「シマロン領カロリア代表の勇敢な戦士達よ。まずは知・速・技・勝ち抜き!天下一武闘会 の優勝を祝福する」 重々しい口調に合わせて口髭が愉快に動いた。おれはそれをじっと凝視することで、背後 に立つ男を見ないようにする。 「ありがとうございます。選手一同力を合わせ、勝利へ向けて一丸となって挑みました」 偉い人との会話などほとんど経験のない身としては、まるで学校の球技大会みたいな感想 になってしまう。自分の国では、ギュンターとかグウェンダルとか、この手の回りくどい会話 をフォローしてくれる人がいるから余計にだ。 「カロリア代表に祝福の杯を」 ベラール二世が手を上げると、おれたちの前に石作りの脚つきの小さなリキュールグラス が運ばれてきた。 079.遠い存在(3) 未成年なので酒は飲みません。身長が伸びる余地があるうちはアルコール厳禁で、とは 言えない。ノーマン・ギルビットは未成年じゃないし、大シマロン領の一領主なので、主に 勧められた酒を断るわけにもいかない。おれの酒が飲めないのか事件に発展してしまう。 テキーラのグラスより多いがコップ一杯よりぐっと少ないし、これなら一口だから諦めよう。 差し出された杯を受け取ると、注釈が入る。 「それはギレスビーの聖水と呼ばれる力水である」 なんだ水か。それなら問題がない。 「古き支配者とされる三王家のうち、力自慢のギレスビー家最後の王が、世を儚んで身を 投げたとされる井戸の水だ」 「うぐ」 問題はあった。 い、いやだけど、身を投げたと「される」だ。あくまで伝聞系。噂を信じちゃいけないよ。 「で、では遠慮なく……」 覚悟を決めてグラスに口をつけようとすると、ヨザックに腕を掴まれた。 「縁起物のようです。最も縁起の良い杯を主に捧げたく」 壇上の男はグラス交換の申し出に、鷹揚に頷いてそれを認める。 ヨザックに交換されたのは、彼が一口飲んで素早く毒味を済ませた杯だ。 縁起がいいってなにか違うのだろうかとグラスの中を覗きこんで、決めた覚悟が揺らいで しまった。 「あの、これ……ペットの金魚が紛れてるんですけど……?」 赤い魚が元気に尾鰭を振って可愛らしく泳いでいる。 「いや、縁起物である」 「金魚だよ!?」 もしやヨザックは人間ポンプをやりたくなかったから、おれとグラスを交換したのだろうかと 疑いたくなる。いや人間じゃなくて魔族。いやいや、飲んだあとに吐き出さないからポンプ じゃなくて踊り食い。 さっき以上の覚悟が必要だ。おれは目とぎゅっと瞑って一気に小魚ごと口に流し込んだ。 歯を立てないように一息で飲み込む。 「凄いぞ渋谷、いま君の中に小さな命の灯火が」 「やめろ、罪悪感で泣きたくなる」 「さて、カロリア代表、ノーマン・ギルビット殿」 差し出された盆に空になったグラスを返し、話し始めた老殿下の口元に再び注目する。 冷静でいるために、後ろの男を見てはいけない。 「実に見応えのある勝負であった。それにしてもあれは何だろうか?呪文を唱えるだけで 気象をも操れる魔術なのか」 「あれが噂の超魔術です」 「しかしカロリアの委任統治者であるノーマン殿が、何故魔術など使えるのか。法術とは 違い、魔術は修行や鍛錬ではなく、魂の資質というではないか」 来た。魔術を使った以上は避けては通れない質問だ。今こそ見せろ、大賢者仕込みの 大嘘レッツチャレンジ。 「カロリアは古の頃、のちの魔族となるウィンコット家の発祥の地でございます。殿下にも お心当たりがおありでしょう。ウィンコットの毒は有名な品ですから……」 フリンと取引をしたのは大シマロンだ。多分、あの陛下じゃなくて殿下の方に違いないと いうおれの予想は当たっていたらしく、男の目が眇められ、口の端がぴくりと揺れる。 「おそらく私の一族には、彼らの血が僅かに混じっているのでしょう。ごく稀に魔術に縁の ある人間も生まれます」 「……なるほど、それでこのような法力に支配された土地においてでも、魔術が使えると いうわけか。