人込みを縫って会場から出ると、廊下にはもう有利の姿もコンラッドの姿もなかった。

どこに行ったんだろう、今頃ふたりで何を話しているのだろうと焦燥は募るばかりで嫌に

なる。

コンラッドは、少なくとも有利本人に対しては有利だけを見て接していたことを、わたしは

ちゃんと知っているはずなのに。

あまり会場の外をうろうろとしてシマロンの兵士に見咎められても困ると、慎重に二人が

いそうな場所を探しているうちに、廊下の端に着いてしまった。部屋の中まで覗くわけに

はいかなかったから、通り過ぎたうちのどこかの部屋だろうか。それとも少し戻ったところ

にあった階段で上か下に降りたのだとしたら。

突然廊下をずっと戻った向こうが騒がしくなって、ぎくりと足を止める。

どうしよう、会場から離れすぎたかもしれない。不審者扱いをされたとき、コンタクトをして

いないから相手の目を見れない。ますます怪しまれてしまう。

そんな心配は、聞こえてきた騒ぎの原因で吹っ飛んだけれど。

「カロリアの領主様が急に倒れられたそうよ!」

有利が!?

コンラッドと一緒じゃなかったの?

倒れたってひょっとして試合の傷が原因で?

それとも魔力を使いすぎた体力の限界で?

ぐるぐると頭の中を色々なことが混ざり合うように回っていて、自分が震えていることに

気付いていなかった。

そうだ、こんなところで一人震えている場合じゃない。きっとそう、魔力の使いすぎだ。

会場に戻ってヴォルフラムから話を聞けばいい。呆れたように、いつものやつだと教えて

くれるはずだもの。

両手をぎゅっと握り締めて、震える足で一歩踏み出したとき、慌しい足音が階段を降りて

きて、こちらにいたわたしに気付くことなく会場の方に駆けて行った。

「有利……?」

倒れたはずの本人が元気に走っているのだ。拍子抜けというか、安心したというか。

へなへなと力が萎えて廊下にしゃがみ込んでしまう。

「……じゃあ誰かがまた仮面を被ったのね……」

一体何のために、という疑問はすぐに忘れてしまった。

有利が駆け下りてきたところを思い出したから。

ゆっくりと廊下を少し戻り、階段を見上げる。

この上のどこかに、コンラッドがいる。






084.二番目でもいい






階段を上がると、どこにいるかはすぐにわかった。

だって、ドアが壊れて開いている部屋が階段の側にあったのだから。

蝶番が壊れて開けっ放しの部屋に踏み込んで、すぐに立ち止まった。

倒れた書棚とか、床に散らばった本とか、壊れた椅子とか、誰かが倒れていることとか、

その部屋の惨状に驚いたのではなくて、床にしゃがみ込んでいるその背中が見えたから。

コツリとヒールが小さく床を鳴らすと、振り返らないまま床に倒れた誰かを覗き込んでいた

コンラッドは。

「……行きなさいと言ったでしょう……陛下、俺は」

「有利じゃないわっ」

悲鳴のように叫んだわたしに、コンラッドは驚いて弾かれたように振り返る。

「わたし……有利じゃないわ……」

……」

キリキリと胸が痛んで、涙が溢れてくる。違う、コンラッドを追いかけてきたのは、こんな風に

陰気に泣くためじゃない。

手袋をしたままの甲で涙を拭うと、じわりと布が少しだけ湿った。

「どうして……絶対にひとりにならないようにきつく言ったでしょう。無用心が過ぎる」

「コンラッドが話の途中でいなくなるからじゃない!」

「それは……」

言葉に詰まり、床に視線を落としたコンラッドは、またわたしに背中を向けた。

「もう話は終わったと言ったはずです」

「終わってないよ……だってコンラッドは、何も話してくれてない」

「話すことなどもうないだけですよ。事実はあなたも目にしたことですべてだ。俺は国を捨て

ました」

「有利に……」

泣くのを堪えたら横隔膜に変な癖がついたみたいに、しゃくり上げてしまって言葉が上手く

続かない。

「ゆう…りに……は、何か……話…たの……?」

有利になら、何か話したの?

ここで、有利とどんな話をしたの?

どうしてわたしには何も教えてくれないの?

有利になら話すのに。

「特に何も。それよりもそこにいてください。ひとりで廊下を歩かないで。俺が会場まで送り

ます」

「……その……人は?」

足が震えていると、床を叩くヒールの音にも現れていて、こんなことじゃコンラッドに面倒だ

と思われるだけだと両手をきつく握り締めて傍らに立った。

ここまで近付いて、ようやく広い部屋に小さなランプ一つきりのほの明るい灯でも、倒れて

いる人が誰だがわかるようになった。

「アー……ダルベル……ト、さん……」

コンラッドが肩越しに振り返った。だけど何も言わずにまた、その足や腕の添え木の具合

を確かめて、脈を診る。

「アーダルベルトをご存知で?」

「お世話に、なったの………でも……」

でもこの人は有利を傷つけた。殺そうとした。

怪我の為か青白い顔色で、でもどこか嬉しそうに微笑んだでまま気を失っている。こんな

に酷い怪我をしているのに?

