「大賢者って……あの!?ど、どうしたんもんだろう、なあ、どうしたらいいと思う!?

今からでも取りあえず様付けて呼んだ方がいいのかな、村田様」

「やめろって。さっきも言っただろ。その人の記憶があるだけで、僕がなにかしたわけじゃ

ないんだから」

混乱した有利に拝まれて、村田くんは嫌そうに顔をしかめて手を振った。

「ああそっか。そうだよな、村田は村田なんだよな」

有利が納得して頷いて、村田くんも安心したように表情を緩める。

「……で?」

「で?」

わたしがその先を促すと、有利と村田くんは一緒に首を傾げた。

有利はいいよ、有利は。まだ何も知らないんだから。でもなんで村田くんまで、もう話は

終わったとばかりにすっきりしているのよ!

「小シマロンで、箱が暴走したときに言った話は!?それって大賢者の記憶なの!?」

「ああ、忘れていた」

手を叩きながらあまりにもあっけらかんと言われて、思わず張り倒してしまった。






069.増えてく秘密(3)






「わーっ!?、大賢者に向かって駄目だろ!?つーか、大丈夫か村田!」

「いたた……冗談じゃないか。何も本気で殴らなくても」

殴られた頭を抑えながら唇を尖らせて不満を漏らした村田くんに、握り締めた拳を見せる。

「いやあねえ、本気で殴るっていうのがどんなのか、体験してみたいの?」

こっちは村田くんだけじゃなくて、眞王だか前世の人だかにも散々焦らされてるのよ!

