本来、海路でも行程は十五日ほど掛かるらしい。だけど海図を確認したドゥーガルドの

高速艇の船長、ドゥーガルド卿ヒックス二世は五日で到着できると太鼓判を押した。

「五日じゃ遅い、四日で間に合わせろ!」

なんの気分を出したのか、有利が芝居がかった口調で言うと、海図を丸めながら返って

きたドゥーガルドさんの答えは簡潔だった。

「無理です」

「……じゃあ五日でいいです……」

有利はひっそりと肩を落とした。

「もともと五日で間に合うじゃない」

「やってみたかったんだろ。男のロマンがわかってないなあ」

村田くんが肩を竦めてしみじみと呟きながら首を振った。

そんなロマンは確かにわからない。






069.増えてく秘密(1)






大シマロンからの使者が来た翌日、大慌てで出発の準備を整えて到着したばっかりの

眞魔国の高速艇の船団のうちの一隻に乗り込んで、大シマロンへと出発した。戦争に

じゃなくて、あくまでカロリア代表として赴くので、商船に偽装した他の船はそのままカロ

リアに留まり、その後に到着する予定の船団と一緒に、有利の意向を受けて救援活動

を行うことになっている。

有利は、出航した船の船尾に立って、手を振っているカロリアの子供達がいる陸地を

フリン・ギルビットと一緒になって見ていた。

朝早く船に乗り込む前に子供達から行かないでとか、必ず帰って来てくださいとか言わ

れたから。

その背中を確認してから甲板の方へ移動すると、ヨザックさんが大量の木板と鋸を揃えて

何かの紙を覗き込んでいた。

「日曜大工?」

後ろから声を掛けると、気配に気付いていたのか、それとも足音が聞こえていたのか、

ヨザックさんは驚きもせずにそっと紙を伏せて振り返った。

「オレの趣味でして」

「わざとらしー」

ヨザックさんの横にしゃがみ込んで、伏せた紙をひょいと横から取り上げて表を向ける。

簡単に取れたということは、本気で隠すつもりじゃなかったんだろう。

「……木箱の設計図だね」

大体の形や大きさ、四辺に金属板をつけて簡単な装飾の指示。

それらが、こちらの文字で書かれている。

「……『風の終わり』の偽物作りかあ……」

誰からの指示書かなんて、聞くまでもない。ヨザックさんやヴォルフラムが本物を見たこと

があるわけがないし、第一これはヴォルフラムの字じゃない。

箱について何か知っているのはこの場では、村田くんしかない。

「何がドイツ語の方言よ」

こっちの文字まで書けていて、ドイツ語を知っていて、で通じるはずもない。

「殿下、あのですね」

「今更改まって殿下だなんて。先に言っておきますけどわたしは村田くんの言ってた話は

何にも知りません。前世のことなんて覚えてないからね」

あの時、村田くんがわたしの前世とやらの話をしたとき、ヨザックさんだけは側にいた。

わざわざ普段は使わない敬称を使ったということは、真面目な話がしたいんだろうと先手

を打つと、髪と同じ色の眉を下げて苦笑する。

「……失礼しました。ついねー、何か意味があるのかと思っちゃって」

「意味がある?」

「だってそうでしょ?今まで何千年と行方不明で伝説の存在だった禁忌の箱がいっきに

二つも見つかって、そんな時に猊下が帰還された。そしてその猊下が箱の製作者と仰る

姫もいらっしゃる。……それに、鍵なる人物も」

少し控えめに付け足された最後の言葉に、ズキンと胸が痛む。

「……村田くんの言うことが正しければ、確かに役者が揃いつつあるみたいに見えるかも」

冷静にならないとだめだ。いつでも助けてくれた、頼りになる……頼ってきたコンラッドが

今は側にいない。だから……だからこそ、冷静にならなきゃ。

今ヨザックさんは、村田くんが『帰還』したと言った。もう判りきっていたことだけど、やっぱり

村田くんは、少なくともその魂は、こっちの世界の人なんだ。

言ってよかったのかと迷っているようなヨザックさんの探るような視線に、ゆっくりと口の端

を持ち上げた。大丈夫だと、見せなくてはいけない。

「自分のことだけど、自分のことでもないしね。村田くんに聞くしかないかな」

「箱の暴走を止められたのは、何か思い出したからじゃないんですか?」

