怒濤の一夜が過ぎて、ようやく落ち着いた……ようにくらいは振舞えるようになったところで 村田くんの作戦について説明してもらった。 禁忌の箱を盗み出すことには成功したものの、今度はこれを国外まで運び出さなくてはなら ない。 幸いシマロン側は盗まれた品物を、本当の目的を欺くために箱と一緒に失敬したゾウ頭の 魔王像だと思っているから、その間に更に一回り大きい箱、つまり棺桶に入れて持ち出そう という作戦だそうな。 だけど本当に盗まれた物が箱だと判明すれば、例え一国の主の棺桶であろうと検められる ことは目に見えている。 そういうわけでこちらとしてはさっさと帰りたいのに、大シマロン側はテンカブ優勝の勇者の 仮葬儀をしたがって、足止めを食らっている状態だった。 「敗れてなお勝者を讃える度量を見せたいんだろうね」 村田くんは肩をすくめて、仮葬儀の取り仕切りに駆け回っていた。 086.持ち逃げされた心(2) フリン・ギルビットは故人の妻として、当然ながら遺体に付き添っていて、ヴォルフラムと ヨザックさんは故人のチームメイトとしてあちこちで讃えられている。 闘技場でも舞踏会でも素顔を晒していた問題の有利は、なんとノーマン・ギルビット似の カロリア領主夫人の愛人という噂で落ち着いてしまった。 夫の試合に夫似の愛人連れで見物に来る夫人って……。ものすごいことになってるなあ と肩をすくめているわたしはというと、カロリア選手団の為に用意された部屋で一人窓から 葬儀に走り回る人々を眺めていた。 昨日のボロボロの様子を見ていた全員から、今日は休めと押し込められてしまったのだ。 「一人で部屋に篭ってる方が、よっぽどしんどいよ」 窓から離れてテーブルに移動すると、服の下に紐でぶら下げていた小袋を引っ張り出して 中身を掌に転がり落す。 片方を無くしてしまった琥珀のイヤリングを指先で摘んで、窓から入ってくる光に透かした。 中の気泡が銀色に輝いて見える。 「……我ながら往生際が悪い……」 今までお世話になりました、と別れの挨拶をしたのに。 片方を無くして、ただのアクセサリーとしてももう使えないのに捨てることが出来ない。 「いやいや、捨てるなんてもったいないよ。リフォームしてペンダントとかブローチにしたら いいじゃない」 元王子様のコンラッドからしたら安物だろうと、日本の一般家庭に育った女子高生には、 壊れてもいないものを捨てるなんてもったいなくてできません。 「……ということにして……」 自分に言い訳をしないと、これを持っていてもいいのかも自信がない。けれど絶対に捨て たくはない。 でもこの石の意味は有利も知っていて、これを見るたびにきっと有利もコンラッドのことを 思い出しちゃうから……。 「別にいいか」 コンラッドを思い出してしまう品なんて、有利自身も魔石を持っているからこれだけを気に しても仕様が無かった。 フォンウィンコット卿スザナ・ジュリアのものだった魔石を。 いつの間にか睨みつけるようにイヤリングを見上げていて、溜息をついてテーブルに転が した。 「ほんとに往生際わるーい」 自分で自分を茶化さないとやってられない。 きっと泣けば少しは楽になるだろうと思っているのに、それさえできない。 有利の心配そうな顔を見ていたら、心配されるような資格なんてないんだと思って、そう したら涙が出なくなってしまったのだ。酷い自己嫌悪で。 「やだな……」 一人で部屋にいたら、どんどん気分が沈んでいく。だからって、窓から見えるのは憂鬱な 葬儀の準備だし。 ばたりと両手を投げ出すようにしてテーブルに倒れ込んだのとほぼ同時に、部屋の扉が 開いた。 「どうした、!?」 「わ、ヴォルフラムお帰り」 だれていただけのわたしを心配したのか、駆け寄ってきたヴォルフラムに抱き起こされて、 軽く手を上げて挨拶をする。 