「な、なんだかわかんないけど、謝れ村田!が怒っていらっしゃる!」

「渋谷、敬語になってるよ……も結構短気だよね。じゃあどこから知りたい?」

「どこからって……」

知りたいことは色々あるけれど、そんな風に問い返されると困ってしまう。

やっぱり基本は今のことだろう。過去の魂のことを聞いたって、村田くんが言ったように

わたしはわたしでしかないんだから。

でも、これでようやくわかる。

眞王が言っていたことも、わたしの中の存在がいつもわたしのすることを邪魔しようとして

いる理由も。

「わ……わたしが前世から引き継いでいる役目って、なに?」

「は!?なに、なんの話!?」

緊張して唾を飲み込みながら訊ねると、初耳の話に有利が忙しくわたしと村田くんを往復

するように素早く首を動かして見る。

村田くんは、にっこりと笑いながら、何故か三歩ほど後ろに下がった。

「わからない」

唸りを上げて拳を振り下ろしたけれど、村田くんは素早く有利の後ろに隠れて、わたしに

向けて盾にする。

「うわ、危なかった……」

「なななな、なに!?なんなのお前等!?なんの話よって、まず落ち着け、その拳を

下ろせ、そっと下ろせ」

村田くんに後ろに回られ、肩を掴んで盾にされた有利は両手を上げて落ち着けと訴えて

くる。

「わからないってなによ!箱が作られたときにいたんでしょ!?わたしの前の人を知って

るんでしょ!?」

「確信が持てないだけで、たぶんこうだという予測はある。大賢者と言われた彼は、確か

にその時代、その場にいたよ。でも箱に関しての、特に封印に関しての詳細を知っている

のは眞王と君の魂の前所有者だった……だけだ」

初めて聞く女性の名前に、なぜか心臓が踊る。まるで、大好きだった懐かしい人と再会

して、久しぶりに名前を呼ばれたかのように。

え、待って。なに今の感想は。

「待ったーっ!」

有利が指を広げてわたしと村田くんの両方に掌を突き出した。

「待った!頼むから待て。おれにもわかるように説明してくれよ。いつの間におれをハブに

してツーカーな話ができるくらいの仲になっちゃったんだよ!?」

「別にツーカーじゃない!」

さっきのとっさの感想を打ち消したくて、力一杯に否定したら有利と村田くんが抱き合って

飛び跳ねるようにしてわたしから距離を取る。

村田くんはともかく、有利にまでそんな扱いされるなんて。

ちょっとショックで、咳払いをして誤魔化しながら気を取り直す。

「別に、通じ合ってるわけじゃなくて……有利がその場にいなかっただけ。小シマロンの

スタジアムで、崖を隔てて別れちゃったときがあったでしょ?」

崖を隔てて……有利が、間一髪でヴォルフラムに助けられたとき。

あの時の恐怖を思い出して、身震いしてしまった。右手で左の肘をぎゅっと握り締めて、

説明を続ける。

「あの時、村田くんがわたしに言ったの。わたしの前世かその前かその前かずっと前の

魂の持ち主は……あの箱の製作者だって」

「え……」

一瞬にして有利の表情が強張り、わたしが慌てて説明を付け足すより早く村田くんが

硬直した有利の肩を叩いた。

と同じ勘違いしないよう。…箱の製作者は、武器として箱を作ったんじゃ

ない。世界を滅ぼそうとした創主を封じるための器として箱を作ったんだ。世界を護ろう

としたんだよ」

「そ……そっか」

わたしと同じで、有利も明らかに安心したように息を吐き出しながら胸を撫で下ろす。

だけど次の瞬間、勢いよく顔を上げてわたしと村田くんを交互に指差した。

「え!?ってことは村田が大賢者で、が……」

「渋谷、眞王とかボケないようにね。彼の魂はまだ眞王廟に留まっているんだから」

「ソ、ソウデウスカ……」

どうやらボケじゃなくて本当にそうだと思ったらしい。

「でもじゃあもすごい人の生まれ変わりってこと?眞王と大賢者と……あとは一緒に

創主を倒したとかいう十の血族だっけ。その中の誰か?」

「それは違う。彼女の存在は歴史に残されていない」

「そうなの?」

それは意外な感じがした。有利が言うまで考えてもみなかったものの、確かに禁忌の

箱の製作者となれば、一緒に協力したと言われているうちの誰かだと思ったのに。

わたしと有利の疑問に満ちた顔を見て、村田くんは眉をひそめて渋面を作った。

「あー…その……彼女は、魔族じゃなくてね……もちろん当時は魔族なんて種族分け

はなかったんだけど……つまり後に魔族と呼ばれるようになった人々のような特殊な

力は持っていなかったんだ」

「それって人間ってこと?その頃からそんな差別してたのか?」

有利が顔を曇らせると、村田くんは困ったように首を振って、どう説明するか考えるよう

に指先で唇をたどる。

「人間でもない。差別して存在を隠したんじゃなくて、その存在は秘匿するようにという

のが、彼女の遺言だったんだ」

「待て」

有利が手を上げて村田くんの説明を遮る。気持ちはわかる。というよりわたしも止めた

かった。

何か今、色々と気になる点があった。

「魔族でも人間でもないって、どういうこと?それに、遺言ってことは大賢者たちより早く

死んだんだよな?それでもって一体なんで隠さなきゃなんなかったの?」

そう、そういったこと。ものすごく気になる発言じゃなかった?

