偽仮葬儀が終わって棺桶の蓋を閉めてからは、当然ながら中を検める役人はいなかった。 おれは遺体役が出て空になった棺桶に箱を詰める作業を手伝って、部屋で待っている を迎えに行く役をヴォルフラムにお願いした。ヴォルフはムッと難しい顔をして、へなちょこめ といつもの悪態を吐くだけで引き受けてくれた。 ヴォルフには葬儀の途中での様子を見に行くのも頼んだのだが、戻ってきたときにもう 心配はいらないと言われた。にも関わらず、もしもう一度避けられたらと思うと怖い。 十六年間生きてきて、記憶にある限りで初めて勝利を心から尊敬した。 ときどき張り倒されるほどの扱いを受けるのに、懲りずにに擦り寄る勝利ってすごい。 086.持ち逃げされた心(3) カロリアに向かうメンバーはおれと、村田にフリン、ヴォルフとヨザックとサイズモア艦長 とダカスコス、それになぜか遺体役に雇ったガーディーノ。なぜこいつまでついてくるのか、 おれにはさっぱり判らないが、羊車を扱えるということなので御者になってもらった。 ツェリ様はシマロンの恋人ファンファン、本名ステファン・ファンバレンと共に残った。 棺桶とこの人数を一台の中に詰めることは出来ないので、伴走組の馬車も使用だ。 棺桶を羊車に乗せているところで、ヴォルフラムがを連れて戻ってくる。 緊張の一瞬だ。 はおれと目が合うと、昨日とは違い自分から小走りで駆け寄ってきた。 「……ごめんね」 また昨日の繰り返しかとギクリと震える。はそっとおれの手を取って顔を覗き込んできた。 「ご苦労様、有利。疲れてない?」 少し元気はないけど真っ先におれを心配するいつもの様子のに安心すると共に、どっと 暖かいものが胸に溢れる。 急いでヴォルフラムを見ると、だから言っただろうという顔で顎を上げた。 「有利?」 「あ、うん!全然まったくこれっぽちも大丈夫!」 「渋谷……日本語までおかしくなってるよ」 今おれは日本語で言ったらしい。村田に笑われてしまった。 羊車には棺桶があるということでフリンが、そして箱の側には大賢者を配置ということで村田 ……と。がこっちなら当然おれもこっち。 それで満員になってしまったので、ヴォルフとヨザックとサイズモアとダカスコスは馬車組だ。 この振り分け最大の誤算は、羊と馬の仲が最悪に悪かった、ということにある。 隣に並べば相手に負けじと無意味に突っ走り、どちらかを後方に回せば不満で糞尿を撒き 散らす。お互いに視界に入らないくらいの間隔が必要になった。 カロリア一行は王都を出るまでは悼まれながら盛大に見送られ、城門をくぐってしばらくした ところで、大慌てで逃げ始めた。とにかく、盗まれた品の本命が箱だったと気付かれる前に 手の届かないところまで逃げ切っておかなくてはならないからだ。 「今盗賊とかに襲われたらアウトだな」 振り返っても馬車組が見えなくてそう呟くと、村田も肩をすくめてを見る。 「そうだね、戦力は彼女だけだよ」 正確には、の腰の剣を、だ。 「を戦力に数えるな」 「それを言われちゃうと、武装してる意味ないんだけど」 はそう言って、苦笑した。 こんな状況だから元気がないのは当然として……それ以外は昨日のおれを避けていた 様子はもう窺えない。 目が合ってしまっておれがへらりと笑顔を作ると、首をかしげながらちゃんと笑い返して くれる。 昨日のあれは、コンラッドのことに混乱してたせいで、一時的なことだったのか。 そう思いながらも念のため、手を伸ばしての頭を撫でたけど、顔いっぱいにハテナ マークを浮かべるだけで今度は逃げなかった。 「……何やってるのさ、渋谷……」 村田が呆れたような視線を送ってくる。 のことが落ち着くと、今度はこいつに言いたいことがあったのだと思い出す。 