「あ、うん。今戻った」 そんなわたしを見て、ヴォルフラムも気が抜けたように返答する。 「まったく、おかしな倒れ方をしているから驚いたじゃないか。身体がどこかがつらいという ことはないか?ユーリもお前も、昨日は大掛かりな魔術を使ったんだからな」 「平気平気。むしろ暇すぎて疲れる」 「部屋から出るなよ」 釘を差されてしまった。 昨日、わたしのよれた状態を見たヴォルフラム達は、わたしがシマロンの貴族に襲われた のだと思い込んでいて、とにかく部屋から出るなと厳命が下っているのだ。 まさかねー、みんなが助けたと思っているコンラッドこそが犯人ですなんて言えないから、 口を噤むしかないんですけれども。 「それは……」 「え?」 ヴォルフラムの視線を追ってテーブルを見ると、さっき取り出していたイヤリングがちょこん と乗っていた。 「あ、いや、これはっ!」 慌てて掴んで握り締めてももう遅い。ヴォルフラムはみるみる不機嫌になって、むっつりと 黙り込んでしまった。 諦めが悪くてすみません。コンラッドのことは弟のヴォルフラムだってつらいよね……。 口に出して謝るとまた角が立ってしまいそうで、心の中で呟いているとヴォルフラムは椅子 を引いてわたしの向かい側に腰を降ろした。 「伝説の大賢者は、言い伝えよりよっぽどいい加減だな」 「……へ?」 「仮葬儀の提案を色々と出していたが、いくつかは古すぎて文献にも残っていないような ものだったらしい。そうしたら『これが最新式のやり方です』で大シマロンの兵士を言いくる めてしまった」 いかにも村田くんらしい。思わずわたしが吹き出すと、ヴォルフラムは気を良くしたように身 を乗り出して、遺体役の青年の寝息がうるさすぎてごまかす為に喋るのが大変だったとか、 ヨザックさんが女性の喪服を着たがって止めるのが大変だったとか、居眠りしかけた有利 がフリンの肩に寄りかかってしまって、主にご婦人方から邪な悲鳴があがったとか、その 有利をヴォルフラムが後ろから蹴飛ばしたとか、色々一気に捲くし立てた。 わたしが頷いてくすくすと笑い続けるのに、ヴォルフラムは大満足そうに頷く。 さっきのは機嫌が悪くなったんじゃなくて、どうやって慰めようかと考えていたんだ。 ヴォルフラムは優しいな。 自分のことしか頭にないわたしとは、大違い。 そう。有利はわたしのことを心配してくれるのに、わたしは有利のことを心配するどころか、 勝手に嫉妬して拗ねているだけだったのに。 そう思ったら、申し訳なくてまともに顔も見れなかった。 それがますます有利を心配させると判っていたのに、それでもほとんど目を合わせること もできなかった。 だってわたしは。 「自分勝手だ……」 「うん?何か言ったか?」 面白エピソードが尽きてしまったのか、まだ何かないかと考え込みながらヴォルフラムに 聞き返されて、ぽつりと口を滑らせてしまった。 「死んでしまった大切な人が生まれ変わって側にいたら、ヴォルフラムはどんな気持ちに なると思う?」 ぱかりと口を開けたまま言葉が出ないらしいヴォルフラムの顔を見て、ようやく今自分が なにを言ったのか気付いた。 「ごめん、今のな……」 「ああ、大賢者のことか?猊下は大切と言うか……眞魔国の民にとって敬うべき方だが。 そうだな、案外落胆したというところかもしれないな」 「落胆?どうして」 「言い伝えというものがどれだけ美化されているかということだ」 思わず笑ってしまう。確かに、ギュンターさんの大絶賛と村田くんの行動はちょっと重なら ない。 「さすがにはっとさせられることも多々あるが。それとも、結局は別人だということかもしれ ない」 「……え?」 「だってそうだろう。言い伝えの猊下は、現在の猊下と見た目もまるで違うんだぞ。中身 だって違ってもおかしくはない。