案内係の男に先導されてカロリア代表チーム一行は王族席まで歩かされた。

勇敢な戦士三人と監督兼付き人一人という内訳だ。もう一人の付き人は、試合に勝ったの

に命の危機に遭った主を助けるための名誉の負傷で救護室行きということになっている。

許されるならおれもベッドに向かってレッツダイブと行きたかったけど、チームリーダーとして

願いを申し出に行かなくてはならない。

試合中はいい加減なことにマスクさえ付けていなかったので、ノーマン・ギルビットを演じる

ために、今は再びマスクマンに変身している。疲れて力が入らない身体に、息苦しさまでが

加わってダブルパンチだ。

普段は階段は足腰を鍛えるのにちょうどいいとエスカレーターになんて見向きもしないが、

今日は自動昇降階段が恋しくてしかたがない。

くだらないことを考えるのは、一人で悩んでも仕方がないのに脳味噌を揺さぶる問題から

目を逸らしたいせいだ。

喜ばしいことに、コンラッドは無事だった。今度こそ本当の本当に、確かなことだ。何しろ、

本人が目の前に現れたんだから。

だけど、何故か今は大シマロンにいる。

次に目を覚ましたがどんな思いをするのか、心配でたまらない。

どこかでコンラッドを捕まえてじっくり話し合わなくてはならない。

とりあえず、あのグラウンドでやっぱり一発殴っておきたかった。






079.遠い存在(2)






辿り付いた謁見室はバスケットコートくらいの無駄な広さで、壁も床も天井もすべて目に

痛いレモンイエローだった。疲れている身には、ますます辛い。

上座から三分の一ほどは黄色の御簾で仕切られていて、その奥に人影が見えた。派手

な登場をしでかしてた殿下とやらか。

「殿下、大シマロン記念祭典、知・速・技・総合競技、勝ち抜き!天下一武闘会の勝者で

あるシマロン領カロリア自治区代表三名及び補欠一名を連れて参りました」

村田は補欠扱いだったのか。じゃあもそう言う風に認識されていたんだろうか?

でも選手が三名しかいなくて補欠二名は多すぎる。

「殿下じゃないよ、朕だよぉ」

ゴンドラで登場した派手派手殿下だと思っていたら、御簾の向こうから聞こえてきたのは、

勝利が喜びそうな典型的な美少女キャラボイスだった。ソプラノとアルトの中間辺り鼻声。

「へ、陛下!」

「そうだよぉ、朕だよぉ」

おれの横で案内係が硬直する。それどころか部屋の警備に入ってきた衛兵たちまで動揺

して、息を飲んでいた。

何故こんなに慌てるのだろう。殿下じゃなくて陛下だったから、緊張率がアップなのか?

