カロリアの各地方へ援助物資を送ったり、ギルビット港街の救済対策を考えたりでフリン・

ギルビットはもうフラフラになっていた。

街で怪我人の治療に当たるギーゼラさんの手伝いをしていたわたしは、彼女を無理やり

休ませて、ノーマン・ギルビットとして街の様子を確かめに町まで降りてきた有利と合流

して、はかどらない救援活動にお互いに溜息をついた。

「圧倒的に飯が足りない」

「薬も包帯も足りない。それに避難場所も充分じゃないしね。もう冬だから野宿ってわけに

はいかないのに建物がボロボロだし、せめてテントをと思っても、その布すら足りないし」

「それを言うなら着る物もない。着たきりにしたって、みんながみんな防寒ばっちりって格好

でもないし」

衣食住すべてが足りなくて、何から手をつけたらいいかもさっぱりだった。






068.願い事、一つ(3)






人気のない港外れまで来て、有利はマスクをようやく外した。

「ぷはっ!冬だってのに蒸し暑いし息苦しいし……よくこんなの何年も被っていられたもん

だよ。フリンもノーマン・ギルビットさんも」

「恐らくこんなに動き回らなかったんだろうね」

村田くんが見渡した港を一緒になってぐるりと見ると、以前に来たときのような活気に満ち

た様子は見る影もない。石畳には深く幅広い溝が何本も走り、通りに面した住居は殆ど

崩れ、内陸の農耕地も海水に浸食されて土も草も枯れていた。

こんな状況で、おまけに復興の目処すら立たないと人心は荒れてくる。あちこちで略奪が

横行し、水や食料を巡ってのトラブルはどこかで絶えず起こっている。

何人かの人が無気力になっている近隣の住人に呼びかけて回っているけれど、それを

系統立てて組織するまでには至っていない。それよりも、この世の終わりを唱えている

青年の声の方がずっと大きかった。

「あながち間違ってはいないけど」

「なにが?世界が滅びるってやつ?馬鹿馬鹿しい、ノストラダムスじゃないんだからさ」

村田くんの呟きを一蹴しようとした有利の声が上擦った。この世の終わりを予感したんじゃ

なくて、目の前の惨状に対する焦りがあるんだろう。

「そうだねえ……僕も、世界が終わりそうになったところなんて、この目では見たことない

けどね。……この目では」

ちらりと顧みた村田くんの人工的な青い目と目が合って、瞬きするより他はない。なんだ

か意味深な言い回し。

「どうしにかしないといけないのに、気ばっかり焦ってなんにも出てこねえ。畜生、こんな

とき、どうしたらいいんだっけ?」

「テレビってありがたいねえ、渋谷」

一体何の話だろうと有利と二人で村田くんを見やると、彼はわたしでも有利でもなく、港

の向こうを眺めていた。

「色々見たことない?被災地や難民キャンプ。体験するのは初めてでも、何となく知って

いるような気にさせられる。それだけでも、随分違うと思わないかい?」

有利は少し考えるように目を瞑って顎を撫でながら首を捻った。

「……対策本部がいるよな。援助を求めるにしても状況を把握しなくちゃならない。それ

に人だ。食料を振り分けるにしても、水の確保をするにしても、人手がないと始まらない。

その人手を配置するにしても、やっぱり本部が必要か。……方針を決めなくちゃ」

「ユーリ!」

沈みかけたり傾いたりしているいくつかの商船のうち、健在な船から荷物を抱えたヴォル

フラムとダカスコスさんが戻ってきた。白いエプロンドレス姿のヨザックさんも両肩に大きな

袋を乗せている。

白衣の天使のつもりだとは言っていたけど、なにもあんな動きにくい格好をしなくても。

その横に、やっぱり両手に麻袋を抱えた、見たことのない男の人が一緒だった。

彼はこちらを見た途端、荷物を地面に取り落とし、その瞳一杯に涙を滲ませる。

「ご無事で!」

男の人はヴォルフラムもダカスコスさんも追い越して駆け寄ってくると、そのまま有利の

足下に跪く。

「うわ、な、何事!?」

「よくぞご無事で……っ」

一歩後ろに引いて驚く有利の反応なんて気にもしてない……というより気付きもせずに

深々と頭を下げた。

