人が落ち込んでいても船は進む。 いえ、進んでくれないと困るんだけど。 沿岸警備隊との揉め事は、ノーマン・ギルビットのふりをした有利が出て行ったらすぐに 収まった。 それにしても大といい小といい、シマロンって男尊女卑の思想の激しい国だね。アニシナ さんがいたら大爆発で、収まるものも収まらなかったかもしれない。 もう少ししたら目的地の東ニルゾンに到着するということで、有利とヴォルフラムは下船の 準備に船室へ戻り、わたしは甲板で村田くんと一緒にヨザックさんの作った箱を見ていた。 「うん、いい感じじゃないかな。ね、」 「だからわたしは、知らないんだってば……」 070.無意味な行為(1) 「どうかしたんですか、姫。なにか元気ないですね」 「あー……いや、なんて言うか、もういっぱいいっぱいで……」 村田くんはヨザックさんが自分を見ていないのを横目で確認してから口に指を当てて、 わたしに秘密にするように示してくる。 言われなくても、自分の魂が元は創主の一員ですなんて、誰が話すもんですか。 村田くんは過去の魂の所有者の記憶を持っていても、自分の意思でだけ動けるよう だけど、こっちは無意識に言葉を発したり、魔術を使おうとしたら邪魔されたり、なんの 企みがあるのかわからないだけに不安要素が一杯なのよ……。 「じゃあこれはサイズモア艦長たちに預けないとね」 「聞きそびれていたんだけど、その偽物どうするわけ?」 まさか、本物はこっちにあるから、あなたたちが持っているのは偽物でーす、とかあの うそ臭い話術で騙すつもりじゃないでしょうね。 「んー?なんていうのかな、一応?先回りというか予備というか……闘いは、じゃなくて 物事は二手三手先を読むものだよ、」 なんのもの真似をしているのかよくわからないけど、たぶん誰かの真似なんだろう口調 で村田くんがにやりと笑う。 「そもそも僕に、じゃない。彼にそういう風な教えをしたのは、君……じゃなくて彼女なん だけどね」 「え、じゃあ……えーと、その二人は恋人じゃなくて師弟関係?」 「ううん、親子関係」 はい? 理解不能な発言にわたしが眉をひそめると、村田くんは箱を布で覆って見えなくするよう にヨザックさんに指示をしてから、わたしの肩を叩いて船室に戻ろうと歩き出した。 「そろそろ僕等も下船準備しないとね。まあそんなに荷物があるわけじゃないけど」 「え、ちょっと待って。親子って……」 村田くんを追って、ヨザックさんからは離れたことを確認して、声を潜めて腕を引っ張る。 「じゃあ大賢者も創主だったの?」 「違うよ。だから、創主は魔族でも人間でもないんだって。血縁というものがそもそも存在 しない。大賢者は魔族の側。彼女が気まぐれに拾って育てたっていう親子みたいなもの」 「なんだ……じゃあ、愛こそすべてって、親子愛のこと?」 それはそれで複雑なものの、だからそういう関係は彼女と大賢者のものであって、わたし と村田くんのものじゃない。 「んーん?あれ、眞王と話したんじゃないの?」 「ろくな会話はしてません。一方的に役目があるだとかなんだとかだけ」 それもウルリーケさん越しだけど。 「彼女の恋人は眞王だよ」 再び思考停止。 「はいいー!?」 「あー、本当に聞いてないんだ。ま、気にしなくてもいいんじゃない?それは彼女のことで 君じゃないんだし、眞王だってもう死んでるんだし」 「あ、う、うん。それもそうなんだけど……そうだよねー……」 この数十分で、もう許容範囲以上の話を聞いた。これ以上の新事実はいりません。 村田くんに質問するのは止めだと部屋に戻って、船旅の間使っていた部屋を片付けた。 予定通り五日の旅だったので、部屋を片付けるのはごく簡単だった。ぼんやりする暇も なく、船が停止する。 短く切ったウィッグを被り、髪がはみだしていないことを念入りに確認して、有利を探しに 来たヴォルフラムたちが、変装用に用意していた薄く色のついたサングラスをかける。 「ユーリ、。もう着いたぞ」 部屋を出ようとしたらヴォルフラムがドアをノックして到着を報せに来た。でも有利って。 「有利なら来てないよ。