停船した中型船から、二人の痩せた青年が優雅な足取りでタラップを降りてくる。 「顔を隠さないとまずいんじゃないの?少なくとも髪と目くらいは」 村田くんに耳打ちされて、有利は慌てて誰もいないと思って外していたマスクを装着する。 ヨザックさんとサイズモアさんが有利の両脇を固め、村田くんが斜め後ろに立った。人間に しては美形過ぎるヴォルフラムと、黒い目を伏目で隠すと逆に変かもしれないわたしは後ろ に回される。 二人の使者は、黄色と茶色でデザインされた制服を身につけていた。それはいいとして。 「き、綺麗な髪デスね」 有利がわずかに上擦った声でそう告げると、右側の男の人が至極当然のように頷いた。 「ありがとうございます。長い髪は我等、大シマロンの兵士の誇り。日々、卵油を使って 手入れをしております」 使者の男の人は二人とも、風が吹けばなびくほどのサラサラロングヘアーだったのだ。 村田くんが悔しそうに小さく呟く。 「そうか、ハゲたら兵役免除されるのは、小じゃなくて大のシマロンの方だったかー」 そんなことは、誰も言ってない。 068.願い事、一つ(4) 「シマロン領、委任統治者、ノーマン・ギルビット殿か」 有利はあーともうーともつかない微妙な返事をする。どうせ名前を騙っているには変わり ないんだから、堂々と返事してもいいのに。まるでモルギフみたいな声だと思ったけれど、 それを言ったら有利は嘆くかもしれない。 「此度の災害では甚大な被害を被られたご様子。我等シマロンも宗主国として、この地の 一日も早い復興を願ってやみませぬ」 「あ、ありがとうございまする」 応対した有利の返答は、慣れない感じがはっきり伝わってくる。 それにしても気になったのは、シマロン宗主国のところだけど……カロリアは小シマロン の領地じゃなかったっけ? まさかジャイアニズム論だったりして。小の物は大の物、大の物も大の物。 「本日はシマロン領カロリアの民に『大シマロン記念祭典、知・速・技・総合競技、勝ち 抜き!天下一武闘会』の開催を告げるべく参りました」 「は?」 思わず聞き返したくなった有利の気持ちはよくわかるけど、その聞き方はまずいんじゃ。 でも大シマロンからの使者は、気分を害した風もなく平然と繰り返した。 「大シマロン記念祭典、知・速・技・総合競技、勝ち抜き!天下一武闘会です。ギルビット 殿のご采配により、シマロン領カロリアの民からも秀でた戦士を選び、是非とも参加され たし!」 「されたしってそんな、手紙みたいに言われても」 戸惑う有利には気にも留めず、分厚い巻紙を手渡し二人はさっさと船へと戻って行った。 「なんだよ、そのポロリもありよな感じの懐かしい響きの大会は……」 「最後らへんはあれだよね、七つ集めると願いの叶う……」 「初期の頃だな」 「やれやれ呑気な兄妹だな。相手も威圧し甲斐がないよね」 村田くんが呆れように首を振り、有利はむっと顔をしかめる。 「威圧ってなんだよ、威圧って」 「聞いてなかったのか?何度も国名を繰り返していただろう」 「ああ、長ったらしくて妙に聞き苦しかったあれ」 説明しようとしたヴォルフラムは、有利の返しに溜息をついた。 「まったくお前は……あれは、ああやって何度も繰り返すことで、誰が宗主か思い知らせ ようとしているんだ。人間がよく使う、しみったれた手だ」 「じゃあ、君んちはやらないんだ?」 村田くんの声はのんびりしたものだったけど、どうしてかさっきから妙にヴォルフラムに 絡んでいるような気がする。 「簡単だけどけっこう効果的だよー?まあ、たまには効かない人もいるけど」 「……くっ!」 村田くんがわたしと有利を横目で見ながらそう言うと、ヴォルフラムは口を開けて何か 反論しかけたのに、急に有利を振り返った。 「ユーリ!」 「うわ、は、はい!」 急に話を振られて有利の声が裏返る。 