次々と地面にひびが入り、隆起してできた地割れの崖に何人もの人間が落ちたり、落ち

かけたりして、その中にはフリンも入っていた。間一髪でが身を乗り出して彼女を助け

たものの、引き上げることができなくて依然として危険な状態のままだ。

のために、フリンのために、他のみんなのために、おれにできることを。

おれを止めるのを諦めた村田に後押ししてもらって、身体の奥に湧き上がった感覚を頼り

に地下から水を押し上げて、もフリンも大勢の人達も、その水に受け止められたことを

確認してほっとした束の間、今度はおれが新たにできた地割れに落ちかけた。






067.延期された結末






どうにか崖の端にぶらさがったものの体力がもう限界だった。

まさか村田が地割れの下に落ちたんじゃないかと探していると、後ろからヨザックの叫ぶ

声が聞こえる。

「陛下―っ!今すぐそっちに渡りますから、どうにか持ちこたえてくださーいっ!」

首を巡らせると、ヨザックが村田を崖から引き摺り上げているところだった。とフリンは

水があるし、村田にもヨザックがついている。後はおれが……。

懸垂の要領で身体を持ち上げようとしたけど無理だった。魔術を使ったいつもの反動で、

力が入らないのだ。

左手が汗で滑り、右手一本でぶら下がり、そしてその右手も……。

落ちると思った瞬間、肩が脱臼するかというような衝撃が加わった代わりに、落下する

感覚を味わうことはなかった。うっすらと目を開けると、白い指がおれの右手をがっちり

と掴んでいる。

「やっとつかまえた」

「……ヴォルフ……なんでここに……?」

「お前はへなちょこだからな。ぼくがいないとすぐにこんな風に危険な目に遭っている。

ほら、片手じゃ無理だ。両手で掴まれ」

「けど、お前の体重じゃ……おれを引き上げるどころか、下手したらお前まで」

「そうしたら」

汗で滑る右手首を両手で掴み、ヴォルフラムは苦味走った笑みを見せた。

「一緒に落ちてやる」

息の詰まるような笑みに、おれは唇を噛み締める。

「ぼくを信じろ」

おれのいない間に何が起こったんだろう。ヴォルフラムはこんな表情をしたっけ?

無意識に左手を上げて両手で掴まると、その繊細な容姿とは裏腹な力強さでどうにか

おれを引き上げて、勢い余って二人して背後に倒れ込んだ。

疲れと痛みと落ちかけた恐怖と助かった安堵と、ぐちゃぐちゃになりながらヴォルフラム

からどうにか起き上がると、袖か何かを擦っていたのかヴォルフの綺麗な顔に小さな傷

がついていた。

「ヴォルフ、ごめん。血が……」

「謝らなくていい。当然のことだ。それよりお前の腕の傷の方が問題だろう。ギーゼラが

こちら側に来てくれれば良かったんだが、運悪く向こうとこっちに別れてしまった」

早口でそう言いながら同行者の姿を探していたヴォルフラムは、おれの背後を見て顔色

を変える。

!」

「え……?」

はさっき、フリンを助けようとして崖に身を乗り出していた。でもそれはおれの魔術で

水に受け止められたはずなのに!?

