「困った御方だ、どうあっても、棄権してはくださらないおつもりですか」

大シマロンの軍服を着て、大シマロンの代表として出てきた男は、言った通り本当に

困ったような笑みを見せた。

「なんだよ……そんな顔するくらいなら……」

口の中でぼそぼそと呟いて、コンラッドの前に出ると雪に濡れた地面を踏みしめる。

「しない。これで脳天ぶん殴って、目ェ様させてくるって約束した……と」

今度はの名前を聞いても反応しなかった。

おれ達が話し合っている間にコンラッドも心の整理をつけたのか、それとも大シマロン

のウェラー卿には関係ないとでも言うつもりだろうか。

「だから勝つためには手段は選ばない。ピンチなったら必殺技を繰り出してやる。渾身

の力を込めて股間を蹴り上げるからな。あんたも男なら、男らしく痛がれ」

過去の激痛を思い出したのかコンラッドは一瞬、眉をひそめた。だがすぐに微笑に戻り、

およそこの場には似つかわしくない言葉を口にする。

「それでも俺は、手加減しますよ」

「おう!手加減は一切無用だ。この際ガチで決着を……なに?」

耳を疑う宣言に、思わず問い返したおれに向けてコンラッドは余裕の表情で繰り返す。

「聞こえませんでしたか。手加減します」

闘う前にそんな、八百長宣言かよ!?






077.埋もれた感情






「全力で闘おうとか思わないもんかなあ」

「まさか!陛下に怪我でもさせようものなら、生きてここから帰れそうにないですからね。

……それに」

一瞬だけコンラッドの表情から緩い笑みが消えた。かといって、おれを小馬鹿にしたり、

その逆に真剣な顔を見せたというわけじゃない。本当に、ほんの瞬間的なものだった。

だけどコンラッドの顔から表情が消えた。

そう、消えたんだ。

「それに?」

その一瞬の変化に驚いて訊き返すと、またあの微笑が戻ってくる。

「いいえ……ですがこちらも大シマロンの代表という立場ですから、勝たせて差し上げる

わけにもいきません」

一体コンラッドに何があったっていうんだろう。

あんな表情は見たことがない。

いつも穏やかな表情で、おれが無茶したときは「こうなると思った」なんて言って困った

ように笑い、の側では信じられなくらい幸せそうな緩みきった顔をしたり、おれや

に危険が迫ったときは怖いくらいの……そう、あれがルッテンベルク獅子と呼ばれた男

の片鱗なんだと思わせるほどの鬼気迫る迫力を見せることもある。例えば、あの教会で

の戦いのときのような。

でも今の表情は見たことがない。

そんな、まるで絶望したかのような、あんたに似合わない表情をさせる、何かがあったん

だよな?

「……おれが勝ったら理由を聞かせてもらうからな」

「勝たせて差し上げるわけにはいかないと申し上げました。それに、その取引きでは俺に

メリットがないですよ」

「メリット?」

「そうです。あなたは勝ったら俺に事情を話せと仰いますが、じゃあ俺が勝ったら何をして

くださるんですか?残念ながら、俺はあなたに求めたいことはないので……」

おれはメリットの内容を聞き返したんじゃなくて、あまりにもコンラッドに似合わない言葉に

驚いたんだ。いつだって、あんたはおれに見返りを求めたりしなかったのに。

いいや、それはおれの甘えだとしても。

「じゃあになら?」

また一瞬だけコンラッドの笑顔が崩れた。今度は無表情ではなく、信じられないものでも

見るような目で。

にならして欲しいこととか、あるんじゃないのか?」

「あなたはを賭けの対象にされると仰るのですか?」

そんなはずはないという確信を込めた顔で聞き返された。そうだろう。あんたならそう思う

はずだ。

おれが、どれだけを大切にしているか、知っているから。

「どうだろう」

金属バットもどきを地面について、雪をほじくってわざと間を空ける。

「演技をなさっても無駄です。そんなことがあなたに、できるはずもない」

「じゃあにも訊いてみようか?あんたの事情を聞くための賭けなら、あいつは絶対に

乗るよ。おれに託すね。断言する」

コンラッドは絶句して視線を地面に落とした。

があんたをどれだけ大切に思っているか、知らないわけないだろ?

なのに、なんで今更そんなこともわからないんだ。

コンラッドが動揺してるなら今だと畳みかけようとすると、当の本人が突然、肩を揺すって

笑い出した。大笑いというわけではなく、喉の奥で声を篭らせるような。

「あなたたちはどこまでお人好しなんだろう。ここにこうして、この姿で現れた俺をまだ信じ

ると?」

「理由を聞いてないからね。あんたは何かを隠してる。国で、あんな別れ方になったとき

からずっとだ!」

「大した理由なんかないかもしれませんよ?それでも大切なを賭けるんですか?」

「そうだ」

コンラッドはようやく笑いを収めて、優しくない色を浮かべた目をおれに向ける。

「ああ、あなたはまだおれを信じてる。も、もし応じると言うならそうでしょうね」

「大事なやつを信じちゃいけないのかよ!」

「いけませんよ。信じるに値しない者まで信じては。大切な者があるなら特に。あなたが

を賭けると言えるのは、俺ならに酷いことを要求しないと思っているからだ。

が賭けに応じると言うのなら、俺が決して傷つけたりしないと思っているからだ」

違うのかよ。ウェラー卿コンラートは婚約者を溺愛しているじゃないか。そんなあんたが、

を傷つけることなんてできるはずがない。

「だったら先に、俺の望みをお教えしましょうか」

コンラッドは雪に刺していた剣を抜いて、おれの肩越しに視線を送った。きっとを見て

いるんだろう。

「彼女を一晩、俺にください」

「……は……?」

「聞こえませんでしたか?俺の望みは彼女と一夜と共に過ごすことだと言っているんです。

ああ、もちろんただ語り合うだけなんて野暮な質問はしないでくださいよ。彼女の肢体を

この目で見て、この身で楽しみたいと言っているんです」

「なに言って……っ」

「これまで彼女の表情はたくさん見てきましたが、ただ唯一、褥の中でなら一体どれほど

艶めいた表情を見せてくれるかだけは知らないんです。せっかく俺は婚約者だったのに、

それはあまりにもったいないでしょう?」

何を言ってるんだ!?