実に羨ましい話だ。アーダルベルト・フォングランツは厳しい国内予選を勝ち 抜いた代表戦士を、ふらりとやってきて全て打ち負かしたのだ。それを戦闘不能にまで 追い詰めるとは」 どうやらヨザックの話は当たっていたらしい。決まっていた代表選手を押しのけてまで、 おれを狙っているのか。 「しかしお陰で、剣術で名高い家系のウェラー卿が活躍する機会を失ってしまったがな」 ちらりと老殿下が視線を後ろに送る仕種をすると、後ろの男が恭しく頭を下げた。 咄嗟に視線を逸らしたおれに、耐え難い質問がされる。 「ノーマン殿は試合前にコンラートと何事か話しておったであろう。あれはどのようなことを 取り決めておいたのか。それとも、我が同胞コンラート・ウェラーと、知り合いなのかな?」 全身の血の気が引いた。 我が同胞。そうか、そうだよな。そんな似合わない白と黄色の服を着て、見慣れない場所 に立っているのだから。 知り合いなのかだと? 教えてやるよ。おれとコンラッドは……コンラッドはおれの妹の、の……。 後ろから、左の袖を握られた。ちらりと見ると、ヴォルフラムが俯いて目を閉じていた。 耳が真っ赤に染まっている。多分、怒りか悲しみで。 おれを止めることで、自分を抑えている。 「いいえ、直接は」 銀の仮面のノーマン・ギルビットの声は、抑制の成果かどうにか震えることなく告げること ができた。 「ただ、他国の陣営で見かけたことがあったので、訊ねてみただけのことです」 「そうなのかね?」 知っているくせに。知らないはずがないベラール二世がわざとらしく訊ねると、ウェラー卿も 心の伴わない笑みで応える。 「長いこと兵士として生きてきたので」 「私が見たときはっ」 握り締めた拳の爪が、掌に食い込んで痛い。治してもらったはずの首の傷が、脈打つ度に 薄く繋がった皮膚を破いてしまいそうだ。 「私が見たときは、ベラール四世ではない方を『陛下』と呼ばれていたのでっ」 「ああ、ついそうお呼びしていましたね。先の主はいつもご自分で、陛下と呼ばぬようにと 仰っておいででしたが」 おれは目を閉じて、わずかに俯いた。 かつては思っていた。顔を見なくても、あんたのことなら少しはわかるよ、と。 「あなたのことも……そう呼ばぬよう努めるつもりです」 すべておれの勘違いだったのか、それとも何かが決定的に変わってしまったのだろうか。 今のおれには、あんたの心が少しもわからない。 「さて、そろそろ本題に入ろうか」 こちらの葛藤なんて知る由もないベラール二世が話題を変えた。 それでいい。興味を持たれたら困る。 「優勝者にもたらされる恩恵については聞き及んでいるだろう。慈悲深き我等大シマロン が、健闘を讃えて勝者の願いを聞き届ける。もう結論は出ているかね?」 結論は出ている。元々、そのためにこの大会に、カロリア代表として潜り込んだのだ。 カロリアの国力も認知度も跳ね上がり、眞魔国としてはこの世の脅威を一つ減らせる。 ノーマン・ギルビットとしても、渋谷ユーリとしても必要な願いのはずだ。 大シマロンが保有している『風の終わり』。 兵器ではない物を、兵器として利用しようとしているそれだ。 そう、決めていた。 だから変えない。変えられない。 そう思わないと、今にも言ってしまいそうだったから。 ウェラー卿コンラートに、元のいるべき場所へ帰るようにと。 だけど、彼が誰かに強いられてあの場所にいるのではない限り、おれの願いは聞き届け られない。 の悲しむ姿が、脳裏をよぎった。 「我々カロリア代表の願いは、風の終わ……」 「そういえば私が以前、仕えていた主は」 不自然なまでのタイミングで口を挟んだウェラー卿に、驚いたような注目が集まる。 「天に願ったせいか、強力な兵器を手にする機会に恵まれました」 「ほう、それはどのような兵器だ」 兵器と聞いてベラール二世が食い付いた。突然割り込んだことより興味が勝ったらしい。 ……もっと強力な兵器が欲しいのだろう。 