謎の仮面集団……というか大シマロンの秘密の襲撃の後、平原組の卒業生たちの大半は、

再就職先にカロリアを希望して、フリンもそれを受け入れた。

ここからまだカロリアまで、少なくともドゥーガルドの高速艇が停泊している東ニルゾンまで

は護衛が必要だったし、カロリアは復興の為にもこれから人手が必要だ。

出せる賃金は少ないと先に言ったフリンに、隊長さんたちは信頼できる雇い主の下で働け

るならそれでいいと笑って言った。

カロリアに行かない数人は、怪我人たちを回収してどこかの町へと行ってしまった。






087.残された風景(1)






その先の逃避行は順調に進み、東ニルゾンに到着したときは皆揃って思わず安堵の溜息

をついてしまった。

まだ眞魔国までは安心できないとはいえ、ドゥーガルドの高速艇に乗ってしまえば、通常

より三倍早いというこの船が追いつかれることはないだろう、というのがわたしたちの見解

だった。

早く船に入って一心地着こうという目論みは、船に到着すると同時に儚く崩れ去った。

なぜなら船の上は戦場だったからだ。

高速艇の船員たちと、保護した神族の子供たちの。

ずっと内陸にあるあの施設にいた子供たちは海も船も初めての体験で、狂喜乱舞で甲板

を走り回り、船中を探検して回っていたらしい。まだ小さい子供などは、荷物と荷物の間に

隠れられると見つけ出すことも困難で、かといって放っておくとどんな危険に見舞われるか

わからない。大人にとっては些細なことでも、子供にとってそうでないということは世の中

結構多いし、何より子供は時に予想もつかないような行動を取る。例えば船尾に偽装して

隠してあった大砲の中に潜り込んだりとか。

そういうわけで高速艇の船員たちはみんなヘトヘトに疲れ切っていて、帰ってきたばかり

のこちらの方が「お疲れ」と声をかけたくなる有様だった。

「陛下、もう勘弁してください」

「いやー、申し訳ないんだけどさー、この子たちを故郷に送り返して欲しいんだよね」

ドゥーガルド兄弟に泣きつかれた有利は、気まずそうに笑いながら髪を掻いてそうお願い

する。

がっくりと項垂れて甲板に両手をつく彼らはこれから、すでにウンザリしている部下に同じ

ことを言わなくてはならない。

その後ろを、ヨザックさんに誘導されて棺桶を運ぶ平原組の人たちが通り過ぎた。

あの中には『風の終わり』が入っている。

少し考えて、有利から離れて箱の後を追った。

『地の果て』を見たとき、その名前が急に頭に浮かんできた。酷く嫌なものだと感じたのに、

懐かしいと。

箱に近付けば、あるいはあの人と話が出来るかもしれない。

船室に運び込み、船の移動する震動で動かないよう棺桶ごと固定するのを指導していた

ヨザックさんが振り返る。

「先に荷解きされたらどうですか?」

「解くほどの荷がないです」

「ごもっとも」

棺桶の固定が終わると平原組の人たちは船室を出て行って、わたしとヨザックさんだけが

残された。

「……行かないんですか?」

横目でちらりと窺うと、ヨザックさんも横目で見下ろしてくる。

「姫は行かないんですか?」

なんだろう。このまるでヴァン・ダー・ヴィーアで腹の探り合いをしていた頃のような会話は。

非常に懐かしい。

ヨザックさんはある意味では有利よりわたしの事情を知っている。まあ、いいや。

「じゃあ、そこに居てくださいな。なにか様子が変だと思ったら強制的に止めてくださいね」

「何をされるんですか?」

真剣な表情で確認されると苦笑するしかない。

「そんな怖い顔しなくても、自棄で箱を開けたりしませんよ。前にも言いませんでしたっけ?

