とにかく周辺の情報を仕入れることができるようにと、フリンに連れられておれ達は最寄り

の村の近くまで羊に乗って移動した。

は羊の背中でずっと黙って俯いている。

さっきフリンにぶつけた怒りがまだ収まらないんだろう。

確かに監禁されたり、食事に薬を盛られて必要もない絶食ダイエットに挑戦させられたり

したとはいえ、あんなに感情的になるなんて驚いた。

……いや、思い返したら本当に結構なことされてるけどさ。






062.似合わない言葉(3)






「周辺に平原組やシマロン本国の警備が配置されていないか、聞いてくるから大佐達は

ここで待っていて」

戦力がわずか一人なのでおれ達に見張りを置いていけないのはわかるけど、だからって

三人まとめて置いていってどうするんだろう。

不測の事態続きでフリンもすっかり考えが回らなくなっているようだった。

さっき通り過ぎた道標には、東に向かえば大シマロン領、西は小シマロン本国と書かれて

いた。

フリンの背中が村に向かって消えると、は腰掛けていた羊の背中から降りてようやく

顔を上げる。

「わたしも行ってくる」

「え、行くって……トイレか?」

本気でそう聞いたらすごく嫌な顔をされた。う……がこんな顔をおれに向けるなんて

珍しい。本当にかなり苛ついている。

「言ったでしょ。あの人と一緒に行くのは、ここがどこか判るまで。帰国するために必要な

情報が手に入るまでなんだから、こういう場所で聞き込みしないでどうするの。直線距離

ならもちろん西の小シマロンに向かってヴィーア三島経由を考えるべきだけど……交通

の連絡次第では、多少遠回りでも大シマロン経由の方がいいかもしれない。こういうの

は地元で聞くのが一番だから」

「あ、そうか……」

「けどさー、羊を見張ってないと羊泥棒に遭うかも」

村田がそこらの草でのんびりと餌タイム中の一際大きい羊を撫でながら顔を上げる。

は冷めた視線を送るだけですぐに村に向かって歩き出した。

「だったら村田くんが見ててよ」

「いや、その前に羊泥棒はおれ等の方なんじゃ……」

「でも妹ちゃん、この国で黒は不吉なんでしょ?その目のままで聞き込み?」

「サングラス借りていくわ」

貸して、じゃなくて断定!?

