東ニルゾンからカロリアまでの旅は順調だった。 どのくらい順調だったかというと、山脈隊長を始めとする平原組の卒業生たちがドゥーガルド の高速艇の速さに感動して、乗せてもらったお礼にご馳走すると言った部隊名物「海月鍋」 を作る前に到着したくらいに問題もなくカロリアに到着したのだ。 神族の子供たちを彼らの故郷まで送り届けてくれとお願いしたときは落ち込んでいたドゥー ガルド兄弟だったが、しばらくして立ち直ると今度は子供たちにも出来る仕事を仕込み始め た。結構子供の相手をするのも向いているんじゃないの?と言うと、兄弟も他の船員たちも 苦笑いだったけど。 087.残された風景(2) ギルビット港には結構な数の船が停泊していた。カロリアの独立を聞いて、新たな取引相手 の獲得にやってきた商船だ。 それらの多くの船がおれたちの乗る高速艇が入港すると、次々と祝福の銅鑼を打ち鳴らた おかげで、かなり賑やかな出迎えになった。 その見応えのある光景を、一緒に甲板に出ていたは浮かない顔で眺めている。 もちろん、今回あった色々なことを考えるとそれもわかるけど、これからもコンラッドのことを 好きでいると心に決めてからは、それなりに上向きになっていたのに。船に乗ってからまた ちょっと、落ち込んでいるというほどではないけど元気がなかった。 今は船室にいて甲板には出て来ていない村田にこっそりとその話をしたとき、肩をすくめて そりゃそうさ、と簡単に頷かれた。 「考えてもみなよ。カロリアには預けているものがあるだろ」 「地の果て……」 「じゃなくて。まあ、それもあるけどさあ、もう一個、彼女にはつらいことを思い出すものって いうか……」 そうか、コンラッドの左腕。 今回の騒動の、最初の衝撃だったあれだ。 「まあ君は、いつもどおり振舞ったらいいと思うよ。下手に気を遣うと余計に意識させるから。 彼女も自分なりに心の整理をつけたし、君がいるからこそ落ち着けたんだからね」 「そうか……うん、そうだな」 そんな会話を思い出して横目で窺っていると、それまで偉そうにふんぞり返ってその光景を 眺めていたヴォルフラムが突然、子供のようにはしゃいで手摺に身を乗り出した。 「ヴォルテールの旗標だ!兄上の船が来てるっ!」 お恥ずかしながら、自国の領地の旗なのにおれには見ただけでは判らなかった。 グウェンの旗ということは、一体どんな可愛い小動物の柄だろう。 ヴォルフの指の向かう先を目で追っていると、さっきまでぼんやりしていたが急におれの 腰にタックルをかましてきた。 「ぐおぅっ」 「どこ!?グウェンダルさん、どこに来てる!?」 おれにタックルをかましたかったんじゃなくて、押しのけて手摺にすがりつきたかったらしい。 おれとの間に割って入ったの剣幕に驚いて、ヴォルフラムは文句を言うよりあそこに、と 丁重に船の位置を教える。 グウェンの船の位置を確認すると、はすぐに身を翻した。 「ヨザックさーん!ヨザックさんっ、ついて来て!グウェンダルさんが来てるー」 あっという間にヨザックを探して船室に駆け去ってしまった。 「……なんなの、一体……」 「それより、まだこの船は停船してないと教えてやった方がよかった気がする……」 「いや、そりゃいくらなんでもわかってるだろ」 あの勢いだとちょっと心配だが、ヨザックがついてるなら間違ってもを海に落したりは しないだろう。 「でもあんなに喜び勇むほど、グウェンと仲良かったっけ?」 「箱という問題の品を抱えているからな。兄上とお会いできれば、国許まで運び込むのに 安心できるんだろう」 いや、なんかそんな感じじゃなかったけど。 まあでも、グウェンがいるなら警備も万全だろうしこれでほっと一安……。 「待てよ、グウェンダルが来てるとなると、おれの仕事は誰がやってるの!?」 