村田くんが羊を売って手にしたお金で、フリン・ギルビットは俄然やる気を取り戻した。

嘆いている暇があるならわたしたちを絶対に大シマロンに送り届けると決めたらしい。

まあ決意するだけなら勝手だよね。それに付き合わなければならない理由はないから、

こっちはこっちで別の思惑があるけれど。

彼女には彼女なりに深い事情と強い決意があることはわかったけれど、それだけだ。

フリン・ギルビットの考えでは、平原組が動いている以上、大シマロンへ直接向かうのは

危険なので小シマロン経由にするということだった。

「平原組の裏をかくために、西の国境から小シマロンに入るわ。ロンガルバル川を河口

まで北上して、海側から北廻り船に紛れ込めば、大シマロンの商港をいくつか通るの。

かなりの遠回りになるけれど、これが一番安全だわ」

彼女の計画に、有利がちらりとわたしを伺う。心配しなくても、別に反対しないよ。

西の小シマロンに向かうなら眞魔国に少しでも近くなる。彼女を振り切るのはどこかの

港についてからでいいだろう。それまでは土地勘のある人について行くほうがいい。

それにしても、なんで有利が心配そうな顔をするわけ?






063.生きてる証(1)






このままの格好では平原組に見つかる可能性が高くなるということで、最初に着替えの

用意。フリン・ギルビットは全員分の安い男物の服をまとめ買いで値切っていた。

「……女ってタフだな……さっきまで肩を落として落ち込んでたのに。懐が暖かくなると

元気になっちゃったよ」

「いいじゃないの、タフな女性。カッコイイよ。妹ちゃんも顔色ちょっと良くなったしね」

それは恐怖の魔王の話を聞いて、あまりの馬鹿馬鹿しさにちょっと気が抜けたからだよ。

でもあんなイメージが他国に流布しているのなら、まずその払拭から始めないと他国と

の友好って道のりが遠そうだね。

溜息をつきながら服装に相応しく、男に見えるようにとウィッグの毛をばっさりと切って

ショートカット風に仕立て上げる。

「あらら、随分思い切ったねー」

自分の髪が横から落ちないように慎重に押し込んでいると村田くんが目を瞬いた。

「自分の髪じゃないから思い切るもなにもないけど」

小さな村なのでサングラスなどは売っていなかった。仕方なしに今回もわたしは伏目で

ごまかしていくことに。有利は再び村田くんから眼鏡を借り、買ってきたすっぽりと頭部を

覆うタイプの帽子を被る。

野球帽は、相手に顔をよく知られているフリン・ギルビットが目深に被ることになった。

彼女がプラチナブロンドをポニーテールにして帽子を被っている姿をぼんやり眺める有利

に怪訝な顔をしていると、村田くんが軽く溜息をついて首を振った。

「常々思ってたんだけどさー、渋谷の女の子の好みって極端だよね」

「はあ?何のことだ?」

「だから、おねーさまタイプかロリ系かっていう」

「なんだそりゃー!?」

おねーさまタイプかって……。

「有利!まさかあの人を好きになったとか言わないわよね!?」

「ちちち違うって!こ、こんな緊迫した状況でそんなこと……」

「そういう問題じゃないでしょ!」

相手はわたし達を監禁した上に、大シマロンに突き出そうとしているんだよ!

「そうだぞ、渋谷。第一緊迫した状況は釣り橋効果で逆に盛り上がるもんだしさー。怖い

妹ちゃんから彼女を庇って好感度アップだ!」

「怖いってなに!?」

「……いや、ほんと怖いよ。落ち着……」

「有利が馬鹿なこと言わなきゃ落ち着くわよ!」

「だ、だから誰も惚れたなんて言ってねーじゃん!」

「なにしてるの、あなた達。行くわよ」

惚れてないと大声で主張していたはずの有利は、フリン・ギルビットのやる気を取り戻し

た美しい顔が間近に現れて顔を赤く染める。

「………有利?」

我ながら低〜い声が出た。有利はぶるぶると音が出るほど高速で首を振る。

「ほらあ、やっぱり小姑はおっかな……いひゃひゃひゃひゃっ!」

村田くんの頬をつねり上げて、そのまま引っ張って歩き出すと涙目で訴えかけられた。

「いひゃいって!」

「やめてあげて!ムラケンの顔が伸びる!」

「世の中には口は災いの元っていう言葉があるのよ」

「ンモ」

同意するように間髪いれずにどこからか声が上がって、思わず視線を落とした。

どこからかって、背後の腰の辺りに白いもこもこの毛の塊が。

「お前、Tぞうっ!何でここに!」

Tぞうって……いつの間に名前つけたの、有利。

後ろにいた羊はたしかに、薄茶色の顔の中央にTゾーンの白い部分があるけれど。

「あれ、一頭ついて来ちゃったのか。さすがにメリーさんの羊だなあ」

村田くんは伸びずにすんだ頬をさすりながら羊を撫でる。

「きゃー、何それ!どうして売ったはずの家畜がいるの!?そんなの連れていたら船に

乗れないじゃない!」

船に乗る以前に、詐欺をしたことになるような……これくらいは今更なのかしら。

「ついてきちゃったものはしょうがないよねー。ほっとくわけにもいかないし」

いえ、別にここに置いていけば誰かが連れて行くなり、野生に還るなりするのでは?