「発動すれば、都市の一つは消滅するくらいの力を持っていましたね。ただし扱える者は たった一人に限定されていて、他の者が持てばただの不気味な金属でした」 「用途の少ない兵器だな。保有しても役に立つとは思えない。もっとも、我々のように箱 と制御し操れる『鍵』も同時に手に入れれば問題はないが」 『箱』と『鍵』。 『風の終わり』と『コンラッド』。 どうしてだ。どうして、箱を兵器として利用しようとしている大シマロンに、その二つを揃え なくちゃならないんだ。 ……コンラッド、どうして。 「……箱を……そうすればもしかして、コンラッドも……」 「勘違いするな」 「え?」 再び口を開きかけたおれを、ヴォルフラムが低い声で止めた。 この場で最も強くおれと同じ気持ちを共有しているはずの、ヴォルフラムが。 「勘違いをするな。お前がこの大会に参加したのは、コンラートを取り戻すためか?」 「それは……でも、あのときとは状況が……」 「ここにいるお前は、一体誰なんだ」 息が詰まった。 真っ直ぐに前を睨みつけてるヴォルフラムの言葉に、俯いたままのおれは答えられない。 ここにいるのはノーマン・ギルビットだ。 カロリアを治め、カロリアのためを思う、カロリアの領主。 「箱を得る理由がコンラートを取り戻すためだというのなら、それはお前の思い違いだ」 ノーマン・ギルビットを演じると決めたのはおれだ。 おれ自身だ。 大会に出ようとしたのは、箱を得るためだ。 だけどあの大地の裂けた場所で、解放されかけた箱にボロボロにされた土地で、仮面を 被ると決めたとき、おれは何のためにそれを決意した? ノーマン・ギルビットは、カロリアを愛し、カロリアのために生きた男だ。 他人を演じると決めたのなら、幕が下りるまで舞台の上にいることを忘れてはならない。 おれたちの密かな話し合いなど遠い場所でのことのように、ウェラー卿とベラール二世の 話は続いている。 「……ところが私の王は、その兵器を保有しようとは思わなかったんです。起爆装置とも 呼べる重要な一部分を、部下に渡して廃棄させてしまったのですよ」 「なんと愚かなことを!その王よ、国家もろとも呪われるがよい!」 愚かな王で悪かったね。 どうしてコンラッドが無理やり割って入ったのか、ようやくわかった。 それをあんたは……コンラッドは、止めなかった。一言も文句を言わなかった。 こうなると思ったというような顔で、笑っていた。 そしても、おれの賢い妹も、喜んでくれたよ。 武力で脅して国を守るような方法は際限がない。おれよりも先にそう気付いていたから、 抱きついて喜んでくれた。おれが、おれのやり方で国を守る道を探すことを喜んでくれた。 いつだって、の笑顔は、おれに力と、そして勇気をくれる。 ごめん、。 今度こそ、お前は笑ってくれないだろう。 怒るかもしれない。泣くかもしれない。おれを責めるかもしれない。 箱を手に入れれば、あるいはコンラッドが帰ってきたかもしれないのに。 「それが賢かったのかどうか、すぐには結果はでないでしょう。……しかしそれも若い陛下 なりに考えてのこと。あのときはあれが最良の選択だったと、俺は今でも信じています」 何が今でも信じてします、だよ。そんなところに、似合わない服を着て立ってるくせにさ。 「希望を、よろしいでしょうか」 「ああ、希望の品が決まったか」 話に一段落ついたベラール二世は大儀そうに頷いて促す。 「決まりました。でも品物じゃない。手には掴めない」 「え?」 不意を突かれたヨザックだけが訊き返した。 ヴォルフラムは真っ直ぐに兄弟を見つめ、おれは拳を握り締めて視線で負けないように 老殿下を睨みつける。村田は呆れたように、でも楽しげに小さく呟いた。 こうなると思った、と。 「私ことノーマン・ギルビットは、カロリアの独立と永久不可侵を希望する」 |
優勝したのは、渋谷有利ではなく、ノーマン・ギルビット。 有利は自分で自分なりに心に決着をつけて希望を口にしましたが……。 |