「下らんことを考えてはいないだろうな!?いいか、お前は今すぐ眞魔国に戻るんだ。 人間どもの祭典など、お前には関係ないだろう!わかっているよな!?」 「おれに当たるのはよせ、おれに当たるのは!」 どうもヴォルフラムは、村田くんには直接怒れないような様子を見せる。さっき有利を 捜し当てた自慢を邪魔されたときも、怒りながら我慢していたし。 そういう意味で言えば、ヨザックさんやギーゼラさんも、村田くんのことを猊下と呼ぶ。 確か猊下って、徳の高い僧籍の人に対する敬称じゃなかったっけ? 「……つまり村田くんって、お坊さん?」 頬に指を当てて首を傾げながら呟くと、聞こえていたのか村田くんが吹き出した。 「なな、なに?それ、なんの話?」 「え、だって」 村田くんはわたしの両肩に手をおいて、がっくりと頭を下げた。 「僕この年で出家なんてしてないって。頭も剃るつもりないよ」 「必ず剃髪が義務ってわけでもないでしょうに」 とにかく、と続けようとしたら顔を上げた村田くんはヴォルフラムに掴みかかられている 有利を横目で見て、立てた人差し指を口に当てた。 「その話はまた後でね」 わたしがうんとも、ううんとも返事をしないうちに村田くんは肩を掴んでいた手を離して 身体を反転させる。 「さ、参加するもなにもさあ!」 有利はどうにかヴォルフラムの手から逃れて、ギルビット邸へ戻るべく街の方へと歩き 出す。 「カロリアの責任者はフリンなわけだし、ここはまず彼女に訊いてみるべきだろ」 「問う必要などない。ぼくらは帰るんだからな」 「なんだろう、この歳にもなって、彼はホームシックなのかな」 またまたわざととしか思えない村田くんの発言に、ヴォルフラムが眉を吊り上げる。 あーあ……有利、可哀想……。 「と、いうことでこれを預かったんだけど」 飾り気のないガウンに身を包んだフリン・ギルビットは、覚束ない足取りで寝室から出て きて有利の差し出した巻紙を受け取った。 あの過酷な旅に続いて、領地の深刻な大打撃にすっかりやつれてしまっている。 もっとも、前半の旅に関しては、例え計画が狂ったにしても、巻き込まれたわたしが同情 するものは何もないけれど。 「そういえば今年で四年目ね……そんなこと考えもしなかったけれど」 「四年の一度のお祭りかあ」 まるでオリンピックみたい。 「ええ、そう。全土の各地域から代表を選出して、大シマロンで競技会を開催するの」 ますますオリンピックみたい。 彼女が少しふらつきながら巻紙を広げるのを見て、有利は気遣わしげに手を差し出し かける。 「なあフリン、やっぱまだ寝てたほうが……」 「大丈夫よ。少しは動いたほうがいいの。それに夫婦でも恋人でもない男性を寝室に 入れるのは失礼でしょう?」 有利の横でヴォルフラムが少し機嫌を良くした。わたしは丸一日寝ていたから知らない けれど、きっと再会した時はいつもの浮気者ー!が炸裂したんじゃないかなあ。フリン・ ギルビットは美人だしね。 「大シマロン記念祭典、知・速・技・総合競技、勝ち抜き!天下一武闘会だなんて…… こんな大変なときに。出場者を選ぶ余裕などないと知っていて、あえて使者を回したん だわ」 それはまた、取引先相手に随分と底意地の悪い。 「大体どんな感じの大会なわけ?ほら、日本シリーズみたいなとか、ワールドシリーズ みたいなーとか」 「全部野球じゃん。ワールドカップとかトヨタカップとかも言えよ」 「その前に、それ全部地球の話だから」 そんな感じでこっちの世界の大会で比喩されたらさっぱりわかんないじゃない。 そんな地球組の奇妙な単語を聞き返しもせず、フリンは首を振った。 「私だってテンカブを観たことなんかないわ」 「テンカブー!?だ、大胆な略だな!」 略の大胆さなら眞魔国に敵うものはないと思うのに、有利は大袈裟に驚く。あれ、でも 眞魔国の正式名称はなんだっけ? 