テンカブの当日、有利は筋肉痛に悩まされていた。野球と羊レースでは使う筋肉が違う

のか、なんて呻きながら食堂まで降りてきて、わたしの格好を見て驚いた。

「なんで男の格好?胸、胸はどうした!?」

兄妹じゃなければセクハラじゃないかと思えるようなセリフとともに、有利は自分の胸を

両手で撫でる。

ウィッグの髪は前に切っていたけど、服も全部再び男物に変え、サラシをきつく巻くこと

で無理やり胸を潰したので、実は結構苦しいけど、これくらいは有利の側にいるために

我慢。これでコートを着て身体のラインを見えなくすれば、取りあえずは男の子に見え

なくもないと思う。

「胸はサラシを巻いてるの。あのね」

「渋谷が心配だから、できるだけ側にいたいんだってさ。テンカブは女人禁制だから、

男の格好の方がギリギリまで一緒にいられるだろうって。男なら会場にも入れるしさ」

村田くんが先回りして答えると、有利は納得したように頷いた。

「ああ……なるほどね。そりゃらしい……」

そこまで納得されるのも微妙……。






072.路上に来る朝(1)






いつも通り、寝起きの悪いヴォルフラムがテーブルに倒れ伏しているままの朝食の席で、

村田くんが話を始めた。

「じゃあ渋谷とフォンビーレフェルト卿も揃ったことだし、さっそく今日の話だ。まず『知』の

部門、筆記競技についてだけど、これは渋谷に出てもらうことで決定したから」

前もって話し合っていたわたしたちとは違い、有利は目を白黒させて立ち上がる。

「はあ!?だっておれ現国の成績最悪だし、この国の過剰装飾文字じゃ、ろくに問題文

も読めないんだぜ!?」

「時間をかければ読めるだろ」

「書くのも苦手なんだって!ヴォルフの方が字もずっと綺麗だし、もしも出題がシマロン

文学だったら、十二まで住んでたヨザックのが適任だろ?」

「確かにフォンビーレフェルト卿は神経質そうな一面があるからね、綺麗な字を書きそう

だけど、カロリア代表でエントリーしてる人が、高等魔族文字を使ってたらどうよ?いくら

二人までは国籍を問わないとはいえ、採点者に心証が悪くないか?」

「……うーん」

テーブルに突っ伏したままのヴォルフラムにちょっと視線を送って、有利は渋々頷く。

「な?君の個性的な筆跡なら、良く言えば無国籍で通るだろ」

「じゃあヨザ……」

「陛下、非常に申し上げづらいんですが、オレはこの国にいる間、教育というもんを一切

受けさせてもらえませんでした。従ってオレの知識は眞魔国の兵学校のもので、最近

読んだ本は毒女アニシナです。大人なのに怖くて便所に行けなくなっちゃったけど」

有利は、がっくりとうな垂れて溜息とともに了解、と小さく小さく声を出した。試験、嫌い

だもんねえ、有利。





時間が経って今度こそちゃんと目を覚ました選手であるヴォルフラムとヨザックさんと、

それからわたしと村田くんで、試験会場の入り口まで送っていく。

「子供じゃねーんだからさ」

「まあまあ。じゃあ渋谷、頑張ってくれよ」

「落ち着いてね、有利」

有利が試験会場に入って行くのを見送っていると、突然横で村田くんが大声を上げる。

「おーい、渋……ちょっと聞いてけー」

両手を口の横に当て、遠くまで聞こえるようにゆっくりと。

「いいかー、どんなことがあっても、自分の国の文化や教育に誇りを持てー!いいかー、

誇りを忘れんなよー!」

「はいはい」

有利はおざなりに頷いて手を振って適当な席に座る。

それより周りの人たちの方が力強く頷いているんですけど。

「なに、今の?」

わたしたちは競技の部外者ということで、入り口から追い立てられながら村田くんを見る

と、にっこりと胡散臭い笑顔が返ってくる。

「えー?別にぃ。落ち着けよーってアドバイスはどんなときにも有効だって」

やっぱり胡散臭い。

深く掘り下げてもいいことなんて無さそうだし、そういうことにしておいて建物から出た。

途端に冷たい風が吹いてくる。

外で待っていたサイズモアさんとフリンと合流すると、村田くんはTぞうの毛皮を撫でて、

ぐるりと全員を見渡した。

「さて、じゃあ渋谷が出てくるまでの時間を利用して、再確認だ。フォンビーレフェルト卿

とグリエさんは出場者として、当然渋谷と同行することになる。僕ととダカスコスさん

は、サイズモア艦長と一緒に渋谷達の行程を並走する。レース中に接触はできないから、

これくらいだろうという予測しながらだけどね。フリンさんはドゥーガルド卿と一緒に船に

残る」

「……ねえ、彼女も行くなら、私も一緒についていきたいわ」

フリンがわたしを遠慮がちに見ながら意見すると、村田くんは肩をすくめて首を振った。

「残念だけど、だめ。一緒に行っても女性は競技場に入れないだろう?それに、並走組は

もしもの時の護衛でもある。ドゥーガルドの兵士も同行するから、人数的にもあなたを連れ

て行くわけにはいかない。純粋な戦闘力で言っても、とあなたじゃ比べ物にならない

しね。こう見えても彼女は剣も弓も相当使えるから」

「なんで村田くんが知ってるの?」

居合いとか弓道とかしているなんて、村田くんにも話してたっけ?

