ヴォルフラムが強いことは知っていたし、きっと大丈夫だとも信じていた。 けどまさか試合開始早々に、危なげなく勝ちを収めてしまうとは、さすがに思っていなかった。 二本の刃を素早くかいくぐり、ヴォルフラムが鋭く相手の喉元に剣先を突きつけた瞬間、あれ ほど騒がしかった会場が一瞬で静まり返った。 後ろでヨザックさんが口笛を吹いて、それで初めて気付いたように有利が預かった鞘を握り 締めたまま石段に足を掛ける。 「ヴォルフ、すげぇー!いよ、千両役者!」 その掛け声は違うと思うけど。 074.致命的な存在(2) 自国の戦士のあっけない負け方に激怒した観客席から、カップや紙くずなど様々なゴミが 雨あられと降ってくる中を、ヴォルフラムは意気揚々と引き上げてきた……はずが。 ベンチの近くで踏み締められて固くなった雪に足を滑らせ転んだ。 「うわ、ヴォルフ!」 有利とヨザックさんが慌てて飛び出して、両脇から抱えてヴォルフラムを連れ戻ってくる。 「く、屈辱……」 自力では立てないようで、支え手の二人にゆっくりとベンチに降ろしてもらったヴォラフラム は、かなり痛むのか顔をしかめて腰をさすった。 「おれのなんちゃって治癒能力、試してみようか」 「やめろ試合前に。どんな突発事項が起こるか判らないんだぞ。無駄に消耗するな」 「じゃあわたしが試してみようか?」 有利が怒られたのは選手だからだし、と挙手するとその手を村田くんに掴まれた。 「無駄だと思うよ。ここはシマロンの王都で、しかも隣には神殿がある。君の魔力なら確か に使える可能性はあるけど、治癒の技術も熟練していなければ無理だね」 「……うーん、でも試すだけなら」 「いい、。無理するな」 当の本人にも止められた。 「あれは……」 「え、なにか言ったヨザック?」 ヨザックさんがぼそりと小さく呟いたのでヴォルフラムの周りに固まっていた全員で振り仰ぐ と、グラウンドの方をじっと凝視している。 今度は四人でグラウンドに目をやった。 「ああ!?アメフトマッチョ!」 大シマロン側の二番手は、カロリアのギルビット邸で会った魔族の人だった。正しくは、もう 魔族を捨てたんだっけ? 金の髪と青い瞳の元魔族、アーダルベルトさん。 あの人には傷を治してもらったり、お金をもらったり、個人的に借りがあるんだけど、初対面 でなにがあったのか、有利は強く警戒してた。 それに……ジュリアという女性の婚約者なんだよ、ね? グラウンドの中央に出てきた彼は、大きな幅広の長剣を地面に刺して杖のように両手を柄 に置いてこちらのベンチを眺めた。 「よう、どうした。へなちょこ陛下。羊が生肉喰らったような顔をして」 羊が生肉を食べるとどんな顔になるんだろう。あとでTぞうで試してみたい気分になる。 たぶん、鳩が豆鉄砲をくらったような顔と同じ用法なんだよね? 「なんで……あんたがここに……」 「それに、おかしな話だな。ここは女は入れな……」 「あー!あー!聞こえなーい、何にも聞こえなーい」 有利がわざとらしく大声を上げて、何故かそれに合わせるように村田くんが口で伴奏を始め てしまって、二人で聞こえないソングを即興で作って歌っている。……なにやってるの。 「アーダルベルト!貴様なぜ大シマロンに……っ」 血相を変えたヴォルフラムが勢い込んでベンチが立ち上がり、すぐに呻いてうずくまった。 「ヴォルフラム、安静にしてて」 無茶をするなとヴォルフラムの腰をさすっていると、ヨザックさんが乾いた笑いを立て、長い 斧の柄で固い石の地面を突いた。 「傑作だ。由緒正しい名家の純血魔族サマが、よりによってシマロンの軍門にくだるとは!」 「名家?」 「あいつは、フォングランツ家の跡取りのはずだった。二十年ほど前に国を捨てた。人間に 組しているところは見たが、まさか大シマロンに身を寄せているとは……!」 