさんはぎょっとしたように目を 見開いて足を止めたけれど、すぐにまたタラップを降り始めた。 「いいですね、姫。閣下が知らないと白を切ったら、泣き落としです。わーわー声を上げて 泣くのもいいですが、涙目で上目遣いをすればもっと完璧。できれば涙は浮かべて止める、 これがベスト。もちろん声は震わせてください」 涙を浮かべて、でも流さず止めるなんて演技ができたら女優になれる気がする。泣くのは 今なら簡単だし、上目遣いはお兄ちゃんにおねだりするときのを応用すればいいのかしら ……と思ったら少し後ろめたくなった。 でも。 「が、頑張り、ますっ」 でも、コンラッドのあの行動がすべて演技だと、任務なのだと聞くことができるのなら。 そう心を決めたのに、タラップを降りて待っていたグウェンダルさんが辿り着いたわたしに 間髪入れずに深く頭を下げたので、あまりにも驚いて息を止めてしまった。 「この度の愚弟の所業、殿下には深くお詫び申し上げる」 走って切れていた息を止められたのは一瞬で、すぐにぜーぜーと肩で呼吸しながら言葉 に詰まった。 ヨザックさんを振り返ると、ショックを受けたようにグウェンダルさんの下げられた頭を凝視 している。 またグウェンダルさんを見たけれど、頭を下げたまま上げる気配がない。 「本来、あの者の兄として厳罰に処される身ではあるが、今は国の大事の時。故に殿下 にはさぞご不快であろうと存じ上げるが……」 「や、やめてくださいっ」 息が乱れて言葉が続かなくて、とにかくグウェンダルさんの肩を掴んで上に押し上げよう とする。 「そんなの……グ、グウェン……ダルさんが……」 謝ることじゃない。 頭を上げて欲しいという思いは伝わったようで、グウェンダルさんが顔を上げると、苦悩に 満ちた青い目と視線がぶつかった。 演技……には、見えない。 ぐらりと眩暈がして、ふらついた身体を二人の手が支えてくれた。後ろから肩を押す手と、 前から回して腰を抱いた手。 ヨザックさんと、グウェンダルさんが同時に倒れないようにと。 「どこかお怪我を……」 「い、いいえ。すみません、大丈夫です」 グウェンダルさんに手をついて離れながらヨザックさんを振り返ると、難しい顔で小さく首 を振る。 やっぱりヨザックさんから見ても、グウェンダルさんの態度が演技には見えないんだろう。 「……大丈夫です。少し、疲れているだけで」 「そうか……それでは殿下。無事のご帰還、お慶び申し上げる」 改めて、今度は会釈のように軽くだけどまた頭を下げられて、慌てて手を振る。 「や、やめてください。そんな、殿下だなんて」 「……この度の愚挙に、あの者が陛下、殿下のご寛容に付け込み馴れ馴れしくし過ぎた 甘えが含まれていないとも言えず……」 「だからって、グウェンダルさんまでそんな距離を開けないでっ」 大シマロンでのコンラッドの態度を思い出して、悲しくなる。 「ですが、形式は重要なものです」 下げられたままの伏せた顔を見上げても、どんな表情をしているか判らない。 両手を組んで、手の甲が白くなるまで強く握り締めた。 村田くんが言っていた。わたしの立場も、権限も、わたしが思っている以上にずっと大きく、 重いものだと。 グウェンダルさんの後ろには部下の人たちが居並んでいて……けじめが、必要なんだ。 目を閉じて、息が整うのを待つ。 強く手を握り締めたまま、肩でしていた呼吸が取り繕えるように戻ってから目を開けた。 「フォンヴォルテール卿」 大丈夫、声は震えてない。 「顔を上げてください。わたしからあなたに問うべき罪はありません」 ゆっくりと伸ばされた腰に合わせて視線を上げて、青い瞳を見上げた。 「あなたも仰ったとおり、今は国の大事の時。なのに陛下のお側が寂しくなるようなことが あってはいけません。正式に沙汰をお決めになるのは陛下です。ですがわたしの望みは、 あなたが陛下のお側にあって、陛下を助けてくださることです」 「殿下のご慈悲を肝に銘じ、陛下のお許しあらば、身命を尽くしてお仕えすることをここに 改めて固く誓いましょう」 「あなたの忠誠を信じます」 もう一度深く頭を下げたグウェンダルさんの手を取って、顔を上げるよう促す振りで、後ろ にいる人たちには聞こえないくらい声を潜めた。 「グウェンダルさん……」 けじめが必要なのは人前であって、そうでなければ。 期待したわたしの小さな呼びかけに、顔を上げたグウェンダルさんはぎゅっと眉を寄せて 眉間にしわを刻んだ微笑で応えてくれる。 「すまん。つらいことをさせたな……」 、と。 名前を呼ばれて、力が抜けるように足が震えた。よかった。やっぱりこの一回のけじめ が必要なだけなんだ。 