雪が舞い落ちる中、羊たちは懸命に走っていた。御者台にはヨザックさんが座り、有利は

その横で、たぶんアニシナさん作と思われる魔動遠眼鏡でナビゲートしていた。

もっとも。

「前方ニ巨大な溝発見、右ニ回避サレタシ」

「北カラ小型夜行生物ノ群レ接近、速度落トシテヤリスゴスベシ」

魔動遠眼鏡自身がナビゲートしてくれるという優れものなんだけど。有利がレンズに出た

文字を読み上げると、ヨザックさんがその通りに動くという効率の良さで、さっき修理中の

車を一台抜いて三位に浮上していた。

わたしはまだ眠いようなふりで荷台で毛布に包まって、夜明け前の薄暗い空から降って

くる白い雪を眺めていた。






072.路上に来る朝(4)






「あっ!」

先を見ていた有利が声を上げて、特製の望遠鏡から目を離した。

わたしたち、荷台に乗っていた三人が揃って有利を見る。

「み、見てしまった……」

「見たって、サバクガメの交尾と出産ですか?思春期にアレ見るとうなされるんだよな」

それはいったいどういう光景なんですか。

「違う違うって!白い服の女の子が、額から血を流してこっちを恨みがましい眼で見てた

んだ!きっと事故かなにかで亡くなったんだよ!ひー、どうか迷わず成仏してください」

「ここにいるってことは既に迷っているんじゃないの……じゃなくて。渋谷、あの子は幽霊

じゃないよ」

肉眼でも白い少女が見えてきて、ヨザックさんが手綱を引き絞った。羊は徐々にスピード

を落とし、女の子のすぐ側で停止した。

女の子は白に近いクリーム色の髪と、ごく薄い空色の大きな瞳でじっと見上げてくる。

白いワンピースを着て、真っ白な肌で、遠目で有利が幽霊だと思ったのも無理はない。

何しろ額から真っ赤な血を流し、その白い肌も真っ白なワンピースもわずかに染めていた

のだから。

それにしても……雰囲気が、あの東ニルゾンで会った神族の双子に似ているような。

小学生くらいの少女は細い脚も剥き出しで、上もワンピースしか着ていない。有利がカン

テラを持ってすぐに車から飛び降りたので、慌ててわたしも後を追った。

「なあきみ、なんで夜にお外にいるの?家はどこ?お父さんとお母さんは?」

「こんな荒野に家だなんて」

ワンピースの裾を握り締める女の子のどこにも武器なんて見えなくて、有利が側に寄って

も大丈夫そうだと止めなかった。それから、すぐに落ち込む。怪我をしている女の子を見て、

最初に浮かぶのが敵じゃないかだなんて、心が荒んでいる。

寒そうに震える剥き出しの脚を見て、わたしが羽織っていた毛布を問答無用で女の子に

巻きつけた。

ふと、ヨザックさんの話を思い出す。幼い頃、こんな荒野で暮らしていたという……。

だけど、その頃の隔離施設はコンラッドのお父さんが開放したはずだ。

「傷を見せてみて」

女の子の前に膝をついて覗き込むと、埃と煤にまみれた指でコートを掴まれた。

「助けて、おねーちゃん」

「うん、だから傷をね……」

ふるふると首を振る女の子に、有利も横で腰を屈めた。

「勝手に歩いて来ちゃったのかな?家はどっち?どこから来たの?」

女の子が黙って指差した方を見ると、細い何かが空に向かってたなびいていた。

荷台から飛び降りてきた村田くんが有利の持っていた望遠鏡を取ってそれを確認する。

「……煙が出てる」

「てことは火事場の迷子か。現場から離れたら親に会えなくなっちゃうよ」

すすり泣く女の子を車に乗せて、急いで煙の立ち昇る現場へと急いだ。

近付いていくと、夜明け前の薄暗さを切り裂くように赤く染める炎が見えてくる。

「家じゃないな……二棟ばかりあるみたいだけど……なんかの施設、のような」

有利が望遠鏡で確認してそう言っているうちに現場に到着する。

周囲には十数人が消火活動しているけど、こんな荒野の真ん中では水が絶対的に不足

している。思うように消火できないのだろう。

周囲を見回すと、子供ばかりが三十人ほど集まっていた。みんなで身を寄せ合って、声も

立てずに泣いている。