「ところでさ、ちょっとばかし気になったんだけど、お前は箱の偽物を船でヨザックに作ら せてたんだよな?それって最初から優勝なんてできないって踏んでたわけ?」 「あれはそういうんじゃないよ」 村田は不謹慎にも……といっても中身は本来のものじゃない……棺桶にもたれかかって 軽く笑った。 「優勝しても、君は箱を希望しないだろうって思っていたんだ」 「なんだよそれ……お前予知とか予言とかできたっけ?」 「予言じゃないさ。予測。ヨザックから魔剣の話を聞いてね、きっと君なら『風の終わり』を 公然とカロリアに持ち帰ることが、どんなに危険か気付くだろうという、予測」 「……さすが大賢者様」 おれより先におれの考えを把握するとは恐れ入った。 後ろの壁にもたれようとして。 「ンモふーっ!」 急に酔いどれ走行になった羊達のお陰で頭を打ち付けた。 「有利!」 目の前に火花が散ったが、咄嗟にが頭を抱えて庇ってくれたのでそれ以上は木板に ぶつけずに済んだ。 よかった、本当に本当のいつものに戻っている。 思わずを抱き返していたら、村田に後頭部を叩かれた。 「いって!ぶつけたとこっ」 「村田くん!」 「過剰兄妹愛を振りまいてる場合じゃないって!追っ手……というより先回りだな。何十人 かの……三十人くらいだな、騎馬隊だ」 いつの間に取り出したのか、魔動遠眼鏡を覗いていた村田の呻きに、馬車の中に緊張が 走る。 「くそっ!逃げ切れ……る、わけないよな。先回りなんだもんな。ガーディーノ、馬車を森側 に寄せろ。せめて囲まれることだけでも防ぐしかない」 御者台に指示を出しながら、おれは武器になるものを求めて荷台の中をひっくり返した。 「箱のことが知れたのかしら?」 フリンの緊張した声に、村田は首を傾げる。 「それで考えると先回りはおかしい。待ち伏せするくらいなら、堂々と棺桶の中身を検めて もよかったはず……でも盗賊じゃない。統一した制服を着込む追い剥ぎなんて聞いたこと ないからね」 統一した制服とやらは、大シマロンの白と黄色の軍服でも、小シマロンの水色の軍服でも なかった。 森を背にした羊車を半円状に取り囲んだ騎馬集団は、濃緑色のマントと赤と緑で隈取られ た不気味な仮面をつけている。 が小さく悲鳴を上げる。 そうだ、すべてはこいつらから始まった。ギュンターを射落としたのも、コンラッドの腕を斬り 落としたのもこいつらだ。ギルビットの館でおれが暴走したのも、こいつらがあの場に駆け 込んできたからだ! 辛うじて使えそうな武器は、貧弱そうな棍棒だけだった。どう考えても勝ち目はない。 おれの目に金張りの棺桶が映った。大慌てて首を振ってその考えを打ち消す。 この中にある物は、一度開けてしまえばどうなるか判らない代物だ。第一鍵もない。例え 鍵があったとしても、もし開けて大陸半分に大打撃を与えるようなことになったらどうする。 こんな兵器を使うことは、どんな状況でも考えてはいけない。 「カロリアの一行か!?」 外からの問いかけに、おれは村田を振り返る。 「ここは正直に答えるべきか、すっとぼけるべきか!?」 「すっとぼけて、とぼけられればいいけどね……」 村田の視線が棺桶とフリンに向かった。そりゃそうだ。 「馬車組が来るまで時間を稼ぎたいところだけど、来たからといって互角に戦える頭数 じゃないなあ」 四人と三十人じゃ話にならない。 「くそ、こうなったらムラケン、スイッチオンだ。おれが鉄人というのは納得いかないが、 リモコン操作は頼んだぞ正太郎」 「だめだ」 捨て身の作戦はあっけなく却下される。 「渋谷、君は一体どれだけ魔術を使ったか、ちゃんと把握してるのかい?今魔術なんて 使ったらバタンキューだよ。バタンじゃない、キューがついてる」 「わかりにくい例えしてんじゃねーよ!