「残念ながら。気まぐれにアドバイスしてくれる人しかいなくてね。眞王陛下とか」

ヨザックさんはかなり驚いたようで、手に持っていた鋸を取り落として重なっていた木の板

をばらばらと崩れさせてしまう。

「聞いたことあるんですか!?眞王陛下のお声を?」

村田くんにその話をしたのは聞こえていなかったんだ。

「存在を信じてなかったって顔ですねー」

からかうようにそう言うと、ヨザックさんは口をへの字に曲げて即答を避ける。

そうだろうとは思ってたけどね。ヨザックさんは超がつくほど現実主義だから、自分がその

存在を確信した相手でなければ、普段は信じているように振舞っても、心の底から「いる」

とは思えない人だろうと。

わたしだって、幽霊とか神様とか、目に見えない存在は信じてない。いないという確信も

ないので、いるかもね、いないかもね、という感じだけど。

だから自分が声を聞いた眞王陛下は、いるのだと思う。

ただ、その存在がウルリーケさん達が信じているほど絶対だとは思わない。

わたしの中にいる人と同じで、役目があるだとか言いたい事だけを言って、教えてほしい

ことは何一つ伝えてくれない。わたし自身のことでさえ。

人を、まるで将棋やチェスの駒と同じように扱う存在を、絶対だなんて思いたくもない。

わたしに役目があるのだとしても、わたしにだって意思はある。

……わたしは、あの時コンラッドを守りたかった。何か力があるというのなら、あの時こそ

使いたかったのに。

使ってはいけないというのなら、どうしていけないのか、力を貯めておかなくてはならない

のなら、何故貯める必要があるのか、その説明すらしてくれない。

「話の内容は秘密です。有利にも内密にと言われていますから。眞王陛下の罰はヨザック

さんも嫌でしょ?」

「そりゃ確かに嫌ですね……」

ぞろぞろと足音が聞こえて振り返ると、もう陸地が見えなくなったのか有利とフリンと一緒

に、ヴォルフラムと村田くんとダカスコスさんが甲板に移動してきて、この話はここまでと

なった。……ので、うっかり箱の偽物を作っている理由を聞き損ねてしまった。





ドゥーガルドの高速艇「赤い海星」は十数人が寝泊りできるだけの施設が整っていたけど

元が戦闘艇なので船室は当然、結構狭い。

一番いい艦長室は有利とヴォルフラムと村田くんが使っていて、わたしは独り部屋を用意

してもらった。それでも士官向けの部屋なので、三人で使っている有利達よりわたしの方

が待遇がいいのでは。

有利達は狭さに耐え切れないようであまり部屋にいない。わたしはというと、どれだけ今

のことを考えなくちゃと思っても、一人になるとコンラッドのことを思い出してしまうので、

やっぱり日がな一日船を歩き回って誰かしらと一緒にいた。

そうなると、常にほぼ定位置にいるヨザックさんと一緒になりがちだった。

彼は出航からずっと後部の甲板で木片を切っては組み立て、細かい修正箇所を見つけて

は削って組み立てを繰り返している。その隣でダカスコスさんが木片に模様を描いて色塗

りをしている。

二人が忙しく作業をしている横でわたしはぼんやりとその作業を眺めていた。

船旅の初日は、一応手伝おうとしたのだ。

……芸術的な切り口になってしまった板を見て、蒼白になったヨザックさんに鋸を取り上げ

られて、何もしないで下さいとお願いされただけで。

明日、目的地に到着という昼過ぎに、ようやく箱がほぼ完成した。

「よしっと。こんな感じでどうですかね、姫」

手を叩いて木屑を落としながらヨザックさんがこちらを振り返る。

「どうですかね、と聞かれてもわたしにはわかりません」

地の果てを見たときは、すんなりその名前が出てきたのに、やっぱり偽物だからか、ぴん

とくるものがない。

ヨザックさんは苦笑して、鋸やヤスリをまとめて脇に避ける。

「そうでした。猊下に聞かないと」

不思議そうな顔をするダカスコスさんにはお互い何も説明せず、ヨザックさんがひょい船室

の横から、有利達がいる甲板へと顔を出す。

「猊下ーぁ、こんな感じでどうでしょうかねぇ」

「うん、今みせてもらいに行くから……」

「行くなよっ!」

