「なんてこと……どうしてあの子ばかりがそんな……」 「ツェリ様……」 疲れたように額を押さえて俯いてしまったツェリ様は、ほんの少しの間だけ目を瞑ってすぐに 顔を上げる。 「ごめんなさい、。続けましょう。教会で戦闘になったんだったわね。それからどう なったの?」 「わたしと有利は、教会の裏手に逃げるように言われました。けどそちらは崖になっていて ……教会に戻ろうとしたときに、建物の中が爆発してわたしと有利は崖に飛ばされました。 そのあと、目が覚めるとそこはカロリアだったんです」 今度はフリンが目を見開く番だった。 080.優しさという名の免罪符(2) 「ではあなたたちは、大シマロンに兵士にカロリアに連れてこられたの?どうして」 なるほど、そういう勘違いになるのか。 「……眞王陛下のご采配かしら……」 スタツアの原理はよく判らないし、説明しても信じられないだろうし、ツェリ様がスタツアらしい と判っているので、もうそういうことにして流してしまっておこう。スタツア……なんだよね? 失敗なのか、それこそツェリ様の言うとおり眞王の采配なのかはわからないけれど。 「その時は、そこがどこかはわかっていませんでした。コンラッドが……コンラッドとギュンター さんがどうなっているのかはわからないし、自分たちも知らない所に……人間の国にいるし。 町でそこがシマロン領内とわかったんです。そのときに村田くんが…えーと、連れの人が」 「その方が猊下ね」 村田くんの話はややこしくなると思って後回しにするつもりだったのに、何故だかツェリ様は 村田くんのことを知っていた。 「パカスコスから聞いたのよ」 ああ、やっぱり覚え直してくれてない。 「そうです。カロリアの海岸で目覚めたとき、何故か村田くんも一緒にいたんです。それで、 その時はこちらの世界を知らない振りをしていた彼が領事館に行こうと言い出してカロリア 領主のギルビット家へ行って……そこで小シマロンの……さっき話した、コンラッドの腕を 盗んだ、あの男が来たんです」 「先ほどのナイジェル・ワイズ・マキシーンですわ、奥方様」 「まあ、じゃああなたがけだものと言った彼が?」 あの男に掴まっていたフリンを助けたのはツェリ様だった。それにしてもけだものって。 「さっき武闘会に出ていたフォングランツ・アーダルベルトも一緒に」 「それじゃあ彼はいま、小シマロンにいるの、大シマロンにいるの?」 「よくわかりません」 状況を説明するはずなのに、わからないことだらけだ。 「彼はカロリアに保管してあるウィンコットの毒の行く先を聞きに来たんです」 「ウィンコットの毒?」 ツェリ様とフリンは同時の表情を硬くした。 「そう、そうね。ウィンコット家はカロリアが発祥の地だったわ」 「お……奥方様……私は……」 「ですが大シマロンの兵士が乱入してきたことで、彼らは逃げました」 罪の告白をするつもりだったらしいフリンが、それを遮ったわたしを驚いたように見詰める。 別に庇ったわけじゃない。単に話がややこしくなってくるから……それだけだ。 「その後、彼女の手配で小シマロンの警備の目をくらましてカロリアから大シマロンに抜ける ために、囚人移送船に乗ったんです」 「囚人移送船!?陛下と、猊下と、あなたが?」 そりゃあねえ、魔王陛下と大賢者猊下が囚人移送船に乗るだなんてこと、こんな事態にでも なっていない限りはありえない。 「囚人……危険な香りのする殿方がいそうな響きね……あたくしのダンヒーリーも腕に二本 の刺青があったの。あれは人間の国で罪を犯したものがつけられるものだとは知っていたわ。 だけど、そんな状況はより情熱を燃え上がらせるのよね。罪人の証を刻まれ故国から追われ ていたダンヒーリーをあたくしが匿ったのが愛の始まりよ」 そちらですか、ツェリ様。 というか。 「ダンヒーリーってコンラッドのお父さんですよね?罪人だったんですか?」 剣しか取り得のない人間だったと、身内ならではの酷評ならコンラッドから聞いたことがあった けど。でもそう言いながら、お父さんのことを好きなんだとわかる言い方だったから、嫌な酷評 には聞こえなかった。 それにヨザックさんの話にも名前が出ていた。シマロンで隔離されていた魔族に繋がりがある 者たちを開放してくれた、英雄だと……そういえば、追放者だったみたいとも言っていたっけ? 「罪人だなんてとんでもない!」 フリンが勢い込んで立ち上がり、事情のわからないわたしとツェリ様はびっくりして彼女に注目 する。 こちらの驚きなんて気付いていないように、フリンは捲くし立てた。 「ダンヒーリー・ウェラーはグレン・ゴードン・ウェラーの息子で大陸の歴史で名高い三人の王の 末裔です。彼が腕に二本の刺青を彫られシマロンを追放された後、公にはその血は途絶えた とされていたのです。まさかその息子がいたなんて……それも、魔族に」 「ダンヒーリーが王の末裔?」 ツェリ様も初耳だったらしく、驚いて声を裏返した。それはそうか、罪人だと思ってたわけだし。 「大陸でもっとも有名な三王家のうちラーヒ、ギレスビーの両家はシマロンに滅ぼされ、完全 に断絶したと言われています。