その中に、見た顔が混じっていた。さっき思い出したばかりの、神族の双子の女の子だ。

名前は、地球なら少なくとも女の子につけるのは遠慮する可能性が高いと思われる、ジェ

イソンとフレディ。

「チャッキー!」

かたまっていた子供の一人が、わたしと手を繋いでいた女の子に気付くと、みんなが一斉

に振り返る。女の子も、荷台から飛び降りて集団に向かって駆け出した。

「ああ!誰かに似てると思ったら、子供達みんなスプラッターツインズとそっくりなんだ……

待てよ、てことは全員……」

「神族に縁のある子達だね。恐らく彼なら知ってるだろうけど」

村田くんに指名されたヨザックさんは肩をすくめて目を細めた。

「よぉーく知ってますよ。オレも昔、こんな教会に預けられましたから。神族との間にできた

子供だけを隔離して育ててるんでしょう。ちょうどオレたち魔族と人間の混血が、荒れ野に

封じられていたみたいに。でもこの子達の場合は少し事情が違う。神族に縁のある子供

なら、生まれつき強大な法力を持つ者もいる。この中には確実に、将来の優秀な術者が

含まれているんです」

ヨザックさんは子供たちと、忙しく消火活動している兵士を見渡して溜息をついた。

「つまり、非常に価値のある商品です」

「商品、って」

「兵士として自国の軍で使うことも、術者として異国に売ることもできる。大陸中にこういう

子供達は少なくない。特に神族の血を引くものは。その点で言えば、魔族は殆どの場合、

魔力なんか欠片もないので無縁ですがね」

ここでもまた人身売買なんだ。

息苦しくて子供たちから目を逸らし、燃え盛る建物を見る。彼らにとって、保護してくれる

場所でもあり、そして牢獄でもある建物を。

「不思議だな、左の棟なんかもう炭化しちゃってるのに、いつまでも燃えてる」

有利に言われて初めて気付く。燃えるものがなくなれば火は収まるはずなのに。

「ああそうか、渋谷とは初めてだっけ。こういう特殊な炎はね、水ではなかなか消せ

ないものなんだ」

特殊な炎?

以前、ヴォルフラムに教わった話を思い出す。

「いいか、。魔術による炎とは、術者が命文を唱えることによって操る武器だ。

それは自然の法則に影響されない。重要なのは、術者の力量だ。熟練したものなら

より大きく、より長く術を行使し続けられる。逆に力量不足だと、小規模で短い間しか

炎を出すこともできない。お前も魔王の妹なのだから、少なくとも燃やすものなど何も

なくても燃え盛るような炎を維持できる程度の実力は身につけろよ」

……と、最初の頃に言われた。

「なあヴォルフ、前にもこんなことがあったよな。普通の水じゃなかなか消えない火で村が

燃えて……」

「ああ、国外れの人間の村が襲撃されたときだな」

「え!?」

どうしてそんな場面を有利が知っているのと驚くと、有利は失敗したという顔をして、慌てて

ヴォルフラムにだけ視線を注ぐ。

「じゃあこの火も、誰か魔法使いが魔法でやってるのか?」

「……いい加減に覚えないか。魔法使いとはなんだ?術者だろう!それから魔法じゃなく

て魔術だ。……あるいは、法術」

法術?

ここは人間の国で、魔族に従う要素は極端に少ない。人間の国ではグウェンダルさんでも

魔術を自由に使いこなすことは困難だというのだから、こんなに燃え盛る炎を維持できる

ほどの術者がいるとは思えない。

だとしたら、さっきのヨザックさんの話と総合しても……。

ひとかたまりになっている子供たちの方を見る。

どの子が術を使っているかなんて、判るはずもない。

けれど、突然有利が大声で叫んだ。





「フレディ!」

あのマキシーンと共にいた女の子の片方が反応する。

「もうやめるんだ、こんなことして何になる!?今すぐ呪文をやめるんだ!」

女の子は髪を揺らして首を振る。確かに、その小さな唇はなにかを呟いて動いていた。

「考え直せフレディ、何がしたいんだ?大会に出場するために初めて訪れた国で、自分と

関わりのない施設を燃やしてなんになる!?犠牲者が出る前にやめるんだ!」

関わりがない?本当に?