「お前の仕事は元々、お前がすべきものだろう」 「いや、そうだけど、そーなんだけどさ!あの人?あの人が一人で!?」 ヴォルフラムはちょっと難しい顔で唸った。 「まあ……ギュンターはお前が側にいなければ、それなりに有能だ」 「おれのせいかよ」 「いなければいないで、役に立たないことも多いが……」 それは結局どっちでもダメということなのでは。 「は、早く帰らないと」 今まで自分達のことだけで必死だったけど、ここにきて血盟城がどうなっているのか非常に 心配になってきた。 船が停まると、当然だが最初にノーマン・ギルビットの葬列が出た。 は海には落ちなかったが、葬列よりに先んじて出るわけにはいかず、足踏みをしながら 空になった棺桶が運び出されるのを待って、それからヨザックを連れて飛び出して行った。 グウェンダルを迎えるつもりだったヴォルフラムは置いてけぼりを食らい、呆れながらゆっくり と後を追った。興奮している奴が側に居ると、周りは冷静になるしかない。 高速艇がこれから神族の子たちのために使われるため、ここでおれたちはサイズモア艦長 の船に移乗することになって、艦長は陛下と猊下と殿下をお迎えできると異常に張り切って ご自慢の戦艦「うみのおともだち」号に向かった。ダカスコスは平原組の卒業生たちと意気 投合して、甲板で騒いでいる。 そこでおれはと言うと、外に出ていくわけにもいかず、人も少なくなった船内を一人孤独に 最後の見物をして回っていた。 なにしろおれはノーマン・ギルビットとして国を出たので、葬列が出ている今、人前に出れ ないのだ。上陸するのは葬列を見送った人たちが散った後だ。 厨房の前を通りかかったとき、ふと何か気配がした気がして中を覗いてみる。 先客はシンクの脇に寄り掛かり、火にかけた薬缶をぼんやりと眺めている。だがその表情 は浮かない。まるで、船に乗ってからのみたいに。 「村田」 声をかけると、そこで初めておれに気付いたように顔を上げて組んでいた腕を解く。 「ああ、渋谷か。なんでこんなとこに」 「そりゃおれのセリフだよ。お前は普通に船を降りたらいいじゃん。なんで湯なんか沸かして んの?」 「色々面倒くさくてね」 どうせ船は降りなきゃいけないのに、何が面倒だというんだろう。 物憂げに湯気の立つ薬缶を眺めている姿は、地球でおれの友達をやっていたときより知性 的だ。これは確かに大賢者と言われる風情がある。 「なに笑ってんの?」 「いや、だってお前が眞魔国に戻ったら大変だろうなーと思ってさ。だって幻の大賢者だぜ。 伝説の人なんだからさあ」 特にギュンターがどうなるか、想像だけでも面白い。村田の反応も含めて。 「人を珍獣みたいに」 珍獣より珍獣だぞ。だって砂熊とか地獄極楽ゴアラとか、珍獣だろうと普通に棲息してるん だから。 「渋谷ってさー」 村田は大きめのカップに適当に直接茶葉を入れ、熱湯を注いだ。なんてものぐさな奴だ。 「ウェラー卿のこと、どう思ってるの?」 あまりに突然の話題の転換についていけずに、目を瞬いた。頭の中が真っ白になる。 「どう…って。そりゃ……言ってやりたいことは色々あるけど……コンラッドにも事情がある んだろ」 「優等生的発言だね。ぶっちゃけ僕が聞きたいのは、彼を信じてるのかどうか。許せるの かどうか、なんだけど」 「信じ………」 信じてるかどうか。 あの時。伸ばした手を拒否されて以来、考えないようにしていたことを聞かれて困った。 「……信じたい、のかな。でもよく判んねえよ。何も言わずに出て行っちゃったんだからさ」 改めて自問自答してみると、驚くほど複雑で、そして簡単な答えが出た。 信じるとか信じないとかじゃなくて。 コンラッドのことは、疑えない。 