最後の王家ベラールもまたウェラーと改姓して後、ダンヒーリー・ ウェラーの消息が途絶えたことで三王家はすべて滅亡したのだと……それがシマロンの公式 発表になっているのです」 「それじゃ……コンラッドって、魔族だけじゃなくて人間の王家の血も引いて……え、待って! じゃあコンラッドがウェラーの、ベラールの末裔だと大シマロンに知られたら危険なんじゃ……」 「いいえ、。もう知っているのでしょう。知っていて、あの子を抱え込んだのよ」 「……そうか…旧王家の末裔で、しかも箱の鍵でもあるコンラッドは……大シマロンにとって、 二重の意味で手元に置いておきたいんだ」 「彼の存在は、シマロンにとっては無視できない。下手をすれば反シマロンの旗頭になるかも しれない。その彼が、魔族で尊い地位を持っている。その上なにより、箱の鍵……ウィンコット の毒を使ってでも操りたいはずだわ……ウェラー家の末裔を捕らえる手助けをしてしまっただ なんて……」 「手助け?」 せっかくその辺りはぼやかしたのに、フリンは自分で話を戻してしまった。 聞きとがめたツェリ様に、はっと気付いたように口を押さえたフリンは、けれど首を振って自分 で弱々しく説明を始めた。 「申し訳ありません、奥方様。……使用する相手を……相手の素性を知らなかったとはいえ、 ウィンコットの毒を大シマロンに売ったのは、私です。少しでも多くのカロリアの民を守りたくて ……そのために大佐と彼女を、大シマロンに連れて行こうともして……」 「陛下とを!?」 「少し違います、ツェリ様。彼女は有利のことを知っての行動ではなくて、その……わたしたち がウィンコットの末裔を騙っていたので、それで」 「まあ」 ツェリ様は目を真ん丸にするくらい驚いた。十貴族の名前を騙るんだから、確かに呆れたこと です、はい。 「あなたたちは、ウィンコットの末裔じゃないの!?」 今の今まで信じていたフリンも手にしていたカップを取り落としそうになるくらいに驚いた。 もしあのまま大シマロンに着いて、わたしたちがウィンコットの末裔なんて大嘘だと知れたら、 カロリアは大変なことになっていただろう。 青褪めて、力が抜けたように椅子にぐったりともたれる。 「そう、違うの。有利がウィンコット家の紋章の入った魔石を持っていたから、しかもカロリアが ウィンコットに縁がある土地らしいからと村田くんがついた大嘘。ジュリアさんのことは、わたし なんてあの時初めて名前を知ったくらい」 「じゃあ、あなたたちがスザナ・ジュリアの子供だというのは……」 「大嘘」 「がジュリアの子供!?そんなことになったら大変よ。コンラートとも親子になっちゃう じゃない!」 「え……?」 今、何て言いました、ツェリ様? わたしがジュリアさんの子供なら、コンラッドの子供にもなる。 そうなる状況はひとつしかない。 わたしは渋谷美子の娘に産まれ、渋谷勝馬の娘でもある。それは、二人が夫婦だったから。 お父さんとお母さんが結ばれていたから。 ジュリアさんの子供がコンラッドの子供であるのには。 思わず呟いたわたしに、ツェリ様は慌てて口を押さえた。 「……コンラッド……結婚してたんですか?」 恋人がいても当たり前だとは思っていたけど、結婚していただなんて知らなかった。 あ、で、でも百年くらい生きているんだから離婚歴があってもおかしくない。あれ、違う。 ジュリアさんは亡くなったんだった。離婚じゃなくて死別だ。それならコンラッドがウィンコットの 家紋の入ったものを持っていてもおかしくない。 ……待って。でもアーダルベルトさんはジュリアさんの婚約者だったって。 ……コンラッド、略奪愛……? 「違うの、。コンラートとジュリアはその……あのままだと結婚していただろう、という話 で……けれどジュリアが亡くなった時、二人の間にはまだ恋愛関係は成立していなかったわ」 ツェリ様、それって微妙です……。 結局、相思相愛だったことには変わりないんですよね? ヴォルフラムが二人は恋人じゃなかったと言ったのは、本当に知らなかったのか、二人が隠し ていたから気付かなかったことにしていたのか。 コンラッドは、戦争で恋人を亡くしていたんだ。 コンラッドの無事がわからなかったときのことを思うと、胸が締め付けるられるように苦しくて、 それがどれだけ辛かったんだろうと思うのに、心の奥でもやもやしたものがわきあがってくる。 ……いやだ、コンラッドが辛かった話で、こんな気分になるなんて。 自分のことばっかりみたいだ。 過去のことなんだから。 わたしと会う以前のことで、今も続いている話じゃなくて、コンラッドには大切な思い出で…… でも彼女が生きていたなら、コンラッドはわたしに見向きもしてくれなかったんだろうと思うと。 本当に自分のことばっかりだ。 そうえいば、ジュリアさんの名前って、つい最近も聞いた。つい最近というか、さっき。 誰から聞いたんだっけ? もやもやした……たぶん、嫉妬の感情を、振り払いたくて考えを逸らそうとして。 「ユーリの魂はジュリアのものだ!」 コンラッドの声が、甦った。 |
今の状況の説明のはずが、思わぬ方向に話が流れてしまい……。 |