「なんだよ!自分だって弱弱のくせにさ!」

自分だけ避難させられたことが悔しくて、軽くドアを蹴ってヴォルフラムに悪態をついた。

横で村田が軽く苦笑する。

「彼は全然、弱くないと思うよ」

「またそういう事情通っぽいことを。だってあいつ、一度おれに負けてるんだぜ?まあ引き

分けってことにしてあるけど」

「油断したのかもしれないよ」

「ヴォルフラムに手合わせしてもらったことあるけど、強かったよ。負けちゃったもん」

「え、が!?」

が頬に手を当てて首を傾げて言ったことに驚いた。あの、不良も裸足で逃げ出す木刀

を片手で振り回すが!?

「ヨイショしとこうとサービスしたんじゃなくて?」

「本気でやって。さすがに軍人だなあと感服したもん。ヴォルフラムに勝てたなんて、有利

ってホントは強いんだね」

感心されて、二の句が継げなくなった。に勝ったヴォルフに勝った……?

ホントに油断か手加減だったのかと落ち込みそうになる。……まあ、少なくとも手加減は

ないか。それなら負けた悔しさに魔術をぶっ放したわけないし。

「ほうらね、よいしょっと」

「いや、本人いないのにここでヨイショしたって……ってなにやってんの村田!?そんな

ことしたらヴォルフたちが逃げ込めないじゃないか!」

木製の扉に机を押し付けて椅子を積み上げる村田に、慌てて腕を引っ張った。






069.増えてく秘密(2)