「渋谷からよく聞いている。それに、フォンビーレフェルト卿とも手合わせしたって言ってた

じゃないか」

なるほど、愚問でした。

有利はカロリア代表で出場するのだから、現時点で事実上カロリアを治めているフリンが

結果が気になるのは当然だろう。悔しそうに反論できなくて唇を噛み締めているフリンに

は気の毒だけど、代わってあげようとは思わない。わたしだって有利が心配なんだもの。

しばらく黙ってから、フリンはゆっくりと顔を上げて頷いた。

「ならせめて、古くから平原組に伝わる勝負化粧をTぞうに施しておこうと思うの」

「え?あ、ああうん、それはどうぞ、やってあげたらいいんじゃないかな」

意外な申し出に村田くんが一瞬、虚を突かれたような顔をして了承すると、道具を取りに

行くと言ってこの場を離れた。

「さてさて、この後ももう、なるようにしかならないわけなんだけど、最後の『技』の部門に

ついてだ。勝ち抜き戦ということは、必ずしも全員が戦わなくてもいいということのはずだ。

その辺りは、もちろん期待してもいいわけだよね?」

村田くんがヴォルフラムとヨザックさんを見て確認するとと、ヴォルフラムがムッとしたよう

に顔をしかめる。

「もちろん。ユーリに危険な真似などさせない」

ヨザックさんは黙って頷いた。

「じゃあ大船に乗ったつもりでその言葉を信じるよ。もっとも、『速』部門で勝てなきゃ意味

がないわけだけど……」

「羊は馬には負けないよっ!」

フリンが羊の飼い主メリーちゃんを連れて戻ってきていた。





建物から鐘が聞こえて、筆記試験が終了したようだとわかった。

しばらくして、数人が走り出てくる。

「うーん、渋谷はどうか……あ、きたきた」

会場には五十人近くの人がいたのに、駆け出してきたのは有利も含めて数名だった。

どうやら有利はかなりの好成績で試験をパスしたらしい。さすが、本番に強い。

「おーい、凄ぇぞ、おれってスゴーイ……って何してんのフリン」

上着を振り回しつつ駆けつけた有利は、大きな裁ちばさみを持つフリンにぎょっと足を

止める。

「Tぞうの毛を刈ろうとしていたのよ。古くから平原組に伝わる勝負化粧をしようと」

「え、確かに羊はウールとってなんぼだけど……よせよー、こんな寒空で可哀想な気に

なる。ありのままの羊でいいじゃん」

「ええー?とっても縁起がいいのに……」

不服そうなフリンに苦笑しながら上着を着る。

「じゃあおれたちはランベールまでひとっ走り行って来るから。ドゥーガルドの船で待って

てくれ」

「ええ」

村田くんにも説得されていたフリンは、大人しく頷いた。それを見て、有利は戦車によじ

登る。

「じゃあな、も大人しくしてろよ」

「有利こそ気をつけて……」

「おい!そこの羊車!」

一時の別れの途中で、シマロンの軍服を着た男が駆け寄ってくる。わたしと村田くんは、

一応邪魔をしないようにということで、戦車の脇に避けた。

「どう見ても重量に難があるぞ、錘を積まなければ平等違反だ」

既定には馬力制限はあっても重量制限はなかったのに!?

どう聞いても言いがかりの条件に困っている間に、次々と他の車はスタートしていく。

「じゃあ何か、ハンディになる荷物を積むから……」

村田くんが一歩前へ出て提案するのと、わたしに後ろから何かを覆い被せられたのは

同時だった。

「な、なに!?」

「ぎゃあ!」

すぐ隣から村田くんの声が聞こえる。

そのまま息苦しいくらいにギュウギュウ巻きに毛布か何かで巻かれたとわかったとき

には、戦車の上に放り投げられていた。

「それが錘でいいだろう」

「ぎゃーっ!ちょっと、変なとこ触んないでよっ!はーなーれーてぇーっ!」

村田くんと一緒に簀巻きにされて、身動き一つ取れない。

わたしの悲鳴にか、とんでもない暴挙をしでかしてくれた大シマロンの兵士達の笑い

声にか、驚いたらしい羊たちが一斉に走り出す。

「村田くん、離れてってばっ!」

「いたっ、いたたっ肘、肘で腹を抉るのやめて、ちょっとっ……渋谷ぁー!ヘルプ!

をとめてぇ〜!」

「ヴォルフ、解いてやって!」

ヨザックさんと二人で御者台に座った有利は、必死の声で叫ぶだけ。

「こいつら、真っ直ぐ走ってくんないんだよっ!」

「言い忘れてたけど、羊はちょっと方向音痴だから、うまいこと誘導してやってねー」

「そういう話は契約時に言ってくれよーっ」

「離れろって言ってるでしょー!」

「脛、脛を削らないでーっ」

とんでもないスタートだった。







とんでもないスタートですが、上手く有利と一緒に行けることに。
……猊下はお気の毒ですが(^^;)



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