「お久しぶりです、陛下」

ようやく見つけたコンラッドは、似合わない白と黄色の軍服を着ておれに手を差し出した。

利き腕じゃない方の。

「左手……!」

触った左手は、ちゃんと温かくてよくできた精巧な義手というわけでもない。

「なんで?確かに……小シマロンの奴が持っていたのは、間違いなくあんたの腕だったの

に……誰かのと間違えた……?」

「ちゃんとありますよ。両足も本物です。触ってみますか?」

「でも、おれがあんたの手を間違えるはずがないんだ。が間違えるはずない!」

おれがその左手を握り締めると、雪の中から引き上げてくれた。

縋りつく腕は、確かに存在している。

「……なんでシマロンなんだよ……」

おれの呟きにも、なんのことだと言うかのように、コンラッドは軽く肩を竦めるだけだった。

があんたの腕を抱き締めてどれだけ嘆いたと思ってんだ?涙も出せないくらい……

虚ろな目で正気をなくすくらい……あのままもう帰ってこないんじゃないかっていうくらいに

深く……心を殺そうとするくらいに……」

コンラッドの眉が少しだけ動いた。

おれはその似合わない服の胸倉を掴んで、顔を引き下げさせて強く揺さぶる。

「なのになんであんたはそんな服着てるんだ!?はずっとあんたを心配してたのに!

あんたの無事を信じようとしてたのに!なんでシマロンなんだよっ!」

「元々ここは、俺の土地です……俺の先祖が治めていた土地ですよ」

後ろから、コンラッドを呼ぶの声が聞こえていないはずがないのに、なんでもないこと

のように、銀を散らした瞳を細めてそう言った。






076.間に合わなかったあの日






「あんたの国は海の向こうだろ!眞魔国の住人なんだろ!?」

「申し訳ありません、少々事情が変わりました」

「事情だと!?」

おれに死ぬほど心配させて、に心が壊れそうなほど心配させて、事情が変わっただと?

そんな言葉だけで納得できるかよ!