村田は、冗談でもましてや怯えたわけでもない真面目な顔で振り返った。

「彼等は後退なんてしないよ。外に踏みとどまって君を死守する」

「し、死守って、縁起でもない……」

「単なる沿岸警備隊だから、今回は大丈夫だと思うけどね」

窓の脇に立って外の様子を窺いながら、村田は長い溜息をついた。

「渋谷、それにもかな。君たちは護られることに慣れなきゃいけないよ」

振り返った村田はコンタクトレンズを外していて、今は元の黒い瞳をさらしている。

今更だ。もう何度もそれらしいことを、村田は言ってたじゃないか。だけど。

「……全部知ってるんだな?」

我ながら、情けないほど動揺して低い声が出た。

同年代の友人が、不意に恐ろしく大人に思えた。彼の光彩の瞳孔の、もっと奥の奥にある

暗い光から、どうやっても視線を外せなくなる。針で突いたような一点を見詰めると、痺れ

が腰骨の辺りから駆け上がってくる。

「全部、知ってて、黙ってたんだな!?」

「やめろ」

少々慌てた様子で、村田はおれの両眼を右手で覆った。

「危険だ。君はまだ自分でコントロールできない」

「何を……」

「魔力だよ。僕と君は非常に特殊な関係だ。上手く利用すれば強力な武器にもなる」

「村田くんっ!」

の悲鳴が聞こえて、おれの視界が戻る。

がおれと村田の間に割り込んで、おれを護るように村田に向かって構えていた。

「おっと、待ってよ。だから僕は渋谷に危害を加えるつもりなんてさらさら……」

「危険なことを吹き込むつもりも、さらさらないの?」

息を飲んで村田を見ると、困ったように苦笑して無抵抗を表すように両手を挙げる。

「そんなつもりもないよ。僕は渋谷の平和主義に賛成なんだから。ちゃんと話を聞いてよ。

顔色を悪くしてさ。渋谷の魔術に引き摺られかけたんだろ?」

はっとしての肩を引き寄せると、確かに調子が悪いみたいに顔色が悪くなっていた。

「ギルビットの館でもそうだった。渋谷が魔術を使ったとき気を失いかけていただろ?たぶん

……そう、君たちの魔力は完全にじゃないけど繋がっている。……意図的に」

「意図的に?」

「渋谷、落ち着いて。順番に行こう、順番に」

村田が両手で落ち着けというようなジェスチャーをして、も構えていた両手を下ろした。

おれも、の肩を抱いたまま村田を見据える。

「まずさっきの続きから。確かに、上手く利用できれば強力な武器にはなるけど、そう簡単

にはいないってことを言いたかったんだ。が引き摺られたことも言ったけど、その後の

二度目の魔術の暴走。あれは僕がいたからだ。が渋谷を止めてくれなければ、相当

危険な状態だったんだよ」

が、止めた……?」

「そうだよ。何も覚えてない?は必死に君を止めていた。君までいなくならないでって、

泣いて訴えたんだよ」

抱いていたの肩がびくりと震える。

おれ『まで』いなくならないで。

それは、その前にいなくなった人間がいたからこそ咄嗟に出た言葉だったんだろう。コン

ラッドと、あんな別れ方をしたから、だからおれまでいなくなるなと、そう。

「でも……あの時、有利を止めてと言ったのは村田くんだった。これ以上は負担が大きい

から、わたしなら止められるからって……」

「そんな話してたのか!?そんな怪しい話……おれにそんなこと一言も言わなかったじゃ

ないか!」

「その後もずっと事件続きだったじゃない!それにわたしだって頭の中ぐちゃぐちゃだった

んだよ!冷静に考えようとしても、その一瞬後にはコンラッドのことを思い出したり……っ」

怒鳴り返したと思えば、はひくりと喉を鳴らして俯いた。服の上から何かを握り締める。

「コ……コンラッドのこと……」

「ごめん……」

握り締めている位置は、おれがコンラッドからもらったライオンズブルーの魔石をかけて

いるのと同じ辺り。……コンラッドからもらったイヤリングを入れた袋だろう。

俯いて、それでも必死に涙を堪えているを抱き寄せて、そっと背中を撫でる。

「色々混乱することがあって、短気になってるのはわかるけど、妹を泣かしちゃだめだろ。

二人とも落ち着いて。ほら座って」

村田は一脚だけ残っていた椅子にを座らせて、おれとをゆっくりと往復して見た。

「僕と渋谷……正確に言うと僕と魔王は特殊な関係にある。僕は強大な力を持つ王に手を

貸すことができる。そのために創られた存在だからね。ただし、渋谷はまだ魔術を使い慣れ

ていない。下手に僕等が感応し合うと、魔力の暴走は止められない」

魔王、とはっきり村田の口から聞かされて、いちいちショックを受ける。

村田は、そんなことまで知っていたんだ。

「……なんか、それってお前が……自分はこっちの世界の人間だって言ってるみたいに

聞こえる」

「それに近いことを言ってるよ」

村田は両腕を緩く組んで、おれの横で壁に背中を押し付けた。

「……お前、誰?村田じゃないよな?おれの知ってる村田健じゃないよな!?だって魔族

にそんな名前ないもんな!?」

「言っただろ、僕は村田健だ。それ以外の何者でもない」

「そんな名前のやつは眞魔国にはいない!」

「魂が」

が一言でおれと村田の言い合いに割り込んだ。

「有利や、わたしみたいに、魂がこちらの世界の人なんだよね?」

なんだって?

おれ越しに村田を見て、その言葉に呆気に取られる。

村田を振り返ると、眉を下げて苦笑した。

「そう、そういうこと。渋谷が渋谷有利でしかないように、が渋谷でしかないように、

僕は村田健でしかないんだよ」

なんだって?