先に上に上がってるんじゃないの?」 ドアを開けてそう言うと、ヴォルフラムは途端に顔を曇らせた。 「いや、さっきお前たちを呼んでくると降りて行ったんだ。なかなか上がってこないから 呼びに来たんだが……あの女のところか!」 すぐに身を翻して、フリン・ギルビットの部屋に飛び込んでいく。 「お前たち!二人きりで何をして……どうしたユーリ、へなちょこ眉毛になってるぞ」 ヴォルフラムが来てくれたおかげで、有利が美人にフラフラする余裕がなくなりそうな ことは大変結構だと思う。恋人を作ることが問題なんじゃなくて、拉致・監禁するような 人と恋に落ちたりしないでよ、と心の底から思うので。 ヴォルフラムがいつもの勢いで怒鳴らずに急に語気を弱めたので、わたしも後ろから とことこと歩み寄って部屋の中を覗き込んだ。 有利とフリンが向かい合っているのはともかく……あの、その間に見覚えのある獣が いるんですけれど。 「ンモシカシテェェェ」 羊のTぞう……どうしてここに。 「全裸だよ……ヴォルフ……満員のスタジアムで全裸なんだってさー」 「何が」 「あ、もいるの?聞いてくれよ!テンカブの決勝戦って己の肉体のみを武器に して全裸で闘うんだって……輝く汗、飛び散るその他諸々液体……」 その他諸々って、その場合血しかないのでは。 「あの、そういう噂よ。あくまで噂」 「おれの貧弱な胸板でどうやって勝負すりゃいいの?」 そういう問題? 婚約者の裸を他の男に見せるなんて、と怒り出しそうな……それ以前に人前で脱げる かと怒りそうなヴォルフラムは、意外にあっさりと頷いた。 「なんだそんなことで落ち込んでいるのか。気にすることはない。男なら誰でも一度は 通る道だ。観客も全員が全裸なら、単なる裸祭りと同じじゃないか。会場中が一体に なって、最高潮に盛り上がるかもしれないぞ」 「か、会場中が……?」 気持ち悪そうに顔色を悪くして口を押さえた有利に。ヴォルフラムが顔をしかめる。 「細部まで想像するのはやめろ!」 それはヴォルフラムが変なこと言うからじゃ……。 それよりも気になったのは、一度は通る道って……。ううん、それもあるけど眞魔国には 裸祭りがあるのかということだった。だってヴォルフラムがあんまり当たり前のように言う から……。もしもあるなら日本の裸祭りみたいに、せめて褌は着用してほしい。こっちの 世界で言うなら紐パン? ……想像したら、ある意味余計にセクハラな光景だった。 甲板に出ると、船を下りる前にとサイズモアさんが有利に小さな包みを差し出す。 「陛下、グウェンダル閣下からこれをお渡しするようにと……」 「グウェンがおれに?なんだろ、って毛糸の帽子かよ」 有利がマスコット付きのリボンを解いて袋を開くと、中からスキーゴーグルみたいなもの と可愛いくま耳付きキャップが出てきた。絶対グウェンダルさんのお手製だ。 「恐れながら申し上げますと、陛下の御髪は大変に高貴な色をされておりますので」 「そ、そりゃ判ってるけど、耳付き帽子はあれだよ、ちょっとアレだろ!?これなら仮面の 男でいるほうが遥かにましだって!」 「でも、あの仮面は動き回ると息苦しいんでしょ?」 「の分も入ってるよ」 有利がもうひとつ同じくま耳付きの、でもたぶんあれは、熊じゃなくて抱いて寝たい珍獣 第一位のクマハチ耳だと思われる、茶色の可愛い毛糸の帽子を差し出した。 「………わたしはウィッグがあるから平気」 「それをおれに貸せよ!なら可愛いけど、おれがこんなの被れないだろ!?」 「ユーリ!兄上のお手製の帽子をこんなのとは何だ、こんなのとは!大体、お前によく 似合うじゃないか」 「嬉しくねーよ!言っとくけどそれ、褒め言葉じゃねーぞ!」 「そんなに嫌なら、裏返しちゃえばいいじゃない?」 村田くんが帽子を取ってくるりとひっくり返すと、頭の両サイドがちょっと膨れるけど、確か に耳とはわからなくなった。 「本当だ、頭いいなムラケン!さすが大賢者様だ」 こんなことで大賢者呼ばわりされるほうが嫌だと思う。 有利は毛糸の帽子を眉毛まで引き下げて深く被り、大きなゴーグルをかけて完全に髪と 目を隠して準備を整える。 