「カロリアはこれまで一度も参加したことがないの。国力の問題もあるし、勝ち目のない 試合に挑ませるほど、若い者もいなかったから」 「じゃあ内容は知らないんだ?」 「でも知・速・技の全てで勝ち抜いて優勝した者に与えられる栄誉は聞いているわ」 「何が貰えんの?」 有利の素朴な疑問に、フリンは長い溜息をついて憂いた瞳で、大会開催を報せる紙を 指で撫でた。 「誰でも欲しいものだけど、決して誰の手にも入らない……願いが叶えられるのよ」 「願いって何だよ。家内安全、合格祈願?」 「渋谷……天神様じゃないんだから」 「何でもいいの。その戦士の属する土地のこと、一族の復権や富、財産……どんなこと でも望めば叶えられるのよ。名目上は」 「名目上は?」 わたしが首を傾げて聞きとがめると、彼女は力なく笑って紙の後半の、装飾過剰でまだ 読み書きの不自由なわたしでは読めない部分に指を滑らせた。 「ここにあるでしょう、第一回優勝、大シマロン、第二回優勝、大シマロン、第三回優勝、 大シマロン……初回から前回までずっと、優勝したのは大シマロンだけ。そういう筋書き なの。誰も敵わないようにできているのよ」 「八百長かよー……スポーツマンシップの欠片もねえなあ」 有利は顔をしかめて、フリンが元通りに巻き直している紙を睨みつけた。 「こんな情勢では参加地域も少ないと思うわ。大陸中西部の殆どの国は、みな復権で 手一杯よ。しかも最終登録が六日後なんて。ここから出発地点の東ニルゾンまでは、 早馬でも二十日以上かかるというのに」 「じゃあ棄権するんだ?」 「そうよ。どうせ勝てないものに、無理をしても仕方ないでしょう」 「もったいねえなー、せっかく何でも欲しいものが貰えるチャンスなのにー」 欲しいもの、ね。 わたしの指は、無意識に首に掛けていた小袋を服の上から辿っていた。 自分でも、思考が鈍っているのがよくわかる。願いが叶う、欲しいもの。どう聞いても、 今のわたしにはひとつしか思い浮かばない。 でもこれは、それこそ天の神様の領分だろう。 あの人が、今どこにいるのか知りたいなんて。 「じゃあ、箱はどうだろう」 突然有利が呟いた。 「箱?」 フリンは判らなかったようで首を傾げると、ヴォルフラムが勢い込んで手を叩く。 「そうか、大シマロンには『風の終わり』がある!」 「え、でも……」 村田くんが横で小さく溜息をついた。振り返ると、首を振ってわたしに黙っているように 指を口に当てる仕種をする。 でも、いくら何でもそんなものを素直に渡すとは思えない。だって世界を滅ぼすほどの 力を秘めているとわかっている兵器を……少なくとも兵器と本人達は信じている物を、 約束だからといって他国に渡すだろうか。 あるいは、国の威信を掛けて一度は渡すかもしれないけれど、きっと何か言いがかり をつけて取り戻そうとするに決まっている。少なくとも国外に持ち出させたりはしない だろう。 だのに村田くんは黙っているようにと首を振る。 「そう、大シマロンには『風の終わり』がある。だからこそフリンはおれをウィンコットの 末裔だと信じて連れて行こうとしたんだし、鍵となる人物をー……」 有利の言葉が途切れた。 鍵となる人物を。 コンラッドを。 大雨の夜。松明の燃えた教会。青く光った大きな絵。それから……赤い、赤い血。 思い出したくもないのに、次々と頭の中に焼きついた光景が繰り返されて、酷い頭痛 と吐き気が襲ってきた。 ふらりと足元が覚束なくなって、たたらを踏んだら後ろから両肩を掴んで支えてくれる 手があった。 痛む頭を抑えながら振り返ると、ヴォルフラムが心配そうに見下ろしてきている。 「そうよ……私は、あなたたちを利用しようとしたのよ。私の望みのために」 わたしの肩を片手で抱きながら、ヴォルフラムがかちりと鍔を鳴らした。いつでも彼女に 斬りかかれるように。 「よせヴォルフ。