一瞬、言葉を失った。





魂の記憶。

これがあるから、おれは眞魔国の言葉をしゃべることができた。ただし、自力で思い出した

ものじゃない。おれが初めてこの世界にきた時、初めに会ったのはコンラッドでもギュンター

でもヴォルフでもない。

フォングランツ・アーダルベルト。魔王の命を狙う危ない奴だ。おれの安全なんて二の次の

奴だったから、おれの中の蓄積言語という、魂の記憶……前世の記憶を言葉の部分だけ

引き出すという荒業をやってのけたわけだ。

でも、それは。

「でも、自分の前のことは全部忘れるんだってギュンターが言ってた。思い出すことなんて

ないって。それにお前、サボテンとか旅とか言ってたじゃないか。普通に高校生やってたら

想像もしないようなこと、考え込みもせずに話すじゃないか」

「うん、だからそれは、僕が生まれる前のことを、少し余分に覚えているから」

「……コンラッドのことも」

「それは前世でも村田健でもない、微妙な時期の話だけど。彼は君の魂を抱いて地球に

行き、大切に護って旅をしたんだよ。君がどこに生まれるかが決まるまで。僕の保護者は

ふざけた医者だったけど、地球のことを何も知らないウェラー卿を連れて、色々と頑張って

くれた」

今、村田が言っているのは前世の記憶でもない。赤ん坊でもない。胎児どころか精子や

卵子でもない、もっとわけのわからない存在の頃の記憶だ。

「そんなの覚えてるはずがない」

「そうだね、普通は消去される。前世だったり魂の前の所有者の記憶は、魂の溝に封印

される。どんな魂も例外なく、それまで生きてきた様々な『生』の記憶を蓄積しているけれ

ど、通常はその扉が開くことはない。生きていくのに邪魔になるだけだから。新しい『生』

で学んだことだけを知識とし、それを活用していけばいい。けど、僕は違う」

村田は、黒い瞳を眇めておれと……そして、ゆっくりとを見た。

「……僕は覚えてる。忘れられないんだ。忘れることは許されない」

「な、なにを?その、前世とか、もっと前も?」

「うん、その前もずっとね。……そう、ずっとだ」

正直、上手く理解できない。前に生きてきた時代の記憶があるだけでもわけがわからない

のに、その前もずっと?