彼が誰かわからないわたしの呟きに、ヴォルフラムが簡単に説明してくれる。 魔族を捨てたと言う話は本人から聞いたけど、まさか十貴族の人だったとは。 それにしても、ヴォルフラムの腰を撫でていると、摩擦しているからか微妙に掌が温かい。 「でも何のためにシマロンなんかに……だってあいつ、つい半月くらい前は小シマロンに いたのに。マキシーンと一緒に動いてたんだ」 「小シマロンでは傭兵だったんでしょう。そして今回は、どっかで陛下の出場を小耳に挟ん だんでしょうよ。代表に決まった戦士をぶっ倒すくらい、グランツの旦那なら片手仕事だ。 そんな面倒なことをしてまで、陛下をどうにかしたいらしい。厄介なのに狙われちゃいまし たね」 「ど、どうにかって……」 有利が蒼白になるのも無理はない。なにしろ相手の武器はあの立派な筋肉でないと使い こなせないような、巨大な幅広の長剣なんだもの。その剣が、松明の火を反射して煌めい ている。 「ぼくが行く」 腰を痛めているのにヴォルフラムが立ち上がって、慌ててその手を引っ張った。 「無理だよ、ヴォルフラム」 「そうですよ、坊ちゃん。ここはオレに譲ってくれないと」 ヨザックさんは長い斧を持ち上げて、広くないベンチの中で振り回すようにして肩に担ぐ。 「純血魔族の選良民がシマロン代表だってんなら、魔族代表はオレでなきゃね。十二まで ここの荒れ地で転がっていた、そこらの人間との混血でなくては。いいですよね、陛下」 楽しそうに言いながら、その目は少しも笑っていない。 有利はヴォルフラムとヨザックさんを交互に見て、そして眉を下げてヴォルフラムに謝った。 「……そういう言い方はよせよ、ヨザック。おれはこの上なくあんたを信頼してるんだから。 それからごめんヴォルフ。お前が強いのはよく判ったよ。けど今は腰を痛めてるだろ。今回 はヨザックに行ってもらう。我慢してくれ」 有利の決定を聞くなりヨザックさんは斧を担いで勢いよくグラウンドに飛び出して、ヴォルフ ラムは鼻を鳴らしてベンチに座った。 有利が預かっていた鞘を差し出すと、ヴォルフラムはそれを受け取って剣を収める。 「別にぼくは、どうしても奴と闘いたいわけじゃない。掛け値なしに判断して、グリエとアーダ ルベルトの実力は互角だと思う。だからこそぼくが先に行き、相手を消耗させるのが賢明か と思ったんだ。勝ちが獲れるという保証は少なくとも、グランツをいくらか疲れさせ、苛立た せることは可能だろう」 「ヴォルフ……お前、いつの間にそんなチームプレイを考える奴に」 「ぼくはいつだって最善の判断をしているつもりだ!」 有利の失礼な言葉に、ヴォルフラムが憤慨する。 グラウンドでは、屈強な二人の選手の登場に大歓声があがった。 その時ベンチ入り口の扉から、赤土色の髪の少年がそっと顔を覗かせた。髪形からいって、 シマロンの少年兵というわけではないように見えるけど。 村田くんが少年の対応に出る。 「でも、やっぱり無理だよ。今は腰を痛めているのに。真剣を使った勝負なんだから、下手 をしたら怪我じゃ済まないんだよ……」 腰の痛みが少しでも和らぐようにさすりながら訴えかけると、ようやくヴォルフラムはちょっと 笑ってくれた。 「ユーリの言うとおり、は心配性だな。ぼくがそう簡単にやられたりするものか。最初 から奴を消耗させることに集中して闘えば、取り返しがつかないほどの後れをとりはしない」 「ところがちょっと予想外の事態が発生だ」 入り口で少年と話していた村田くんが、急に真剣な顔つきで戻ってきて、濃い茶色のワイ ンの瓶を差し出した。深紅のラベルの余白に、太く大きな文字で短い文章が綴られている。 「読んでくれ」 「だから、読むの苦手なんだって」 渋い顔で瓶を受け取った有利は、ラベルに顔を近づけて眉を寄せて文字に集中する。 「えー……上を見ろ……おん、女?