カロリアの自由を返せという主張は、ベラール殿下とやらの度量ではなく勇者の晩餐に招待

されていた、決勝戦の主審が正当性を認めたことによって通された。

「この者の望みを叶えぬというのなら、国際審判連盟が黙っておりませんぞ」

巨大国家の権力者ですら逆らえないとは恐るべし、国際審判連盟。

急いで整えられた書類に不備が無いか、この国の過剰装飾文字を懸命になって読み、村田

にもヴォルフにも入念にチェックしてもらって問題が無いことも確認した。

だがこの書類にサインをするノーマン・ギルビットはおれでない。

書類を無くさないよう畳んで丁寧に服のポケットに入れると、大急ぎで主審の元に走った。

「ありがとう主審!どう感謝したらいいのか……」

上手く言い表せず、言葉に詰まるおれに主審はにやりと唇を歪ませる。

「久々に面白い勝負であったからな、公正に裁かせて貰ったまでだ。特に仮面の下は多重

人格という裏設定も楽しめた。だが魔力を使えるから魔王とだいうのは、些か単純すぎる。

しかし貴公の特殊な戦闘法『なりきりちゃん』に関しては、誰にも他言せぬことを誓う。安心

しろ、審判には守秘義務があるからな」

「な、なりきりちゃん……」

上様状態に妙な命名はされたが、ともかくこの世界の審判には守秘義務があって本当に

助かった。






081.気高き微笑み






一分一秒でも早く休みたいという優勝者のそちらの願いは叶えられず、異様に張り切った

セレモニー係のお陰で晩餐会の後は神殿の広間の懇親パーティーに連れ出された。どう

やらセレモニー係はシマロンに占領された国の出身者だったらしい。

途中で村田たちとはそれぞれ専属のスタイリストがついて引き離されてしまった。

がどうしているか気になったが、大シマロンの人間に下手に聞いて、救護室にいない

と騒ぎになっても困る。ツェリ様と合流できるのを待つしかないだろう。

晩餐会に行くには正装をしなくてはいけないらしく、こっちの都合も聞かずに急に無理やり

マスクを剥ぎ取ったスタイリストは下から現れた双黒に、立ったまま気を失った。

だがおれが勝手に引きずり出した動き易そうな服を目に止めると、急に復活してそれらを

取り上げて却下した。

シャツの襟と袖にひらひらのレースがついているという恥ずかしさ五割増しのアイボリーの

タキシードを準備したスタイリストは、黒髪はさすがに目立ちすぎるだろうからと茶色に髪

を染めてくれた。

「禁忌の色なんて言われているけれど、素敵な男前には似合うのね。あたしなら魅了され

ちゃうけれど、騒ぎになるから仕方ないわ。でも安心してね、美容職には守秘義務がある

から、あなたの髪と瞳の色は絶対に外には漏らさなくてよ」

スタイリストにも守秘義務!?