そんなことしてほしいわけじゃない。フリンも……その話の決着は後だ」 「でも」 「箱さえなければ!」 彼女の叫びを遮るように、有利は顔半分を手で覆いながら更に大きな声で被せる。 「あの『風の終わり』とかいう箱さえなければ、こんなことにはならなかった!コンラッドと ギュンターが狙われることも、おれたちが見知らぬ土地を彷徨うこともなかったんだ!小 シマロンのバカ野郎どもがっ……あんな実験さえしなければ、この国だって壊れたりは しなかった。あっちの名前はなんだ、風の終わりと……」 「地の果て」 村田くんが冷たい声で言い放つ。 さっきから、『箱』の名前を聞くたびにどんどん気分が悪くなってくる。耐え切れずにヴォル フラムにしがみついたら、驚いたように背中を撫でて「?」と優しく声を掛けてくれる。 押さえられない恐怖に混じって、底から込み上げる怒りのような渦巻いた感情に馴染め ない。 どうしてだか、これはわたしの感情じゃないという確信があって、それが気持ち悪い。 恐怖は、わたしのものだ。でも怒りは? 「そうだ、地の果て。そいつもだ。そいつも」 これは、有利の怒りだ。 「……愚かな人間どもに持たせておくわけにはいかない……あれは我々にこそ相応しい」 「おっと」 まるで有利のものとは思えない冷淡な声に、名前を呼ぼうとしても酷い吐き気と頭痛で 口を開くことができなかった。 でも、村田くんがまるで何事もなかったように場違いで呑気な声を上げる。 「鼻息が荒いね。酔っちゃってる?」 「え、な、何だよ、今おれ何て言った!?」 一回瞬きした途端、有利はいつもの表情で、いつもの声を上げた。 同時にわたしの中で渦巻いていた怒りのような感情が一気に引いて、口を押さえながら ほっと息を漏らす。 「、大丈夫か?」 「うん、ごめん」 ヴォルフラムの腕にしがみついていた右手を離そうとしたのに、震えて上手くいかない。 左手で指を剥がすようにしてようやく引き離すと、今度はその右手をヴォルフラムが握り 締めた。 「あの……」 「箱を人間に持たせておくべきじゃない。それはその通りだ」 わたしの手を握ったまま、視線は有利に向いている。 「奴等が効果的な扱い方を修得する前に叩いておくか。海上戦力は明日にも終結するし、 完全武装ではないとはいえ、上陸組も厳選された兵士ばかりだ。望むなら、僕がお前に 軍隊の指揮というものを一から教えてやってもいい」 「お前にー?あ、いやごめん、ゴメンナサイ。そう言う意味じゃなくて、おれは戦争なんて しないの!いつも言ってるだろ!?そうじゃなくて、さっきのさ、テンカブで優勝したら箱が もらえないかって話」 「優勝して箱をー!?」 ヴォルフラムとフリンが一緒になって声を裏返す。え、ヴォルフラム、さっきわかってたん じゃないの? 「正気かユーリ!わざわざそんな手間のかかることをする必要がどこにある。奇襲をかけ て強奪すれば済む話じゃないか」 「いたた、ヴォルフラム、痛いって!」 興奮したヴォルフラムが人の手を握ったまま、思い切り力を込めてくれたので手が、手が! 「戦争はしない。しないって言っただろ。って、あー!なにの手を握ってんのお前!」 有利がヴォルフラムの手を引き離していると、後ろで村田くんがシスコンだー、それとも妹 に嫉妬かにゃー?とお腹を抱えて笑っている。 「でも言ったでしょう、東ニルゾンまでは早馬でも二十日かかるのよ。今から準備を整えて 出発しても間に合わないわ」 フリンが呆れたようにそう言うと、有利はヴォルフラムから引き離したわたしの手首を掴ん だまま振り返ってにやりと笑う。 「海路でも?こっちは通常の三倍のスピードで移動する、ドゥーガルドの高速艇があるん だぜ?」 |
どうやら有利の中ではテンカブ出場、決定みたいです。 本当の願いは叶えられませんが、せめて危険な箱だけでも回収できればいいのですが。 |