後から追いついたヴォルフラムは、麻袋を地面に下ろして不機嫌な顔で男の人のちょっと

薄くなった頭頂部を睨みつけた後、拗ねたように海に浮かぶ船を振り返る。

「思ったとおりだった。あれは我が国の船だ。商船に見せかけてはいるが、乗員は兵士で、

この男が指揮をとっている。彼は艦長のサイズモアだ」

どうやら有利の側に行くのに先を越されたのが不満だったらしい。本当に嫉妬深い。

「残りの船団も二、三日中には着くだろう。なにしろ骨飛族と伝書便の報せを受けた兄上

は、海上戦力の四半を発たせたそうだ。あの冷静な兄上が、だ」

「四分の一って、何のためにそんな」

「お、前、を、捜、す、た、め、だ、ろ、う、がっ!」

言わずもがななことを呟いた有利に、ヴォルフラムはわざわざ一言ずつ区切って、怒った

顔を近づけた。わたしと村田くんは呆れて乾いた笑いを漏らすばかりだ。

「自分の立場が判っているのか!?お前は何の手がかりもなく、絶望的な状況で国から

消えたんだぞ!?」

「す、すみませんでした」

「まったく……ギュンターはオキクになっているし」

お菊?と首を傾げたわたしは、ヴォルフラムの次の一言でぎゅっと唇を噛み締めた。

「おまけにコンラートはあんな……」

ヴォルフラムはぱっと口を押さえ、その場にいた全員の視線が一斉にわたしに向いた。

わたしは、ゆっくりと息を吐く。

「………それで、四分の一もの人がこちらにくるなら、結構な人数だよね?」

大丈夫。まだ、泣いたりしないと決めたから。

「あ、ああ。恐らく明日にはドゥーガルド家の高速艇が領海に入るだろう。海戦では最も

高名な一族だし、何せあの船は信じられないくらいに速い。カーベルニコフの魔動推進器

を搭載しているからな」

ヴォルフラムが気を取り直したように咳払いして頷いて、わたしは有利を見た。

「有利、人手確保」

「え?あ、そっか!そりゃいいや!訓練された軍人なら自衛隊と一緒だよな。災害時の

対策知識なんてばっちりなんだろ?サイズモアさん」

「は……?あ、も、もちろんです!我等すべての兵士は魔王陛下の恩為、いかなる状況

にも対応できるように厳しい訓練を潜り抜けております!」

「助かるなあ、じゃあ全員ボランティアに数えていいわけだ」

「ボラ……それはどのような任務でありますか」

「任務じゃないよ。自発的にやるからボランティアなんだって。よーし、人材確保!」

「でも国外任務としてお給料は出てるから、純粋にはボランティアじゃないよね」

「それは言わないお約束」

村田くんと二人でボソボソと話していると、ヴォルフラムが憤慨したように有利の胸倉を

掴んで揺さぶり始める。

「お前は馬鹿か!?どうしてこの国のことにお前が手を出さなくちゃならないんだ!お前

と一緒に今すぐ帰るんだ!」

「帰れないよ!名前を騙ってるだけとはいえ、今のおれはノーマン・ギルビットなんだ。

住民の皆はおれを領主だと信じているし、責任者がいるといないじゃ、希望とかやる気

とか……えーと士気とか?そういうのが違ってくるだろう!?」

「だから!どうしてこの国に対する責任がお前にあるんだ!どうしても援助したいという

のなら、医療班や物資だけ残していけばいいだろう。お前は……」

「そうか!物資もあるんだよな!サイズモアさん、船に余分めな水と食料はあるかな?」

「難破した際に備えて、多少の備蓄はありますが……」

「ユーリ!ぼくはそんなことを言ったのではなく……」

「ヴォルフラム、無駄だって」

有利に詰め寄ろうとしたヴォルフラムの肩を叩いてそう宥めると、悔しそうに唇を噛み締め

て今度はこっちに噛み付いてきた。

「お前もお前だぞ、!ユーリに余計なことを吹き込んで……っ!」

「じゃあ今までの有利の行動を見てきて、後は頑張ってねーって有利が帰ると、ヴォルフ

ラムは本気で思ってた?」

ぐっと言葉に詰まったヴォルフラムは、可愛らしく頬を膨らませてそっぽを向く。ほ、本当

に可愛い。

「それでもまだまだ物資は足りないな。粉ミルクとかも……そうだ、包帯と薬も足り

ないんだっけ?」

「うん、全然。感染症とかも怖いから綺麗な布も欲しいところだけど」