箱のこととか、気まぐれにアドバイスしてくれる人がいるって」

「ええ、お伺いしました」

「彼女の記憶を呼び覚ます訓練でもするつもりかな?」

わたしは驚いて肩を跳ね上げただけだっだけど、ヨザックさんはとっさに剣に手を掛ける。

お互い箱に意識が向いていて、村田くんが来ていたことにまったく気付かなかった。

「猊下……」

柄から手を離すと、難しい顔で唇を噛み締めるから、それにも驚いてしまう。ヨザックさんの

深刻そうな表情って珍しい。

「まあ、そんな落ち込みなさんなって。僕はこれでも空手の他に忍術も学んでるから、気配

を殺す修行を積んでるんだよ。……どっちも通信講座だけど」

非常に怪しいんですけど。とくに通信講座で学ぶ忍術ってどんなの……?

村田くんはいつでも、どこまでが本気でどこからが嘘がわからない。

も気を悪くしないでね。彼には僕から頼んでいたんだよ。箱には特に気を配れって」

「別に怒ってないよ。ヨザックさんの危惧は当然だと思うし。でもいくらなんでもコンラッドに

ふられたからって、腹いせに大シマロンを攻撃しちゃえなんて箱を開けたりしないわよ」

場を和ませようとしたのに、より空気を重くしてしまった。

「君の冗談は笑えない」

「村田くんに言われたくない」

「どっちもどっちですよ……」

「なにか言ったかなー、ヨザックー?」

大賢者の身分でヨザックさんに凄む村田くんに呆れながら、棺桶に手をかけた。

ドキドキと緊張しながら、そっと蓋を開ける。

襲ってきたのは、懐かしいや恐ろしいの感覚などではなく、胸の悪くなるような臭いだった。

思わず箱を見るより顔を背けてしまう。

「くさっ!な、なにこれ、シンナーじゃないけど……なんだかそっち系?」

棺桶はよほど密閉されていたんだろう。こんな強烈な匂いが漏れなかっただなんて。それ

とも、狭い空間に置いていたせいで匂いが篭ったのがまずかったのか。

「ああ、それね。どうも箱を盗み出すときに子供の棺桶を装うために白く塗ったらしいんだ。

あれ、違うな。白い塗料で目印がつけられていたから、白く塗り潰したんだっけ。そしたら

子供の葬列と間違われたって話だったかな。その塗料の匂いだってさ」

「な、なるほど……」

たしかフリンの話では、白は男の子の棺桶だった。

船室の窓を開けて、海風の匂いを取り込んでいると船が動き出した。

「やれやれ、一安心ですね」

流れ出した風景に、ヨザックさんが本当に安心したように大きく息を吐く。

有利に村田くんにわたし。今回の旅は護衛対象が多すぎて、ヨザックさんは気の休まる暇

もなかったでしょうね。ごめんなさい。有利もグウェンダルさんに頼んで特別賞与をお願い

しておこうと言ってた。グウェンダルさんに頼まなくても、有利が直接あげちゃだめなの?