彼に……ひょっとしたら心は彼女の彼に……送り出されて神殿の広間に入ると、優勝者は

あっという間に人々に囲まれる。

相手は女性ばかりだったが、疲れと気がかりが多すぎて鼻の下を伸ばす気にもなれない。

すぐに愛想笑いで人込みを掻き分け、見つけたチームメイトの方へと逃げ込んだ。

「ヴォルフ」

正統派王子様のヴォルフラムは深緑のタキシードだった。野球小僧のおれと違ってどんな

衣装でも似合うというのに、そういう奴に限ってごくノーマルな服だったりする。

「そのヒラヒラした襟はなんだ」

既に酒を飲んでいたヴォルフラムは明るくおれの服を笑い飛ばす。

出オチ芸人になった気分だ。

「お二人ともお似合いですよー」

振り向くとヨザックが近付いてきていた。すらりと伸びた両腕は肩から剥き出しで、腿の脇

には際どい高さにスリットが入っている。

「な、なぜ女装……」

「やーね陛下、正装といえば一番似合う服を着るのが常識じゃありませんか」

サイズ的に恐らく自前かと思われる、解いて降ろしたオレンジ色の髪が良く似合う臙脂と

濃茶のタイトなドレス姿のグリ江ちゃんは色っぽくおれにしなだれかかってくる。

「陛下、客が誰も食ってないような皿には手をつけちゃいけませんよ。毒味婦人役のオレを

ご指名くださいね」

「りょ、了解」

それを耳打ちするだけなら、もうちょっと普通にしてくれないものか。グリ江ちゃんの遊び心

だとはわかっちゃいるけどさ。

会場は電気がないとは思えないくらいに明るかった。様々な光を放つ光源は、まばゆい

ばかりに広間を照らし出す。

以前こんな場所に出たのは、船上の小規模なカクテルパーティーだった。そのときは幼い

可憐なお姫様の、初めてのダンス相手を勤めさせてもらった。

日本の野球小僧のおれが、いわゆる社交ダンスなど習っているはずもなく、それこそ付け

焼刃でコンラッドに仕込んでもらった舞踊でその場を凌いだのだ。

「………」

その名前が口をついて出そうになり、慌てて首を振りながらきっちりセットされた前髪に指

を差し込んで台無しにする。

このパーティーには来てないだろうか。

ツェリ様が賓客として招かれているのなら、ここで会える可能性が高い。

ピアノに似た楽器の演奏が始まった。一小節ごとに新しい楽器が加わって、華やかな曲に

なっていく。

眠気を堪えながらと、そして村田がどんな面白衣装になっているのかと探していると、

ちらりと光る銀色の軌跡が目に入った。

「……フリン?」

優勝者カロリア代表の妻は貴族たちの間で所在なげに立ち尽くしていたが、おれの小さな

声が聞こえたらしく、左右を見回しておれを見つけるとたちまち表情が明るくなった。

お互いに人の間をすり抜けて近くに行く。

「よかった大佐、奥方様とはぐれてしまって」

「ツェリ様と一緒にここに来たの?」

「ええ、それにあなたの妹も」

も?」

やっぱりこの会場のどこかにいるらしい。

「じゃあ少なくとも、ドレス着て動けるくらいには回復したんだな」

「ええ……いろいろと疲れているようだけど、あなたが無事な姿が見たいと」

「いろいろ、か……」

フリンがどこまで事情を知っているのかと思ったが、あの小シマロンのスタジアムや、その

帰りでのを見ているし、コンラッドが恋人だとはわかっているだろう。

本当に、いろいろだ。

フリン・ギルビットは貴婦人らしく正装していた。豊かな銀の髪を後ろでまとめ、白く滑らか

な項を曝していた。両脇に残した一房の髪が、肩を過ぎて胸まで下がっている。胸に飾ら

れた複数の輝石は、光の加減で色を変えた。光沢のある青いドレスは少々緩めで、胸の

辺りが僅かに余っている。

「……それもしかして、ツェリ様の?」

「もちろんそうよ。こんな上等な服、私が持っているわけないわ」

おれの無粋な質問にも、フリンは笑って答えるだけだ。

「おれの好きな色だよ」

銀の髪に青い色はよく映えた。ツェリ様ならもきっと可愛く仕上げてくれているだろう。

を探したかったのだが、その前にフリンに会ったからには渡さなければならないものが

ある。

「フリン、ちょっと端に」

絹の手袋に包まれた腕を掴み、窓際近くまで連れて行く。硝子の向こうではまだ雪が舞い

落ちている。薄曇りの月光と少ない松明に照らされて、人気のなくなった闘技場が見下ろ

せた。





「優勝したよ」

「ええ、見ていたわ。おめでとうございます」

「なんで急に敬語なんだよ」

ちょっと笑ってしまいながら、内ポケットの折りたたんだ紙を取り出した。

「それで、願いは叶ったの?」

「いや、あのさ……願いは叶ったんだけど、最後の詰めがいるんだ。これなんだけど、見て

ほしい」

わざと内容を教えずに、仰々しい文章が載ったその大きくてかさ張る公式書類を手渡した。

フリンは利き腕の手袋を外し、白く細い指で紙を広げる。

彼女が書類を読んでいるうちにざっとを探したが、やっぱり見つからない。

せっかく仕掛けたサプライズだからフリンの様子も見ていたくて視線を戻すと、書類を読み

進めるうちに瞳が大きく丸くなり、書類を持つ手が震えた。

「……これ」

「カロリアを貰ったんだ」

「……まさか大佐……」

「まだ大佐なんて呼ぶんだな。違うって言ったのに」

隠し球が大成功したような気分だ。興奮のあまり頬から血の気が引いたフリンとは対照的

に、おれの頬は緩んでどうしようもない。格好良く決めたかったのに。

「でもさー、ここにサインがいるんだ。おれの文字だと、いくらなんでも嘘になっちゃうからさ、

ここは奥さんの権限で代理サインをお願いしたいんだよ。ノーマン・ギルビットは決勝戦の

怪我で手が使えないことにしといてさ」

