船に乗り込んできた兵士は、おれ達の方ではなく山脈隊長達囚人の部屋に行き、ドアを 開けて一同を外に出し始めた。 「どういうこった!?ここはまだケイプじゃねーだろ」 「オレたちゃ楽園ケイプまで行くんじゃ!ノンストップでヨロシクじゃー!」 「お外に出たら風邪ひいちゃうでしゅよー。テリーヌしゃんいつでも裸だから」 確かに骨の芯まで裸だよな、じゃなくて。 囚人達は口々に文句を言いながらも、武装兵には逆らえず船から追い立てられて行く。 だが人事では済まなかった。 「おい、船員以外は皆、確認しろ。一般人に紛れている奴がいるかもしれん」 065.目の前の現実と君の嘘 小シマロンの兵士達が一般乗客まで調べ出して、おれ達は大いに焦った。平原組かナイ ジェル・ワイズ・マキシーンか、どちらかが手配を回しているかもしれないからだ。 ところが兵士達が始めたのは、手配書と顔を見比べるなんてことじゃなくて、手を差し出さ せて掌をチェックすることだった。 「……何やってんだろ」 も村田もフリンも首を傾げるだけだったが、災難は突如として襲ってきた。 「お前は降りろ」 兵士がの手を見た途端、後ろに控えていた連れに引き渡した。 「はあ!?ちょっと待てよ、なんでだけ……」 「む、お前もだ」 掴みかかろうとした手を掴んだ兵士は、おれの手も見て別の兵士の方へと突き飛ばした。 しまった、公務執行妨害か。 「ちょっと、彼等は私の連れよ!ここで降ろされたら本気で困るわ」 素通りされていたフリンが猛然と抗議の声を上げる。あんたも公務執行妨害でしょっ引か れちゃうよ。 「こいつの手は明らかに武器を扱う者の手だ。この剣ダコを見ろ。身元のはっきりしない 戦闘員は全員サラレギー様の元へ突き出すことになっている。気の毒だが一緒の旅は 諦めるんだな」 「なによ、気の毒で済むなら軍隊いらないわよっ!」 どこかで聞いたフレーズだ。だがそんなことよりこれは困った。 「違うって!これ剣ダコじゃねーって!これはバットだこ。素振りしすぎ練習熱心の証な だけだって!」 「お前、こんな細い腕でよく武器を扱えるな」 「いくら武器が使える可能性があるからって、丸腰なのに連行ってあんまりじゃない!」 引き摺られながらおれが必死に釈明していると、あっちでもが憤慨していた。 「そ、そーだぞ!おれ達は平和を愛する兄妹なのに、戦闘員呼ばわりとは何だよ!」 を助けに行かなくてはと両手両足に加えて頭まで振り回して抵抗したせいか、おれ を掴んでいた兵士がいきなり手を離した。お陰でつま先が空振りして宙に浮き、おれは 甲板から緑ゴケの川へと頭から落ちた。 「ちょ……わぷっ……の、飲んじまった……うぇ、この寒空で寒中水泳かよ!」 まったりとした緑色の水中で、犬かきで船に近付こうとする。革のコートが水中では更に 重すぎて、クロールで泳げないのだ。 「有利っ!」 おれが落ちている間には桟橋に降ろされていて、両腕を掴まれたまま必死におれの 方に飛び込もうとしている。おまけに船は船で用事が終わったとばかりに岸から離れよう としていた。 「ど、どうすれば!」 村田とが離れてしまった。ここが地球なら当然、が優先されるのだが、何しろここ は異世界で、村田はまだそんなことも知らない。黒髪と黒眼が危険なのはおれの言葉 で知っているが、じゃあどこなら安全に保護してもらえるかも知らないのだ。 それにフリンだって、おれを信じてすべて話してくれたのに、こんな半端な形で別れる なんてできない。 だけどは小シマロンの兵士に捕まって、村田みたいにカラコンもしてないから目を 見られたら一発でアウトだ! 岸に向かうか船を追うか、犬かきでグルグルしていたらが声を張り上げた。 「行って、有利!村田くんが一人になっちゃう!」 「お前を置いて行けないよ!」 おれが半泣きになって水を吐き出しつつ叫ぶのと、後ろからフリンの声が聞こえたのは 同時だった。 「その人がいないと意味がないのよ!私の人生賭けたんだからっ!」 事情を知らない連中が聞けば誤解を受けそうなことを叫んで、勇ましく革のコートの裾を たくし上げ、助走をつけてデッキから飛び降りる。派手な水飛沫を立てて、おれの目の前 に落ちてきた。 