「どんな朕だと思う?僕の予想じゃ眼鏡っ娘かなー」

動揺の走る室内をいいことに、村田が不謹慎なことを囁いてきた。

「お前は巫女さんが好きなんだろ」

袴といえば巫女さんというのが村田で、弓道部だと主張するのが勝利だったはず。

そんなくだらないことをこそこそと話していると、入り口が騒がしくなって兵士が一人、部屋

に飛び込んできた。何かの式典中かと驚いたようだが、緊急を要する話だったらしい。

そのままおれの横にいた案内係の男に告げる。

「隊長殿、報告いたします!宝物庫に賊が侵入した模様です」

「なにぃ!?」

ただの案内係ではなく隊長だったのか。素晴らしい反応をした隊長よりも、更に仰天させ

てくれたのは御簾の向こうの美少女ボイスだった。

「朕の箱が盗まれたのぉ!?」

眼鏡っ娘を期待した村田には実に残酷なことに……いや、おれもちょっとは期待したけど

……御簾を払いのけて転がり出てきたのは、趣味を疑う赤青の縦線の入った黄色い服を

着た、マッシュルームカットの中年のおっさんだったのだ。

痩せすぎて今にも折れそうな手足と、エラの目立つ顎とこけた頬。落ち窪んだ目だけが、

生気に満ちてギラギラと異様に輝いている。

「ねえ、箱は?朕の箱は盗まれちゃったのぉ?」

なのに、声は美少女アニメ声。現実って厳しい。

衛兵に助け起こされる主に向けて、報告にきた兵士が敬礼をして続ける。

「大丈夫です陛下。上に古布などを載せて、価値のない物と偽装したのが功を奏しました。

盗賊は魔王像といくつかの装飾品を持ち去った様子です。箱には手をつけられていません

でした」

「魔王像?あの、頭がゾウのやつぅ?」

「はい。恐らく、悪魔信仰の信者どもと思われます」

「純金でも法石でもないよぉ。あんなもの盗んでどう使うんだろうねぇ」

そんな価値のないものがどうして宝物庫にあるのかも謎だ。

なぜか村田が額を抑えて溜息をついた。

周りを見回してみると、王を助け起こしたあと脇に避けていた若い兵士が小さく独り言を

呟いた。

「箱よりは余程、価値があるさ」

恐怖の箱は全ての民が兵器として期待を寄せているわけではないらしい。

「盗まれたのが箱じゃなくてよかったぁ」

「ですが陛下……賊の侵入を許した警備兵はほとんどが不意打ちを食らったと主張して

いるのですが、一部に不相応な金銭を所持する者がおりまして……そ奴らは気を失って

いる間に懐に入れられたのだとか、知らぬ間に握っていたとか申すものですから…同じ

部隊の兵士間で、ちょっとした不平等に対する不満が起こっておりまして」

「不平等ぉ?それはしょうがないよぉ、この世は不平等に満ちてるんだもぉん!」

そんな悲観主義なことを大声で主張されても、誰も同意できなくて困る。

ふと、シマロン王が転がり出てきた御簾の向こうに、まだ数人の人影が残っているのが

見えた。そちらに感心が移る前に、袖を捲くった痩せこけた鶏ガラのような二の腕を突き

つけられて思わず仰け反る。

「ほら、ね?こんなにそっくりにしたのぃ」

乾燥し生気のない黄色い皮膚には、二本のラインが平行に刻まれていた。濃緑色の線

はよく見ると線ではなく、細かな紋様が繋がって線状になっているみたいだった。

そっくりと言われても、比較対象がわからないので返答のしようがない。

「こんなにそっくりに作っても、朕には箱が使えないんだよぉ!父上も伯父上も先々代も、

みんな同じように作ったのにねぇ!名前もみぃんなベラ―ルにしたのにぃ、だぁれも本物

の『鍵』にはなれなかったんだよぉ」

徐々に美少女声が高揚したようにヒステリックな高音になっていって、乾いた笑い声を

部屋中に響かせる。

「平等じゃないよぉ!不公平だよぉ!朕もウェラー家に生まれればよかったのにぃ」

この場面で聞くとは思わなかった名前に、おれとヴォルフがびくりと震える。村田が落ち

着けというように、後ろからおれの袖をぐっと引いた。

「そしたら自分で鍵になれたのにねぇ……伯父上にも優しくしてもらえたのにねぇ……」

狂気に満ちた叫びが、次第に嗚咽に変わる。同時に身体の力も抜けたのか、がくりと床

に両膝を突く。

「……父上も弟も……亡くならずに、すんだのにねぇ……」

「見苦しいぞベラ―ル四世」

外見を裏切る王とは対照的な、威厳に満ちた声が御簾の向こうから響いて、嗚咽を漏ら

して泣いていたシマロン王が怯えたように顔を上げた。

「殿下!」

兵士達全員が背筋を正して御簾に注目する。

部屋の空気が変わった。





引きちぎられて半分になった御簾の向こうから現れたのは、七十代くらいの老人だった。

だが杖にも頼らず歩調もしっかりしている。シマロン軍人定番の長髪と立派な口髭は半分

以上が白くなっていた。

「はて、わたくしは陛下に、勝者の祝福をお願いしましたかな」

言葉こそは穏やかで丁寧だが、力関係は明らかだった。

「伯父上……」

「お願いすると申しましたかな、ベラ―ル四世陛下」

「……いいえ……ベラ―ル二世殿下」

またベラ―ルかよ!?

日本の武士だって似たような名前をつけているし、徳川将軍家なんて八代将軍にみたい

に有名どころはまだしも、微妙な代は後世への嫌がらせじゃないかと疑いたくなる名前が

続くけど、それでも同じ名前はつけてないぞ。一世とか二世とかつける習慣もないけど。

「でも朕は、少しでも殿下のお役に立とうとぉ……」

「余計なことはなさらぬよう!」

屈強そうな老人に一喝されて怯えた四十近くの男は、それでも泣きながら言い募った。

「だってウェラー卿がぁ……コンラートが来てから、伯父上はあの男ばかりをぉ……」

コンラッドがなんだって!?

思わず駆け出しそうになったおれを、三人掛かりで引きとめる。左右の袖と後ろの裾を

掴まれては、衝動のままに走り出すことも出来ない。

だが質問をする必要はなかった。

御簾の奥にいた最後の人物が、自らの足で部屋に降りてきたからだ。

「私のことなど気に病まれぬよう。二世殿下は陛下のことを心配しておられるのですよ」

おれには一瞥もくれない。

降りてきたシマロン人と同じ茶色の髪の男は、その銀の光彩の散った瞳に微笑みさえ

浮かべて、憐れな男の背中にそっと手を置いた。

一体あんたに何があったんだ。

おれが、が、ヴォルフが、ヨザックが、一体どれだけあんたの無事を祈っていたのか、

会いたいと思っていたのか、わかっているのか?

がいなくてよかった。

ここにがいなくてよかった。

あんな、知らない男を陛下と呼んで……おれには剣を向けようとしたのに……知らない

男に微笑みかけるコンラッドを、には見せたくない。

コンラッド、理由があるんだろう?一体どんな理由なんだ。教えてくれよ!

冷静であろうとするのに、身体が震えて止まらない。俯いて、ぎゅっと拳を握り締めて目

を閉じる。

落ち着け。今は落ち着け。ここにいるのは渋谷ユーリじゃなくて、ノーマン・ギルビットだ。

招待主を差し置いて、その側にいるだけの男に声をかけていいはずがない。

「カロリア代表、大シマロン王国ベラ―ル二世殿下であるぞ!控えよっ」

叱責されて顔を上げると、ベラ―ル二世は壊れた御簾を取り払って、壇上の椅子に戻り

腰掛けていた。ウェラー卿は、その斜め後ろに控えている。

……コンラッドが、おれの側にいるときの定位置だった場所だ。

そうか、から見るとこんな風だったんだな、とぼんやりと考えて、あとは焦点をあわせ

ないようにして軽く会釈をとった。おれの知っているコンラッドじゃなくても、その目がある

ところで他の人間に服従して見せるのは絶対に嫌だったんだ。

たとえ、あんたにとっては、もうおれが主じゃなくても。

そうでないのなら、絶対に。







見たくない光景です。



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