「どんな内容でも、おれに勝負を預けてくれるか!?」 有利が突然、コンラッドと賭けをすると言い出して、驚きながらもその真剣な目にはっきりと 頷いた。 「、ちょっとそれは」 村田くんが難しい顔でわたしの肩を掴む。 「どんな内容でもとは、穏やかじゃないなあ。目の前に巨大な権力を持つ渋谷がいるのに、 敢えて君を指名したってことは、あまり碌な賭けじゃないと思うよ」 「ユーリがみすみすを危険にさらすと思うか?」 ヴォルフラムがすぐに村田くんの危惧を否定した。わたしも同じ気持ちだ。 「僕が心配なのは、渋谷もも、ウェラー卿を信用しすぎているんじゃないかということ」 「コンラッドを信じるのは当たり前でしょう?」 「でも彼は今、大シマロンの戦士としてここに立っている。それが何故か、わかりもしない のに絶対の信用なんて出来るのかな?命までは取らないだろうとの大前提はともかく」 「当たり前だろう!少なくともあいつはユーリとにだけは危害は加えたりしない!」 「そうだといいけど……」 村田くんが考えるように首を傾げたとき、相手側のベンチから第二戦目の代表だったアー ダルベルトさんがグラウンドに乱入してきた。 078.逸らした瞳(1) 三戦目も彼が代表になる、という話を審判が受け入れたと同時にベンチから飛び出そうと して、襟首を掴まれて後ろに引き戻された。 激しい音を立てて上から鉄格子が降ってくる。 目の前に落ちてきたそれに、ヨザックさんが引き戻してくれなければ、串刺しになっていた かもしれない。 ぞっとしたのはその一瞬で、すぐにわたしたちを閉じ込めたその鉄格子にしがみ付いた。 「有利!だめっ、戻って!馬鹿なことは考えないでっ」 「陛下、バカなこと考えずに戻ってきてください」 「そうだぞユーリ、ばかなことは考えるな!」 「渋谷、馬鹿な考え休むに似たりっていうじゃないか」 村田くんの使い方はともかくとして、このまま有利があのアーダルベルトさんと闘うなんて、 馬鹿なことだというのだけは確かだった。 「お前らみんな失礼だぞ!まるでおれが本当のバカみたいじゃ……うわっ!」 有利が勢い込んで振り返ったのと同時に突然足下がせり上がって、バランスを崩して落ち かけた。 「有利!」 どうにか落ちずに体勢を立て直していたものの、事態はますます深刻になってきている。 有利のすぐ側にいたコンラッドは地面に取り残されたのに、少し離れて相対していたアーダ ルベルトさんと審判のひとりは一緒にせり上がる円形の闘技場に乗っていた。広さ的には 相撲の土俵くらいといったところだろうか。 あんな狭さじゃ、逃げ回って苛立たせよう戦法だって取れはしない。 「有利ぃーっ!」 鉄格子を掴んで揺らしても、当然ながらびくともしない。 コンラッドが飛び上がって舞台の端に手を掛けたのに、下に残っていた審判に服を引っ張 られて落とされた。 「離せっ!」 何か言い合いながら審判の手を振り払った頃には、もうコンラッドの手では届かないところ より更に上へと舞台は上がり続けている。 コンラッドは有利を心配している。だから、手加減するとは思えないアーダルベルトさんとの 闘いを止めたがっている。コンラッドだもの。それで当然だとも思うし、じゃあどうして大シマ ロン側にいるのかが判らない。 「渋谷ーっ!もういい、いいから早く棄権しろっ、あまりにもリスクが高すぎる!」 村田くんが必死に訴えている間にどんどん舞台が上がり続ける。 下から見上げるのもベンチの中というのも角度が悪くて良く見えないけれど、有利が審判 に話し掛けようとしていた。 棄権してくれるんだろうかと、ほっとする。 