「もう陛下を追いはしませんよ。少なくともこの傷が癒えるまではもう動けない。……いや、

恐らくは……」

「もう、襲わない?」

「ええ、さすがにこの男もあの魔術には懲りたでしょう」

ドクドクと心臓が鳴って、痛む胸を強く押さえる。

「そうじゃないよね」

有利はこの階から降りてきた。部屋はこんなにめちゃくちゃになっていて、こんなところで

闘技場での怪我人が転がっているのもおかしい。コンラッドもここにいて。

きっと彼は、有利に迫ったのだ。

ようやくしゃくりあげるような変な呼吸が収まって、ゆっくりと息を吐いた。

「そうじゃないよね……アーダルベルトさんが、有利をもう襲わないのだとしたら、それは」

この人は魔族を捨てたのに、ギルビット邸でウィンコット家の捻じ曲げられた歴史を聞いて

憤っていた。有利が持つ魔石に強く反応して、わたしや有利が本当にジュリアさんの子供

ではないのかと何度も確認した。

彼は、ジュリアさんの元婚約者だ。

「それは、有利がジュリアさんの生まれ変わりだからだよね?」

コンラッドは今度こそ、身体ごと振り返った。





「どこでその話を」

立ち上がってわたしの肩を掴んで詰め寄ったコンラッドは、何故か礼服の下にシャツを着て

いなくて素肌がさらされていた。

アーダルベルトさんの添え木を固定している布は、いかにも何かを切り裂いて作ったように

見える。きっと手当ての為に破いたんだろう。

覗いた脇腹の大きな傷跡が、とても痛かった。

冷静にというより、どこかぼんやりとした感じでそんなところを見ているわたしに気付かずに、

コンラッドはすぐに自分で答えを見つけて舌打ちして顔を背ける。

「どこでもなにもない……あの時の言葉を、聞いていたんだね?」

「あ……あんな大きい声で言ったら、聞こえるよ……」

また泣きそうになって、ぎゅっと強く目を瞑る。

「魔石がジュリアさんの物だったことも聞いた。有利の魂は、コンラッドが大切に守って地球

に運んだんだよね?有利が生まれるまで大切に見守っていたんだよね?」

違う。

こんなことを話しに来たんじゃないのに。

「……ジュリアさんの魂を、大切に守っていたんだよね?」



「ジュリアさんとは、恋人じゃなかったって話も聞いたよ。でも、好きだったんでしょう?

とても大切だったんでしょう?本当なら、結婚もしていたはずだって」

「それは違う!ジュリアの婚約者はアーダルベルトだ!俺は……っ」

肩を掴む手に力が篭って、痛みに小さく声を上げてしまう。

途端に肩からぱっと手が離れて、同時にコンラッドが身を引いた。

「もうあなたに説明する義理もないんでした。ですが故人の名誉のために言っておきます。

彼女は婚約者を裏切るような女性ではありません。口さがない周囲の目にどう映っていた

かは知りませんが、俺と彼女はそんな関係では……」

「家紋を象った品を手渡していたのに?」

目を開けて、コンラッドの腕に縋りつくようにして身を乗り出す。

コンラッドの顔には驚きと苦渋が入り混じったような複雑な色が浮かんでいた。

それは、その女性を思い出しているからなのか、それとも大切な女性を侮辱されたように

感じて怒っているからなのか、わからないけれど。

「その人は家紋の入った品をあなたに渡した。あなたはそれを今でもずっと大切に持って

いた。そしてそれを有利に……彼女の生まれ変わりに渡した……」

「……ええ、それは事実です。ですがそこに込めた意味はあなたが思っているようなこと

ではありません。……いいや、そう思っても構わない。そして、俺のことなど忘れてしまい

なさい。あなたには許し難い裏切り者だ。そんな男はさっさと忘れてしまえばいい」

「そんなことできない!」

「ではどうしたいんですか。どちらにしろ、俺はもう……」

「二番目でもいい」

苦しくてつらくて、有利にも、顔も知らない彼女にも、考えるだけで焼け付くような痛みを

覚えるのに、それでもわたしはこの手を離したくない。

わたしのことも、愛してさえくれるのなら。

「二番目でもいい……ジュリアさんの……有利の、次でもいい……」

亡くなったジュリアさんの、それとも生まれ変わった有利の次の二番目で……もしかしたら

三番目かもしれないけれど。

「それでもいい。わたしのことも見て、わたしのことも愛してくれるなら、それでいい。いつか

帰って来てくれるのなら……待っていろと言ってくれるなら、それでいいから……」

信じ難いことでも聞いたように目を見開き、硬直したコンラッドの胸に飛び込んでその背中

に腕を回す。

シャツを着ていない肌に直接頬を押し付けて。

暖かいコンラッドの体温が伝わってきて、強く礼服を握り締めた。

「愛してるの……コンラッド……この手を、離さないで……っ」







たとえ二番でも三番でも愛してくれさえするのなら。
らしくなくても、それほどまでに失いたくない人。



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