「暮らす場所とか、職場とか、そういうのは個人の自由だし、許す許さないもない。よっぽど のことがあったんだと思う。そうだな……腹が立つのは、その理由をちゃんと説明しやがれ ってことかな」 「ふーん」 村田はその適当な淹れ方の紅茶をおれの分まで用意して、テーブルに持ってきた。 「なに、その意味深な『ふーん』は」 「のことはいいのかなーと思って」 カップを引き寄せようとしたおれの手が止まった。 「シスコンの渋谷のことだからさ、あんなに妹を悲しませて泣かしたウェラー卿のことは許せ ないんじゃないかと思ったんだけどね」 黙ってカップを手元に引き寄せる。 暖かな湯気の立つ赤い水面に、おれの顔が揺れながら映っていた。 昔はうりふたつだったのに、今じゃ一目でおれとの見分けがつく。は女の子らしく、 可愛くなっていて、おれだってそれ相応には男としての面構えになってきている。 それでもおれたちは家族の中ではお互いが一番似ている。とお袋も似てるけど、それ 以上におれのほうが。 「許せるわけねぇだろ」 このたった一ヶ月くらいの間に、がどれだけ泣いただろう。苦しんだだろう。 コンラッドはそれを見てない。 だけど、判らないとは言わせない。 あれだけ男が嫌いだったが、呆れるくらいコンラッドのことを好きになって、コンラッドの ことばっかりになって、それを知っていたのに。 おれがどんな思いでを託したのか、知っていたはずなのに。 「許せるわけねぇだろ!?おれからを奪ったのにさ!途中で手放すくらいなら、なんで 手を伸ばしたんだって言ってやりたいよ!婚約者じゃなけりゃ、恋人になってなけりゃ…… 好きじゃなかったらさあ……があんなに苦しむことなかったのにっ!」 机に拳を叩きつける。カップが跳ねて紅茶が零れた。 怒りをぶつけるように勢いで睨みつけた村田の目は穏やかで、急に興奮したことが恥ずか しくなってくる。 「悪い……お前に当たってもしょうがなかった」 「そこで引っ込めない、引っ込めない」 村田はにっこりと笑ってカップを持ち上げた。 「君はのことばっかり考えて、自分の気持ちを吐き出してないだろ。ずっとそれが気に なっていたんだ。言いたいことは僕に言っちゃえよ。いや、僕にじゃなくてもいいから、思い 切り口に出して言っちゃえ。ちょっとはすっきりするよ」 みたいにね、とウィンクをされた。 「ほんとお前って……何歳?」 呆れて乾いた笑いを漏らしながら、飲んでもないのに三分の二に減った紅茶に視線を落と した。 「言っとくけど、おれはのためを思って色々溜め込んだけど、が居たから頑張れたん だぞ」 「判ってるよ。支えることで支えられることもあるもんね。君とはお互いにそうだった」 さあどうぞと改めて言われると言いづらい。言いづらいはずなのに、口は勝手に愚痴を零し 始めた。 「腹が立つよ。説明もしないで敵になっちゃってさ、他人行儀に突き放すし。でも、やっぱり 一番許せないのは、を泣かしたことだ。襲撃そのものはコンラッドのせいじゃないよ。 でも無事を報せもしないし、おまけに敵に回るし」 「うんうん、それから?」 「お前だって見ただろ?何だよ、あの澄ました顔。おれじゃない奴を陛下なんて呼んでさ。 陛下って言ったらそのあとは、すみません、つい癖でって続くはずなのに、しれっとしてん だよ」 「ああー、確かにあれは小憎らしかった」 「が泣いて……ごめんって謝って……おれを避けたやつだって、元を正せばあいつの せいだろ!?に逃げられたのなんて、初めてだったのに……それもコンラッドのせい だしさっ」 「あの時の渋谷はこの世の終わりみたいな顔してたよ」 「だってはおれのことだけは、ずっと特別に大事にしてたんだぞ!