「なっ、なんてバカなこと……」 いくらなんでも寒中水泳するなんて、と思ったらフリンは犬かきにしても妙にばしゃばしゃ と暴れている。 「ちょ……もちょっと静かに……ぷっ、み、水が……」 「泳げないのよーっ!」 「なんだとー!?」 おまけに革のコートを着たままだ。浮く物も浮かない。 「お、落ち着け暴れるなよ!?」 藻掻くフリンの襟首を掴んでどうにか引き寄せる。おれが諭すまでもなく、フリンは救助を 受ける心得があったようで素直に身体の力を抜いておれに任せてくれる。これで暴れら れたらおれも道連れになるところだった。 川の流れが緩やかで本当によかった。……と思ったら。 「ひどいよー、僕だけ置いてくなよー」 「ンモっ!」 信じられないことに村田とTぞうまで飛び込んできた。 村田は泳げるし、羊は見るからに浮きそうだから問題ないだろう。そう、問題なのはおれ とフリンだ。 落ちたときはすぐそこに見えていた岸が果てしなく遠い。足はまだつかないか、いい加減 についてくれ。 懸命になって、泳いでいるのか藻掻いているのか自分でもわからなくなったとき、誰かに 腕を掴まれた。そのまま強い力でおれとフリンを一気に岸まで引っ張ってくれる。 その腕が誰かは判らなかったが、誰でないのかはすぐに判った。 もちろんじゃない。 ……そして、コンラッドでもない。 汚い水を滴らせながら腕を引かれて岸に上がると、息を切らせてまとわりつくフリンの髪を 払いのけた。 「なんでそんな無茶するんだよ!?あっちに残ってたほうが圧倒的に安全だろ!」 「有利っ!」 シマロン兵の手から逃れたのか、後ろからが抱き付いてきた。暖かいその手を濡れた ままの手でぎゅっと上から握り締めると震えている。 おれに行けなんて言って、本当はどれだけ怖かったんだろう。 「だってクルーソー大佐が……せめてその子だけでも船に残ってくれたら、私だってこんな 無茶しなったわ。話したでしょう?私だけで大シマロンに行っても意味がないのよ!」 「ロビンソンがいるじゃん」 「まったくもう!あたなって本当に頭の回転が鈍いわね。言ったでしょう?ロビンソンさん じゃだめなの、あなたが必要なの。クルーソー大佐じゃなきゃだめな……」 「クルクルクルクル言うなって!ホントはクルーソーじゃねーんだから!」 フリンは濡れた自分の髪を掴んでいた手を解き、不安そうな目を向けてきた。 「じゃあ……だれ?」 「誰って……」 「あーあ、ついにバレちゃったかぁ」 どう答えるか、困ったおれの横から先に泳ぎ着いていた村田が腕を引っ張った。 「とにかく二人とも水から足も上げちゃいなよ。冷たいだろ。さてどうする渋谷。もう教え ちゃう?新しいハッタリが必要なら、僕が今すぐ考えてやるぞ?」 「村田くん……目の前でハッタリって言ってたらもう意味ないんじゃないの?」 が呆れたように肩を落として溜息をついた。 「皆様、オレへの感謝の言葉は無しですかー」 水難救助の恩人のわざとらしい咳払いに振り返ると、オレンジの髪を緩くまとめ、薄紅色 の繋ぎで腰に両手を当てて立ってたのは。 「ヨザック……」 フォンヴォルテール卿の諜報員だった。 「なんスか坊ちゃん、そんなへこたれた顔しちゃって。そういうときは迷わずヤギ乳よん。 滋養強壮、体力回復、精力絶倫」 「ヤギち……ってええ!?あ、あの店の女将さん!?」 「当たりー。今回も気付いてくれないから、ヨザちょっと拗ねて泣いちゃった」 そんなことを言いながら、本当にちょっと泣いたふりをする。 「……有利、ヨザックさんと会ってたの?」 「ギルビット港で日雇いバイトしてたら昼飯配っていたんだ……まったく気付かなかった」 「ひどいわ坊ちゃん。今回は姫も気付いてくんないし」 「え、わたし?……ああ!あのとき目が合った!?」 ヨザックが胸から取り出した赤茶色のかつらを見て、があんぐりと口を開ける。 「なんだよ、もヨザックと会ってんじゃん」 「言っときますけど、そのとき坊ちゃんもまたまた一緒でしたよー。囚人部屋にいたでしょ。 ところで姫」 ヨザックは胸元からずるずるとちょっと大きめの唐草模様の布を取り出して、の頭に 被せた。……唐草模様って。というよりあんたの胸にはどれだけ物が入ってるんだ。 「人間と目を合わせちゃだめですよー。