コンラッドが離れていって……それなのに、グウェンダルさんまでその身内として離れて しまったらどうしようかと……それにグウェンダルさんがコンラッドの身内として血盟城を 引き払ってしまったら、ヴォルフラムだってそのままというのは難しかったかもしれない。 もちろん、ヴォルフラムは有利の婚約者という立場だってあるけど。 「それじゃあわたし、有利を呼んできます」 今度は呆れように深い溜息をつかれた。 「この場合は私が参上するのが筋だ」 「す、すみません……えっと、じゃあ有利のところにグウェンダルさんがくることを伝えに 先に行きます」 「本来、先触れなど王妹にさせてはならんのだがな……」 そう呟いて、後ろに並ぶ部下の人たちの手前なので、頭を下げて見送る態勢を取った。 高速艇に戻ろうとして、ふと思いついてグウェンダルさんの部下の人たちを振り返る。 「皆様も遠くまで、陛下のお迎えご苦労様でした。船でお休みの陛下になり代わり礼を 言います」 「はっ」 一斉に敬礼を受けて、軽く会釈をしてから、今度こそヨザックさんと一緒に船に戻る。 「ご立派でしたよ、姫」 「よしてください。まだ膝がガクガクしてるのに。あんなに揃って敬礼されると怖いです」 ヨザックさんの言い方がどこかからかうというか、軽い調子だったので、今度こそほっと 息をついた。 今まであんな風に大勢の人から一斉に敬礼を受けるときは必ず有利の後ろにいたから、 有利に向かってされたものだと思えたのに、自分に向けられたら緊張するし、怖い。 「それよりグウェンダルさんのあれ……演技じゃ……」 「ないですね。ウェラー卿のように親しくさせていただいている身じゃありませんが、演技 であこそまで平身低頭される方ではないと思います」 二人で揃って溜息。 「他に情報を受け取る役をする人って、誰かいます?」 「……難しいですね。それなりに親しい友人や信頼できる部下なら他にもいるはずです が、手に入れた情報を国政に生かすためには、結局身分の高い人まで情報が届かな けりゃ意味がない。ところがあいつは、十貴族みたいな方々とはあまり相性がよくない」 それは、コンラッドの血が半分人間だから? 聞くまでもないことなんだろう。ヨザックさんの苦々しげな表情を見る限り。 わたしの頭には……たぶんヨザックさんにも……村田くんが言ったことが浮かんた。 ―――箱の件に、ウェラー卿は関わっていない。 慌てて首を振ってヨザックさんを振り仰ぐ。 「別の可能性がないか、もう一回検討してみましょう!」 「姫……その……言いにくいですが」 言いよどむヨザックさんに、その後に続く言葉を予想して、それを遮るように高速艇に 向かって駆け出した。 否定的なことも言うけれど、こういう話では村田くんの意見が参考になる。……たぶん。 村田くんを探すために船に上がると、甲板ではダカスコスさんと平原組の人たちがいた。 「ダカスコスさん、村田くんを見ませんでした?」 そういえば、グウェンダルさんがくることも伝えておかなくてはと有利の居場所も聞いて みる。 「さあー?猊下はお見かけしておりません。陛下でしたら、高速艇の見納めに探検して くると仰っておられましたよー」 「た……探検……」 暇つぶしなんだろうけど。 ダカスコスさんにお礼を言って船倉へ降りながら、ヨザックさんと手分けして二人を探す ことにした。 「ヨザックさんはこの階を調べてください。わたしはもう一階降ります」 「了解しました」 ヨザックさんと別れて降りた階を歩き出して、すぐに騒いでいる声がどこからか聞こえて きた。ちょっと声が遠くてはっきりしないけど、たぶん有利と村田くんだ。 一緒にいるなら村田くんには相談できないなあと、かなりがっかりしながら声を頼りに 捜し当てたのは厨房だった。 ドアを開けると、ドラム缶みたいな巨大な鍋に逆さになって上半身を突っ込む有利の足 が見えた。 「な、なにやっ……」 驚いて声を掛けるよりも早く、有利が滑って鍋の中に落ちる。 「有利っ!」 助けなくちゃと手を突っ込んだ村田くんの横に駆けつけて覗き込むと、鍋の底には渦が あるだけで有利の姿はどこにもない。 「………帰っちゃったの……?」 「みたいだね。まあ、仕方ない。渋谷は長い間、地球に戻ることなく魔力を使い続けた から消耗が酷いし、箱はもう国に運ぶだけだし、ちょうど潮時だ」 鍋底の渦は消えて、最後に小さく水が跳ねるともう水面は静かになってしまった。人が 浸かるどころか、立てば膝までの高さもないだろう。 鍋の淵に手を掛けたまま、ずるずるとしゃがみ込む。途中で離れた手はそのまま鍋の 表面を撫でて落ちた。 「え、そんなに落ち込まなくても。