広間に戻ってきてみれば大騒ぎで驚いた。

「しっかりしてあなた、ノーマン!嗚呼どうか、どうか神よ、私の夫をお救いください!」

「……は?」

絹の手袋をはめた指を組み、天を仰いで祈っているものの、いささか大袈裟に芝居がかって

いるように見えるのは、おれがノーマン・ギルビットはとっくに死んでいると知っているからか?

もがき苦しむ仮面の男が乗る担架をヴォルフラムが先導して、フリンと村田とヨザックが担架

の脇について駆けて行く。

見覚えがありすぎる仮面だ。あれはさっき返したばっかりのノーマン・ギルビットに変装する

七つ道具のうちの一つだ。あと六つは……なんだろう。

「ちょっとぉ、どーいうこと!?」

人込みを掻き分けて担架を追いかけると、おれに気付いた村田は静かにとジェスチャーする。

話が聞けたのは、担架が運ばれた部屋に入ってからだった。






086.持ち逃げされた心(1)






「身分の高い人間の遺体が必要なんだ。正確に言うと棺桶がね」

担架を運んでいた男達が部屋を出て行くと、ヨザックが素早く扉を閉めてから、ようやく村田

が簡単に説明してくれる。

部屋の中にはもがき苦しむ謎の仮面の男と、カロリア領主夫人のフリン、ノーマンのチーム

メイト役のヴォルフラムとヨザック、従者役の村田、そして医者役らしい変装したサイズモア

艦長がいる。

「……ということは、そこで演技してるのはダッキーちゃんか?」

「いいや、ダッキーちゃんには別の準備をしてもらってる。その人は急遽捕獲した死に役だよ。

それに彼の場合は演技じゃないかなーと思うんだけど」

ヨザックは呆れ顔で溜息をついた。

「そりゃそうですよ。雪で滑って膝の皿が割れてんのに、手当てもなしでその上、中年兵士が

三日間履いた脱ぎたての靴下を、口の中に突っ込まれて猿ぐつわにされてるんですから」

「うっ……」

聞くだけでも寒気と吐き気が込み上げる状態だ。そりゃ演技じゃなくて本気でもがき苦しんで

いるに違いない。

「じゃあこの人は今から亡くなる予定なんだ……」

「そういうこと」

「はるふつわふらいはほっへふらはーい!ひろらへらもひたみろめふれるっ」

覆面の下からの意味不明の訴えに、村田はマスクを引っ張って外した。

「はいはい、痛み止めね。それから猿ぐつわを外したいんだね。艦長」

この状態を作ったのは村田らしいのに、唾液でベトベトの靴下をサイズモア艦長に取らせる

酷い男がここにいる。

覆面を外すとごく普通の青年が現れた。正規の兵士のように髪も長くないし、どちらかという

と優男風の印象がある。

聞けばやっぱり正規の兵士じゃなくて、芸術家を目指して上京した臨時バイトだそうだ。

だが臨時の兵士よりも死に役の報酬の方がずっと高額で、既に合意しているそうな。

それであの猿ぐつわをはめたままって……鬼か、村田。

喋っているうちに痛み止めが効いてきたらしく、睡魔に身を任せて死体役の青年が眠って

しまうと、艦長が仮面を被せる。

「でもなんで棺桶が要るんだ?」

「あれー?もしかして誰も渋谷に話してなかったの?」

「何だよ、おれだけ除け者かよ。一体何するつもりなんだよ」

「木を隠すには森の中。ということで箱を隠すには箱の中だと思ったんだよ。それで棺桶が

いるんだ」

「待て、省略しすぎだ。さっぱりわかんねえよ」

「詳しい話は後でね。じゃあグリエさん、ドア開けてー」

君たちおれを誰だと思ってんだよ。なんでおれが蔑ろなのと冗談めかした抗議をする前に、

ヨザックが扉を開けてしまい、泣きはらしてやつれた様子を作っていたフリンが偽ノーマン

の偽死体に取りすがって大声で泣き出した。

「おお神よぉ、あなたが私に与え給うた試練が、これほど辛いものだとはー!」