「あ、ちょっと……いやーん、強引なんだからぁー」

がサングラスを取り上げようとすると、妙に気持ちの悪いしなを作って村田が身を捻った。

「よせ、ムラケン!寒気がするっ」

「ひどいなー、渋谷。そんなこと言われたら僕、ブロークンハートだよ。責任とってね」

「だからよせってばっ!いや、それよりブロークンハートってお前……」

だからお前は何歳だ。

「とにかくだめだめ。ここでちょっと休憩してなよ。君、自覚がないようだけど今にも倒れそう

な顔色だよ。鏡があったら見せたいくらいだ。あーでも鏡を見たらそれこそ倒れるかもね。

ほら、熱っぽいと思って体温を測ってみたら高熱だったとわかった途端に急につらくなる

みたいな感じで」

「ああ、それわか……」

「今それどころじゃないの!」

に怒鳴りつけられて、おれと村田は同時にぴたりと口を閉ざした。

「少しくらい無理したって、国に……せめてヒルドヤードまでたどり着けばなんとかなるわ。

大事なのはすぐにこのシマロン領から離れることよ。ここは危険なの!」

「あー……まあね、もうすぐ戦争が始まるみたいだし、確かにちょっと物騒な国だけどさあ。

領事館に行ったら監禁されましたって国際問題にならないかな?」

そういうことじゃなくてさ。

じゃあどういうことだと聞かれても、まずはここは異世界でというところから説明を始めなく

てはならない。

「と、いうよりねぇ、僕等またもや先立つ物がないんだけど」

それはまさしく切実な問題だった。

がアーダルベルトからもらった金は、ギルビット邸で監禁された際のボディーチェックで

取り上げられてしまった。万が一にも逃亡したときのことに備えてだと思われる。

金がなければ旅も出来ない。

この一週間、初日の三日間は絶食で残りの四日も薬を盛られることを恐れてちょろちょろ

しか食っていないから、とにかくがっつり何か食いたい。

だが、旅以前にまずその食料の確保からして困難だった。

「羊肉ってジンギスカンだよな……?」

「渋谷……君、羊さばけるの?」

無理です。

「だったら……」

は何かに気付いたように言いかけた言葉を引っ込めて村の方を振り返った。

それから、おもむろに止めていた続きを口にする。

「フリン・ギルビットから追い剥ぎでもしようかしら」

「ま、待て待て待て!物騒なこと言うなって!」

の視線の先を追うと、青白い顔で額を押さえながらフリンが村から戻ってきている姿

が見えた。

、落ち着け。お前がときどき気性が激しいのは知っているけど、それは人としてまずい

だろう。おれの可愛いちゃんらしくないぞー」

場が和まないだろうかとちょっとふざけた口調で言ってみたら、はにこりともせずおれ

にも村田にも背を向けて羊の群れの方に埋もれて行って、村田がさっき撫でていた一際

大きい羊にもたれるようにして膝を抱えて座り込んでしまった。

「苛ついてるねー」

村田が人差し指と親指を広げて、その間に挟むようにして顎を撫でる。もう一方の手は

腰に当てて決めポーズだ。お前、本当にいくつ?

「ちょっと気負いすぎているような感じかな。もうちょっと楽に構えないと、本当に倒れて

しまいそうだよ」

「うん……」

が気負っている理由はわかる。おれを早く眞魔国に連れ戻さなければならないと

思っているんだろう。小シマロンが開戦準備を整えつつあるなら尚更だ。

それに、早くコンラッドが無事だということを目で見て確かめたいに違いない。

……無事で待ってろよ、コンラッド。おれが絶対にあんたのところまで、を連れて

帰るんだからな。





「面倒なことになりました」

村から戻ってきたフリンは眉間にしわを寄せて憤懣やるかたないという表情で吐き捨てた。

「まあそう難しい顔しなさんなって」

「あのね、クルーソー大佐……今、非常に深刻な事態に陥っているのよ。あなたはそれが

判ってるのかしら?」

「判ってるって。だからこうして……」

を振り返ると、何かを考えながら草を咀嚼する羊の背中を撫でているようだった。

「……逃げないで、待ってただろ」

フリンもおれの視線を追ってを一度見ると、首を振って視線を外した。この魔族一行の

中で一番怖いのはだと、同性の勘で見抜いたのだろうか。まあ勘もなにも、さっきも

かなりきつい言葉を食らっていたけど。

「大シマロンとの国境は見事に封鎖されていたわ。最初から網を張っていたのね。毎月

越境してる商人や羊飼いさえ、容易には通してもらえないらしいわ」

「なにしろ羊泥棒だしね」

村田が肩をすくめると、が背中を撫でていた羊が呼ばれていると勘違いしたのか草を

咀嚼しながらおもむろに寄ってくる。もすぐその後ろについてきた。おれの顔も見たく

ないのかと思ってちょっとドキドキしていたのでほっとする。

「違うわよ、羊くらいでこんなことになるものですか」

「まったく傍迷惑な親子だよ。国境封鎖だって。普通、娘相手にここまでするかー?」

おれは近寄ってきた羊の頭を撫でながら、なあー?と首をかしげて同意を求める。薄茶色

の顔の中央に、人間でいうTゾーンが白抜きされてる、ちょっと変わった顔立ちの羊だ。

「親子?親子だからなんだっていうの?父であろうが相手はカロリアを狙っている男よ」

フリンはよろよろと木の根本に座り込んだ。さっきのみたいに膝を抱えてうずくまる。

その背中はひどく細く弱々しくて、そのまま泣くのかと思った。

「……どうしてこんなことに……」

「それはこっちが訊きたいよ。自分がなんでこんなことに巻き込まれているのか、いまだに

さっぱりだ。いきなりウィンコットの末裔だとか、鍵を操る人物だって言い立てられてさ……

一体なんであんたはおれを大きいシマロンに連れて行きたいんだ?おれが……」

魔族の王様だから?