「……カロリアを希望したの?」

「そうだよ」

フリンの声は震えていて、その薄緑の瞳には既に零れそうなほど涙が溜まっている。

「カロリアは自由なの?」

「そうだ」

紙をおれに突き返し、フリンは両手で顔を覆った。こんな状態でも、大事な書類を涙で汚さ

ないだけの配慮は咄嗟にできたらしい。俯く顎のラインに沿って、銀の髪が流れて落ちる。

「……ありがとう」

「うん、泣くなよ。おれが泣かしてるみたいじゃないか」

「あなたが泣かしているのよ」

涙の跡を手袋で拭いながら、フリンはとても綺麗に微笑んだ。

「あなたが、泣かせてくれたのよ……ありがとう……」

おれはそっと指先で涙の跡を拭って、フリンの手を取った。

「お手を拝借。……踊ってくれるかな?」

誘い方は相変わらず手拍子を求めているみたいだが、フリンは笑って頷いてくれる。

「下手なんだけどさ」

もうかなりの人数がワルツに興じているホールの中央に向かう。

だが急に演奏がスローテンポになり、周囲がみんなお互いに密着し始めた。

『チークは、まあこうやって揺れてりゃなんとかなります』

ダンスの師匠はそんな適当なアドバイスをしたものだった。

フリンは俯いておれの肩に顔を押し付ける。

「どうしてこんなに、よくしてくれるの?」

露になった首から背中が震えている。

「だって私は、あなたと妹さんを大シマロンに売ろうとしたのよ。それより前にもウィンコット

の毒を譲って、あなたのお友達が撃たれるきっかけを作ったのも私よ。それなのに何故、

こんなにもよくしてくれるの?カロリアの自由なんて……そんなことまで……」

「したいようにしただけさ」

「あなたは」

指を軽く握ったままで、残った腕を背中に回す。お互いの頬と耳が僅かに触れる。

「あなたは、神様みたいな人ね」

吐息と一緒に零れた言葉に、おれは苦笑して耳元に囁きかける。

だっておれは、神様なんかじゃない。それとは正反対の。

「本当はおれ、魔王なんだよ」

フリンは一瞬、大きく身体を震わせた。だがある程度の予想もしてあったのか、それ以上の

大きな反応は見せず、静かに身体を離した。

「多分きみが、フリン・ギルビットが、カロリアと結ばれているからだ」

まっすぐにお互いの目を見て。

フリンはおれの黒い瞳を見ても、もう驚かない。

それはもう本当の色を知っているからじゃなくて。

「これから現れるかもしれない新しい恋人とか……ひょっとしたら国を残して死んでしまった

ノーマン・ギルビット以上に……カロリアと結ばれているから、力になりたかったんだと思う」

「そうよ……わたしはもう、カロリアと結婚しているの」

フリンは涙の残る、だけど力強い目ではっきりと頷いた。

「あの小さな世界を護るためなら、どんな汚いことでもするわ。どんな卑怯なことでもする。

そのせいで私がどう呼ばれてもいい。私がどう扱われても構わない」

気丈なカロリアの女領主は、まっすぐにおれを見て告げる。

おれはその強い同士の手を取って、心の底からの笑みを見せた。

「カロリアを、きみの手に」

フリンは一度おれの手を強く握り返し、それから急に神妙な面持ちになって手を離すと、

軽く膝を折っておれに頭を垂れた。

「陛下」

「え、ちょっとフリン……」

「お聞きになってください、陛下。もしも私の地に百万の兵士と、山なす黄金があったなら

何も迷いません。けれど民も土地も今や飢えたまま。この先どのような礼をもって、貴国の

恩に報いるべきかさえ判らない」

「フリン」

「けれどこれだけは誓いましょう、そして決して違いますまい。カロリアは永遠に貴国の友。

そしてわたしは永遠に、あなたの友です」

フリンは優雅に微笑むと、おれの手の甲にそっと唇を寄せた。

「しもべと言えぬ私をお許しになって」

「許すも許さないもないよ。おれが欲しいのは下僕なんかじゃないんだからさ!さあ、顔を

上げてくれ。友人にそんな礼はおかしいよ。周りにも注目されちゃうしね」

確かに注目されていた。周りにじゃなくて、ちょっと離れたところからの複数の視線。

恐らく護衛中のヨザックとお目付け役のヴォルフラムだろう。ぐるりとホールを見回すと、

南の窓側に不機嫌そうな三男がこちらを睨みつけている。

「フリン、あそこにヴォルフがいるから、ちょっとあっちで休んでいてよ」

「え、でも私……彼とはあまり」

「大丈夫、絶対仲良くなれるよ!ああ見えてすごくいい奴だから。これをしっかりと持って」

預かっていた書類と、それから別のポケットに入れていた、銀のマスクを取り出して一緒に

差し出す。

「これも、返さなくちゃな」

「陛下」

「陛下なんて言うなよ。友人なんだから、クルーソーでも大佐でも、ユーリでも、好きに呼ん

でくれ。他人行儀だけは無しでね」

「ではユーリ……本当に……ありがとう……」

深く頭を下げるフリンに、もう一度よせよと言ってと村田を探す旅に出る。

それにしても村田はともかく、あんなに目立つセクシークィーンが見つからないのは一体

どういうわけだ。の具合が悪くなって、一緒に抜けたとか?

それでも、ツェリ様が一緒のはずのはまだ大丈夫だろう。

村田がまったく見当たらないのが気になる。

着替えが手間取っているにしても遅すぎるし、ホールにいるならいくらなんでももう会って

いるはずだ。

部屋で眠っているだけならいいが、それでも確認しておきたくて、村田を探しにホールを

後にした。








始まる前に有利の恋は終わりましたが、強い絆の友ができました。


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