何年も夫の振りをして演技をしてきたとは思えないほどの大根ぶりだ。

女優のグリ江ちゃんがなっちゃいないわ、と横で小さく呟く。

「皆様、今夜この時刻に、ノーマン・ギルビットは身罷りました!」

フリンよりよほど悲しんでいるように聞こえる悲鳴が上がり……まああっちはホントに死んだ

と思っているんだから当然だけど……その騒ぎが廊下を小波のように駆け抜けていく。

「よし、じゃあまず死体を運ぶんだ。正式な葬儀はカロリアについてからということで仮葬儀

の準備だ。ダカスコスさんたちが待機してる部屋に移動しよう」

村田の指示でヨザックといつの間にか変装を解いていたサイズモア艦長が担架を運び出し、

それに続いておれたちも廊下に出た。

勇敢なるノーマン・ギルビットの為に人垣が割れてその中を粛々と進むが、厄介だったのは

偽ノーマンの結構大きな寝息だ。

おかげでフリンはあの大根演技でずっと泣き真似をしなければならなくて、そろそろ泣き声

が詰まってシャウトになってしまいそうな頃に、荒い足音が向かう先の階段を降りてきた。

はっと緊張が走ったおれたちの前に現れたのは、赤いドレスの上に白の礼服を肩に掛けて、

服も髪も乱れた様子のだった。

……?」

ただならぬ様子に、おれの隣でヴォルフが息を飲む。

別の意味で緊張が走り止った葬列に、おれが担架を担ぐヨザックを押しのけて駆け寄ると、

は肩に掛けた白い礼服を握り締めて俯いた。

、それ……」

手当ての間、床に無造作に投げ置いていたせいで出来た皺もある。

間違いない、コンラッドの上着だ。

コンラッドに会ったのか。

が駆け下りてきた階段はおれが通ったところと同じで、まず間違いない。

「ゆう……り……」

消え入りそうな声はすでに涙が滲んでいて、俯いた顔から透明な滴が零れて床に落ちて

弾けた。

「ごめんね……」

?」

「ごめんね……ごめんね………」

「なん……で……」

なんでが謝るんだ?

泣きながらが謝るようなことは何もなかったぞ!?

「渋谷」

いつの間にかすぐ後ろに村田が立っていて、そっと耳打ちをしてくる。

「とにかく、を連れて移動しよう。幸い彼女が泣いていてもおかしくない状況だ」

何が幸いなんだよ。

村田が言うこともわかるけど、反発心が湧き上がる。そういう意味じゃないともわかっている

のに。

だけど確かにこんな人目の多い廊下じゃどうしようもない。

を促そうと手を伸ばしたら、肩が大きく跳ね上がって、おれから離れた。

「……?」

「ごめんなさい………っ」

が、おれから逃げた。

こんなこと初めてで、一体どうしたらいいのか判らない。

、どうしたんだよ……」

伸ばしたまま宙に浮いた手と、ボロボロと泣きながら首を振って謝り続けるを交互に見て、

もう一歩踏み出そうとするのに足が動かない。

なんだよ、あと一歩詰めろよ。もう一度手を伸ばせば、今度こそ肩に手が届くさ。抱き寄せて、

一緒にとにかく移動しなくちゃいけないんだよ。動けよ。

動けよ、おれ。

硬直したおれの横を、誰かが通り過ぎた。

金の髪が廊下を照らす松明の灯りに煌めいて。

おれを追い抜いたヴォルフラムがそっとの肩に手を置いた。

「行こう、

「ごめんなさい……っ」

「いいから行くぞ」

ヴォルフラムが二の腕を掴んで歩き出すと、泣きながらはその後について歩く。

おれからは逃げたのに。

「君も行くよ、渋谷」

気がつけばヨザックたちも先に歩き出していて、最後に残っていたおれを村田が引っ張った。





ダカスコスが待機していた部屋に着くと、ヴォルフはを部屋の片隅の椅子に座らせる。

ぐずぐずと泣いていたは、その頃になってようやく涙を止めて顔を上げた。

「ごめんね……有利……」

「だ……から、なんで……」

謝ってんの?