「うーんさすがトルコ行進曲。矢継ぎ早の質問ありがとう」

懐かしいあだ名が出た。中学校の時の音楽の先生以外にも使ってくれる人がいたよ、

よかったね有利。……などとちょっと現実逃避している場合じゃない。

「彼女が僕等より亡くなったのがずっと早かったのは当然だよ。創主との戦いで、彼女が

死ぬことは折込み済みのことだったからね。だから遺言を残せたわけだけど」

「はあ!?仲間が最初から死ぬ予定の作戦でGOだったわけ!?」

「それが彼女の意志だったから。彼女はどうしてもこの世界を護りたかった。例え自分が

死んでもね。だってねえ、そのために自分と同種だった者たちを裏切ってまで、眞王の側

についたんだから」

「同種?魔族でも人間でもなくて、それで眞王に味方するのが裏切りって……」

有利はいまいちピンとこなかったようだけど、眞王が戦ったと伝えられている相手は。

「まさか……創主の一員だったの?」

は魔族でも人間でもない……絶対者、創主の取りまとめだった人物だ」

「はああ!?」

有利ががくんと大きく口を開けて、わたしといえば、あまりの話に頭がついていかず逆に

どこか冷めてしまって、有利の顎を持ち上げて埃でも入ってしまいそうな口を閉める。

いえ、これって混乱してる証拠かしら。

「んがぐぐ……いや、でも、じゃあなに、リーダーが世界を護ろうって言ったのに、みんな

言うことを聞かなかったってこと?」

「リーダーというわけじゃないんだよ。彼等に優劣はなかった。だから創主達の裏切り者

なんだって。話し合った決定に従わずにそれを覆そうとしたんだから」

「でもそれっていいことじゃないか!たくさんの人を救おうとしたんだろ!?だったら名前

を語り継いでいくべきなんじゃないの?」

「逆だよ。彼女がそういう立場だったから、後世にその存在を知られることを良しとしなか

ったんだ。創主を倒すには、やはり創主の力がなくてはならなかったということの証明に

なってしまうから。創主は箱に封印したものの、消滅したわけじゃない。封印は強力だが、

万が一にもそれが解けてしまったらと考えたとき、再び封じるために必要な人物が、既に

この世のどこにもいないというのは恐怖だろう?」

「……なるほど……でも、なあ……ああ、でも……本人の遺言だっけ……うーん」

有利が納得したような、しがたいような、複雑な独り言をぶつぶつと繰り返す。

「それとねえ、渋谷。彼女は別に世界とそこに住む人々はどうでもよかったんだよ。彼女

が護りたかったのは、たった一人だけで、その人が生きる世界を護りたかったんだから」

「え、なにそのツェリ様の喜びそうな展開。愛こそすべてとかそういうこと?」

ツェリ様?と首を傾げた村田くんは、だけどまだ知らない人物にはこだわらず、後半部分

にだけ頷く。

わたしはすごーく嫌な予感がして、村田くんの口を塞いでしまいたくなった。

だってわたしさっき、村田くんが彼女の名前を呼んだとき……。

いやでも、彼女は彼女、わたしはわたし。まったくの別人だし、その辺りのことは村田くん

が一番良くわかっているんだから、別に問題ない……はず。

「そう。愛こそすべて。彼女はね、一人の青年に恋をしていたんだ。もっとも、人間や魔族

とは思考も感情も違いがあったから、僕等の言うような恋愛感情とは異なったみたいだけ

どね。でもある意味ではもっと情熱的だったとも言えるね。愛された彼の方も、その気持ち

を利用するためじゃなくて、本当に嬉しかったようだ。相思相愛」

「うわー、ますますツェリ様が喜びそう。いや、うちのお袋も喜びそう」

「それで!村田くんが予想する、続いている役目ってなんなの?」

結局遮ってしまった。彼女は彼女、わたしはわたし、そして大賢者は大賢者で村田くんは

村田くんなんだけど!

なんというかこう……親の恋愛話を聞いてるときのようなむず痒さというか気恥ずかしさ

というか。

村田くんは急に大声で話を変えられて目を瞬いて、それから苦笑してわたしの肩を叩く。

「なんだ、もうなら予測したと思ったんだけど。言っただろ、彼女は箱を作るために

命まで掛けた。だったら、その封印が解けないようにしたいと思っているはずだろう?」

「え………」

「ああ、そっか。そりゃそうだ。だからが箱の暴走を止められたんだ」

有利が手を打って大きく頷いたから、わたしが絶句したのに村田くんは気付かなかった。

そうだ。普通に考えれば、村田くんの言うことが正しい。

だけど、わたしは彼女の声を聞いている。

彼女はこう言っていた。

―――箱を開けるのは、まだ。

―――すべての箱が、同時に開く、その時まで。

どういうこと!?

わたしに役目があると言ったのは、わたしの中の彼女と、そして眞王。

村田くんが知らない……大賢者が知らなかった、何か別の事情があるということ?

それとも……有利がいるから、それらしく誤魔化したとか?

有利がふと窓の外を見た隙に、わたしは村田くんを見た。有利に聞かせたくなかったこと

なら、きっと目配せしてくれるだろうと思ったからだ。

だけど、村田くんは有利と一緒になって窓の外を見ている。

村田くんは本当に何も知らないの?それとも、わたしに隠しているの?