だってフォングランツ・アーダルベルトはヨザックさんと互角の闘いを繰り広げていた。 どう考えても有利が敵う相手じゃない。使えるか使えないかわからない魔術に頼るなんて 勝負は絶対にさせられない。 「心配するなユーリ、この件に関してはお前をへなちょこと呼ばないぞ!」 「渋谷、君の彼氏もこう言ってるぞー。誰も君を責めないと約束するし、帰ってきたらカツ丼 とってやる。だから早く棄権してくれ!君はもう充分に闘った!」 「村田くん、真面目に説得する気あるの!?」 思わず村田くんの胸倉を掴んで締め上げると、ヨザックさんがどうどうとまるで馬を宥める ようにして割って入ってくる。 「それより大変ですよ!陛下が闘う決心をつけてしまったようです。どうしますか!?」 「なんだって!?」 絶叫した村田くんと並んで鉄格子にしがみつくと、有利が金属バットもどきを握り直して、 対戦相手と向き合った姿が見えた。 「有利、どうして!」 「男にはなあ!負けると判っていても、闘わなければならないときがあるんだ!……えー 女の人にもありますけれども!」 アニシナさんの女性優性説は確実に有利に浸透している。 だけど今はそれどころじゃない。 「有利!負けたらどうなるか、本当にちゃんとわかってるの!?」 コンラッドなら、必ず寸止めで有利から降参を引き出す方法を取るだろう。 だけど相手は魔族を捨てた男で、ギルビット邸での有利の態度やこの競技場で彼の姿を 見たときのヨザックさんの言葉からは、そんな最低限の保証が吹き飛んでしまったのに。 「陛下っ、どうか無謀なことはおやめください!剣では奴に太刀打ちできない!」 コンラッドも円形の闘技場に縋り付いて声の限りを尽くして有利に懇願する。 「あんたの口からは聞きたくなかったよ!ほんとうに洗脳されてるんじゃないの」 「有利っ!」 会場中が一瞬、息を飲んだ。 大型の幅広剣が有利に向かって突き出されて、それを有利は身体を捻ってかわす。 バランスを崩して片膝をついた有利は、反転しながら斜めに切り下げようと繰り出された 剣を、辛うじて棍棒で止めた。 悲鳴も出なかった。すべてが一瞬の出来事で、ほんの少しの違いで今頃、有利の命が なかったかもしれない。 わたしは横からヴォルフラムの剣を抜き放って、当たりをつけて鉄格子を斬り付けた。 金属同士がぶつかり合う鈍い音が響いて、痺れた痛みが掌から肩まで伝わってくる。 「い……たっ……」 「無理だ、!」 「そうだよ、斬鉄剣じゃないんだから!」 「だって有利がっ!」 痺れる手で柄を握り直し、わずかにだけ線が走った場所に、もう一度剣を振り下ろす。 「有利が、危ないのにっ!」 「手を痛めるだけだって!グリエさんバトンタッチ」 村田くんが後ろからわたしの腕を掴んで、その間にヴォルフラムに剣を取り上げられてた。 ヨザックさんは斧を使って、わたしが傷をつけた部分の鉄格子を抉り始める。 相手の攻撃を弾き返すと、その反動で有利は後ろに二歩半後退し、危うく転落するところ だった。 踏みとどまった有利は、今度は自分から斬りかかり……ではなく殴りかかっていく。 「あーっ渋谷!右、右。そうじゃない左ーっ!」 「村田くん、黙ってて!」 口を挟みたくなる気持ちはわかるけど、いかにも素人らしい差し出口だ。余裕があって、 それに対応するだけの力があるならまだしも、今の有利にそんなアドバイスをしたら混乱 させるだけなのに。 一瞬、別の何かに気を取られて集中を乱した有利は、その一撃に反応が遅れた。 幅広剣の切っ先が有利の胸を真横に切りつけるかと思った。 だけど、突然動き出した円形闘技場が幸運をもたらす。 有利は尻餅をついて剣先から逃れ、アーダルベルトさんは動き出した地面に体勢を崩し、 膝をついていた。 