部屋に充満した匂いが薄れたところで、改めて棺桶に向き直った。

真っ白に塗られているから、記憶を刺激されないかもと思っていたら、別の感じを受けた。

怖いと感じるのも、懐かしいと感じるのも一緒。

だけど。

そっとその表面を指先で撫でてみた。箱に施された装飾のおうとつが伝わってくる。

それと一緒に伝わったものは。

「……封印が強くなってる」

「え!?」

ヨザックさんが大声を上げて、それを村田くんが静かにと止めている声を聞きながら、感じる

ままに口にしてみる。

「……強く……ううん、地の果てほど……弱ってない……?」

「シマロンが……人間が何か手を加えたということかい?」

「どうだろう……違うと思うな」

「違うと感じるんだね?」

「うん。そんな気配はない」

村田くんが横に移動してきて、箱の蓋を撫でた。

「うーん、やっぱり僕にはちょっと封印の状態までは判らないなあ。封じた頃より弱っている

としか」

「わたしも判るというより、感じるだけなんだけど」

「君の場合は記憶が曖昧みたいだからね。その『感覚』が重要」

すみません、曖昧なんじゃなくて、全然ありません。わたしの中の感覚が、本当にわたしが

感じているものなのかも不明です。……感覚が伝わってくるだけでもまだマシだけど。

村田くんは何かを考えるように右手で箱を触りながら、左手で顎を撫でた。

「……ミニすり鉢とゴマが欲しいな」

「は……?」

ゴマで何ができるのだろうと思ったら、村田くんは左手ですり鉢を持っている構え、右手で

すりこぎを持っている構えで、ゴマをすり潰す真似をする。

「こうね、ゴーリゴーリやったら、考えがまとまりやすいんだ。精神集中できるっていうかな」

「あ……あのね……」

脱力したのはその一瞬だけだった。彼が小さく呟いたから。

「『風の終わり』の鍵はウェラー卿だったな……」

「そ……」

「それじゃあ、コンラッドが封印を強めた可能性があるってことですか!?」

ヨザックさんに先を越された。

声量で負けてなんだか悔しい。

ああもう、今はどんな些細なことでもコンラッドに関することでは一番でありたいらしい自分

がいやだ。ふられてるくせに心が狭いこと、この上ない。……ふられてるからこそかな。

余裕がないから。

村田くんは口にするつもりがなかったらしく、いかにもしまったという表情で口を押さえた。

それからちらりとわたしを見て、溜息をつく。

「んー……その可能性は否定できないけど……」

「じゃあ……!」

ひょっとしてコンラッドは、箱の封印ために、大シマロンに行ったのかもしれない。箱を監視

する為に、大シマロンに留まり続けなければいけなかったのだとしたら、箱がこちらの手に

入った以上、どうにかそれを報せることが出来たら、コンラッドが帰ってくるかもしれない。

「君がそう期待するから言いたくなかったんだ。だけどそれじゃあ矛盾があるんだよ」

「矛盾?」

「だってそうだろう?まず第一に、そのためにはウェラー卿は予め風の終わりが大シマロン

にあることを知っていなくてはならなかった。第二に、誰も知らない箱の封印の強化なんて

真似を、どうして彼が出来たのか。第三に、そんな真似ができたのに、何故箱が盗まれた

ことに……あの戦闘になったときに気付かなかったのか」

「何かおかしいですか?箱の在り処は情報を掴んでいたかもしれません。オレだって人間

の土地で不穏な動きがあるからと、カロリアに派遣されていたんですよ?」

「そうよ、他国が箱を手に入れた情報が入ったって、コンラッドはそう言ってた!」

わたしとヨザックさんに詰め寄られて、村田くんは仰け反りながら箱に手をついた。

「じゃあそれは知っていたんだね。でも二番目は?封印の方法なんて僕は知らされてない。

彼女は思い出していない。なのに何故、ウェラー卿はそれを知っていたのか」

「鍵だからじゃないの?ひょっとしたら、箱と繋がりがあるのかも」

「あるいは、口伝の可能性だってありますよね」

「それはないね」

いやにはっきりと言い切った村田くんに驚いた。

「どうして」

村田くんは何か考えるように俯いて呟くと、首を振ってすぐに顔を上げた。

「それに、第三の点はどうなる?の意見の通りなら、戦闘になったときあんなに近くに

いたんだよ?繋がりがある箱に気付かないなんてあるかな」

