「コ……ウェラー卿……」 コンラッドは廊下の明かりをひとつ拝借して、呆然と名前を呟くおれの前にやってくる。 「気を失っただけです。余程嬉しいことでも聞いたんでしょうね」 部屋の中のランプに火を移すと、白を基調にした礼服に身を包んだコンラッドの姿がほの 赤い光で見えるようになった。 083.冷たい声(2) 彼はもう、おれの国の人ではない。 判っている。そう本人が宣言した。 だけど白と黄色のシマロン軍服に比べたら、眞魔国のウェラー卿の正装と近くてこっちの 方がずっと似合ってる。 「あなたに怪我は?」 部屋のランプを手に近付いてくると、それをアーダルベルトの近くに置いて振り返った。 「ないよ。むしろ前より健康なくらいだ」 無意識に指で喉を擦る。 「ああ、グランツが。彼は法術が使えるから」 「そうだな、も掌の傷を治してもらったくらいだし」 「が?」 目を丸めておれの言葉を繰り返し、何かに気付いたように急に口を噤んでアーダルベルト の脈を診る。ここでの名前が出ると思っていなくてつい、という感じだ。 「大丈夫ですね。少し脈が速いようですが、怪我をしているから遅いよりはいい。……もし 足も腰も大丈夫なら、ちょっと手伝ってもらえますか」 「いいよ。でもこんな重そうなのが二人で持ち上がんの?」 「あなたが頑張ってくれれば」 コンラッドとは反対側に回り込み、散らばった本に足をとられないよう気をつけて書棚に 手を掛ける。短い合図で一緒に思い切り持ち上げると、本当におれの力が必要だったの かと疑うほど簡単に持ち上がった。コンラッドは下に何かを蹴りこんで書棚が再びアーダ ルベルトに倒れこまないようにしてから、そのマッチョな身体を引きずり出す。 「……骨、折れてる?」 おそるおそると覗き込むと、革の軍靴のすぐ上が、恐ろしく腫れ上がっていた。 「折れてますね。左腕の方は亀裂骨折程度で済むでしょうけれど」 「ううう……他人事ながら痛い……」 同じ場所がむずむずする。 「でもこれで、当分はあなたにつきまとえないでしょう」 「つきまとうっつーか……でも、さっきのは今までと違う感じだった」 聞きたいことがあると言っていた。 ジュリアさんの生まれ変わりなのかと。 正解なんて判らないから、本人が納得する答えを信じていればいいんじゃないだろうか。 その上で、命を狙われなくなるなら万々歳だ。 「考えるところがあったんでしょう」 椅子の脚を剣で叩き折り、コンラッドは上着を床に脱ぎ捨て、更に脱いだシャツを何本かに 切り裂いて簡易包帯をつくる。ちらつくランプの灯で見てもわかるほど、明らかに上質の布 だが惜しげもない。 「……のこと、聞かないのかよ」 「どうして俺が。もう関係のない身です」 「関係ないだって!?」 かっとなって怒鳴るおれを振り返りもせずに、折った椅子の脚を添え木にして、折れた足を 簡易包帯で固定する。 両肩の筋肉は、手当ての為に当たり前のように動いていた。 左腕も。 その左の二の腕は、幅の広い包帯で覆われている。おれが見た、斬り落とされたコンラッド の腕も、やっぱりちょうどこの辺りからだったはず。 脇腹の引き攣れた傷跡はヒルドヤードの温泉でも見たものだ。内臓が出そうになったのを 押さえながら歩いたと笑って説明してた。 ……ヨザックが話した激戦で負ったものだろう。 背中にもまた、新しい傷が出来ていた。塞がってから日が浅いらしく、縫った跡が克明だ。 これは、あの教会でのやつだろうか。 「関係ないだって……?どれだけが泣いたと思ってるんだ。おれが心配してたと思って んだ?ヴォルフが……っ」 他に誰もいないから、つい感情的になってくる。 落ち着け、怒鳴り散らして感情的になれば話すつもりのなさそうなコンラッドの思う壺だ。 おれは、コンラッドから話を聞かなくちゃならないんだ。 「ヴォルフラムも、あんたを心配して取り乱したって言ってたよ。おれは見てないけどね。 そんときは、と一緒に監禁されてたから」 ところどころでの名前を入れても、背中しか見えないからどんな顔をしているか判ら ない。おまけに手当てで動いているから、闘技場の時のように反応しているのかも判ら ない。 顔を見なくても、どんな表情をしているか判ったのが、まるで随分昔の話みたいだ。 「監禁ですか?また危険な旅になっていたようですね」 「そうだよ。おまけにはずっとあんたのことを心配して泣いてたよ。あんたに判るか? あんたが無事だと思えるような話を聞いて、それが勘違いだって知ったときのおれ達の 気持ちが。、泣けなくなってたよ。どこか遠くを見て、あんたに貰った、あんたの目と 同じ色をしたイヤリングを握り締めて、ずっと独り言で自分に言い聞かせてた。あんたは 絶対無事だって……絶対にどこかで生きてるって!それを横で聞いてたおれの気持ち が、あんたに判るか!?関係ないだって!?よくもそんなことが言えるなっ!」 感情的になるなと言い聞かせたことなんて、すぐにすっ飛んでしまった。 口でいくら言ったって、旅の間中ののあの様子を伝え切ることなんてできない。 は本当に苦しそうで、それを側で見てるのがどれだけつらかったかなんて。 