グラグラと頭が揺れて、額を押さえながら目を閉じた。

ツェリ様の話によると正式にではなかったけれど、コンラッドはフォンウィンコット・スザナ・

ジュリアと恋人同士……それに準じる関係だったんだよね?

いわゆる、友達以上、恋人未満。

けれどその人が大事な人だったことには変わりがない。

命を掛けて国を守り抜き、ようやく認められたことすらどうでもいいくらいに、失った人の

方がずっと大事で。

コンラッドは有利の魂を守って地球に行ったと聞いている。

有利が有利として生まれるまで、『大切に』守り続けた。

有利の誕生を見届けて、名付け親にまでなったと聞いている。

『大切に』守ったのは、次代の魔王の魂だから?

……ジュリアさんの魂だったから?

彼女の形見だっただろう魔石をずっと持ち続けていたのは。

それを有利に渡したのは……。

そして、あのときコンラッドはなんと叫んだ?

「ユーリの魂はジュリアのものだ!」

ああ、そうか。

全然、過去のことなんかじゃないんだ。






080.優しさという名の免罪符(3)






「あの…………」

遠慮がちな声に顔を上げると、困惑した様子のツェリ様と目が合った。

ツェリ様は知っているんだろうか。

有利の魂が、亡くなったジュリアさんのものだって。

「あのね、。でもコンラートがいま愛しているのは、あなたなのよ。過去の恋愛は

過去のこと……その人格に深みや渋みなんて熟成をもたらしてくれるものであってね」

そう知っているのかと、訊ねるわけにはいかない。知っていたらいいけれど、もしも知ら

なかったら?

わたしと初めて会ったときも、コンラッドの恋人だと思い込んでいたのに、仲良くしようと

してくれたツェリ様だから、息子と結婚寸前までいった女性とも仲が良かっただろう。

そんな人の生まれ変わりが、でもその人の記憶をまるでもたない生まれ変わりが、側に

いると知ることが、どんな気持ちになるのか、想像もつかない。

訊ねてはいけない。

……コンラッドは、どんな想いでいたんだろう。

「……わかってます、ツェリ様」

失言をしたと慌てるツェリ様に、そっと笑いかける。笑顔が引きつってなければいいんだ

けど。

「わかってます。だってツェリ様も、過去にたくさん素晴らしい恋愛をしてきているんです

よね?わたし、ツェリ様のこと大好きです。だから……」

「そう!そうなのよ!グウェンの父親もヴォルフの父親も、その他の殿方たちも、

みんなそれぞれいい男だったわ。けれどあたくしは一度に色々な人を愛したりはしない。

全身全霊でそのとき愛するのは、ただ一人だけ。あの子もそうよ。過去を変えることは

できないけれど、未来を作っていくことはできるわ。あたくしの未来はいま、ファンファン

と共にあるの」

ツェリ様に返してもらったイヤリングをぎゅっと握り締めて、顔には力が入らないように

努力する。

コンラッド。

あなたは、一体どんな思いで有利の側にいたの?

一体、どんな風に有利を愛しているの?