そう訊こうとしてしまって、慌てて言葉を切った。フリンはまだおれのことをウィンコット家の

末裔のクルーソー大佐だと思っている。魔王だとは知らないんだ。

午後の鐘が数回鳴った。教会らしき建物から、真っ白な箱を持った男達を中央にした一団

が歩いてくる。形や大きさから察するに、恐らく棺桶だろう。しめやかな列がおれたちの脇

を通り過ぎるとき、が正視できないという風に目を逸らした。

大丈夫、大丈夫だよ。……大丈夫だから。

おれは俯いたの手を握り締め、葬列が通り過ぎてほっと息をついた。

「誰かが亡くなったんだな」

「子供よ」

「え?」

フリンがやけにはっきりと言い切って、遠ざかる葬列にもう一度目を向けた。

「棺桶が白いでしょう?男の子よ。大人は茶色、女の子は赤茶色、白い棺桶は少年兵が

死んだときに、勇気と愛国心を讃えて使うのよ。十二か、三までの男の子」

「十二!?」

おれが声を裏返し、も驚いたようにフリンを見下ろした。

「ここらじゃ当たり前のことなのよ。百年以上前、大陸がまだ百近い国家に分かれていた

頃からずっと、平原組は国としての土地をもたず、諸国から送られてくる人々を鍛え上げ、

一人前の兵士にする組織だったの」

フリンはようやく膝から顔を上げて、曇りかけた空を見上げた。

「平原組はずっと男達を預かって、鍛えるだけの組織。そのうち多くの国が戦に敗れ、大陸

の東側は殆どがシマロン領になった。その頃から少しずつ、平原組の仕事に変化が現れ

始めた。送られてくる人間の年齢が若すぎるのよ」

草原の向こうから、女の子の嬌声が聞こえた。

振り返ると小さな女の子が喜んだように駆けてきて、羊のうちの一頭に抱きついた。小さな

頃に動物と触れ合うのはいいことだよな。

「シマロンの法律では、十二を過ぎると兵役につくの。十二といっても子供はそれぞれだわ。

痩せて不健康な子供や、剣を持つ力さえ不十分な子だっているわ。訓練中に命を落す者

も増えた。それでも、そんな子達を一人前の兵士に育てるの。それが仕事だから」

村田が何を思ったのか、その女の子と後からゆっくり追いかけてきている母親らしき女性

の方へ歩いて行く。お前、どうする気だ。

「私がギルビットに嫁ぐと決まったとき父も兄も大喜びだった。国を手に入れる最大の好機

だって。もう独立した国家ではなかったけれど、組織でしかない平原組よりはずっと地位が

高いもの。小シマロン領とはいえカロリアは自治区扱いだから属国の中でも支配は比較的

緩やかなの。大きな港を持っていて、商船主とも通じている」

「ギルビット港には行ったよ。活気があって、大きな船がいっぱい停泊してた。いい港だよ」

敵を褒めるなんてとが怒ってないか不安になってちょっと横目で伺ったら、ぼんやりした

ようにどこか遠い目で地面を見詰めているだけだった。

「ありがとう」

礼を言われてフリンを見ると、薄い緑色の瞳が細められて小さく微笑んだ。

わかってる、敵なんだよ。

相手はおれ達を監禁した相手なんだって。

でも美人に微笑まれると、もてない野球小僧の心臓は跳ね上がる。

「あっ、えぇーと、でもあんたは、旦那が死んでも父親に国を渡さなかったんだな。あんなに

暑苦しい覆面まで被って……手にした権力がもったいなくなっちゃったのか?」

「違うわ……嫌いなのよ、父の組織が。毎年カロリアからも少年兵が召集されていく。魔族

との戦争に備えて。父や兄にカロリアを任せたら、国中が軍隊になってしまう。私の夫が

愛したのはそんな国じゃない」

「魔族は人間相手に戦争なんかしないって。少なくともおれの目の黒いうちは、絶対そんな

ことさせないって!」