「どういう事情だよ!おれには聞く権利があるぞっ」

「あなたこそ……おっと」

コンラッドの指が手首に掛かると同時に、凄い勢いで後ろに引き戻された。雪に濡れて冷え

た指は力が入らなくて、掴んでいたコンラッドの胸倉を放してしまう。

「え、ヨザック?ちょ、ちょっと!」

そのままお庭番の背後に回された。

コンラッドは苦笑して左腕をゆっくりと降ろす。

「……あなたこそ、カロリア代表だなんて、お節介にもほどがあるでしょう」

「今はおれの話じゃないだろ!」

「大切な……」

コンラッドはちらりと審判を見て、軽く肩を竦める。

「大切な、兄妹まで危険にさらして」

この短気なところをどうにかしなけりゃならないと何度も思っているのに、どうやっても治ら

ない。瞬間的に頭に血が昇って、拳を固めてヨザックの後ろから飛び出した。

「あんたがそれを言うのか!?」

「陛下っ」

今度は後ろから羽交い絞めにされた。

が!に!あんなに辛い思いをさせて!そのあんたがそんなこと言うのかよ!」

どんなに手足をばたつかせても、ヨザックの太い腕を振り払うことは出来ない。

悔しくてつま先で蹴った雪は、憎らしいくらい顔色も変えない男に辛うじて届いて僅かに

袖に当たっただけだった。

「陛下、落ち着いて。まず猊下の元に戻りましょう。没収試合になってもいいんですか?」

ヨザックがおれを引き摺ったままベンチに戻ろうとする。審判はこちらの剣幕に様子見を

決め込んでいるらしく、じっと動向を見守っていた。

「お前にも責任があるぞ、ヨザック。お前がついていながら、陛下とを何故こんな

危険な目に遭わせている?」

おれを掴んでいたヨザックの手がぴくりと揺れる。

「……そいつは申し訳ありませんねぇ」

耳のすぐ後ろから聞こえた声は、僅かに語尾が上がっていた。怒りのためなのか、押し

殺すような低い音だ。

「オレじゃなくて、うちの隊長がご一緒なら、さぞや安全な旅になったんでしょうね。残念

ながら当の本人が行方知れずで、無責任にも姿を現さなかったもので。隊長がいれば、

姫がご自分から白刃に突っ込まれることもなかったんでしょうけれど」

「白刃に?」

コンラッドの眉がまた動いて、今度は僅かだけど視線もベンチに向かって動いた。

「人間の土地でぇー膨大な魔力を倒れるほどお使いになったりなんて危険なこともぉー

隊長がいればなかったんでしょうねー?」

さすが幼馴染みだ。的確にコンラッドの心を突く言葉をおれよりずっと心得ている。

コンラッドは顔色こそ変えなかったけど、握っていた剣が雪を掻いたことで、僅かに右手

が震えたことがわかった。

「……カロリア代表は、決勝を続行する気がないのか?」

ふいに声を張り上げて、顎を上げて審判を見た。

「続行の意思があるのなら、速やかに三戦目に挑んでいただきたい。そうでないのなら

ば、潔く棄権を申し入れ、敗北を受け入れるよう進言したい」

おれはようやくヨザックの腕を振り払って、もう一度捕まる前に濡れた土を踏みしめた。

「おれが勝ったら、その服、脱ぐんだろうな」

「さあ?」

コンラッドは……ウェラー卿は、ゆっくりと首を振った。

「必ずしも、あなたが最高の指導者というわけではない」





「なんだよあの態度!どういうことだよ!?」

ヨザックに引き摺られてベンチに戻ったおれは、そこで今度は急激に怒りが冷えた。

いや、冷えたわけではなく、怒り狂ったまま、だけど途方に暮れたのだ。

が、ベンチ前の雪の上に座り込んで呆然とコンラッドを見詰めていたから。

喚きたいのに、を少しでもどうにか慰めたくて、正反対の感情がぐるぐるとおれの中で

渦巻いて吐きそうになる。

「渋谷、ベンチに戻って。グリエさん、を連れて来てくれ」

村田がとりあえずは自分の足で歩けるおれの肩を叩いて促して、凍えるような雪に座り

込んだままぴくりとも動かないをヨザックに任せた。

「洗脳されてるんだよ!操られらてんだ!でなきゃコンラッドがおれを裏切るはずない!」

を、こんな冷たい雪に座らせたままのはずがない。

ヨザックがを抱き上げてベンチに戻ろうとすると、おれやコンラッド以外の男だっていう

のに逃げようともしないで、それどころかヨザックに抱きつくくらい体をくっつけて、その肩

越しに手を伸ばす。

コンラッドに向かって、手を。

力の限り、伸ばそうとする。

そんなを見ていられなくて、地面を睨みつけてベンチに下りると、近くにあったバケツ

を衝動で蹴りつけた。

「絶対に、コンラッドの意思じゃないっ!」

壁にぶつかって跳ね返ってきたバケツを表面がへこむまで蹴り続ける。

「ユーリ、蹴るのをやめろ」

硬い椅子に腰掛けたまま、ヴォルフラムは両腕を組んで眉間にしわを寄せ、両目を閉じて

じっと考え込んでいた。

「気が散る。それに、を刺激するな」

はベンチに降ろすとまたコンラッドの方に行こうと腰を浮かすので、ヨザックが両肩を

ベンチに押さえつけている。

バケツを蹴るのをやめても落ち着かない。ベンチをうろうろと、檻に閉じ込められた猛獣の

ように歩き回った。

「どうやったら暗示が解けるんだろう。一発殴ればいいのか?」

「見たところ誰かに操られている様子には見えないけどね。それに、君達から聞いた話と

矛盾する。彼は左腕を失っているはずじゃなかったっけ?」

そうだ。それは確かに見た。