を、死なせたく、なかったら……負けろ……誰かに知ら れたらこの女を殺……これ脅迫!?でも女って誰だよ。はここにいるぞ。配達間違い なんじゃないの!?」 有利が慌てて入り口にから廊下に顔を出したけど、もう誰もいないようだった。 わたし以外に女というと、一人だけ心当たりがある。 ギーゼラさんは今頃カロリアだから、こんなところにいるはずはない。 それ以外に女で、そしてずっと一緒に来たがっていた女性が一人いる。人数的に不可能だ と突っぱねたけど、何しろその人数に入っていたわたしと村田くんは有利と一緒にきたから、 無理やり押し切れば、来て来れないことはなかった人。 「……フリン・ギルビットじゃないの?」 「たぶんね」 村田くんが深刻な顔で頷いた。 「はあ、なんでフリンよ?フリンは今頃、赤い海星で待ってるはずだろ?」 「大人しく待ってるような人だと思うかい?カロリアの名誉がかかっているのに」 「……来そう」 有利の考察はほんの二秒ほどでしかない。みんな共通して同じ印象があるのね。 腰を痛めているヴォルフラムを置いてベンチから身を乗り出して、上という曖昧な指示に 従って脅迫現場を探す。 「あそこだ!」 見つけたのは村田くんだった。 村田くんが神殿だと言った建物は、三階以上から極端に大きな窓になっていて、優雅に 硝子越しで観戦している人々がいた。貴賓席なんだろう。 その中の一室に、フリンがいた。 「ああ、フリン!船に居ろって言ったのにー!」 遠目ではっきりとはわからないけれど、窓硝子に押し付けられたフリンは苦しそうに喉を 抑えて仰け反っている。その後ろには、もう顔も見たくないマキシーンがいた。 「しつこい……」 頭が痛くなってきた。 「またあいつかよ!?まずいぞ、負けろって言ってきてるんだよな?この試合、ヨザック が勝っちゃったら、フリンは……」 一斉にグラウンドに視線を向けると、ヨザックさんは互角の闘いを繰り広げている。 振り下ろされた長剣を斧で右に払い、その柄を地面に垂直に跳ね上げて、相手の顎を 掠めた。 今のところは、すぐに決着がつくようには見えない。 「マキシーンとアメフトマッチョがグルってことか?じゃあまだ小シマロンに雇われ中? ひょっとして、小シマロンが決勝に出たら八百長で負ける役だったとか?」 ベンチから腰を抑えながら出てきたヴォルフラムが首を振った。 「そんな役目を引き受けるような男ではない。アーダルベルトは我々魔族を裏切った男 だが、その自尊心まで捨てたわけじゃない」 「そ……そうか……でも、今はとにかく、タイムアウトを取らなくちゃ。おーい審ぱ……」 「ユーリ!」 試合を中断させようとした有利を、後ろからヴォルフラムが引き摺った。 「いいかユーリ、よく聞け。あんな女のために勝負を投げ出すことはない。グリエに存分に やらせるべきだ!これがぼくの意見だ」 「……お前らしいよ」 「だろうな。そしてこれもぼくの意見だ。どうせお前はへなちょこだから、ぼくの言葉を聞き もしないのだろう」 ヴォルフラムが、最後まで反対せずに引いてくれてほっとする。 いくらフリン・ギルビットに思うところがあるからといって、殺されるとわかっていて見過ごす ことはできない。 「ごめん、おれがへなちょこなばっかりに。本当にすまないと思ってる。ヴォルフが負傷して まで一本先取してくれたのに、その努力が水の泡になるかもしれない」 ヴォルフラムは大袈裟に溜息をついて、ベンチに戻るべく背中を向けた。 「まったくだ。だが、そんなへなちょこと知りながら、何故ぼくがお前に従うか判るか?」 「わかりません」 有利が正直に答える。 「ぼくがお前を見捨てる前に、自分の頭で考えろ」 そう言いながら、腰に負担が掛からないのように手を貸したわたしの耳に、小さくユーリ らしいと呟いた声が聞こえた。 |
ヴォルフラムの言ったとおり、予想外の突発事項の発生です。 |