お互いにすぐに立ち上がるけど、動く地面に対応しきれず、まずバランスを取ることに集中 する。 「うわ、回転を始めちゃった」 「悪趣味な……」 どの客席からでも勝負が見えやすいようにという配慮なのか、円形闘技場は秒針ほどの 速度でゆっくりと回転を始める。 「でもチャンスだよ!」 有利は三半規管がしっかりしているのか、回転には滅法強い。相手が回転に慣れずに 膝をついている今はまさしく絶好のチャンスだった。 だったのに。 有利が金属バットで足を払うと、フォングランツ・アーダルベルトが後ろに尻餅をついた。 回転のせいで足だけでは立ち上がれず、両手を地面につく。 決まったと、誰もが思った。 わたしですら、思わず拳を握り締める。 遥か高い闘技場の上で、有利がバットを振り上げたまま躊躇したことが、わたしたちにも 瞬時にわかった。 そうだ、バットは相手の頭を叩き割る。剣のように薄皮一枚切って喉元につきつけ、降参 を呼びかけることのできない武器だ。 そんなこと、有利にはできない。 そう。わたしにもできなかった。 ヴァン・ダー・ヴィーア行きの船の中で海賊と戦ったとき、この剣を振り下ろせば敵を倒せ ると、そう思った瞬間にようやく気がついたのだ。 この場合、敵を倒すということは、そのまま相手を殺すことだと。 ヨザックさんと互角の闘いを繰り広げていた相手がその隙を見逃すはずもなく、有利は足 払いをもらって前へ倒れこんでしまう。 ひやっとしたけれどそこで刺されたりはしなかった。 だけど、倒れた有利は首を太い腕で押さえられて、その白刃を喉元に当てられた。 もう悲鳴は声にもならなかった。 ヴォルフラムと村田くんが掴んだ鉄格子を揺らして有利に降参しろと叫び続ける。 ヨザックさんも鉄格子をゆっくり削る余裕なんてなくて、ひたすら斧で叩き始めた。 もう逆転の目なんてない。それならとにかく助かる道を選ぶべきだ。 なのに有利は、首に剣を当てられたまま、闘技場の端まで運ばれてもまだ降参を宣言 しない。 あの刃が横に引かれれば、首を押さえた腕を離されてしまえば、有利は頚動脈を切って、 あるいは三階くらいの高さはある闘技場から落下して……。 それでも有利が敗北を宣言しないのは、きっと魔術の発動の可能性を待っているんだ。 わたしは握り締めた拳を鉄格子に叩きつけた。 「力を貸して!」 ごりっと骨に衝撃が響く嫌な音がした。 「力を貸して!有利が危ないの!あなたは言ったじゃないっ!時がくるまで、有利を守り 抜けと!」 まだ今はその時じゃないでしょう?あなたにだって有利が必要なんでしょう!? わたしの中のどこかに存在する、あの白い手の持ち主に必死になって呼びかける。 「なにを……!?」 「有利を助けたいのよっ」 鉄格子を握り締める。イメージは、炎だ。鉄をも溶かすほどの高温の炎。 「陛下!」 グラウンドではコンラッドが切羽詰った声で必死に叫んでいた。 「お願いだ、早くギブアップしてください!アーダルベルトは本当にやりかねない、あなた の命を奪いかねないんだっ」 見たくないの、聞きたくないの。 有利が怪我をするところも……危険な目に遭うところも……それどころじゃないほどの 危機も……そしてコンラッドの、あんな悲痛な声も。 回ってきた闘技場の有利と一瞬、目が合った。 その半瞬後に村田くんが地面に視線を落す。 「駄目だ渋谷、危険すぎる!もよせっ!君が同調したら渋谷の魔力はー……」 その忠告を最後まで聞く前に、恐ろしい闇と切り裂くような激痛が襲い掛かってきた。 |
とうとう有利の魔術が発動。 ですが大賢者は必死になって止めています。 |