有利の怒鳴り声が聞こえて、飛び上がってヨザックさんの脇から覗いてみる。

声と同じように、有利は怒った顔で村田くんの腕を掴んで、何か早口で捲くし立てている。

「喧嘩?」

「にしても、ちょっと穏やかな雰囲気じゃないですね」

ヨザックさんと顔を見合わせて、ダカスコスさんに箱をお願いして二人の方へと駆けて行く。

「小シマロンの時もだ!あのスタジアムで、お前が言ってたのは何だよ!?お前はすげえ

頭がいいから、国際問題とか社会問題とかのことかと思って……おれもつられてマジ返事

しちゃったけど!」

村田くんの謎についての話をしていたのか。近付くほどにはっきりと言い争い……というの

には一方的な、有利の興奮した声が聞こえてきた。

「それに……乾いた土地を転々として……なんて、覚えてねーよ。お前とサボテンを見た

ことなんて一度もないし、太陽とか月とか保護者って、おれは全然、記憶にねえよ!」

「だから言っただろ、渋谷は覚えてないだろうって」

「じゃあ何でお前は知ってんだよ!?前っていつ?どこの砂漠?おれの保護者って誰の

ことだ!?」

「ウェラー卿だ」

思わず、足を止めてしまった。ヨザックさんが先に駆けて行く。

有利が生まれる前の魂を守っていた保護者は、有利の名付け親と……同一人物だと、

わかっていたことだ。それでも。

震える足で踏み出すと、有利も震えた声で村田くんをじっと見つめながら問い返す。

「どうして村田が、コンラッドと会ってるんだよ……」

「直接顔を合わせたわけじゃない。僕も君も、まだヒトの形を成していなかったし、安住の

地さえ決まっていなかったんだ」

ヨザックさんが辿り付いて、村田くんの腕を掴んだ手を上からそっと包んで離させる。

有利の足がもつれるようにふらついて、ヨザックさんがしっかりと後ろから抱え込むように

して支える。

「……助けるふりして、おれがこいつに襲いかからないように押さえてんのか」

「違います。陛下がそんなことをされるなんて思っちゃいませんって」

有利らしくない発想に、嫌な予感がして震える足を速める。

見えてきた甲板の向かい側から、船酔いで青い顔をしたヴォルフラムもこっちに向かって

きているのが見えた。あの足取りだと、有利のところに行くのはわたしと同時くらいかも。

「わかんねよえよもう。口ではそんなこと言ったって、村田の…そいつの方が頭もいいし

説得力もあるし……眼も髪も黒いしな。おれなんかへなちょこで新前で王としての責任も

果たせない駄目な男だよ。こんなやつを王に据えて失敗したって、だからこいつを連れて

きたんじゃないのか?おれは短気で頑固で思い通りに動かないから、もっと優秀で才能

がある奴を連れてきてって、そう思ったんじゃないのかよ!?」

「有利!変なこと言わないで!」

そんなこと、誰も思ってない。最初は辛辣だったヨザックさんが信じたのは、村田くんじゃ

なくて有利だ。ヴォルフラムがへなちょこって言うのは、いつだって親愛があるからなの

に。そんなこと、有利だってわかっているはずなのに。

有利は首を振って、近付くわたしの方を見ずに甲板を睨みつける。

「だってそうだろ!?こいつは何でも知ってるじゃないか!とおれが双子なのがおか

しいって、そんなこと言うくらいなんでも知ってるじゃないか!」

「僕だって、すべてを見通してるわけじゃないよ、渋谷。知っていることは限られている」

「ああそうかよ!その限られたことより、おれは何にも知らないわけだ!けどな、こいつ

だっておれと同じ日本人だし、多分殆どどの部分でも人間だよ!結局おれたちはどっち

も魔族「もどき」なんだよ。双黒だか闇を持つ者だか知らねえけど、身体は汚らわしい

人間の血と肉でできてる。魔王なんかに相応しくない!下賎な人間の女から生まれて

きたんだから……」

「ゆ……っ」

それ以上は。

それ以上は言った有利の方が傷つく。止めようとした声は、だけどヴォルフラムの方が

早かった。

乾いた音が甲板に響く。ヴォルフラムが有利の頬を叩いて黙らせた。

有利がゆっくりと視線を正面に回りこんだヴォルフラムに移すと、厳しい顔をしたヴォル

フラムが有利を見据える。

「相手の親を悪く言うのは、最低なんだろう」