集まっている中でも特に小さい子供は、ジェイソンとフレディにしがみついている。本当に

見知らぬ人に、たとえ同じ神族の血を引くからと言って、そんなに縋るだろうか。

「ああもう!なあヴォルフ、あのときおれは村中を焼き尽くそうとしていた炎を、どうやって

消し止めたんだっけ!?」

有利が、法術の炎を消した!?

一体なにをしたんだと慌てたわたしを、有利は片手を上げて制する。

確かに、今それどころじゃないけど。

「覚えていないのか?雨だ」

「雨?」

「そうだ。お前は村にだけ記録的な豪雨を降らせて、短時間で一気に鎮火させた。待て、

お前まさか、あの法術を消し止めるつもりじゃないだろうな。あの時とは条件が違うぞ」

ヴォルフラムが驚いて有利の肩を掴むと、村田くんも真剣な表情で前に出る。

「そうだよ。ここは魔族の土地ではなく、法力に従う要素に満ちた人間の大陸だ。そして

あの子は神族だ。いくら君でも、分が悪すぎる。しかもコントロールし損ねて暴走すれば、

ダメージを受けるのは他ならぬ君自身だ。そんな危険な真似をさせるわけにはいかない」

「有利……」

わたしも止めようと、有利の袖を引っ張った。

「ジェイソン、フレディ!」

聞き覚えのある声が上がった。振り返れば、ジェイソンとフレディの連れのマキシーンが

大股で歩いてくる。

「ここから買い上げてやった恩も忘れて、競技の最中に離脱するとは何事だ!」

やっぱり、ジェイソンとフレディはここの出身なんだ。

そうと納得する前に、マキシーンはフレディの服を掴んで、雪の積もり始めていた地面に

叩きつけるようにして引き倒した。

「やめてっ」

「子供になんてことするの!」

わたしが怒りで叫ぶのと、ジェイソンがマキシーンを吹き飛ばしたのは同時だった。法術

を使ったんだろう。

「勝てばここをくれるって約束したっ」

耐え切れないように涙を落としながら、ジェイソンが悲鳴のような叫びを上げる。

「勝てば何でも願いを叶えてくれるって!なのに今日ここを通ったら……エイミーもデーナ

もヘザーもアンディも、もう買い手が決まったって……約束したのに!」

「フレディ」

近付こうとした有利は、村田くんとヴォルフラムに両肩を掴まれて抑えられる。

有利のことは、二人に任せておけばいい。

マキシーンが腰の剣を抜き放ち、鋼が炎を写して赤い光を放つ。

大人の男が、刃物を持って、小さな女の子、を……。

あの夏の日を思い出すようなことに直面するたびに、何度も何度も、恐怖に脚が竦んで、

怯えて泣きじゃくった。

なのに今、わたしの中に沸きあがったのは、恐怖じゃなくて、怒り。

力のない者を、暴力でねじ伏せようとする男に対する、抑えようのない怒りだった。

コンラッドの言葉が、わたしを恐れから救い上げてくれた。助けてくれた。

『俺は、君を誇りに思う』

あの時、あの言葉が、コンラッドの優しさが、コンラッドの温かさが。

「やめなさいっ!」

隣にいたヴォルフラムの剣を勝手に拝借して駆け出した。後ろから有利たちが驚いて呼び

止める声が聞こえたけれど、振り返らない。

フレディに近付く足を止めようと突きを繰り出すと、駆け寄るわたしに気付いたマキシーン

は握っていた剣でそれを払う。

力の流れに逆らわず、振り払われた方へ身体ごと移動して、半回転しながら雪の積もる

地面を踏みしめ、腰を捻って今度は横から斬り上げた。剣が軽くて軌道が上滑りする。

後ろに一歩飛んで下がったマキシーンの脇腹の衣服が裂けて赤い筋が走った。

驚愕に見開かれた目は、すぐに広い背中に遮られて見えなくなる。

「だから無茶しないでくださいって言ってるじゃないですか!」