また危険なことになっているのかと振り返ると、向こう側の崖を村田とヨザックと一緒に

どこかへ向かって走っている。

が走っている先の方へ視線を動かすと、箱が……『地の果て』がある。

!?ちくしょう、なんで!」

今なら震動も微弱だ。あちらに渡る道はないかと、おれも走り出した。

「ユーリ!どこへ行くっ」

ヴォルフラムもすぐにおれの後を追ってきた。もう体力は限界で、走る足がもつれそうだ。

を止めないと!あいつ、箱をどうにかする気だ!」

「箱?あの箱か。一体あれは……」

「『地の果て』だって、と村田が……」

「『地の果て』だと!?なぜこんなところに!」

今度こそ本当に足がもつれて、地面に転がった。危うく崖の方に転がりかけて、慌てて

反対方向に足で蹴って転がり直す。

「じっとしてろ、ユーリ!はぼくが連れてくる!」

「じっとなんてしてらんないよ!」

ずるずると這いずるようにして身体を起こすと、と村田はもう壇上の箱の側について

いた。ヨザックがその下で、マキシーンと一騎打ちを続けている。

「この惨状は箱のせいか。だが何故箱の力が……」

「……コンラッドの腕が……」

おれの背中を擦っていたヴォルフの手が止まった。

「知ってる。今は血盟城で保管して……」

「違うんだ、今あそこにあるんだよ!箱の中に入ってるんだ!」

「馬鹿な!何故!?」

「こっちが聞きたいよ!」

とにかく今はの方だと膝に力を入れて立ち上がると、ずっと続いていた微弱な揺れが、

止まった。

見るとが箱に覆い被さるように倒れていて、村田が横から覗き込んでいる。

どきりと跳ね上がる心臓に、無意識に魔石を握り締めていたと気付いたと同時に、村田が

おれに向かって大きく手を振った。

ほっと安心したら力が抜けて、ずるずるとその場に座り込んでしまった。熱くなった目頭を

きつく掌で押さえる。ヴォルフがすぐ前に膝をついたのがわかった。

「……コンラッドは……?」

「行方不明だ。あるいはお前に同行している可能性があるかと思ったんだが……」

そんな。今度こそやっと、無事だという話を聞けると思ったのに!