「じゃあこれにお願いしてみれば」

村田くんが有利の懐からひょいと白く細い棒を抜き取った。

ロンガルバル川で行商の少年から買ったペーパーナイフだ。

「土産物に願い事して叶うなら、寺も神社もいらないよ」

「それは土産物じゃないぞ。れっきとした骨飛族の一部だ」

「なに!?」

ヴォルフラムの指摘に、有利はペーパーナイフ……じゃない骨を取り落としそうになった。

「てことはこれ、人骨!?なあ、人骨!?」

「人骨じゃない。骨飛族だ。もしかしたら骨地族かもしれないが、連中は集団で精神を共有

する。次々と意思を伝え合うんだ。通信兵代わりにもなるから、我々魔族の軍は遠征時に

伝達用の骨牌を持ち歩く。後発隊がお前の所在を知ったのも、元はといえば彼等の詩の

おかげらしいぞ。もっともぼくはそんな情報に頼らずとも、自分の力で……」

「へえ、見かけによらずポエマーなんだねー」

村田くんは変なところで感心して、ヴォルフラムの自慢を遮った。自然な感じではあった

けど、わざとに見えて仕方が無い。

怒りに打ち震えるヴォルフラムの腕を慰めるつもりでポンポンと叩くと、骨に向かって物資

をお願いしている有利をちらりと見てから、ヴォルフラムはそっとわたしに耳打ちしてきた。

「大丈夫なのか?……その、はここに着いてからあまり休んでいないだろう。ずっと

ギーゼラについて働き詰めだと、彼女が心配していた」

逆に心配されてしまった。

「それを言ったら、ギーゼラさんこそ働き詰めなんだけど」

「ギーゼラは訓練を受けた兵士だ」

わっと有利と村田くんの歓声が聞こえて見てみると、ヨザックさんが胸を探って鳩を取り

出して、保険代わりにこれでも連絡しておきましょうかと言っている。ヨザックさん、動物

虐待よ、それ。

「ここに来るまで、馬車の中では充分休んでいたし……それに」

有利が聞いていないことを確認して、ヴォルフラムの袖を引いてちょっと屈んでもらった。

「動いていた方が、少しは気が紛れて楽だから」

コンラッドの腕は今、箱とは一応離してギルビット邸にひっそりと隠して置いてある。コン

ラッドの腕を抱き締めて、うずくまっていてもつらくなる一方だったから。

我ながら後ろ向きな理由だけど、それで無理をしているわけじゃない。こっそりと耳打ち

するとヴォルフラムは怒りたそうな、心配そうな、複雑な表情で眉間に深くしわを寄せた。

「その顔、グウェンダルさんそっくり」

「兄上はぼくの目標だ」

「それってちょっと意味が違うんじゃないの?」

わたしがそう言って少し笑うと、ヴォルフラムも頬を引き攣らせるようにして笑った。

二人で、少し無理をした笑顔を交わしていると、サイズモアさんが急に不愉快そうに海を

振り返った。

「耳障りな波音がすると思えば、シマロンの連絡艇ですな」

「え、てことは追っ手!?」

はっとして有利たちと顔を見合わせると、ヨザックさんが鳩を離しながら首を振る。

「あの旗標は大シマロンのものですよ。小シマロンじゃありませんね」

「じゃあ、救援か?フリンは大シマロンに協力しようとしていたんだから……」

有利はまずいことを言ったかというように、口を押さえてそっとわたしを伺ってくる。

大シマロンとか、小シマロンとか、そんな名前を聞くたびにギシギシと胸は痛むけど、それ

だけで暴れたり泣いたりしないってば。

「それはないだろうね。カロリアはあくまで小シマロン領だ。領主と密約があったとしても、

表立っては小シマロンの頭越しに何かするはずはない」

村田くんが否定すると、ヴォルフラムも頷いて船を指差した。

「緑色の三角旗を掲げている。あれは各国を巡る使者だ。覚えておけユーリ。使者は絶対

中立だ。攻撃することは全海域で禁じられている」

黄色い国旗の下に緑の三角旗をはためかせた中型船は、停泊中の半壊した船を滑るよう

に避けて港に入ってきた。








少し無理をしながらも、落ちこんでばかりはいられないと忙しく働いていましたが、
なにやら謎の使者がやってきました。



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