「………え、ごめん、もう一回」

村田くんが言ったことが理解できずに、人差し指を立ててわんもあぷりーずと棒読みで

訊ねた。

「だから君の前世……か、その前の前のずーっと前の前世は、あの箱を作った人なん

だって」

「…………嘘だー」

「こんな状況でそんな嘘言ってどうするのさ。確かな証拠を掴んだわけじゃないけど、

多分間違いない」

「どうしてそんなことが言い切れるの!?」

「君は箱がどんなものかさえ知らなかったはずなのに、見ただけであれが『地の果て』

だと判った。箱を知っている証拠だ」

「で、でも……えー……もしも本当にわたしの前世の人とやらが箱を見たことがあった

としても、作った人とは限らないんじゃ……」

「普通は、前世の記憶は魂の襞に刻み込まれて現世には決して現れることはないん

だよ。あの当時箱に関わった者で記憶を持ち越すことがあるとしたら、三人しか可能性

はない。僕がここにいて、眞王はまだ魂として現世に留まっている。必然的に君は彼女

の生まれ変わりとしか思えない」

「ものすごく抽象的な確信じゃないの、それ!?」

そんな理屈で納得できるかー!






066.開かれた箱(4)






大体、自分がやったことなら責任の取りようもあるけれど、前世って何よ前世って。

「わたしはわたしの記憶しか持ってないよ!生まれる前の記憶なんて……」

「ところが持っている者もいる」

真剣な村田くんの目に、続けて言おうとした文句が引っ込んだ。

もしも村田くんの言ったことが悪ふざけでないのなら、その確信の真偽はともかく確かに

彼は『村田健』のものではない記憶があることになる。

「僕は残念ながら魔力はあっても魔術はあまり得意じゃなくてね。役割が彼の力を補佐、

増幅させることだから。魂の記憶を上手く引き出せるかはわからないけど……」

村田くんの特別大きくはないけれど確かに男の子のものだとわかる掌が、両目を覆うよう

にして当てられた。

「……ごめん。こんなやり方、正しいものではないと判っているけど……他に方法がない

んだ」

一瞬で周囲の音も気配もしなくなった。真っ暗な闇にぽつんと一人で立っているような

感覚があって。だけどそれは一瞬のことだった。

ばちんと静電気が起こったような音を立てて、村田くんが小さく息を飲んで手を引く。

「猊下!?」

わたしの目を覆っていた手を押さえて、村田くんはヨザックさんの声にも振り返らず軽く

溜息をついた。

「駄目だ、拒絶された。君か、彼女に」

「……でも拒絶できたっていうのは、つまり村田くんの予想が当たってたってこと?」

「そういうことだね。それだけ魂の扱い方を知ってる人物がそうそういるとは思えない」

「……じゃあ、わたしの前世は、こんな恐ろしい兵器を作った人なの……?」

開けてしまえば世界を滅ぼすような……コンラッドの腕を、鍵としてしまうような。

村田くんは驚いたように目を見開いて、それから軽く首を振って苦笑した。

「そうか、君は記憶がときどき浮き上がるだけで、まだほとんど判っていなかったっけ?

