大シマロンの兵士に前後を挟まれ連れて来られた控え室は、扉もなければ仕切りもない 部屋だった。一服する時間も無いのだから、確かにこれで充分だけど。 部屋の上はもう観客席になっているらしく、天井から大勢の人が足を踏み鳴らす震動が 地響きのように聞こえてきた。それだけ急かされているわけで。 別ルートでランベールに向かっているはずのサイズモアさんたちが、今どの辺りにいるの かもわからない。できれば彼らと一旦合流しておきたかったのだけど、そうもいかないの だから仕方がない。 部屋の中央にずらりとかなりの数の色々な種類の武器が並べられていて、有利が一歩 後ろに下がった。 074.致命的な存在(1) 「なにあれ!?なんであんな物騒なもの……まずい、それより早いとこ着替えないと… 腹筋の割れ具合には自信がないんだけど仕方ないよな……あ、はここで待ってろよ。 脱ぐわけにいかないだろ?」 「え、なんの話……有利!風邪引くよっ」 いきなり着ていた服のボタンをすべて外してしまった有利に驚いてその手を掴む。 「待て選手、いきなりなにをする!」 「え、だって客も審判も男だらけなんだろ?だったら恥ずかしがってうじうじしてもしょーが ないじゃん。野郎どもが全裸で競い合うのがルールなら……」 「馬鹿なことを言うな!陛下の御前だぞ!」 「渋谷ぁ、古代オリンピックじゃないんだから」 「これだからお前は慎みがないというんだ」 村田くんが呆れたように、ヴォルフラムが憤慨したように言うのを聞きながら、わたしは 有利が外したボタンを留めていく。 「いいか、貴人たる者が、人前でそうそう肌をさらすな」 有利が全裸競技の噂を聞いてうろたえていたとき、単なる裸祭りじゃないかと言ったのは ヴォルフラムだったけど? 「なんだ、じゃあフリンの話はガセネタか。変な噂が流れてるもんだな……」 「それよりも早く武器を選べ!」 シマロンの兵士が部屋の中央に並べられた武器の山を指差すと、ヴォルフラムは腰の剣 を触って拒否をする。 「必要ない。ぼくは自分の剣がある」 「そうはいかん、規定に則ってだな……」 「まさか劣ったエモノをあてがって、さっくり負けさせようって魂胆じゃないでしょーねぇ?」 重そうな鋼の斧を手にとったヨザックさんが挑発的な笑みでそんなことを言うものだから、 兵士達の顔色が変わる。 「口のききかたに気をつけろ!下等な占領民どもめ。ろくな道具も持てぬだろう下々の 民へと、陛下のご厚情で揃えられた物だぞ」 「ま、確かに平均点ってとこですかね」 武器に不審な点がないか調べてヨザックさんは面白くなさそうに息を吐いて、その斧を 試し振りする。その風圧に、近くにいた兵士が慌てて飛びのいた。 「規定があるなら仕方ないよ。こんなことで無意味に抗議して、失格にでもなったら元も 子もない。サイズも種類も一通り揃ってるみたいだし、渋谷はどれを使う?」 村田くんが武器を手にとって振り返る。 「どれって言われてもなあ……おれ、まともな武器とは縁がないし」 ヴォルフラムが有利の腕をさすってその状態を確かめた。 「それなりといったところの筋肉だな。弓はどうだ?走る者を狙って刺すのが得意だって 以前言っただろう」 「それはランナーをアウトにすることだ」 そうは言っても、この中に弓は置いていない。飛び道具は禁止だとか。まあ、御前試合 だからね。国王を狙う狼藉者が出ないとも限らないからかな。 「じゃあ槍はどうだ。構えてみろ」 ヴォルフラムが槍の中でも一番短いものを選んで有利に渡した。二メートルくらいはある それを持ち上げるのは重いらしく、肩に担いでしまう。みんなそろって溜息。 「ちょっと畑で一仕事って感じだな」 「有利に合わせるなら、オーソドックスに剣がいいんじゃないかな。モルギフに近い長さ や重さの物がいいと思うけど」 「そうだな……素人ならその辺りが無難か。まあどちらにしろ、ユーリが戦う必要はない。 頭数を合わせているだけだからな」 「え、そうなの?」 槍を台に戻しながら有利が気の抜けた返事をする。 「当たり前だ。