おれ、初めて勝利を 尊敬した……に張り倒されてもめげずに擦り寄るあいつは凄いよ」 「うーん、ちょっと危険ゾーンだ渋谷。あのお兄さんを尊敬してたら、そのうちにメイド服 とか着せたくなるよ」 「誰もそっちで尊敬したなんて言ってないだろ」 ちょっと笑ってしまった。 お前はおれに愚痴を言わせたいのか、言わせたくないのかどっちだ、と言おうとして……。 ようやく気が抜けた。 「でもさー、おれが一番許せないのは、コンラッドが帰ってきたときかもね」 「なんで?」 机に肘をついて頬杖をつくと、巨大なドラム缶みたいな鍋が目に入った。あれは確か山脈 隊長たちが作ると言っていた海月鍋のためのものだ。 「もし……もしコンラッド帰って来たいって言ったら……国に帰ってくるのはいいよ、おれも 嬉しいよ。だけどその場合は、絶対またと恋人になるつもりだと思うんだよ。あんなに を泣かせたのにだぜ?」 「じゃあ交際は君が許さなきゃいいじゃないか」 「そんなことしたら、今度はおれがを泣かせることになるだろ」 ふてくされて席を立つと、その巨大鍋に近付く。床に置いてあるのにおれの胸辺りまでの 高さがある大鍋だ。まるで五右衛門風呂。気になるのは、山脈隊長達は、どうやってこの 巨大鍋を船の上で調理に使うつもりだったんだろうということだ。陸地ならともかく。 「じゃあさあ、国に帰るけど、とはもう付き合わないって言ったらいいんだ?」 「それはそれでが泣くから許さん」 どっちなんだよーと笑う村田に、おれも苦笑しながら身を乗り出して鍋を覗き込んでみた。 「あれ、中に水が入ってるよ。具はないけどひょっとして、例の海月鍋の出汁かな」 「出汁は海月から取るんじゃないの?まあ、せっかくだから味見しちゃえば?」 村田も横から覗き込んできて、おれは身を乗り出して底に溜まっている水を指先に掬おう と試みる。 「うー……届かな……へぶしっ」 「なに渋谷、風邪?お大事にって……あーれぇ!?」 物凄く鼻が痛いくしゃみに、おれが涙の浮かんだ目頭と鼻を押さえていると、村田が肩を 揺さぶる。 「ちょっと渋谷、凄いよ。人間ポンプ、人間ポンプ!」 なんだよ人間ポンプって、と痛む目を開けてみると、鍋の底に小魚が一匹落ちていた。 ただし、骨。魚の骨格のままの骨。 「魚丸呑みといえば……あれかシマロンで飲まされた金魚か!」 もうあれから十日ほど経っていることを考えれば、骨になっているのも当然だ。というより 骨は溶けてなかったの……か!? 「泳いでる、泳いでるよ村田!」 全身骨なのに、身をくねらせてすいすいと泳いでいる。 「幻の骨魚どんだ!」 「な、なにそれ?」 「骨飛族や骨地族同様、骨に似た身体で生きてる水棲種族だよ!滅多に見らない希少 生物だから、骨魚どんって呼ばれて縁起物扱いされているんだ。いやーこれは縁起いい。 渋谷、捕獲捕獲」 「ほ、捕獲!?」 大賢者のアドバイスについ身を乗り出して手を伸ばしたが届かない。仕方が無いので鍋 の淵に乗り上げて、腰で支えて上半身をドラム缶に突っ込む。 「よし、届いた……」 と思った瞬間に世界が反転した。鍋底がすぐそこに迫っている。 「おぶっ!」 ぶつかる、と目を瞑ったけど衝撃はこなかった。 このタイミングでくるとは思わなかった瞬間が来たのだ。 「渋谷ーっ」 村田の声が聞こえて、服を掴まれたけれど潜行は止まらない。 気になることがまだあるのに、ここで帰されるのか。本当に自分の意思でスタツアでき ないのは不便だと思っていたら、最後の最後で悲鳴のような声が聞こえた。 「有利っ!」 、心配しなくてもただのスタツアだから。 できれば今までみたいなズレもなく、が一緒に帰っていればいいんだけどな。 今のを一人にするのは心配だから。 どうか頼むよ、眞王。 |
妹の恋人に対して、お兄ちゃんの気持ちは色々と複雑です。 |