言われた内容が頭に入ってこない。

コンラッドはが男を恐れていることを知っている。コンラッドだけは特別だとも。

だからってそれでも。

「大丈夫、一晩でいいです。明日には帰して差し上げますから」

あまりにも不実な発言に、だけどおれの短気が爆発することはなかった。あまりの要求に

逆に頭の一部が冷えて、怒りが込み上げなかったのだ。

違う。コンラッドはおれを挑発しようとしている。

何を言えばおれが賭けを引っ込めるかを、怒りに任せて話なんて後だと戦いに挑むかを、

よく知っているんだ。

「……それで、いいんだな?」

それだけはありえないという条件を出してくれたお陰で、冷静な声が出せた。

コンラッドは少しだけ右の眉を上げて意外そうな顔をする。

「いいんですか?言っておきますが勝負の後で俺が辞退すると思ったら大間違いですよ」

「できるもんならな」

おれが金属バットを持ち上げてコンラッドに突きつけると、会場全体から轟くような歓声が

わきあがる。ようやく試合開始だと思ったんだろう。

「あんた忘れてないか?その話はあんたがおれに勝ったらの話だろ。を賭けるという

なら、おれは絶対に負けない」

「ここは大シマロンの土地で、神殿もすぐ隣にあって、使える術は法術だけです。あなたが

俺に勝てるとお思いですか?精神論だけでは埋めようのないものもあるのだと……」

「ごちゃごちゃ言ってないで構えろよ!あんたの要求が本心なら、こっちが受けて立つって

言ってんだから、あんたはそれに乗っかればいいんだ!それともやっぱり嘘なのかよ!」

「そうは言いませんが、後で本人の承諾を取ってないから無効だと言われても……」

「じゃあ承諾を取ってやるよ。!」

おれが大声でを呼びつけて振り返ると、ベンチの中の全員が驚いたような顔をした。

「今からおれは、この大シマロンの代表と賭けをする!あっちの要求はお前にしか叶えら

れない!勝負を受けてくれるか!?」

「陛下、何を」

「どんな内容でも、おれに勝負を預けてくれるか!?」

狼狽したような声が後ろから聞こえた。振り返ってどんな顔をしているか見てやりたい。

ほら見ろ。あんたにを傷つけることなんて、出来ないじゃないか。

はベンチの中から、おれを見据えてはっきりと頷いた。

「OKだってさ。交渉成立だ、ウェラー卿」

「陛下……っ」

「陛下って呼ぶな、名付け親」

コンラッドは唇に歯を立てて、絞り出すような声を上げる。

「あなたは人を信じすぎる」

「それがおれの長所だって、は言ってくれたよ」

コンラッドが柄を握り締め、ようやくおれにその剣先を向けた。

「後悔しますよ」

「しないね。何故ならおれが勝つからさ」

おれも改めて金属バットを構え直して、コンラッドも突きつけた剣先を引いて正式な構え

に戻った。

「いいかよく聞け、コンラッド」

審判が手を上げて、試合開始を告げようと構える。

「おれは、あんたが生きててくれて、本当に嬉しいよ」

コンラッドは瞑目して何も答えなかった。





「その試合、ちょっと待った!」

試合開始直前、敵方ベンチからアメフトマッチョが新巻鮭型の巨大な剣を担いで駆け出し

てきた。松明の光に、鋼の凶器が輝く。

「アーダルベルト」

せっかく今、熱い戦いの火蓋が切って落とされるという時だったのに、水を差されて態勢

が崩れた。

ヨザックにも負けない厚く逞しい胸板。まぶしい金髪とトルキッシュブルーの瞳、多少左に

傾いているが、高く立派な鷲鼻。そしていかにも白人美形マッチョらしく、うっすらと割れた

頑丈な顎。

魔族を憎む元魔族の男は焦れったいほどのゆっくりとした速度で、威圧するように歩いて

きた。その表情には意味ありげな笑みが浮かんでいる。

「その勝負には異議があるぜ!」

望んでいた最終試合開始の直前にちょっと待ったが入った割には、会場は大盛り上がり

だった。第二試合の自国の勝者を見て、勝利の興奮が甦ったのだろう。

「この大会は、一発勝負!インチキ武闘会だったか!?」

アーダルベルトが武器を持った手を広げて会場にアピールすると、一斉に「What?」の

声が返ってくる。演出練習を前もってしていたんじゃないかというような、アーダルベルト

と観客の息の合いっぷりに唖然としている間に、話はおれにとって思いも寄らない方向

へ流れていく。

「勝ち抜き!天下一武闘会だったはずだな!?」

会場がどっと沸き上がり、アーダルベルトは面白がるように審判を指差した。

「勝ち抜き!天下一武闘会だったはずだな?だったら二戦目の勝利者は、そのまま敵

の三人目とやる権利があるってことだろ」

こっちが二戦目のとき、ヴォルフラムとヨザックのどちらを出すかで話し合ったのだから、

当然だが審判二人があっさりと頷く。

「そのとおり、勝者は引き続き先方の次の対戦者と闘う権利を有する」

夢も希望もない宣告だった。








相手がコンラッドなら大丈夫だと送り出したのに、対戦カードに変更が……。



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