そう思ったけれど、わたし達が歩き出すとしっかりと後ろについてきてしまった。

……ホントにどうするの、これ?





「ロンガルバル……湖?」

有利は対岸の見えない川を眺めて呆然と呟いた。気持ちはわかるよ、気持ちは。日本で

この川幅はまずお目にかかれない。

「いいえ、川よ。陸路を行くよりずっと楽だし早いでしょ」

暮れかけた日に照らされた水面は紫色だった。夕陽の赤でも川底の苔の緑でもない。

おまけにそこにある船は、救命ボートを巨大にしたようなシンプルな作り。一部は屋根が

あるけれど甲板の大半は木箱が占領していて、辛うじて雨露をしのげそうな場所に人が

詰め寄っていた。ヒルドヤードの豪華客船とは違った意味で落ち着かない。

「こ、これ?おれや村……ロビンソンだけならともかく、……えーとスーザンとフリン

さんもこれに乗るの?」

「乗るわよ、当然。家畜連れの怪しい四人組だもの。普通の客船には乗れないわ」

「結局、羊も連れて行くのね……」

「ンモ」

羊は一頭だけで、のんきそうだった。

張り切って乗船の交渉に向かったフリン・ギルビットは、すぐに憤慨の声を上げた。

「扱ってないってどういうことなの!きちんとした小シマロンのお金よ。偽貨幣だなんて

言わせないわよ!」

「どうした、大佐の出番か」

有利がひょこひょこと近寄って顔を出す。すぐにはっと気付いたようにまたわたしを振り

返ったけど、船に乗れないと困るのはわかるから、それくらいでは怒らないってば!

有利の中で今のわたしがどういう位置付けになっているのか気になる瞬間だった。

「どこの軍人さんご夫妻かは知らんがね、戦争が始まろうってこのご時世に、シマロン

通貨で取引する間抜けはいませんや。暴落覚悟で受け取るのは素人くらいのもんよ」

そういうものですか。わたし達は四人もいるけど全員そういう市場にはとんと素人です。

「素性もしれねぇ予定外の客ともなれば、金か銀、それか法石でも貰わんと」

一瞬黙ったフリン・ギルビットはすぐに左の耳からピアスを外した。

「これなら満足?」

「ああ、これなら充分だ。釣りは出ませんがね」

男はにんまりと笑ってピアスを受け取った。その反応からみてかなりの値打ち品だった

んだろう。亡くなった夫からの贈り物だったに違いない。フリン・ギルビットは、一度だけ

唇を噛むとわたし達を振り返った。

「さあ、乗ってちょうだい。行くわよ」

こんなやり取り、見ていなければよかった。

彼女と目を合わせることができなくて視線を落として、服の下の小袋を握り締める。

あの宝石はもう、きっと彼女の手には戻らない。

わたし達が間違いなく船に乗るように、彼女は一番最後に乗り込んだ。

それから少しして船が岸を離れる。

沈みかけた夕陽が辺りを照らし、なにもかもがオレンジ色に染まってくると段々と気温が

下がって肌寒さが強くなってきた。

革の上着も着込んで防寒対策はしているとはいえ、川の上だから非常に冷える。

「なんでみんな屋根の方へいかないんだろう?」

寒さに襟を立てた有利が周りをぐるりと見回して呟く。他の乗客はみんな甲板の木箱の

陰で風を避けて身を寄せ合っているからだ。

その答えはこの船唯一の船室のドアを開ければすぐに判明した。

立ち入り禁止というわけでもないらしい大部屋のドアを開けると、確かに室内には風が

ないのでそれなりに暖かかい。

ただし、中には百人ほどの男の人で埋まっていた。その時点でわたしはアウトだ。

そして有利をアウトにさせたのは、その集団そのものの様子だった。

だって……。

「みなさん凶悪……あいや、いかめしい方々ばっかりのご様子で……」

全員ピンクの繋ぎを着用。開いたドアに振り返った目が揃いも揃って強烈に怖い。

「えーっと、皆さんはどういうチームなんですかー?」

有利とわたしが後退りしたというのに、村田くんは呑気に訊ねてみたりしている。

ああ!人影しか見えてないのね……度入りサングラスは有利に貸してるから。

「ぱかっ、ロぴンちゃんっ」

恐怖のあまり有利の舌は充分に回っていない。

「だってほら、可愛い色のおそろいユニフォームだからさ」

村田くんの怖いもの知らずの発言に、中の集団はゲラゲラと外見を裏切らない笑い声を

上げる。

「俺等は人殺しの集団よーぉ」

「百人あわせりゃ千人も二千人もぶっ殺してんだよぉ」

千人と二千人の差はこのロンガルバル川の川幅より大きな差があると思います。

などという心からのツッコミは喉の奥にしまいこんで。

「なんてこった……こりゃ囚人移送船だよ……」

有利が思わず天を仰いだ。

「……実は私、ちょっとした生理現象が、限界に達しそうなんだけど……」

ぽつりと呟いたフリン・ギルビットを慌てて振り返ると、青い顔で部屋の一点を見つめて

いた。

どこって……視線の先は、部屋の一番奥にあるトイレだ。









乗り込んだ船は囚人移送船……とんだ船旅の始まりです。



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