コンラッドは折れた足の固定を終えると、今度は肘に添え木を当てる。 「全部説明しろよ!どうやってあの爆発から無事で逃げ出せた?どうして左腕があるん だよ?どうしておれの前からいなくなって、なんでシマロンに仕えてるのか……っ」 「シマロンに仕えているわけではありませんよ」 「……じゃああの陛下か殿下に直接仕えているのか?」 「どうでしょう?」 「答えろよっ!」 人を食った言い方に、腹が立って左腕を掴んだ。 「……手当ての途中です」 「わかったよ、離すよ。だからあんたも全部答えろよ!なんで何も言わないんだよ!? 本当は洗脳されてるんだよな?そうだろ、そうじゃなきゃおかしいだろ!?」 触った腕は確かに人の肌だ。本物だった。どうなってるのか、さっぱりわからない。 「洗脳は、されていません」 「じゃあここにいるのはあんたの意思だっていうのか!?」 「………ええ」 添え木を当て終えると、コンラッドは床に放り出していた上着をシャツのなくなった肌に 直に羽織る。腕の包帯と背中の傷が見えなくなって、ホッとしてしまう。 「俺の、意志です」 「嘘だ!洗脳じゃないのなら脅されて仕方なくだよな?脅されてるから理由も言えない んじゃないのか!?」 「……そう、信じたいんですね?」 血の気が引いた。 振り返った男の顔には見慣れたはずの笑みが浮かんでいて、人柄の良さが滲み出て いる。 ……そのはずだ。 だけど。 「だってあんた……そんな笑い方しなかったじゃないか。の側で嬉しそうに幸せそう に笑ってたじゃないか!」 どうしても、笑顔を貼り付けているようにしか、おれには見えない。 「そうかもしれません。ですが、もうすべて過去のことです。終わったことだ」 「なにも説明せずに、勝手に一人で終わるなよ!」 「聴きにきてくれなかったじゃないですか」 「いつ!?おれは今、ここで聞いてるんだろ?闘技場でも……っ」 コンラッドの格好に気がついた。無粋な軍服じゃなくて、白い礼服。まるで華やかな場所 に出席していたかのような。 「……あそこに居たのか」 「ええいました。ご婦人と踊られているのを見ましたよ。お上手です。俺としても鼻が高い。 あなたにダンスの手解きをしたのは俺ですからね」 「だったら何で声をかけてくんないんだよっ」 銀を散らした茶色の目を細め、口の元の笑みを深くする。 どうしてもおれには、作った笑顔にしか見えないんだよ。 「俺のほうがずっと身分が低い。こちらから話し掛けることなんてできませんよ。それに ……大切な妹をあんなところに一人で置いていてはいけません」 「?がいたのか!?に会ったのか!?」 「会いました。少しですが言葉も交わしました。あなたも彼女も、人が良すぎると言った でしょう。信じるに値しない者を信じてはいけないと」 「まさか……そんなこと、に言ってないよな!?はずっとあんたを……っ」 「忠告する前に時間がなくなってしまったものですから」 ホッとしたのか、悔しいのか判らない。 に会って、と話したのにまだこんなことを言うのか? 本当に、洗脳されたのでも、脅されているのでもないって言うのか? 「コンラッド……」 拳を握り締める。爪が掌に食い込んで、痛い。 「おれが前に言った話を、覚えてるか?」 「……どの話ですか」 「おれが子供の頃に男に足を斬られた話だ」 揺らめく明かりで見上げるコンラッドの顔から笑みが退いて表情がなくなった。 「覚えています、山頂で」 グレタがおれを暗殺しようとやってきたときだ。がナイフに過剰に反応して、心配して いたコンラッドにおれが事情を説明した、あのとき。 「あのときのは、本当に酷かった。おれとお袋以外の、何もかもを恐れたよ。親父や 兄貴ですら怖がった。おれが怪我したことを悲しんだ。しばらくは針の先でつついた程度 の傷でもおれの怪我には大騒ぎした」 目の前の男の眉間に僅かな皺が寄る。おれの言いたいことが判らないのか、それとも 判っているからこそなのか。 「恐れて、傷ついて、悲しんで、苦しんでた。おれはもう、あんなを見たくないんだ」 おれが苦笑を浮かべるほどに、ウェラー卿の表情は険しくなる。 「おれはね、コンラッド。おれはもう二度と、あんな風に泣き叫ぶを見たくなかった。 見たくなかったんだ」 なあ、どうしてそんな顔をするのに帰ってこない? 「あんただから、預けたんだよ」 まっすぐに、コンラッドの茶色の目を射抜くように見た。 「あんただから、を幸せにしてくれるって、信じたんだ」 その後ろに隠れた感情を、引きずり出して探すように。 だけど。 壊されたままの扉から、廊下の騒音が流れ込んできた。 「カロリアの領主様が急に倒れられたそうよ!」 誰がって!? 「お行きなさい。奥方が大変な様子だ」 「コンラッド」 一瞬だけ目を逸らした隙に、目の前の男の目にはブラインドが下りていた。もう感情が まるで読めない。 それでも右手を差し出す。 「来いよ」 が待ってる。 だがウェラー卿は、ゆっくりと首を振った。 「……いいえ」 それが答えだった。 |
仲間としても、兄としてもつらい状況です。 |