箱は兵器なんかじゃない。むしろその逆だ。世界を滅ぼそうとした創主を封印するため

に作られたもので、兵器というのは後世の人間の都合のいい解釈だよ。彼女は、世界

を守るために箱を作ったんだ。例えば包丁は料理のためのものだよね?だけど使い方

を誤って人を傷つける者もいる。そういうことだよ」

「……そう」

わたしはわたしのしたことに責任を負うことはできるけど、前世なんてものまで持ち出さ

れても、どう答えたらいいのかわからない。

だけど、傷つけるために作ったのでないのなら。

守るための鍵をこじ開けたというのなら、止められるものなら止めたい。

だってあの箱に今入っているのはコンラッドの腕なんだから。守るための腕を、破壊に

なんて使わせなくない。

!?」

揺れが微小になっている間に、できるだけ箱に近付こうと走り出したわたしに村田くん

が驚いて後を追ってきた。

「記憶が戻ったわけでもないのにどうしようっていうのさ!?」

「わかんない!でも、もしも村田くんの言うことが本当なら……もしも眞王が言った通り、

わたしが前世の役目を継いでいるのなら、自分の命が危なければ、その前世の人が

応えてくれるかも!」

「眞王が言った通り……?君、彼と話したのか!?」

「ウルリーケさん越しにね!」

あれ、でもウルリーケさんの伝言によると、これって内密な話だっけ?