オレじゃなかったら大騒ぎになっちゃうとこでした」 「う……スミマセン……視線を感じてついうっかり……」 は被せられた布を握り締めて小さくそう漏らす。 「やですよ、視線なんて姫みたいな美少女ならいつでもビシバシ感じてるくせに」 囚人部屋にいたのか。そういえば、今ヨザックの着ている薄紅色の繋ぎは囚人の物だ。 ということは、今回は囚人に変装して紛れ込んでいたと。 「大佐は……シブヤと言うの?それともユーリ?それにロビンソンさんはムラタ?妹さん だってって……」 フリンが怪訝そうに繰り返した。ああ、もう本名モロバレ、辛うじて魔王ということまでは 気付かれていないようだけど。 「かなり危険な土地に坊ちゃんが護衛も連れずに歩いているから驚きましたよ。おまけに 領主の館に入ったら姫までご一緒だってわかったし。わざわざグウェンダル閣下に白鳩 飛べ飛べ便で問い合わせちゃいました」 「白鳩……ちなみに鳩は、どう鳴くの?」 「どぐぅ」 「……土偶かー……」 「そんなことより」 「そんなことより、グウェンダルさんからの返事は!?」 が勢い込んで身を乗り出して、ヨザックの胸倉を掴んだ。ほぼ後ろに抱きつかれたまま の状態だったので、おれは押し潰されそうになる。 「妹ちゃん、落ち着いて。渋谷が潰れて……」 「グウェンダルさんは何か言ってなかった?コンラッドのことは!?」 押し潰されたまま、おれは息が詰まった。 「いえ、姫あのですね、残念ながら報告の通信は基本一方通行で。特に白鳩便は民間商 ですから、ギルビット港から離れちゃうとオレへの連絡は遠回りに……ところで隊長がどう かしたんですか?」 その答えがすべてだ。ヨザックは本国での絶望的な話を何も聞いていないんだ。 はヨザックを掴んでいた手をだらりと下げて、そのままおれの背中を滑り落ちて地面に 座り込んでしまった。 の肩を叩きながら、とにかく話を変えたくてフリンと村田にも紹介を試みた。 「村田、フリン、彼はグリエ・ヨザック。友達の友達で眞魔……えー別の国で知り合った、 任務のためなら女装もこなすマルチな軍人さん」 「こんにちは、オネエさん。その節はどうも」 「オネエって……ええ!?なんで村田が知り合い!?」 がはっとしたように顔を上げたが、村田の答えは至極簡単だった。 そして、とてもつらい事実だった。 「蝋燭と煙瓶をくれた人だよ。フリンさんのお屋敷でね」 「え……」 一瞬、視界がぐらついた。軽い眩暈に襲われて額を押さえる。 「……コンラッドじゃなかったのか……」 「うん?確かに彼だったよ。暗かったけど声は覚えてる」 失望感と、奇妙な安堵感が押し寄せてくる。 疲れ果てた心のどこかで、もう認めてしまえと囁くのだ。 ウェラー卿は死んだのだと。 受け入れて盛大に泣いてしまえばいい。無いに等しい希望にすがり続けて、そのたびに 神経をすり減らていくよりも、その方がずっと楽になる。この先の自分たちのトラブルだけ に集中できるように、認めてしまえ。 おれは、と村田を守らなくちゃいけないんだ。 そう、村田と……を。 眩暈がどうにか治まって、耳に届く小さな呟きに傍らを見ると、がなにか呟いている。 水に飛び込んでもいないのに、はこの場の誰よりも顔色が悪かった。 泣けるか?この、の前で。 がぎゅっと服を握り締めた。その下の何かを握るように。 おれはそれが何か知っている。が肌身離さず学校にだって持っていけるようにと小さな 袋を作っていた。中身は、コンラッドに買ってもらったイヤリングだ。 コンラッドの瞳の色にそっくりな石を提げたシンプルな形のイヤリング。 に顔を近づけて呟きを聞き取ると、おれはそうしたことをすぐに後悔した。 はまだ信じている。 いや、信じたいと願い続けている。 コンラッドが生きていると。 ……泣けるはずがない。 「……コンラッドは絶対待ってる……帰らなくちゃ……待ってるの……」 服の下のイヤリングを握り締めて、近付かなければ聞こえないほどの声で呟いている姿は、 まるで拳を胸に当てて祈りの言葉を綴っているようにも……自分を騙して信じ込ませよう としているようにも、見えた。 |
差し込んだと思った希望は幻となって消えてしまい……認めると一部分は楽になる とわかっていても、認められません。 |