「じゃあ逆に聞くけど、気付いていなかったなんて証拠もないわ」

「……そうか……気付いていたのに、それをシマロンの王に伝えなかったのなら、やっぱり

あいつはこちら側の者だってことですよね?」

「そうでしょう!?」

勢いづくわたしたちに、村田くんは難しい顔のままだ。

「……だとすれば、ウェラー卿は近いうちに帰還するなり、なにか連絡をつけてくるなりする

はずだ。だけど僕はそれはないと思う」

「どうして」

「彼はこの件に関わっていないという方が、すべてすんなり説明がつくからだよ」

恨めしそうに唇を噛み締めるわたしにも、眉を寄せて箱を凝視するヨザックさんも見ずに、

村田くんは指先で額を軽く叩く。

「箱の封印は、最初から『地の果て』より頑丈だったということじゃないかな。『風の終わり』

は最初の箱だ。この箱が開けば、他の箱も開くようにできている。なら一番危険なこの箱

は他の三つよりも更に強力に作られている可能性は高い」

ぎゅっと両手を握り締めて、わたしも箱の白い表面を見た。

地の果てより強力な封印が施されていたかどうか、見ただけではわからない。

「それにだよ、箱があると知っての潜入捜査なら、必ず誰か国内にそれを知っている人が

いなくちゃならない。最低でも一人は。何しろ手に入れた情報を受け取る相手がいなくちゃ

話にならないからね」

「それなら、グウェンダルさんの可能性が高い」

ヨザックさんも大きく頷いた。

コンラッドとは兄弟だし、国政もグウェンダルさんがかなり大きく動かしている。ギュンターさん

は……まあ、その、えっと。

「……じゃあ、そのフォンヴォルテール卿に聞いてみるといい。たぶん何も聞かされてないと

思うけどね。僕の結論はこうだ。箱には結局誰も何もしていない。地の果ては擬似的にでも

開きかけたから封印が弱まった可能性もある。ウェラー卿が裏切った……あるいはその振り

をしているのは、まったく別の理由で、箱にはまったく関与していない。だから彼はあの場で

箱に気付かなかった」

「じゃあわたしの意見はこう!コンラッドは箱の封印を強めるために、大シマロンに行った。

今も留まっているのは箱を監視する為に……ううん、わたしたちが無事に国外まで箱を運び

終えるまで動かないことで、箱が注目されないようにするため。だからあの時も本当は箱に

気付いていた」

強く睨みつけるように言ったわたしに、村田くんは溜息をついた。

「それは可能性くらいに考えていてくれ。違ったときショックが大きいだろう?逆に僕の考え

が正解だと思っていたら、彼が帰ってきたときはこの上なく喜びが大きくなるはずだ」

「でも……」

両手で肩を掴まれて、コンタクトを外した黒い瞳で強く見据えられる。

「恋人を信じたいのはわかる。だけど彼を信じるあまりに判断を誤ることだけは、避けなくて

はいけない。君の立場も、君の権限も、君が思っている以上にずっと大きくて重いものだと

いうことだけは、忘れないでくれ。いいね、。彼を信じるのだとしても、それを口にしていい

のは近しい者の前だけだ。渋谷、僕、フォンビーレフェルト卿、それにもう知りすぎちゃってる

ヨザックだ」

「猊下、知りすぎちゃってるって……あんまりです」

「グウェンダルさんやギュンターさんやツェリ様だって大丈夫だと思う」

「じゃあその人達までだ。つらいだろうけれど、それだけは守ってくれ。彼がシマロンにいる

現状で君が彼を庇う発言をしても、みんなは婚約者を信じたいだけと思うだろう。いや……

悪くすれば、ウェラー卿がその想いを利用すると考える者も出るかもしれない。もし、そんな

ことになりでもしたら、フォンヴォルテール卿は……渋谷だって、君の安全や名誉の為に、

君の自由を制限する必要が出てくる可能性があるんだってことを、忘れないでくれ」

ただコンラッドを信じているという、それだけのことも言ってはいけないんだ。

当たり前のことだったのに。

好きと言うのも、信じてると言うのも、頼りにしていると言うのも、全部当たり前のことだった

のに。

悔しくて、ふいに箱を蹴りつけたい衝動に駆られた。







王の妹という立場は重いです。
村田の意見が正しいのか、彼女の想いが真実を言い当てられたのか。



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