お前に戦闘行為をさせるくらいなら、骨飛族に剣を持たせるほうがずっと ましだ。危なっかしくてとても見ていられない!ぼくがさっさと二人分勝ち抜いてやる」 ヴォルフラムは細身の剣を選び二度ほど振って使いやすさを確かめると、それを有利に 差し出した。 「、真剣に選んでるのは渋谷の武器じゃなさそうだけど?」 村田くんがひょっこりと横に現れて小声で話し掛けてきたので、わたしも声を潜めて新た な剣の重さを確かめる。 「……だってノーマン・ギルビットってマスクを被ってるから、影武者が立っても気付かれ ないと思わない?」 「やっぱり。いくらなんでもちょっと無理だ。急に縮んだらどう考えてもおかしいよ。それに、 入れ替わるチャンスがあるとも思えないし、しかもそれ以上に渋谷が素直にその提案に 乗るわけないだろ」 「だよね……」 でも有利に戦いって、武器で正面から対決って、ちょっと無理だと思うんだよね……。 ヴォルフラムとヨザックさんがいるから、どうにか二人で勝ってくれるとは信じてるんだけ ど、万が一があるし。 「あ、これならいけそう!これ金属バットと握りが殆ど同じ!」 有利が嬉しそうにはしゃいで選んだのは、まるで節分のときに鬼役の人が持っている 金棒のようなもの。それよりちょっとスリムな感じだけど、有利は野球のスィングで振り 心地を確かめるとこれに決めたと決定してしまう。 「陛下それは……いかがなもんですかねぇ」 「大きな声では言わないが、仮にもお前は魔王だぞ。高貴なる者の武器が棍棒という のはどういう趣味だ!」 ヨザックさんもヴォルフラムも渋い顔で唸るだけ。逆に村田くんは笑いながら鬼の金棒 を推奨する。 「いいんじゃないの?船の櫂で宿敵を破った剣豪もいるし、何か奇跡が起こるかも」 「奇跡!いいねえ、起きてくれないかねえ」 言っても聞かない有利に二人が諦めて、待っていた兵士に急かされながら部屋を出る と、石の階段を登って両開きの分厚い扉の前まで案内された。 有利が鉄の扉を開くと、冷たい空気と騒音みたいな喚声が一気に流れ込んできた。 「う、うわっ、なにこれ!?平日の西武ドームどころじゃないよ!」 耳に痛いほどの喚声と熱気に驚いて、有利は開けた扉を閉めてしまう。 「怖じ気づいている暇はない。ユーリ、ほら行くぞ」 ヴォルフラムとヨザックさんが有利の腕を拘束して組み、村田くんが扉を押し開けた。 途端に再びあの、割れんばかりの大音量が流れてきて、思わず耳を塞ぐ。 「耳いた……」 「そのうち慣れるよー。それにしてもサッカーとは違って、建物の下にベンチがあるんだね。 こんなところまで野球風味だよ」 村田くんはくだらないことでがっかりして溜息をついた。 巨大な楕円形のグラウンドには雪がかなり積もっていて、燃え盛る松明の炎を反射して 鈍い赤色に光っていた。 もうすっかり日も暮れていて、ライトなんて存在しない世界だから灯りは松明だけ。 建物が屋根代わりなっているとはいえ、風で雪が吹き込んでくる。有利が雪に濡れない ようにできるだけ奥に引っ張ろうと思ったら、その本人が前に出て雪を掌に乗せる。 「不思議だ……」 掌で解けた結晶の名残の水を見詰めて有利が呟いた。 「雪に当たると風邪がよくなる気がするよ……そんなはずないのに」 「風邪って有利……」 「雪はどこの国にも平等だからね」 風邪なら温かくしなきゃと上着を脱いで有利に着せようと思ったら、村田くんがのんびり と有利と同じように掌で雪を溶かしながら空を見上げた。 「この雪には法術に従う属性がない。異なる大陸からずっと旅をしてきた雲だから、どの 土地に降っても中立なんだ」 ニルゾンで言っていたように、有利の不調は風邪じゃなくて、法術のせいなわけね。 わたし自身は法術に反応することがないから、その辺りはよくわからない。 じゃあヴォルフラムにもこの方がいいのだろうかと振り返ると、明らかにさっきより元気に なっている。 それなら、ある程度は雪に当たった方がいいかもしれない。今度は本当の風邪が心配 なんだけど。 ちょうどグラウンドを挟んで正面にある相手方のベンチには、まだ人影もなかった。 