だけど競技場の中央に立つ男には、間違いなく両腕が存在している。握った感触も体温

も、生身のものだったはずだ。

でも確かに、おれとはあの恐ろしい光景を見ている。

魔術を使おうとしたが一瞬、棒立ちになった。コンラッドの隙をつくように一人が

切りかかって、それを庇ったコンラッドの腕が、教会の床に転がった。指はまるで何かを

握るように曲がったままで、肘の角度もごく自然なものだった。血は一滴も流れておらず、

こちらのほうこそまるで精巧な義手みたいだった。

確かに、見たんだ。

あの日、あのとき、コンラッドを護れていたら、助けられたら、こんなことにはならなかった

のに。きっと、ならなかったはずなのに。

「ぼくもこの目で確認した」

腕を組んだまま目を開けて、眉間のしわはそのままに、苛立ちを押さえるように低い声で

ヴォルフラムが頷く。

「コンラートの腕だったと思う。袖の飾りボタンがあいつの物だった……これだ」

ヴォルフラムが胸のポケットから取り出したのは、丸く精巧な貝細工だ。元の色は乳白色

だが、煤と高熱で黒ずんでいた。

「それ、覚えてるよ。シャツの袖を留めてたやつだ」

「そうだ」

ヴォルフラムは一度その小さな粒を握り締め、振り返ってヨザックに押さえられていた

の手を握る。

「……コンラートを、あの教会を連想させるものを、渡すべきか迷っていたんだが」

ヴォルフラムが握った手を放すと、の掌にそのボタンが乗っていた。

はボタンをじっと見つめ、それから握り締めてその拳を胸に抱き寄せる。

ヨザックはそろりと手を放すとが暴れないことを確認して、ようやくおれ達の話に参加

できるようになった。

「僕等騙されてるのかな?」

「騙す?」

反射的に訊き返したおれに、村田は真面目な顔でどこまで本気なのか量りかねることを

言う。

「一、最初から義手だった。二、斬っても斬っても腕が生えてくる体質」

「生えて……新種のミュータントかよ。義手じゃないよ。コンラッドの手はいつだって温か

かった。質感はともかく、熱まである義手はないだろ」

「じゃあ三、あそこにいるのは本物のウェラー卿ではない」

「本物だよ」

おれが言う前に、ベンチから聞こえた声に、驚いて全員で振り返った。

は、じっとフィールドのコンラッドを見詰めたまま、きっぱりと言い切る。

「本物だよ。絶対に、わたしは間違えない」

「おれも確信がある」

「だろうな、ぼくもあれは兄だと思う」

兄!?いま、兄って言った!?

おれとヨザックが驚いても、ヴォルフラムは冷静な顔で組んだ腕を、調子を取るように指

で叩いた。

「だがそう考えると尚のこと、敵方につく理由が判らない。人間の血を半分引くとはいえ、

ウェラー卿コンラートは魔族として生きると誓った。私怨に駆られて同胞を裏切ったグラ

ンツとは違う。大戦の非道な扱いの頃ならいざしらず……今になってユーリや

裏切るはずがない」

「じゃあやっぱり洗脳……」

「違う」

またが言った。ベンチから立ち上がって歩き出したので、ヨザックが慌てて肩を掴む

とその場で止まったまま、やっぱりコンラッドから目を離さない。

「違うよ。遠くても判る。コンラッドは操られてなんかいない」

「でも、じゃあなんで……自分の意思でシマロンに行ったってことかよ!?」

「そんなのわからないっ」

首を振ってが両手の拳で頭を抱えて、おれは言葉を失った。

「オレも姫と同意見です。間近で眼も見たし、言葉も交わしました。姫のことでほんの僅か

ですが反応もしていた。操られているようには見えませんでしたね」

壁に背中を預けてぶつぶつと何かを呟いていた村田が顔を上げた。

「……よし、ここは婚約者と幼馴染みの直感を信じよう。一か八か、キングを進めて勝負

に出てみるかい?」

そう言って、が取り落としていたマスクをおれに手渡した。

「誰が何と言おうと、直接勝負しないと気が済まないんだろ、渋谷は」

「その通りデス」

「待って!闘うならわたしが……」

が驚いたように振り返ると、村田はゆっくりと首を振った。

「彼が操られていないなら、渋谷と君を傷つけることはないだろう。打ち身や捻挫は怪我

に数えないとしてだよ。だったら渋谷が勝負に出ても大丈夫だ」

「おい、その言い方だとなら傷ついてもいいように聞こえるぞ」

嫁入り前の女の子に傷がつく方が問題だろうというおれの抗議を、村田はさっぱり無視

する。

「でも、今の君は気持ちがガタガタだ。ウェラー卿が手加減しても、それを上回る危険な

自滅をしかねない。それなら少しでも気持ちを切り替えた渋谷のほうがずっとましだ」

「マシっていうなマシって」

もうさっき素顔を晒してしまっているから、今更だと動くのに息苦しいマスクをポケットに

捻じ込むと、金属バットもどきを握り締めてベンチを出る。

「有利っ」

心配そうなをヴォルフラムが押さえていて、振り返って親指を立てた。

「待ってろ。これでぶん殴ってでもコンラッドを連れ戻してきてやるからな」

今度こそ、コンラッドを危険にさらしたあの日のようなヘマはしない。







操られているわけではなく自分の意思で敵方に回ったらしいコンラッドと勝負すると
決めたところから地マはスタートです。



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