……あるいはと思っていたけど、でもまさか、本当に。

いや、違う。まだ行方がわからないだけじゃないか。

ウェラー卿は、どこかで絶対に、生きている。

「泣いていいぞ。ぼくも少しは取り乱したからな」

肩に回された腕に、すがりつきそうになった。涙の滲んだ瞼に力を込めると、おれは勢い

よく顔を上げて、岩の断面で引っ掛けた傷を見せた。

「……畜生っ!見てくれよ!肉が見えてる……こんなに血が出てさ!めちゃめちゃ痛くて

涙が出そうだ!」

ヴォルフラムは、繰り返して泣けとも言わず、そうだなと頷いて背後を振り返った。肩越しに

見ると、見覚えのある丸刈り男が手を振って走ってきている。ギュンターお抱えのダカスコ

スだ。

「陛下!ああよかった、閣下もよくぞご無事で!」

「被害はどの辺りまで広がってる?」

おれの腕に布を巻きつけて応急処置を加えながらヴォルフが訊ねると、ダカスコスは息を

切らせながら、額の汗を袖で拭った。

「もの凄いことになってます。大陸縦断地割れとでも言うのか……南端のカロリアが震源

地だったらしく、ギルビット商港なんか壊滅状態らしいですよ」

「カロリアが!?ギルビット港が!?」

ダカスコスは綺麗にそ剃った頭を撫でて、気の毒そうに眉を下げた。

「骨飛族によると、指導者が不在だとかで、この先の混乱は必至でしょう」

手当てが終わると、おれはがたつく膝に力を入れてどうにか立ち上がる。

崖の向こうでヨザックがを抱えていて、村田はその横で何かを話している。フリンは更

にもっと向こう側で、水のほとりで呆然と座り込んでいた。

ギルビット港でおれと村田が働いたのはわずか一日のことだ。だけど、あそこで働いていた

老人達を見ている。年齢に見合わない見事な体格な人達ばかりで、だけどそれも若者が

みな徴兵で招集されていくせいで老人ばかりなのだと。

彼等の指導者、ノーマン・ギルビットは三年前に死んでいる。ひっそりと跡を継いだフリンも

今は打ちのめされて、打撃を受けた人々のために叫ぶ力を無くしていた。

「……マスクがあれば誰でも王になれるのかな……」

「違う。王になれるのは、その資質がある者だけだ」

ヴォルフラムは何の事情も知らないなのに、きっぱりとおれの欲しい言葉を探し当てる。

「お前には、それがある」





ヴォルフラムとダカスコスに支えられて崖を迂回して達のところに辿りつく。こっちには

ギーゼラともう二人ほど魔族の男が揃っていた。

大胆にも箱にもたれて座っていた村田が、肩にを寄りかからせておれに手を振る。

「無事でよかったよ、渋谷」

「村田、は」

「力を使い果たしたんだろう。眠ってるだけだよ」

「……じゃあ、が箱の力を抑えたのか?」

「えっ!?」

ヴォルフラムが驚いたようにおれとを見比べる。ヨザックが珍しく神妙な顔をして、箱の

中から取り出しておいたのだろう、「それ」をおれに差し出した。

「コンラートの腕……」

ヴォルフの声を聞きながら、おれはただそれをじっと凝視することしかできなかった。

「閣下……グリエの証言によりますと、シマロン兵はコンラート閣下の腕をこれから出した

そうです」

いつもよりも更に青白い顔色で、ギーゼラが出した長い丸いケースにヴォルフラムが激昂

した。

「キーナンの矢立じゃないか!あの男……っ」

「キーナン?」

「わたし達と同行して、途中で行方不明になった兵士です。ずっと大事そうにこの矢立を

持っていました」

「なんで……」

「裏切り、もしくは元から工作員だったってことでしょうね」

ヨザックは持っていた腕を、取りあえずとおれに断ってからギーゼラの持っていたケースの

中に入れた。

「……ぼくらは……コンラートの腕を持ち出す手助けをしてしまったのか……」

「ヴォルフ……お前のせいじゃないよ……」

「だけど!」

「過ぎたことを悔やんでも仕方ない。逆におかげでこうして、小シマロンが正しい鍵を手に

入れる前に箱を回収することができたと喜ぶべきだ。もし戦場で小シマロンが箱を使って

いたら、眞魔国の軍は壊滅的ダメージを負っただろう」

もっともそのときは小シマロン軍も壊滅的だっただろうけど、と村田が肩をすくめる。

ヴォルフラムはむっとしたように、一同の中で唯一見覚えの無い男を睨みつけた。

「貴様、何者だ。ユーリに馴れなれしく……」

「閣下、この方は……」

ヨザックが遠慮がちに口を挟もうとすると、村田が明るく自己紹介を始める。

「こんにちは、僕は村田健。またの名を東京マジックロビンソン。ただのロビンソンでもいい

けど、一応本名は村田健だからそっちで呼んでね。渋谷に馴れなれしいのは渋谷の友人

だから。ついでに言うと、この眠っているとも友人に……なるかな?」

「なんでそんな自信なさげなの?」

「だって僕、彼女に睨まれてるしさー。渋谷が僕とばっかり遊びに行くからって」

「ななな、なにぃ!?どういうことだ!いったいお前はこいつと何をしているんだ!」

「何って野球やったり水族館に行ったり銭湯に行ったり、一緒にバイトしたり……」

適当にピックアップすると、ヴォルフラムは何故か地団駄を踏む。

「ぼくというものがありながら、お前はいつでもフラフラと!」

よくわからないが責め立てられるという、ようやくいつものヴォルフラムを見れて、両手で

落ち着けと宥めながら少しだけ気持ちが楽になった。

「それで、渋谷。これからどうするの?」

こっちの状況なんてお構いなしに、の髪を絡めて指遊びしながら村田はまるで昼飯

どこで食う?くらいの気楽な声でおれを見た。どうでもいいけどお前、今この場で

目が覚めたら恐ろしい目に遭うぞ、それ。

「どうするもなにも、国に帰るんだ」

即座に答えたヴォルフに、おれは首を振って否定する。

「カロリアに行く。まずフリンをつれて帰らないと、震源がカロリアらしいんだ。ギルビット港

が壊滅的打撃を受けたって」

「箱のこともあるから寄り道はあんまりお勧めできないけどねー。まあ、君がこのまま帰国

するなんてできないだろうことは、わかってたか。じゃあ、この馬車を使わせてもらおう。

馬が逃げちゃってるのが問題だけど」

「それでしたら、我々が乗ってきた馬が四頭います」

ダカスコスが場外の方に視線をやってそう報告すると、村田はそれはよかったとにっこり

と笑う。

「じゃあ渋谷、君は馬車に入って眠るんだ。こんな場所で大きな力を使ってヘトヘトだろ?

君達は馬を、それから君はあっちで放心しているフリン・ギルビットを連れてきてくれ」

村田はごく自然にダカスコス達とヨザックに言って、の腕を肩に担いで引き上げるよう

にして立ち上がる。

「僕等は一足先に馬車で休んでおこう。渋谷とはゆっくり眠らないとね」

「……村田、お前ってさ」

「何者?って質問なら明日以降にしよう。が目覚めてから。彼女もずっとそれを聞きた

がっていた。何度も説明するより、全部いっぺんにしちゃった方が効率的。彼女は恐らく、

君以上に疑問がたくさんあるだろうしね」

が目覚めてから。

はずっと、コンラッドが待つ眞魔国に戻ることを目標に心を支えていた。

……目が覚めたら、眞魔国でもコンラッドが行方不明だということを知ることになる。

コンラッドが生きている証拠が、また手に入らなかったのだと。

どうやって説明したらいいだろう。

途方に暮れて答えなんて見つからないまま、雲の合間から差し込んだ夕暮れの太陽を

見上げて目を細めた。









ヴォルフラム達と合流できてホッとするのものの、つらい話も待ってました。
箱の暴走が治まったところで、きっとマ編は終了です。



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