遠いから松明の灯りでは、どうせシルエットくらいしかわからないだろうけれど。 「あれって何の建物だろう?」 有利が指差した北の方向を見ると、グラウンドを取り囲む急斜面の客席の後ろに、この 闘技場と同色の建物があった。 「神殿じゃないかな。それより……」 「静かに!陛下のお出ましである!」 シマロンの兵士に怒られて口を閉ざすと、ちょうど今話していた建物の屋上から煌めく 箱がゆっくりと下りてきた。音楽が奏でられ、北側のスタンドでだけ大合唱が始まる。 「殿下……?」 兵士の呟きに振り返ると、呆気にとられている。意外な人物だったらしい。 陛下ではなく殿下ということは、急遽なにかの理由で息子か娘が代理に立ったとか? どうやら代理は男の人だった。煌びやかな白と黄色と黄金の長い羽を背負っている。 「悪趣味……」 後ろの兵士に聞こえないように呟くと、ヴォルフラムが心の底から同意してくれた。 大シマロンの殿下とやらがゴンドラから天覧席に降りる頃、向かい側のベンチに人影が 現れる。 「有利、相手が来たみたい」 「なに!?……て三人とも背高ぇ!肩幅もあるし、脚も長いよ。対抗できるの、ヨザック くらいしかいねえんじゃねえの?」 「ユーリ!ぼくがグリエに劣るとでもいうのか!」 「少なくとも体格では負けてるじゃん」 「こいつはただの筋肉だろう!」 「あら失礼ね閣下。この巨乳に妬いてらっしゃるのん?」 「誰が妬くか!」 「イロモノトリオだね!」 村田くんが楽しそうにそう落として、有利をうな垂れさせた。 そんな緊張感の欠片もないやり取りをしている間に、闘技場の中央に審判らしき男が 二人出てきて、こちらに向かって指を一本立てる。一人目出て来いということらしい。 「そうだ出ていく順番決めねーと。まず誰からいく?おれとしては弱い奴から当たって、 相手を疲れさせる作戦もアリかと」 「お前は最後だ」 「陛下は最後です」 チームメイトの息はぴったりだった。有利を除いて。 「スポーツ漫画でもよくある作戦だよね。弱い先輩を大将に据えておけば、強い後輩が 勝ち抜いて大将戦までいかないっていうやつ」 「おれがワーストなのは決定かよ」 「当然だ」 ヴォルフラムの容赦のない批評に有利は肩を落とした。 「向こうの実力を量る意味でも、ここはオレが適任で……」 「ぼくが行く」 ヨザックさんを押しのけて、ヴォルフラムが一歩前に出てから振り返った。 「万に一つでもぼくがしくじったら、次がグリエだ。ユーリまでは回さない」 「……いいでしょう」 ヨザックさんがにやりと笑って頷いて、有利は出てきた相手に不安そうな目を向ける。 出てきた相手は、シマロンの兵の特徴である茶色の長髪を後ろで括って、腰には特殊な 湾曲した剣を両側に下げていた。 「に、二刀流だぞ!?や、やっぱりヨザックが先の方が良くないか?こう言っちゃあなんだ けど、お前一回、おれと……引き分けちゃってるし」 「ぼくがあのとき、まったく手加減をしなかったと思っているのか?」 「う……いや……そういうわけじゃ……」 高いプライドを刺激したかとしどろもどろになる有利に、ヴォルフラムは綺麗な翠色の瞳を 眇めて不敵な笑みで、剣を抜き放った。 「言っておこう。お前との勝負には手加減しなかった。実戦で使うような効果的で汚い手 は敢えて自粛したが、間違いなくお前の勝ちだ。だが、今の相手にはそんな親切なこと をする必要はないからな」 そして、剣を抜いた鞘を有利に押し付ける。 「これは陛下に」 「え、ちょ……」 「案じるな。単なる気合だ」 ふっと余裕の笑みを見せて、ヴォルフラムは鞘を有利に預けると、もう振り返らずにグラ ウンドに踏み出してしまう。 「ヴォルフラム!」 わたしが思わず呼び止めると、背中を見せたまま片手を挙げて中央に出て行った。 二人の選手が現れて、会場の熱気が更に上がる。 大丈夫。ヴォルフラムは充分強い。だからきっと大丈夫。 祈るような気持ちでその背中を見送ったわたしの横で、有利も渡された鞘を握り締めた。 |
いよいよ決勝戦が始まります。 |