ひょっとしたら伝説の猊下はもっと神々しい方だったかも しれない」 ……なるほど。村田くんも言っていたじゃないの。 村田健は、村田健でしかない。 その人の記憶があるだけで、村田健以外の何者でもない、と。 「もしも……もしもだよ、ヴォルフラムがまだ有利に出会っていなくて、昔好きだったけど 亡くなってしまった人が生まれ変わって側にいてもそんな風に思う?好きにならない?」 ちょっと露骨な聞き方だったけど、ヴォルフラムは疑問を感じなかったらしく少し考えた後、 肩をすくめて首を振った。 「ユーリのことは関係なくとも、好きにはならないだろうな。結局は別人だろう?……そう だな、もしも死んだ者と似通った内面を見つければ、改めて好意を寄せる可能性はある かもしれない。好みが変わっていなければの話だが」 「外見はともかく、内面の好みってそうそう変わらないものじゃないの?」 「そうでもない」 断言するところをみると、ヴォルフラムの好みは変わったということかな。 「……有利と、今まで好きになってきた人は、似てないんだ?」 ヴォルフラムは眉間にしわを寄せた照れ隠しの表情でむっとしたように呟く。 「まるで、似てないな」 照れているヴォルフラムが可愛いし、ヴォルフラムとこんな話をしていると知ったら有利が どんな顔をするのかも想像するとおかしくって笑っていると、ヴォルフラムは不機嫌そうな 表情なのに顔を赤くする。 「笑うな」 「だってヴォルフラム、可愛いんだもん」 「かわっ……!」 絶句したヴォルフラムがますます可笑しくて、笑いながらイヤリングを握り締めていた手を、 ようやく開いた。 「いいなあ……」 「……何がだ」 「だってヴォルフラム、今はちゃんと有利のことしか見てないから」 怪訝そうな顔がおかしくて、笑いながらイヤリングを袋にしまって服の下に戻した。 「ヴォルフラムを好きになれたら、楽しかったかも」 さっとヴォルフラムの顔から赤みが退いて、今度は逆に少し青褪めてすらいる。 「」 「あ、でもそしたらまた振られるんだっけ。だってヴォルフラムは有利が好きなんだもんね」 「、お前……」 「ヴォルフラムはいい趣味してるよ。有利はいつも公明正大で優しいし、将来性もばっちり だもん。わたしは……わたしは、ね……」 「、違う。お前は何も悪くない。悪いのはコンラートだ」 ヴォルフラムは席を立って、わたしの横に回りこんで肩を抱いて揺らす。 「コンラートが何を考えているのだとしても、悪いのも間違っているのあいつだ」 「……違うよ、そうじゃない」 「違わない。あいつが悪い」 「そうじゃない。わたし、わたしは……自分のこと、ばっかりで……」 「そんなことはないぞ。むしろお前はユーリばかりというべきだ」 ほんの少し前なら誇らしく肯定できたそれに、もう頷けない。 だってわたしは。 『あなたは眞魔国魔王の王妹だ。裏切り者にそんな言葉を向けるのは、およしなさい』 コンラッドの言葉が、胸に刺さる。裏切り者、と。 「有利に負けたくなかったの……」 有利を追う背中。 部屋に入ったわたしに、陛下と呼びかけた声。 もうあんなにもはっきりとわかっていたのに、それでも負けたくなかった。 「……有利に……何も言わなくても……わたしにだけは言って欲しかったの……話せる ことがないなら、せめて待っていろと……わたしにだけは言って欲しかったの」 殿下だなんて他人行儀に突き放されて、もう忘れろと言われても、それでも。 「………一緒に来いと……言って欲しかった」 肩に置かれた手が揺れた。 わたしは膝の上で震えていた両手を組んで強く握り締める。まるで懺悔だ。 違う。まるでじゃなくて、本当に懺悔だ。 本当は、有利に懺悔しなくてはいけないことだけど。 有利に告げる勇気はない。 責められるのと同じだけ、許されるのが怖い。 