だって他にどんな方法があるんだよ!?」 「わたしは?」 窓から外を伺いながら、は剣を握り締める。 「わたしの魔力を使えば?」 「そんなことさせられるわけないだろ!?」 「まったくだ。君だって渋谷ほどじゃないけど、魔術を使ってるだろ。小シマロンのスタジ アム、昨日の闘技場、それに自覚はないかもしれないけど、ギルビット邸で渋谷が暴走 したとき、彼の魂が傷付かないように君は魔力の補充もしてたんだよ」 「そうなの!?」 おれだけじゃなくての声も重なった。確かに自覚はなかったようだ。 「もう一度聞く、カロリア一行なのかっ!」 「だったらどうなんだよ!」 急かすなよ短気な奴めと怒鳴り返すと、返答は至極物騒なものだった。 「死んでもらう」 「なんてお約束な答えだ!」 くそ、こうなったら時間稼ぎの引き延ばし交渉……。 ガチャリと扉が開く音がして、バタンと閉められた音がした。 車の中を見回せば、残っているのはおれと村田とフリンと避難してきていたガーディーノ。 ………がいない。 「!?」 は、一人外に出ていた。 「、こら、開けろ!開けなさいってば!」 扉の取っ手をどう固定したのか、どれだけ下に押しても取っ手は下に降りてくれない。 そうこうするうちに、は車から飛び降りて地面に降り立つ。 「これが大シマロンのやり方だということ?」 「……答える必要はない」 馬車の周囲から一斉に鞘走らせた抜刀の音が聞こえて、おれは半狂乱になって扉を蹴り つける。 「馬鹿!!やめろ、やめろってばっ!」 が何をしようとしているのかなんて、すぐに判る。 お前はあの教会でも、魔術を使うのを失敗したじゃないかっ! 「くそっ!なんて頑丈なドアだよっ!」 おれと一緒になって村田も扉を蹴りつけ始めた。 「渋谷の言うとおりだ!それに無理だって、言っただろ!?」 「表では寛容な顔をして、裏では力ですべてを思い通りに操ろうだなんて、王者らしくない 随分と卑怯な手口ね。それともこれは、比類なき大シマロンの行動などではなくて、それを 装った小シマロンの行動かしら。カロリアは小シマロン領だもの」 「その答えをお前が知る必要はない」 男たちが剣を構えると、も息を吸う。 「水に属する全ての―――」 ひゅっと音高く空を切った白い矢が飛来して、男達のひとりの胸に突き立った。 驚いたの呪文の詠唱が止まる。 その間にも次の一撃が飛来して、馬の足元に突き立った。小心な動物が棒立ちになって 二人ほどが落馬したが、すぐに起き上がって剣を拾う。 もぱっと身を翻して、どこに掛けていたのか剣を取ってまた馬車から降りる。 どこって。 「開いたっ!」 剣を引っ掛けて取っ手を押さえていたのか。 は驚いたように振り返った。 「有利は出てきちゃだめっ!」 「それを言うならお前こそ……っ」 を叱り飛ばしながら矢の飛んできた方角を見ると、凍りかけた泥水を跳ね上げながら 十数人の集団が、奇声を上げながら突っ走ってくる。騎馬兵が僅かに三人いるが、それ 以外は薄汚れた格好の男達だ。 「だ……」 誰だろう、という疑問はすぐ近くで聞こえた金属音で止まった。 見ればが剣を抜いて斬り合いに入っている。 「!」 「中に入ってて!」 「そんなわけいくか!」 おれも車から駆け下りて、貧弱な棍棒を振り回してと鍔迫り合いをしていた男を横から 殴り倒す。 「お前はまた無茶ばっかりして!」 怒鳴りつけたおれ見て、が目を見開いた。 「有利、しゃがんでっ!」 反射的におれがしゃがむと、が剣を横なぎに振るう。 ばっとおれの目の前に鮮血が降ってきて、男が地面に転がった。 「あ……」 おれのすぐ横に倒れた男の下から、どろりとした赤い血が地面に吸い込まれて行くのを 見てしまった。 |
思いがけぬところで味方なしの戦闘に入りました。 |