「………非常事態。不可抗力です、眞王陛下。村田くんは事情を知ってるみたいだし」

地面の脆くなった箇所を踏まないように、足下に気をつけながらできるだけ早く進もうと

すると、奇妙なことに気がついた。

箱に近付くほど、地面にひびも地割れも隆起も少なくなっていくからだ。

「箱が震源地なんじゃないの?」

「創主はそもそも形あるものとして封印されたわけじゃない。力は無形のものだから、

地の繋がるところならどこで力を解放したのかはわからない」

箱に近い最後のひびを飛び越えて、後は一気に駆け抜けようとしたら横から鋭い殺気

と声が飛んできた。

「近づけさせんぞ、魔族っ!」

箱だけに集中していたから、その近くに誰がいるのかなんて忘れていたし、目に入って

もいなかった。

ナイジェル・ワイズ・マキシーンが振りかざした白刃に、咄嗟に出来たことは頭を庇うよう

に手を上げるだけで。そのままだったら、腕ごと頭から切りつけられていただろう。

金属同士のぶつかる音に思わずぎゅっと瞑っていた目を開けると、ピンク色の広い背中

とオレンジ色の髪が間に割り込んでいた。

「だーから無茶ばっかりしないでくださいって言ってるじゃないですかー姫ぇー」

ギリギリと鍔迫り合いの力比べをしながら、ヨザックさんがお腹に力を入れた掠れた声で

おどけて言う。

「その男は彼に任せて!」

わたしの横を通り過ぎ様の村田くんに手を引っ張られ、マキシーンが演説していた台に

飛び乗った。

目の前に現れた古びた木箱は、施された彫刻もほとんど見えないほどに劣化している

のに、まるで生きているように胎動を感じた。

ひどく恐ろしく……そして懐かしい。

「どう、何か思い出せそう?」

「……わかんない」

唾を飲み込んで、胸に手を当てる。心臓がドクドクと脈打つ早さに息を吸った。この手の

下にはコンラッドに買ってもらったイヤリングがある。

箱に一歩近付くと、何もないはずなのに押し返すような反発がある。

「……コンラッドの腕を……こんなことになんて使わせない」

だから、どうか今度こそ応えて。

あの、激しい痛みを覚えてもいいから。

無理やりに少しずつ足を前にずらしていって、ようやく箱の縁に手が触れた。




激流の中に放り出されたのかと思った。

突然世界が暗転したように真っ暗な闇の中、ただ熱い流れだけが、わたしを押し流して

しまおうと前から押し寄せてくる。

流されないように必死にしがみ付いたものは両手を回しきれないような木箱で、中から

まるで鼓動のような脈打つ力を感じる。

「ど、ど、ど、どうし……たら……」

箱にしがみついて流されないようにすることだけで精一杯で、自分が何しに来たのかも

見失いそうになる。

―――地を、感じて。

後ろから耳に、女の人の声が聞こえた。

―――流れに、逆らわず。

背後にぴったりとくっついて耳元で囁いているような。

―――流れを、箱の中に、導きなさい。

「どうやってー!?」

―――地を、感じなさい。

「わ……」

わかるかーと叫びたいのを堪えて、ヴォルフラムにならった魔術の使い方を思い出す。

わかるかと叫んで済むなら叫ぶけど、ここをどうにかしないとコンラッドの腕を入れたまま、

箱は破壊を続けてしまう。そうなれば有利だって危ないんだ。

わたしが自分の物ではない力の流れを、それもこんな地球でなら超常現象だといって

しまいそうな力の流れを感じる方法なんて、ヴォルフラム先生に教わった魔術の使い方

くらいしかない。

地の粒子、要素たち。

要素を感じて、力の流れに逆らわず……。

わたしを押し流そうとしていた力は、今度は人の身体の中を通り道にして逆流し始めた。

「ちょ……くっ………!」

背中と言わず頭と言わず、ありとあらゆる方向から大きな力で押さえつけられるような

圧迫に、唇を噛み締めてひたすら堪える。

わたしの中に入った流れは身体中を荒れ狂いながら、指先からしがみ付いた箱に染み

込んでいって、薄れそうになる意識を必死に繋ぎとめていた緊張は、その流れが途絶え

ると同時にぷつんと切れてしまった。





「そして、またこの穴なわけね……」

子供の頃に何度も見た、そして以前ヒルドヤードで無理やり魔術を使ったときに見えた

暗く深い、底の見えない穴の側にいつの間にか座り込んでいた。

「ということは、また気を失ったかー……」

何気なしに穴の透明の蓋に触れようとして、蓋がないことにぎょっとした。

闇の中に手が入ってしまったのだ。

慌てて手を引こうとすると、闇の中から伸びてきた白い手に手首を握り締められる。

「ぎゃー!待って!痛いのも引き受けるとは言ったけど、ちょっと覚悟を!」

「地は再び治められた。案ずることはない」

「え……?」

今まで遠くから、近くから、どこから聞こえてきたのか良くわからなかったはずの声が、

はっきりと穴の中から聞こえた。

そういえば手首を掴むこの手もあの氷のような冷たさが少しはましになっていた。水に

しばらくつけていたくらいの冷たさと言おうか。

闇が揺らめいて、まるで夜の池に浮かび上がったように穴を覗き込んでいたわたしの

顔が映り、それが塗り替えられるように黒髪と黒い瞳の全然違う顔になる。

二十代前半くらいの女性に見えるけれど、ツェリ様みたいな派手な美人というわけで

はなく、東洋系の美女だ。なのにどこか人間離れした透明感があるというか……。

「魔族だから人間じゃないんだっけ」

「私は魔族ではない」

「……え、じゃあ……」

訊ねようとした言葉は、手首を掴んだままの白い手を見て怒りに変わった。

「どうしてあのとき邪魔したの!?わ、わたしはコンラッドを!……ま……守りたかった

のに……」

わたしの目を塞ぎ、魔術の発動を邪魔したこの手がなければ、こんなことにはなって

いなかったかもしれない。

今頃コンラッドも無事で、こんな箱の暴走なんて起こらなくて、そして誰も傷つかずに

済んだかもしれないのに!

「時ではないから」

「またそれ!?守りたい者も守れないで、じゃあ一体いつがその、あなたの言う『時』

なのよ!」

「そなたは力を蓄えねばならない。無闇に魔力を消費するな」

「無闇!?あれが?あんな大事なときが!?人の命が掛かっているのよ!」

「……時が来るまで、必ず魔王を守り抜き……」

手首を掴んでいた白い手が闇の水面に沈んでいって、映っていた顔も段々とわたし

のものになっていく。

「有利を守るのは言われるまでもないよ!だからいつが時なの!?コンラッドを守る

ことより大事なことなんて……っ」

「すべての箱が、同時に開く、その時まで」

「そ……それはどういう意……!?」

逃がすかと闇に消えそうになった手を掴もうとしたら、指先が硬い物に激突した嫌な

音と激痛が。いつの間にか透明な蓋が復活している。

「……っ!……に……逃げるなーっ!」

痛みだけが、残った。









地の果ての暴走は止まりましたが、謎は依然として残ったままです。



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