大丈夫、あっちに帰ったなら渋谷にはもう危険も……」 「また置いていかれちゃった……」 ぽつりと呟いたわたしに、村田くんは沈黙した。 「……一回目も、有利ってば先に帰っちゃって、二回目もそうだった。いつも有利が先に 帰っちゃうの。今回もそう」 俯いたまま唇を噛み締める。 また置いていかれた。 それが有利のことだけを言ってるわけじゃないと、村田くんは判っている。だから黙って いるんだろう。 追いかけて、最後まで拒絶された広い背中を思い浮かべているのだと。 ぎゅっと強く目を閉じて、涙が去るのを待ってから顔を上げた。 「グウェンダルさん、知らないみたいだった……はっきり、聞いたわけじゃないけど…… ヨザックさんも、知らない演技じゃないだろうって……」 「そう……ヨザックから見てもそうなら、確かだろうね。彼は普段から命懸けで演技して いるんだから」 そう言われて、初めて気がついてはっと息を飲む。 眞魔国の密偵として、各地で潜入捜査をしている。それは、常に危険が伴う仕事だ。 ヨザックさんがそんな危険な仕事をしてでも守っている国。 グウェンダルさんみたいな、大人の男の人がわたしみたいな小娘に深く頭を下げて。 「玉座に陛下、そしてその横に姫がおられるのなら、オレは安心して任務に励むことも ―――戦場に出ることも厭わない、という話です」 「お前は仮にも魔王の妹だ。王族としての威厳を保て」 「君の立場も、君の権限も、君が思っている以上にずっと大きくて重いものだということ だけは、忘れないでくれ」 ヨザックさんの言葉、グウェンダルさんの言葉、村田くんの言葉。 一斉に敬礼した兵士の人たち。 わたしはそれだけのものを返せるようになれるんだろうか。 ううん、ならなくちゃ、いけない。 そして。 「きみの、その強い意志を込めた瞳が好きなんだ」 そして、コンラッドがわたしを好きだと言ってくれたところ。 うん、コンラッド。 あなたが好きだと言ってくれた、強い意志を取り戻さなくちゃ。 女々しく泣き縋ってもう一度あなたを好きだと言っても、きっと嫌われちゃうだけだね。 「村田くん」 「……なに?」 「そんな身構えないでよ」 えへへ、と笑いながら顔を上げたら、眼鏡の向こうの目が驚いたように瞬いた。 「あのね、わたしやっぱりコンラッドを信じてる」 「ああ……うん、そうだよね。判って……」 「でもそれは、口にしない。だから、手伝って欲しいの。コンラッドが国を出た理由を考える のを、一緒に」 他の人の前で言ってはいけないことなら、一緒に考えてくれる人は限られてくる。もちろん グウェンダルさんだって独自に調査するはずだけど、村田くんだからこそ共有している情報 もあるから。知っている話もあるから。 村田くんは腰に両手を当てて、ゆっくりと口の端を上げて微笑んだ。 「そういうことなら、協力する。渋谷には言わないんだね?」 「……言わなくても有利も信じてるよ。それなのに、中途半端な話を聞かせてぬか喜びは させたくない」 さっきまでのわたしみたいな。 「うん、僕もその方がいいと思う……も紅茶を飲むかい?ゆっくり考えよう」 「そうだね。もらおうかな」 わたしが頷くと、村田くんはシンクに向かって汲み置いてある水を掬った。 「とにかく絶対的な情報が少ないからね。まずは情報収集からだ」 「グウェンダルさんとかに?」 「違うよ、眞王さ。彼は箱について、僕よりも詳しく知っている部分があるはずだ」 「なるほど」 じゃあ、血盟城に戻ればまず調査先は眞王廟だ。 と、予定を立てようとしたときだった。 「うわっ!」 水を汲み置いている桶の蓋を閉めようとした村田くんが悲鳴を上げて、そのまま桶に飛び 込んでしまった。まるで引きずり込まれるように。 「村田くんっ!」 慌てて駆けつけた時は、もう遅かった。 やっぱり桶の中の水は渦巻いているだけで、村田くんは陰も形もない。 渦の中に手を入れてみようかと思ったけれど、わたしは眞王廟に行かなくちゃいけない。 段々と渦が小さくなって、水面が穏やかに揺れるだけになった頃、厨房の扉が開いた。 「ああ、姫こちらに。こっちは陛下も猊下も見つかりませんでしたー」 「ヨザックさん」 拳を握り締めて、振り返る。 わたし一人で眞王廟に行っても、また強制的に送り帰されるだけで、何も聞けないかも しれない。だけど、何もしないままでいても、何一つ解決しない。 「有利と村田くんは、国に帰っちゃいました」 「はあ!?」 頭の天辺から上がった裏返った声に、気持ちを奮い立たせる意味も込めて小さく笑った。 |
コンラッドの裏切りの理由も、裏切りでない証拠もまだありません。 ですがヒントを持つかもしれない人はまだいます。 |