殿下と呼ばれる身でありながら……ずっとわたしのことを心配してくれている有利がいるの に……わたしの願いは。 「本当にそう言われていたら、有利を裏切ったのか……裏切れたのか判らない。それでも 言って欲しかった。信じて待っていてと、それ以上に一緒においでと……。有利はわたしの 心配をしてくれていたのに、ずっとわたしは自分のことばかり……っ」 そして、自分から求めておいて、そのくせ出来ないかもしれないことを、願ってばかりで。 もしもあの時コンラッドが一夜限りだなんて言わなかったら、わたしはどうしていただろう。 二番目になら愛してあげようと優しく抱き締めてくれたら。 本当に、コンラッドを拒否しただろうか。 「あんなに有利は優しいのにっ……わたしは……ずるくて、汚い……っ」 「難しいな」 ぽつりとヴォルフラムが呟いて、抱いていた肩を軽く叩いた。 「確かに、それはユーリに対する裏切かもしれない。は、ユーリを捨ててもコンラート が欲しかったんだな?」 「わからない。……ううん欲しかった。でも、本当に捨てられたのかわからない。結局自分 のことばっかり。有利はわたしを心配してくれた。コンラッドにだって絶対になにか事情が ある。でも……わたしは、自分のことしか考えてなかった……」 申し訳なくて、まともに有利を見ることができなかった。 こんなにずるくて汚くて、ジュリアさんのことがなくてもコンラッドに嫌われても仕方がない。 それがつらかった。 「手の掛かる妹だ……ユーリやぼくに謝っていたのはそれでか」 呆れたような溜息が上から降ってきて、ヴォルフラムの手が叩いていた肩をぎゅっと強く 抱き寄せてくれる。 本当は、有利がジュリアさんの生まれ変わりだということにも引っ掛かりがあったけれど、 それは言えない。ヴォルフラムはその事実を知らないようだから。 「人を好きになるのに綺麗も汚いもあるか。公正不公正もない。それを決めるのは 自身だ。いいか、ぼくからの忠告はたった一言だ」 抱き寄せた肩を揺すって促されて、そっと見上げる。 「後悔だけはするな」 すぐ側から見下ろしていたエメラルド色の瞳は、にやりと不敵な笑みを見せた。 「後悔だけはするなよ。そのときの全力の気持ちでぶつかっていけ。ぼくはいつで もユーリにそうしている」 有利とヴォルフラムは、こういうところがよく似ている。 わたしがコンラッドのことを好きだと認められなかった頃、背中を押した有利も同じことを 言っていた。 後悔だけはするなと。 「……でも……もうわたし……ふられたもん……後悔するもしないも、ないよ」 選ぶ前に選べなかったんだから。 自分勝手なことばかり願っていた報いかもしれない。 「だからあんな奴、やめておけと言っていたんだ。あんな男はさっさと忘れてしまえ。もっと に相応しい男をぼくが見つけてやる」 「頼もしいなあ」 「そうだろう、ぼくは頼れる義兄だからな」 「……遠くで想うだけなら、いいよね」 ヴォルフラムは苦笑して、わたしの頭を撫でた。 「振られたけど、わたしがまだ好きなんだってこと、コンラッドが知らなければコンラッドに は迷惑じゃないよね。だって知らないんだもん」 「ぼくは忘れてしまうことを勧めるが」 本当にそうしたら、きっと不機嫌になるくせに、ヴォルフラムはそんなことを言う。 ヴォルフラムはわたしのことを、責めも許しもしなくて、ただ忠告だけをくれた。 結局、それは裏切った気持ちを許してくれたことになってしまうのかもしれないけれど。 それでも。 「後悔するなって言ったのはヴォルフラムだもん」 「そうだな、だからの好きにするといい」 「……有利の側で、コンラッドのことを想うよ」 「なら、そうするといい」 優しい笑顔で頷いて、それを裏切りだとは言わなかった。 |
有利にだからこそ、言えないこと。 |