「なあ……ずっとって……どのくらい?五百年とか?」

「もうちょっと長いかな。ざっと四千年くらい」

「四千年!?」

最早想像を絶する時間だ。百万円を好きに使えと言われたら草野球チームの備品を全部

揃えて、ロッカールームも完備して……と考えられるのに、百億好きに使えと言われたら、

何をしたらいいのかわからないのと同じだ。桁が違いすぎて頭が働かない。

「よ……四千年も生きてきたら……やりたいことなんてやり尽くしてないか?それとも人間

欲望は尽きないものか?」

「待ってくれ。四千年分の記憶があるだけで、僕が四千年生きたわけじゃない。僕の前は

香港在住の女性だったし、その前はフランスの軍医だった。そういう人生を……どう説明

すれば解りやすいかな。……例えば、主人公に感情移入して観た映画を、何十本も覚え

てる。色々な時代の長編映画を主人公の詳しい描写つきで覚えてる感じ。四千年の記憶

があったって、僕自身はまだ十六年しか生きてない」

頭がくらくらしてきた。なんてことだ。テレビで前世がわかるなんて自慢しているやつの比

じゃないよ。映画って、お前……。

「……じゃあ、有利みたいに前世がこちらの人というわけじゃないんだ?」

「うん、違う。僕の魂の所有者がこの世界にいたのはもっとずっと昔の話だ。魂が地球に

移動して、もう随分と久しい」

「ずっと騙してたのか?」

くらくらする頭を抑えて、ずるずるとそのまま床に座り込む。扉の前に積み上げた机の脚に

寄りかかると、扉が小さく軋んだ。

「言葉が通じるのはドイツ語がわかるからとか、おれの魔術を手品だとか、そんな風に嘘

ついてさ!おれを、おれとを騙してたのかよ!?知ってて平気で嘘をついたのか!?」

「違う」

「この世界でだけじゃない。日本でもそうだ。イルカを観に連れて行ったときも、海でバイト

しようって誘ってきたのも、全部知ってたのかよ!心配するふりまでしてっ」

「心配したさ!」

「有利」

が椅子から滑り降りて、おれの横に膝をついて手を握った。

信じがたい、けれど新しい事実を柔軟に受け入れ、折り合いをつけていくのとは訳が違う。

ずっと友人だと思ってた相手が、何も知らないと思っていた相手が、何もかも知っていて、

それを黙っていたんだ。おれを騙していたんだ。

「聞けよ!欺こうとしたわけじゃない。言えなかったんだよ」

「それを騙したっていうんだよ!魔族とか人間とか……あの箱のことだって、全部知って

て、何も知らない振りして!ずっとおれを笑ってたのか!?何も知らないお前を、護らな

きゃって、空回りして必死に誤魔化していたのを、嘲笑ってたのかよ!?」

「有利!」

が、おれの肩を揺さぶった。

「そんな言い方しないで……」

が泣きそうな顔で訴えて、声が詰まった。

なんでが村田を庇うんだよ。一緒に騙されてたのに、なんで村田を庇うんだよ。なんで

が傷ついた顔するんだよ。

「笑うわけないだろ。ずっと感謝してた。自分のことを告白できないまま、後ろめたく思って

た。もしかして知らせずに済むならその方がいいかと思ったんだ。……だって僕には確信

がなかった。僕の魂は地球に飛んでかなり経つ。直前の女性が眞魔国にいた君よりも、

かなり長く転生を繰り返してる。色々な国で生まれるたびに、何度か真実をうち明けた者

もいる。前世の記憶がありますってね。二千年以上前の、それも異世界の記憶があります

って」

「……それで?」

村田は、笑いに紛れた溜息をついた。泣きそうに見えたのは気のせいだろうか。

「病人扱いされたよ。もっとひどいときには悪魔呼ばわりだ。時代が悪かったね。危うく火

炙りになるところだった」

「ひ、火炙りって……」

「とにかく、そういう経験を何度かすれば、事実を話すのは懸命じゃないと気付く。誰にも、

親にも、もちろん友人にも打ち明けなかった。君にだって……本当に言っていいのかを、

迷っていたんだ。今日までずっとね。でももし、最後の切欠として、君が……渋谷が話して

くれていたら、僕も告白しようと思っていたんだけど」

「何を」

「僕だって、君の口から聞きたかったんだよ」

「おれが魔王だって?今日から魔王になったんですってか?そんなの言えるわけない

だろ!?に話したときだって、ふざけた嘘つくなって怒られるに決まってるとドキドキ

だったのに!?……あ……」

「……そう、普通は信じない……けど」

村田の視線がに向いて、それからおれに戻る。

「ふーん……には話したんだ?僕はてっきり彼女もこっちの世界に一緒にきたんだ

とばっかり」

「だってピンポイントで今日、何があったか言えって締め上げられて……」

「締め上げてない!泣き落としたの!」

「それもどうかなあ……」

が信じたのは、どう考えても特殊な例だ。だって最初はおれもに話すつもりは

なかった。

絶対に信じてもらえないに決まってると思ったから。

だけどは信じてくれて。

おれの場合は、信じてくれるがいた。

「……そりゃ言えないよなあ……」

でも村田は、誰も信じちゃくれなかったんだ。一度目はともかく、二度目三度目となれば、

打ち明ける相手だって選んだだろう。でも、誰も信じてくれなかったんだ。今まで。

「やっと納得してもらえた?」

「うん……悪い」

「渋谷が謝ることじゃないよ。僕の記憶がずっとあるのは、忘れることなくすべてを覚えて

いなければならないのは、君のためなんだ。そうとわかっていても、やっぱり打ち明ける

勇気がなかったのも事実だからね」

「おれの……?」

「第二七代魔王陛下である君に、力を貸すという重大な使命」

「じゃあ、村田はおれを助けてくれようと思ってるの?」

「そうできたら嬉しいと思ってる。使命とは別に、友人としても。そのためになら、大賢者

と呼ばれた頃からの膨大な記憶だって活用すると決めている。使命としても、僕の思い

としても」

「そうか……大けん……」

おれがぴたりと止まると、も押し黙った。ゆっくりと二人で顔を見合わせて、それから

ゆっくりと一緒に村田を見る。

「大賢者!?」

息ぴったりのハモリだった。









村田の身の上告白が終わりました。
ですが、まだ知っていることすべてを話したわけではないですよね。



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