「どうしてクルーソー大佐に断言できるの?」

問い返されて答えに詰まる。

それはおれが魔王だから。

そう言えたら説得できるだろうか。それとも信じてもらえないだけだろうか。

「闇色の瞳と髪を見れば、あなた達が身分の高い、力の強い魔族だということは判るわ。

完璧な双黒は存在すら稀だって、ノーマンに聞いたことがある。あなたのあの力も…」

フリンは少しの間言いよどんだ。紅茶魔神を思い出してしまったのだろうか。女性相手に

えげつない魔術で申し訳ない。

「……恐ろしかったけれど、だからといって国を動かせるわけではないでしょう?魔族に

は絶大な権力を持つ王がいて、国民は老人から赤ん坊まで絶対服従、意に染まぬ者は

首を刎ね、頭から食らってしまうのだと言われてる」

誰が捏造した噂だ。

それにしても、魔族の話はともかく、フリンは自国や周辺諸国との情勢や特色などを的確

に把握している。

おれときたら感心してばかりで、眞魔国とどこをどう比較したらいいのかもわからない。

政治とか、駆け引きとか、戦略とか、すべていつもギュンターとグウェン任せだ。

おれよりも、ずっと彼女の方が統治者として適任だ。

おれが密かに落ち込んでいると、小さく吹き出す声が聞こえた。

びっくりして横を見ると、が気の抜けたように、だけど確かに笑っていた。

フリンも驚いたように目を瞬いている。それはそうかも。彼女はの怖い顔しか見てない

はずだから、恐怖の魔王の話で笑うなんて思いもよらなかっただろう。

「でたらめだわ」

は、フリンをまっすぐに、だけど笑ったままの目で見詰めた。おれの手をぎゅっと握り

締めて。

「陛下はとてもお優しい方よ。できるだけ多くの人が幸せになれるようにと、いつもお心を

砕いておられる……」

う、うわ……。がおれ贔屓なのはいつものことだけど、こうやって改まった言い方だと

慣れないから背中がこう……むず痒くなる。

「あなたが言ったとおり、わたしは過分な身分を頂いて、陛下のお側にあがることもあるの。

だからこそ断言するわ。もし戦が起こるのだとしたら、それは人間がしかけることよ。だけど、

陛下は最後の最後まで開戦を回避するための方法を探し続けるでしょう。そうしてそれでも

戦が始まってしまうようなことがあれば、少しでも早く、少しでも犠牲の少ない終戦を目指さ

れます。それは、魔族だけでなく人間をも含めて」

「魔族の王が?」

「……陛下の養女は、とても可愛い人間の娘よ。溺愛していらっしゃるの。陛下は、魔族や

人間といった種族にこだわらず、わけ隔てなく慈愛の心を注がれる方よ」

照れて恥ずかしくなりながらも、それがどんな意味のものであろうとの笑顔を見たのは

村田の親戚のペンションにバイトに出かけたときぶりだと気がついた。

もう随分前のような気がする。

でも、とにかくが微笑んだんだ。

「ひょええ〜っ!」

羊の群れに埋もれていたはずの村田の奇声が聞こえて、驚いておれ達が揃って視線を

送ると、村田もぎこちなく振り返った。それから、右手を豪快に振り回してこっちに向かって

駆けてくる。

「うーうーうーうーれたー、羊が売れたぞーっ!しかも新しいご主人様は、メリーちゃんって

女の子だー!メーリさんのひつじーひつじーひつじーメーリさんのひつじーひつじーひつじー

メーリさんのひつじーひつじーひつじー」

「可愛いって言ってやれよ!」

それじゃエンドレスだろう。









恐ろしい魔王の有利って……想像できなかったようです。



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