また怒られた。

ヨザックさんが剣を構えて間に割り込み、勝負を引き取ってくれたので、わたしは地面に

座り込んだままのフレディに駆け寄る。

「大丈夫?怪我は……ねえ、お願いだから、火を止めて」

フレディは雪と泥に濡れながら、まだ命文を唱えている。どうやって止めたらいいのかと

頭を抱えたくなったとき、後ろから大きな魔力を感じて驚いて振り返る。

すぐ後ろに有利が立っていた。ヴォルフラムと村田くんはどうしたの!?

でも、何かいつもと雰囲気が違う。

「約束を破られるのはつらいだろう……だけど、暴力ではなにも解決しないんだ」

大きな魔力を使うとき、有利はいつもまったく別人のような口調で話し、手馴れた様子で

魔術を使う。

それなのに、まるでいつもの有利のままの表情と言葉で、穏やかに少女を説得する。

それに、わたしがまったく魔力に引き摺られなかったのだ。

「聞いてくれフレディ、自ら引く勇気を知って欲しいんだ。おれは何とかして君たちを助け

たいんだよ」

「うそ……」

フレディは小さく首を振って否定した。だけど、有利とわたしを往復して視線を動かす。

「……信じない」

「火を消したいんだフレディ。あの中にはまだ人がいるらしいんだ。人の命を奪うことが、

本当に君のしたいことなのか?約束するよ、フレディ。おれがきっと、君たちをここから

連れ出す。もっと住みいい所に連れて行ってあげるよ。君とジェイソンが願っていたのは、

ここより楽しい場所で暮らすことなんじゃないのか?おいで、おれがきっと探してみせる

から」

有利が差し出した手を、フレディはじっと見つめる。そうして顔を上げると有利と、そして

わたしを見たので、有利もわたしも頷く。

小さな手がゆっくりと伸びて、そして有利の指を握った。

「君たちのための場所をきっと見つける。約束する。絶対に途中で離さない」

有利がその手を握り返すと、空から降る雪が建物の真上だけ滝のような水に変化する。

この辺り一体の雪が止んでいて、恐らくあの水としてかき集められているんだろう。

火が完全に鎮火すると、滝のような水は消え去り、またゆっくりと雪が降り始めた。





有利が脱力したように雪と泥混じりの地面に座り込んで、慌ててその身体を支える。

足音が聞こえたと思ったら、後ろから拳骨で頭を叩かれた。

「まったく!勝手に人の剣を使って無茶をするな!」

振り仰ぐとヴォルフラムは、拳骨を見せてわたしの手から剣を取り返して鞘に収める。

「ごめんなさい……」

「お前たち兄妹ときたら……」

「……なんかおれ、ちょっとおかしいような……どうもクールな男になったみたいよ?」

有利が顔を歪めて力ない声で呟いて、わたしとヴォルフラムは少しだけ目を合わせた。

どちらが何をどう言うかを目で相談したのだ。有利の様子がおかしかったのは、この場の

みんながわかっている。

「ぼくには、小さくまとまってしまったように思えるがな」

ヴォルフラムがからかうように言ったけれど、やっぱり少し声に不安が滲んでいた。

わたしは、雪についた有利の手を上から握り締めた。

有利を、護らなくちゃ。

ヴォルフラムとヨザックさんがいる。

でも、コンラッドはいない。

……だから。

二人が信頼できないわけじゃないけれど、わたしも力の限り有利を護るんだ。

空は白み始め、だけど雪を降らす雲と灰色の煙が赤く染まる空を遮っていた。







無茶することは相変わらず……ヨザックの苦労が忍ばれます。
気になるのは有利に異変があるようなことですが……。



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