頭が混乱して足がふらついて、ドアに積み上げていた椅子と机にぶつかって一緒に崩れ

落ちてしまう。

「うわ!?なにやってんの、!大丈夫か!?」

騒々しい音に有利が慌てて駆け寄ってきて、わたしを椅子と机の間から引っ張り上げた。

「え、う、うん……」

「本当に大丈夫かよ。まあ、衝撃的な話の二連発だったし、無理ないか。それに入り口が

開いてちょうどいいや。おれちょっと行ってくるから」

「え、行くってどこに」

「なんか揉めてんだよ。ちょっと聞こえてきた話じゃ、女の責任者じゃだめだとかなんとか。

融通がきかねーことこの上ないだろ?ここはいっちょノーマン・ギルビットの出番だろー…

って……あれ、おかしいな。おれ鍵かけたっけ?」

有利がドアノブをがちゃがちゃと捻っていると、村田くんが溜息をついてポケットから銅色

の鍵を取り出した。

「僕はさっき言ったよ」

声を掛けられて振り返った有利は、その鍵を見て唖然とする。

「君は、護られることに慣れなきゃいけないって」

「だってあれ、フリンが女だから通さないって言ってるだけだろ?ノーマン・ギルビットなら

穏便解決じゃないか。危険でもなんでもねーよ」

「駄目だ」

「っだーっもう!」

有利ががちゃがちゃとドアを格闘しているのを、わたしは半分思考の淵に沈んで、ただ

眺めていた。まださっきのショックから抜け出せないのだ。

「窓も開かねー。なあ村田ぁ」

「駄目だ。どうしてもというなら、この僕をぶん殴ってでも奪ってみせろ!……とか格好

いいこと言ってみたりして」

有利は、わずかに数秒迷ってから、床に倒れていた椅子を掴んで窓の方に向き直った。

「なんだよ。『殴ったね親父にも殴られたことないのに』ごっこを期待してたのにー」

「友達殴るより、家具投げる方が、ずっと楽だっ」

有利が窓に向かって椅子を放り投げ、窓硝子が割れる派手な音でわたしははっと今の

状況に意識が戻ってきた。

「え、ちょっと有利!」

窓硝子を割った有利は、破片の散る危ない木枠を蹴ったり手を掛けて揺すったりして、

わたしは慌てて有利に飛びつく。

「危ないって!」

「だってノーマン・ギルビットが出て行ったら解決だろ!?大丈夫だって、心配すんな!

なあ村田!お前が本当におれの親友なら、双黒の大賢者なら知らないけど、村田なら

さ、王様だから大人しくしてろなんて言わないはずだ!」

いやあの有利、わたしが止めたのは、硝子が危ないという話で……え、でも出て行くの

も危ないんじゃないの?剣を抜いている人がいるよ!?

「だから僕はさっきからー……」

「ムラケンならこうだ。ちょっと笑って顔を上げて、こう」

有利は、苦笑のような感心したような笑顔を作る。

「こうなると思った」

思わず有利を止めていた手を離してしまった。

だって、それは……有利が無茶をするときにそう言っていたのは……。

わたしの顔の横を後ろから投げられた小さな金属が通り過ぎる。

有利はそれをキャッチして、鍵を開けて窓枠に足を掛ける。

「渋谷、マスクマスク」

「おっと」

有利がマスクを慌てて被り、窓枠に掛けた足に力を込めてどうにか身を乗り出してつん

のめりながら外に飛び出した。

「あんたら、待てーっ!」

「ドアから出ればよかったじゃん」

村田くんのツッコミが聞こえていたようで、一瞬だけ足を止めた有利はすぐに揉めている

集団に向かって走って行く。

わたしが振り返ると、村田くんは責められていると思ったのか、肩を竦めて苦笑した。

「今回は、だよ。今回は渋谷の言うとおり、危険は少ないだろうと思ったからさ」

「わたし」

村田くんの言い訳を遮って真っ直ぐに、そのコンタクトレンズを外している黒い眼を見た。

偽りがあるのか、確かめようと。

「でもわたし、いまだに箱の封印の仕方とか、知らない」

「うーん、必要となったら思い出すようになっているのかもしれない。できれば前世のこと

なんて知らないに越したことはないからね。僕だって生まれてすぐから、それまでの魂の

すべての記憶を覚えているわけじゃない。幼児期になって膨大な記憶に悩まされるように

なったわけで。何回生まれ変わっても、それをやり過ごす術はある程度、歳を取らないと

身につかないんだけど」

違う。

たぶん村田くんの記憶と、わたしの場合はまったく仕組みが違う。

だってわたしは、過去の人生を何も覚えていない。だけど、確かに誰かが、意識と思考を

持ってわたしの中にいる。じゃないと会話なんて成立しない。

村田くんにそう告げるべきかどうか、迷った。

誰かに聞いて欲しい。一緒に考えて欲しい。

有利に話しても、心配をかけるだけだ。でも、村田くんなら……。

村田くんでも、知らないのに?

村田くんは箱の封印を続けるのだと考えている。でも、彼女は封印を解く気でいるんだ。

今はまだ、違うけれど。

それをどう説明したらいいのか、わからなくて。

彼女は箱を開ける気だと告げたとき、なんと返されるのかわからなくて、それが怖くて、

何も言葉にならなかった。







……結局誰にも言えない不安を残したまま、だけどいくつかの事実は判明しました。



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