大事な主君、大切な名付け子。コンラッドは有利のことを有利として好きだ。

だけど本当にそれだけなのかは、わたしにもわからない。

コンラッドにとって、ジュリアさんのことは本当に過去のことになっているように思えない

から。

胸が焼け付くように痛くて苦しいのに、同時にやっぱり違うという確信も強くなる。

やっぱり違う。コンラッドは、眞魔国を裏切ったりしない。有利を裏切ったりしない。

あんな風に魔石を持ち続け、今でもジュリアさんのことを大事に思っているのなら、その

生まれ変わりの有利を裏切ったりしない。

少しずつ、こうやって確信が増えることが嬉しい。

嬉しいのか苦しいのか、わからない。

わからないんだよ、コンラッド。





「話を……戻しましょう」

目を閉じて、一度こめかみを強く押してからツェリ様に向き直ると、ツェリ様も表情を引き

締めて頷いた。

「ええ……と……どこまで話したんだったかな……」

「囚人移送船に乗ったところよ」

冷静な第三者がいてくれて助かる。

わたしたちがまったく関係ない話で戸惑っているうちに、冷静さを取り戻したのかフリン

の声はもう落ち着いていた。

「そう……その船に乗ったまではよかったんですが、途中で囚人達が降ろされ始めた

んです。その時に、わたしと有利は」

有利の名前を口にするとき、一瞬だけ痛みを覚えて言葉に詰まってしまった。なんでも

ないようにすぐに続ける。

「剣ダコのせいで、戦闘員と見なされて一緒に連行されて」

「まあ……」

「彼女は、さっきも言ったとおり……わたしたちをウィンコットの末裔として大シマロンに

連れて行くつもりだったので、船から飛び降りて追ってきたんです。村田くんも一緒に。

そこで囚人たちに紛れていた任務中のヨザックさんと合流して、小シマロンのどこかの

スタジアムに連行されました。……そこには禁忌の箱『地の果て』がありました」

「禁忌の箱!待ってそれは大シマロンが持って……いえ、それは『風の終わり』ね。

では箱が二つも発見されて、おまけに人間の国が持っていたのね」

箱の恐ろしさが言い伝えられているせいか、魔族の人たちの箱に対する反応は顕著だ。

なのにどうして、人間の方には曲がって言い伝えられているんだろう。

「彼らは囚人たちで『地の果て』の威力を実験するつもりだったんです。カロリアをはじめ

大陸の各所が壊滅的打撃を受けたのは、この箱が開きかけたせいで」

「箱が開いた!?」

「いえ奥方様。完全には開きませんでした。それというのも違う『鍵』を使おうとしたから

です」

「違う鍵?」

わたしとフリンはつい視線を交えた。わたしもフリンも言いたくなかったのだ。

だけどこの場合は、やっぱりわたしが伝えるべきだろう。

「……コンラッドの、左腕です」

ツェリ様が美しい顔を硬直させて、息さえも止めた。

「……では」

「コンラッドの腕が使用されました。ただ彼女の話によると、その……鍵として対応する

箱は『地の果て』ではなく『風の終わり』ということでした。『地の果て』の鍵はある血族

の左目という話です。ただ、マキシーンという男によると、スヴェレラでその鍵は試した

けれど、該当する男の顔が焼けただけだったと―――」

何かが引っ掛かった。

ある男の左目。顔が焼けて。スヴェレラ。

何かが引っ掛かる。記憶の片隅をくすぐるような、そんな心地の悪さを覚える。

?どうかした」

声を掛けられて、今はそれどころじゃなかったと気を取り直す。

「いいえ。とにかく、完全に開かなかった箱は再び閉じることができました。『地の果て』

とコンラッドの腕は現在、カロリアに隠してあります。復興支援に当たっているギーゼラ

さんに管理を任せているので、心配はないかと」

「奪取できたのね!ああっ、よかったっ!」

ツェリ様がより喜んでいるのは、箱よりもコンラッドの腕のことだと思う。泣き出しそうに

潤んだ瞳で喜んでいる表情が、母親のそれの方だもの。

「そこに天下一武闘会の通知がカロリアに届いたんです。大シマロンには『風の終わり』

がある。有利は」

まただ。

また有利の名前で詰まる。

喉を押さえて、喉が乾いたせいで言葉が引っ掛かった振りをして続けた。

「有利は、天下一武闘会の優勝者に与えられる栄誉『どんな望みでも叶える』というもの

を利用しようとして、この大会に参加したんです」

「そうだったの。それで陛下とヴォルフがこの大会に出ていたのね。あら、でも」

ツェリ様は指先を唇に当てて小首を傾げる。

「箱の奪還なら、パカスコスたちがしているわよ?」

「え!?」

「大会のどさくさに紛れて、偽の箱とすり替えようという作戦なのよ。私もそれに同行して

いて、マキシーンに捕まったの」

「偽の箱とすり替えー!?」

そんなことできるの?だって最強の兵器と思われているのなら、警備だってかなり厳重

でしょうに。それに偽の箱といっても『風の終わり』の大きさや装飾なんかの大体の外見

なんて……。

「あ……船でヨザックさんが作ってた……」

「そうよ、あれがすり替えるための偽の箱だったの」

やられた。

どおりで村田くんは、この一見無謀な「テンカブの優勝の権利で箱を奪還しよう」作戦に

反対しなかったわけだ。

「ということは……」

例え優勝しても有利が箱を希望するとは思っていないだろう。もし箱が欲しいと言って、

シマロン側が一旦ポーズででも渡そうとしたら、せっかくこっそりすり替えたはずの箱が

偽者だということがバレてしまう。

でもそれなら、有利は何を望むだろう。村田くんはどう予想していたのか。

コンラッド、を。

「取り戻してくれないかな……」

「大丈夫よ。あたくしのファンファンも協力してくれているの。きっと上手くいくわ」

今のは箱のことじゃなかったんです、すみません。

けれど、たとえ優勝の権利でコンラッドを取り戻しても、どうしてコンラッドがシマロン側に

行ってしまったのか、わからない。理由があるに決まっているのだから、きっとコンラッド

を困らせるだけだろう。ひょっとしたらすぐにまた離れて行ってしまうかもしれない。

だってコンラッドが眞魔国を、わたしを、有利を、よほどの理由がなくて、それが振りだと

しても、裏切るようなことをするはずがない。

それでも、願ってしまう。

コンラッドを取り戻せたら、一緒に眞魔国に帰れたら、今度こそその理由が聞けるんじゃ

ないだろうかと期待してしまうのだ。

せめて理由がわかれば、理由さえはっきりすれば。

忘れてなんて、あんな言葉を取り消してもらえるはず。

それがどんな理由でも、帰ってくることがいつになるのかわからなくても、コンラッドが

待っていろと言ってくれたら、わたしはいつまででも待てる。

待てる、のに。

「どうして………」

どうして忘れろだなんて、ひどいことを言うんだろう。

わたしにコンラッドのことを忘れるなんて、できないってわかっているはずなのに。

もしそれがわたしのためだと思っているのなら、絶対に間違えている。

そんな優しさはいらない。

そんなの優しさなんかじゃない。

いいえ、それとも。

片手にイヤリングを握り締めて、片手で目を覆って涙を堪えているわたしがどう見えた

のか、ツェリ様は肩に触れてベッドに寝かしつけてくる。

「さ、。もう一眠りしておきなさい。陛下はまだまだ帰ってこられないわ。この後、

勝者の晩餐会があって、それから懇親パーティーがあるの。陛下にお会いできるのは、

そのパーティーよ。まだ時間があるから少しでも寝て、起きてから準備をしましょうね。

辛いことを、よく話してくれたわ」

促されるままに横たわると、すぐに睡魔が襲ってきた。

有利は休むこともできずに、まだ頑張っているのに。

だけど眠っている間だけは、何も考えなくて済む。

何も。

深い闇に落ちれば、何も感じない。







この時点ではまだ、有利がなにを望んだのか知りません。



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