出場できる人数は三人なので、その付き人だとしても、あまりに大所帯だと変に目立つ だろうということで、有利とわたしとヴォルフラムと村田くんとフリン、そして護衛にヨザック さんとサイズモアさんという七人で降りることになった。……後ろからTぞうもついてきて、 七人と一頭で地面に足をつける。 タラップを降りると、通行人たちが左右に列を作って罵声や怒号を浴びせてきた。 「な、なに?」 警備隊が止めていなければ、たちまち取り囲まれていたところだろう。 「だって天下一武闘会の最終登録日よ。来る客といえば出場者とわかるわ。あの人たち にとっては、みんな敵なのよ」 フリンが溜息をともに首を振る。なるほどね。でも行儀は悪いよねー。 ぐるりと周囲を見回して、視線を有利に戻してびっくりした。 「どうしたの有利?気分が悪い?」 「あ?ああ、いや別に。ちょっと船酔いが残ってるのかも」 有利の顔色が少し悪い。船酔いって、船の上にいたときは元気だったのに。 後ろから小さな悲鳴が聞こえて振り返ると、フリンのプラチナブロンドが押し寄せていた 通行人のひとりに掴まれていた。側にいたヴォルフラムがその手をすぐに払いのける。 「ユーリとはグリエとサイズモアの間に入っておけ」 「おれは平気だよ。これでも男だし、自分でどうにかしますって」 「わたしも大丈夫。痴漢への対応は手厳しくが基本だから」 ちょうど伸びてきた手を叩き落として、さっさとこんなところを抜けてしまおうと足早に 歩く。 「痴漢じゃないと思うなー、痴漢じゃ……」 村田くんは小さく呟きながら、伸びてきた手をしゃがみ込んで避けた。 自分の身と、有利に手を伸ばしてくる相手をサングラス越しに睨みつけて威嚇したり、 手を振り払ったりしながらどうにか港を抜けて、市街地へと足を踏み入れるともう出場 者ということがわからなくなるのか、人目も引いてやっとひと心地つけた。 「有利、本当に大丈夫?」 「平気だって。それより出場登録って午後までだろ?さっさとしておかないと」 有利は軽く手を振って先に行ってしまう。 東ニルゾンの特有なのか、それとも大シマロン全体がこうなのはわからないけれど、 建物はほとんど黄色と白の色彩で、屋根と地面だけが明るい黄土色だった。道を行く人 も軒を並べる店の店員も、ほとんどが皆が茶色の柔らかそうな髪と、茶色の瞳だった。 これなら確かに外国人はすぐにわかるかも。 広場までいくと、中央の噴水には装飾過剰な文字のプレートが掲げられていた。 「お誕生日おめで……」 「違う。そんなこと一言も書かれていない」 適当に読んだ有利に、ヴォルフラムが即座に訂正をいれて、村田くんが肩を竦めて読ん でみせる。 「我等は与える、偉大なるシマロンの名にかけて。民は王の御許に。王は神の御許に」 「よくあんなゴテゴテした文字読めるなあ、村田」 わたしもちょっと、あの字は読めない。ギュンターさんに習ってる文字とは違うんだもん。 「そりゃ、君達が習ってる文字が高等魔族文字だからだろ」 フリンとサイズモアさんが登録書類を出しにいっている間、有利はマイナスイオンでも 浴びておこうと噴水に近寄る。やっぱり調子が悪いんじゃないの? 「ん?」 噴水の端に腰掛けようとした有利は、噴水を挟んだ反対側に目をやって首をかしげた。 あちらには東屋があって、子供が二人座っている。遠目で見る限り、長い髪は白い。 「さむっ……」 有利がぶるりと震えて、ヴォルフラムが振り返った。 「どうしたユーリ。熱はないか?」 「いや……」 訊ねられても、有利は彼女たちから目を離そうとしない。 二人が揃ってこちらに気付いて、手招きを始める。 こっちに彼女たちの連れでもいるのかなと後ろを見てみるけれど、通り過ぎる人ばかりで、 それらしい人はいない。 「ユーリ?」 ヴォルフラムの声に振り返ると、フラフラと噴水を迂回して歩き出していた。 「おーい、渋谷。あんまりうろうろすると迷子になるよ?」 「坊ちゃん、ちょっと!」 四人で慌てて有利の後を追った。 |
ようやく大シマロンへ到着。ですが有利の様子が少し変なようで? |