「……ヴォルフ」

「お前がぼくに教えたんじゃないか」

有利は、叩かれた頬に手を当てて、小さく弱々しい声を出す。

「……おれ今、村田に、なに言ってたかな」

「ぼくがお前の親に対して言ったのと、同様のことを」

有利は恥じ入ったように俯いて、のろのろと村田くんの方に向き直る。

「ごめん、村田」

ようやく有利から、あの冷めたような興奮したような、らしくない雰囲気が消えてほっと

する。

「いいって。高校生にもなって、お前のかーちゃんデベソくらで怒る奴はいないよ」

「え!?こいつは怒ったぞ!?」

ヴォルフラムは素早く有利の胸倉を掴んで村田くんへと突きつける。

「それはもう烈火の如く怒ったぞ。その結果としてぼくへの劣等感と愛情が抑えきれなく

なって、一気に求婚できたんだが」

なるほど、有利とヴォルフラムの婚約の舞台裏がよくわかりました。有利は家族を大事

にしてるしね。

「ちなみに、今のは古式ゆかしい魔族の作法でいうと、『求婚返し』にあたる」

「きゅーこんがえしー?」

そうだった。右手による平手打ちは、魔族の貴族の間では求婚に当たる。

ヴァン・ダー・ヴィーアに向かう船の中で、コンラッドの頬を叩いた右手を握り締める。

―――のためにだって、手でも胸でも命でも、差し出すよ。

慌てて首を振る。縁起でもない言葉を思い出してしまった。

違う。わたしはいらないと言った。手も胸も命もコンラッドの物で、わたしになんて差し出さ

ないでと言った。それに、コンラッドはずっと一緒にいると、約束したんだもの。

「なんだ渋谷、酒の勢いで告白しちゃったようなもんなの?」

「ちっ、違っ……」

「まあそれは結果オーライということで。それよりも地位を惜しむような発言が気になるよ。

権力に対する欲が出てきたのかな」

回想にぶるぶると首を振っていたら、村田くんが言った言葉にはっとする。

そう、まるで有利らしくなかったあの発言。

「でも渋谷は、そういうことにあんまり執着するタイプじゃないし」

「また精神分析みたいなことを言う」

「今まさにこう訊きたいんだろうね。村田、お前って本当は何者?」

「陛下、実はこの方は……」

「悪いけどっ」

申し訳無さそうに口を開いたヨザックさんに、有利は首を振って遮った。

「おれは本人の口から聞きたんだ」

「だったら場所を変えてもらわなきゃ。も一緒に来るよね?」

「え?」

有利は今ようやくわたしに気付いたように振り返る。やっぱりさっきのは反射で答えて

いただけで、ちゃんと考えていたわけじゃないんだろう。それにしても。

突然衝撃が三回連続でやってきた。船のスピードが急に落ちる。

「え、なに?」

「皆様、どうか船室にお入りください!」

サイズモアさんが艦橋から走り出てきて、両手を口に当てて言った。

「巨大イカか!?」

ヴォルフラムが喜色満面で剣を抜きかける。巨大イカってなに。

「何かトラブルかな」

「違いますよ陛下、ほらあそこ。沿岸警備隊です。気にするこたぁありません。こっちは

本国から正式に招待されてる身ですから、問題なんかありゃしませんって」

ヨザックさんが気楽に手を振って、わたしと有利と村田くんを一緒にして船室の方へと

背中を押しやる。

「だったら何でおれたちは引っ込まなきゃなんないの」

「こんな海域まで派遣されてる連中は、気の短い荒くれどもが多いですからね。お三方

に万が一のことでもあったら、オレたちは揃って眞王陛下に八つ裂きにされちまいます。

ま、なにかあったとしても小競り合い程度ですからご心配なく」

眞王陛下、と聞いて振り返るとヨザックさんはにやりと笑って片目を瞑ってウィンクをする。

「んじゃ、ヴォルフも……」

「行け」

有利が引っ張った袖を振り払い、ヴォルフラムは首を振った。

「ぼくはそっちじゃない」

「え……」

そのまま、わたし達三人だけ船室へと押し込まれてしまった。







自分のことだけでなく、コンラッドのこと有利のこと……心配することが多すぎて
混乱してしまいそうです。



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