コンラッド絡みだろうというのは、上着を見ても判る。でもなんでコンラッドのことでが謝る

んだろう。

婚約者だったから、責任を感じてるのか?

に初めて拒絶されたショックから歯切れの悪いおれに苛ついたのか、ヴォルフラムが間に

立って聞き始めた。

「この上着はどうしたんだ」

「……コンラッドのもの」

「コンラートの!?会ったのか!」

がこくりと頷いて、おれ以外の全員の間に緊張が走る。

「それで、一体……っ」

「何も聞けなかった」

俯いて、赤いドレスを握り締めてはぽつぽつと話し始める。

「………パーティー会場で、コンラッドに会ったの……でも、話の途中で広間から出て行って

しまって……」

それはおれも聞いた。おれがフリンと踊っていた場にコンラッドがいたとも、に会ったとも

言っていた。

「追いかけたんだけど……もう廊下にはいなくて、ずっと探してたの……」

「一人で!?まさか……それで、誰かに襲われたのか!?」

「え……っ!」

蒼白になったヴォルフの叫びに、部屋の空気が凍りつく。のドレスは乱れてよれているし、

髪も半分解けかかっている。よく見れば、イヤリングも片方なくなっていた。

「でもその上着、コンラッドのだよな!?」

恐ろしい可能性を否定したくておれが駆け寄って両肩を掴んで揺さぶると、は俯いたまま

で頷く。

「では……コンラートが助けたのか?あいつ……何を考えているんだ。を守りたいなら、

帰ってくればいいのに……」

は顔を上げて、顎に手を当てて考え込むヴォルフラムを見たけど、結局何も言わずに首を

振っておれの服を指先で摘んだ。

「ごめん……ね……有利………何も……何も、聞けなかった」

が謝っていた理由がようやくわかった。

そうか、コンラッドと会ったのにシマロンにいる理由を聞き出せなかったことを謝っていたのか。

「おれもだよ、。おれも会ったけど、何も聞けなかった。だからお前が謝ることないよ」

「お前もコンラートに会ったのか!いつの間に!?」

ヴォルフラムが驚いたように振り返り、ちょっとバツが悪い。ああ、が謝る気持ちが判る。

なんか、抜け駆けしたみたいな気分だ。

「あー……その……が会場で別れてから、次に会うまでの間、だろうな。村田が広間に

いなかったから、探しに廊下に出たんだよ」

アーダルベルトの話は心配させるだけだし、会話の内容も言いたくないのであえて省く。

「おれもなにも聞けなかったよ。だからが謝ることじゃないって」

「………ごめんなさい……」

「だからさ!」

「明日には復活するから……だから、今日だけ泣きたいの……」

?」

泣いて腫れた目に苦笑いを浮かべる。

「はっきり、ふられちゃったよ」

「え……っ!?」

ヴォルフラムとヨザックが絶句した。

この室内にいるメンバーで、コンラッドがどれだけを溺愛していたかを間近で見ていた

二人だ。

「ひどいよね……何も教えてくれないのに、それだけははっきり言うの……」

は掴んでいたおれの上着を放して笑った。

「嫌ってないけど、愛してもないって……はっきり言われたよ」

その笑顔は酷く痛々しくて。

「ちょっと疲れちゃった……でも明日には復活する」

「無理しなくても……」

困惑する周囲に気付いているのかいないのか、目を擦りながらは息を吐いた。

「ううん。泣いてすっきりしたら、ちゃんと前に進まなくちゃね」

今日だけはと言ったのに、その夜、が泣くことはもうなかった。







少し有利との仲がぎくしゃくしています……。



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